トロム国の白き魔女⑤

 黒騎士カイとアルベールは王宮に向かって走る。道すがらこれまでのことが次々と思い出された。


 白龍神イグアスの姉に対する執着は異常である。


 アルベールがアレナを訪れた時、イシュタルは後宮で身の回りの世話をする侍女数人と暮らしていた。あれは、軟禁されていたと言うのが正しい。


 イグアスは姉が人前に姿を見せるのを良しとしなかった。イシュタルは、年に数回の祝賀祭に『祝いの歌』を唄う以外は、何の仕事も無く、宮を訪れるのもイグアスだけだった。


 イグアスはイシュタルに皇国の偶像であることを強いたのだ。


 いや、どちらかと言うとイグアスにとって、姉が偶像の対象だったと言っても過言ではない。


 イシュタルがその事を否定をすると、イグアスは国を滅ぼさんばかりに暴れた。

 イシュタルの行動如何によっては皇民に危険が及び、イシュタルはそんな毎日に絶望し、イグアスの事を拒絶していた。


 そんな時に、聖騎士であるアルベールが、トロム王国の使節団の一員としてやってきた。


 何とか、姉の怒りを鎮めたいイグアスは、聖騎士であるアルベールとの結婚を勧めたのだ。


 聖騎士なら偶像としての神の結婚相手としては十分だし、アルベールの故国であるトロム王国は助力を求めている。

 上手く交渉すれば、結婚後は二人をアレナに居住させることもできると踏んでいた。


 イシュタルを手元にどうしても置きたいイグアスには、まさに渡りに船という状況であった。



 イグアスは連日アルベールを後宮に招き、婚約を打診する。イグアスにとってアルベールが聖騎士だというのが一番重要だったのだ。


 アルベールはまるで見合いのようにイシュタルを紹介され困惑していたが、トロムの現状を考えると誘いを断ることができなかった。


 傍から見ても憔悴しているイシュタルが気の毒で、アルベールは根気よくイシュタルから話を聞きだし、一時でもイシュタルがアレナを離れられるように二人は話し合った。


 イシュタルとアルベールは気の合う、良いだったのだ。


 急ぎ返事をするよう求められたアルベールは、イグアスに二つの条件を提示した。


 まず、一つはトロムの討伐隊にイシュタルを同行させてほしい。

 二つ目は、しばらく仲間として過ごしてから婚約の事は考えたい、というものだった。


 イシュタルとイグアスは長い時間話し合い、結論としてイシュタルの同行を許さらざる得なかったようだ。


 イグアスにとって姉は所有物であり、でもいいから傍に置いておきたいもののようだった。異常である。



 実際に討伐部隊に参加し、イシュタルが心を惹かれたのは、アルベールでは無く黒騎士カイだった。


 カイも満更ではない様子で、イシュタルとアルベールはお互いの恋心を相談し合う、やはり良いだった。


 お互いが好みではないので腹を割って話せる。そこも気が合った。


 討伐は無事に終わり祝賀ムードの中、イシュタルは一人塞ぎこむ事多くなっていた。そろそろ、アレナへの帰国を考える時期になったからだ。


 実はその時、神としてのイシュタルは、アレナの守護者を降りることを決断していた。

 アレナ皇国は双子の白龍神が治める国。イシュタルが降りれば、イグアスもアレナの守護神ではいられない。


 イシュタルには策があった。


 それは、生命の樹カウサイ・サチャに白龍神の辞退を宣言し、グラシェス王国のカイの元へ降嫁を願うことだった。


 イシュタルはメンシスに飛び、生命の樹カウサイ・サチャと連日対話をする。


 イシュタルの思いに生命の樹カウサイ・サチャは答え、その願いは聞き届けられた。

 生命の樹カウサイ・サチャに双子の白龍神の種子が実ったのだ。


 双子の白龍神がアレナに降臨し国を守れば、イグアスは皇民に対して何もできなくなる。


 メンシスの生命の樹カウサイ・サチャを抱く山の頂より、イシュタルは神体化し一息にアレナに跳んだ。

 そして、アレナ水殿のイグアスに自分の思いを伝える。


「イグアス、私は神ではなくなります。私たちは一介の白龍族となるのです。貴方は水殿の浄階じょうかいとして、そして神龍族の誉れ、最強のオアシスの騎士として、これからもアレナに居なくてはならない人でしょう?皇民は皆、貴方を信じて頼りにしているのよ。貴方は私に偶像としての神を望んだ。だけど、私はそれには答えられない。人間と共に生きることを望みます。どうか、解かってください。これからアレナに双子の白龍が降臨します。私は人の世に降嫁します。これはもうことわりとして決まったことです」


