トロム国の白き魔女⑥
夜の闇は静かに舞い降りて、辺りを鈍色に包み込んでいく。
もう、足元が暗い。黒毒竜の群れを振り切って走っていたと思っていたのに、進む先に違う群れが見えた。
プラムが精霊を探している間、かなりの数の黒毒竜が国内に侵入したようだ。
王宮は首都の西のはずれにあり、その背に大きな森が広がる。この森には精霊が住んでおり、国の守りの要となっていた。
そして、森はトロム山脈に繋がり、そこは、隣国ラコスとの国境となっている。
件の黒毒竜討伐で、結界を川の水源まで広げることができたが、ラコス側の国境には今だに黒毒竜がうじゃうじゃと生息していた。
結界が破られた今、夜行性の黒毒竜が活発に行動しているのだろう。
幸い王宮の裏側は人里とは離れた位置にあり城壁もある。街まで侵入するには時間的猶予があるだろう。
プラムは黒毒竜に挟まれて、前にも後ろにも動けなかった。
木の茂みに隠れ状況を見守る。
「ひぇーーー、どうしようぅぅ。精霊さん、どうすればいいぃ?」
鳥籠の中で精霊たちが互いに目を合わせる。そして、プラムの頭に声が響いた。
(……多分、紅龍のお姉さんなら、この鳥籠を開けられると思う……)
「紅龍? もしかして、わたし?」
右の赤いイヤーカフを指す。精霊たちがコクコクと頷いた。
精霊たちを鳥籠から出せば、結界が復帰する。そうすれば黒毒竜も退くはずだ。
プラムは鳥籠を地面に置き、膝立ちで鳥籠に両手をかざす。紅色の魔法陣が広がり、解析魔法が発動した。
サイファがイグアスの攻撃を剣で弾き返す。
ソレイユとグレースから巧みに遠ざけながらサイファはイグアスを牽制した。
できたら二人を扉から外に出したい。
もう三年前のサイファではない。イグアスと互角以上に渡り合える自信があった。
イグアスの剣技は舞うように軽くしなやかなものだ。
何度も何度も思い出して稽古をして来た。
体中の血潮が騒ぐ。
だが、ここは狭い。他の者を巻き込んでしまう。
幼い子を抱えた女王にも、ソレイユにも怪我をさせたくなかった。
イグアスが魔法を放ったら被害が甚大になるだろう。サイファは魔封じをしようとした。だが魔法が発動しない。
焦りを感じた。
そして、気が付いた。
この部屋の四隅に装飾に紛れて魔封じの魔法陣が刻まれいているのに。恐らく、この城では白魔法以外の魔法は使えない。
不意にけたたましい音を立てて外側から扉が開いた。
男二人が全速力で駆けてきたらしく、荒い息遣いが聞こえる。
黒い影がよぎり、イグアスに向かって男が刀を構えた。そして、チラリとサイファを見る。
「只者ではないな。誰だ?」
サイファは黒尽くめの男の隣に並んだ。
二人はお互いにイグアスから目を離さずに会話する。
「そっちこそ誰?」
先に名乗るのが礼儀だろうと、少しぞんざいな口の利き方をした。
男は意に介す様子もなく、平然と答える。
「黒騎士カイだ。お前は?」
「青龍のサイファ。イシュタルの仲間だった黒騎士?」
「そうだ。只の仲間ではない。恋人だ」
「へぇ。……どいういう事か、後で詳しく説明してもらうからな! イグアスも含めてあんた等のせいで、こっちは大変なんだよ」
カイは口に端で笑う。大人の男のこなれた顔だった。
「生きてたらな。龍神ならお前に頼みがある。あの男の仲間の紅龍が、給水塔に黒毒竜の毒を入れるようだ。どうにか食い止めてくれないか? いくらなんでもアレには勝てないが、時間を稼ぐことくらいならできると思う」
サイファは思わずうんざりとした。この大人たちは馬鹿なんじゃ無いかと思った。
特にイグアスは気が狂ってる。こんな大人たちの尻ぬぐいのために、苦労しているこっちの身にもなれという気がしてきた。
「限度が無いくらいヤバい奴らだな。占い師のほうは俺が連れて行くから、女王様親子を守ってよ」
「そっちは国王が命に代えても守るだろうよ」
ちらりと視線を送ると、ソレイユと女王親子を茶色の髪の男が壁際に誘導していた。髪の色が娘と同じ。
よく見ると、知っている顔だ。いつかの憲兵の責任者。
「あの人、王なの? 騙された」