 イシュタルの味方も友もこの国には居なかったのだ。

 すべて、イグアスに奪われ、偶像としての孤独を味わっていた。


 イグアスは巧みにイシュタルに対する印象操作を行い後宮に閉じ込めた。それは、子供のころから続いている。


 イグアスは繊細なイシュタルを傷付けたくない。弱いイシュタルを守りたいと言う。


 家族愛が強すぎるからそうなってしまっているのだと信じていたが、もう、知ってしまったのだ。それは愛と呼べるものではないことを。


 イシュタルの思いを聞いたイグアスは、茫然となり一言も返さずに自室に消えた。この時にはすでにイグアスの心は壊滅的に壊れていたのかもしれない。


 イシュタルの苦悩を見て、さすがのカイも腹を括る。風来坊然としているが、カイは北の国のグラシェス王国の王位継承第一位の王太子だったのだ。


 グラシェス国の王族としてアレナ皇国イグアスに、正式な謁見を申し込むと、すぐに承諾される。


 謁見の席のイグアスは、穏やかで神聖な浄階じょうかいそのものだった。神に仕えるのにふさわしく、礼儀正しく見目麗しい。


 しかし、カイがイシュタルとの婚約を打診しても話が通じないのだ。もちろん、先に書面でお伺いを立てている。


 何を話してもアルベールが婚約者であるという。

 だからカイは何度も説明した。

 結婚を申し込んでいるのはカイで、アルベールはトロム国王女であるグレースと婚約している。


 トロム国では、白魔法師である王女は国政を行わないので、アルベールはトロム国の王となると、何度も何度も。

 結婚を反対するわけでも、認められないと憤るわけでもない。


 ただ、ただ、話が通じないのだ。


 カイは空恐ろしく背筋が凍る思いをした。そのまま謁見の時間は終わり、イシュタルの帰国命令も取り消すことはできなかった。


 イシュタルが毒を飲んだとされるのは、その次の日だった。



その時の事を思い出すとアルベールは悔しい思いが込み上げる。それと同時にイグアスにも何か救いが必要では無いかとも思うのだった。


 ***




 遠くから聞こえるのは精霊の嘆き声。

 この国に入れてはいけない者。その侵入者を恐れる声。


 グレースはソレイユに語る。イシュタルは親友だったと。イシュタルが今も大好きだと。

 イシュタルは友情のために給水塔を建てた。なぜなら、あの塔は龍の飛翔塔も兼ねていたからだ。


 神龍族の飛翔域には、出入り用の高い建物や城壁が建築されていることが多い。


 あの泉の水はアレナのオアシスの乙女からの贈り物であり、給水塔はイシュタル個人が、いつでも遊びに来れるように建てられたのだ。


「イシュタルはあたくしの事が好きだと言ってくれました。あたくしの恋心も応援してくれていました。あたくしのことを、誰よりも優しい良い子だって抱きしめてくれました。親友であり、姉のような母のような存在だったのです。両親を亡くし、近しい親戚もいないあたくしには、とても、とても大切な人だったのです」


 サイファもソレイユもトロムに今も残るイシュタルの存在を感じた。この国の水はイシュタルの友情の証。なおさら、イグアスの話には裏があると感じた。


 そのとき、窓の外から多数の人間のざわめきや叫び声が聞こえた。その方向を見るとバルコニーに飛び乗る白い人影。


 イグアスが一瞬で近衛兵達を再起不能にしてここまで来たのだ。


「すぐにアルベールもここへ来るだろう。あの男の目の前で、お前達を八つ裂きにしてやる」


 イグアスはサイファを見てほくそ笑んだ。


「ああ、ここに居たのか。秘密裏に動こうとしていたが失敗した。青龍を痛めつけてどこかに吊るせば、慌てて太陽神が出てくるのではないか? その方法に切り替えよう」


 サイファが短刀を引き抜き正眼に構えると、短剣の柄からつるが伸びるように金属が固まり青光りする刃の剣となった。


 サイファが生命の樹カウサイ・サチャより生まれ出た時より、その手に握られたいた氷月夜刀槍ひょうげつやとうそうは、戦いの状況によって剣にも槍にも変化する。


 イグアスは普段の慈悲深い表情をかなぐり捨てて、悪鬼のような形相となっていた。


「死ねぇ」


 イグアスは風のように高速にサイファに向かって剣を振り下ろす。サイファはイグアスの剣を真っ向から受け止めた。


 続く

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る