「はは。あいつ? どこでも現れるからな。普通に街中の見回りしてるしな」
「本当に嫌になるな。変な大人ばっかりだ。それじゃ、いくよ」
サイファは円を描くように剣を構えなおすと、氷月夜刀槍は形状を変化させ、刃が三日月型の短槍へと形を変える。そのまま、イグアスを薙ぎ払うように切りつけた。
連続で攻撃を放ち、後ろにカイの気配を感じると、上へ高く飛び後ろに身を翻し、カイと交代する。
カイは晴眼に構えてイグアスの眉間を目掛けて刀を振り下ろした。
イグアスはそれを剣で防ぐ。
カイとイグアスが鼻が触れそうな位置で顔を突き合わせた。
初めてイグアスはカイを直視したのだ。
「何度言ったらわかる。アルベールもグレースも関係ない。イシュタルと結婚するのはこの俺だ」
二人の力は拮抗し、双方とも押し切ろうと刃に体重を掛ける。
「黙れ! 高潔で儚いイシュタルは、黒騎士なんか選ばない。選ぶとしたら、私と同じ聖騎士だ。あの性悪王女が嫉妬にまみれて聖騎士を寝取り、黒騎士に操を汚されたからイシュタルは自決したに決まっている」
「馬鹿なことを言うな! あの日、イシュタルはお前に呼び出され給水塔に行った。お前が毒を盛ったのだろう? それ以外には考えられない」
「煩い、煩い、煩い。全員地獄に堕ちろ」
イグアスらしくない乱れた剣技がカイを襲う。目を剥いてカイに斬りかかるが、冷静さを失った剣技は、カイに軽くいなされてしまう。
「イシュタルがお前なんかを選ぶから悪いんだ。イシュタルが毒を飲むか、私が貯水槽に毒を入れるか、選ばせてやっただけだ。あの女は自ら毒を飲んだ。なぜ、いつも私を選ばない」
サイファはその話を耳の端で聞きながらソレイユに向かって走る。左手でソレイユの腰を抱き上げ、窓を蹴破り給水塔に向かった。
「グレース、ローザ、無事か? 良かった」
「国王陛下、どちらにいらしていたのですか?」
「昔のように、アルベールと呼んでくれないか? とにかく下がってくれ。どんなことをしても守るから」
ア、アルベールと、グレースは躊躇いがちに、懇願するように声をかける。
「死なないで。お願い」
アルベールはグレースに向かって微笑む。その瞳は暖かかった。
「死なないさ。聖騎士をなめるなよ!」
アルベールはグレイスたちに障壁を張ると、イグアスに向かって剣を構えた。
「儚いって誰の話だよ。イシュタルは儚くなんか無かった。加減を知らない馬鹿力だったし、体力は無尽蔵だったぞ」
「ああ、違いない。龍神が儚い訳なかろう。怒らせたら怖かったな。仲間を傷付けた黒毒竜を楽しそうに痛めつけてから殺してたぞ。明日は我が身と肝を冷やした。お前の幻想は押し付けだ。いい加減に目を覚ませ」
「煩い、煩い。イシュタルは泉のように清らかだった。それを黒騎士ごときが汚した。許せない、許せない」
アルベールはカイと自分に補助魔法を掛け強化をしてから、イグアスに斬りかかった。
的確に相手の攻撃力を削ぐようなバランスの取れた剣技だった。
カイは剛腕で攻め、アルベールは削ぐように剣を振る。
我を忘れて怒りを放っているイグアスは、二人の剣技に翻弄されていた。
「どうなっているの?」
ソレイユは抱えられながら疾走するサイファにどうにか声を掛けた。
舌を噛みそうだ。
「給水塔が危ない。仲間が居て、水に毒を入れると言っていたらしい。急ぐぞ」
「本当に?」
もうこうなったらやるしかない、ソレイユはサイファの首に手を回して、なるべく負担を掛けないようにしがみ付いた。
プラムはどうにか鳥籠の分析を終えた。
すべては炎の結界を応用した魔法だった。分解するには逆から解いていけば良い。
頭の中で術式を演算しながら紐解いていく。複雑な魔法だった。術式に侵入できる糸口を探す。プラムにはそれだけの力があった。
刻一刻と時は過ぎ、黒毒竜の群れがプラムの周りに増える。
黒毒竜が翼が無く機敏でないことを、これほど感謝したことは無かった。
王城の明かりが遠くに見え、その向こうに、魔法で白く浮かび上がっている給水塔が見える。
続く
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