燈火の聖女③

 プラムの封印を解くのが己の役割だと認識したサイファは、一人給水塔の最上階に居た。

 この魔法で造られた尖塔せんとうは、人には登れぬ高さにある。

 ひっそりと存在する貯水タンクの周りには、青で統一された美しい花々が咲き誇っていた。

 甘い香りが鼻をくすぐる。

 誰の目に触れぬが、魔法で整えられた庭園は、悲しいくらい美しくて、術者の内面が表現されているように繊細で優しさが溢れていた。


 上位の炎の魔法くらい使える。サイファは青龍の王なのだ。

 それなのに赤いイヤーカフの封印はびくともしない。

 最上位魔法でなくては、封印を解くことはできないのかもしれない。

 サイファの属性は氷の魔法と新たに顕在化した闇の魔法なのだ。


 それならば、紅龍に解いてもらうしかないだろう。

 サイファは、尖塔せんとうの先端まで飛び乗ると、大空へ飛翔する。

 神体を取り、一気にメンシスまで飛んだ。




「元帥様、お戻りでございますか」


 自国の城の前に降り立ったサイファは、青龍軍の将軍マクシムに迎えられた。


「すぐに、燈火の聖女に正式な謁見を申し込んでくれ」

「かしこまりました」


 自国に帰れば、サイファの身分は青龍族の王であり、龍王軍の元帥だった。龍王軍は、青龍、翠龍すいりゅう紅龍せきりゅう、白龍すべての軍が集まった総称となる。

 但し、イグアスの事件以来、白龍軍は消え、龍王軍の総帥であるアマルも消えていた。現在、龍王軍は実質機能していない。


 その状態で軍に閉じこもっていても意味は無い。そこでサイファは、メンシスの国務と青龍軍は将軍マクシムに任せ、アマルを探すことを特務とした。


 当然、紅龍軍も名目上はサイファの臣下であり、ハルワタートは将軍を努めている。しかし、燈火の聖女は紅龍の長だ。


 いくらサイファと言え、急に訪問するわけにはいかない。


 今は、ハルワタートから謁見の返事を待つしかないのだ。


 執務室で溜まっていた仕事に目を通しながら派遣した特使を待った。


 それほど待たずにハルワタートからの返事は着いた。これで燈火の聖女に会うことができる。


 サイファは青龍族の正装をした。ノックス・オパールは胸飾りに収まる。久しぶりの正装に張り切って形を変えたように感じた。この宝玉が女性だというのは、あながち間違いではないように思える。



 サイファは、神体を取り紅龍の国ルークスまで翔んだ。

 神龍族しか通れない高い防御用の隔壁を超えて、パティオに降り立つ。


 ルークス特有の晴れた空と太陽の眩しい光。アーチが幾重にも連なる白い回廊と水鏡の池。回廊の屋根には葡萄のつるが絡まり、光と蒼と白と緑の風景。


 東西南北にそれぞれの龍神を配し、美しい装飾が施された椀型の噴水より水が溢れている。


 回廊の屋根の寄せ木細工は満点の星を象っていた。


 大きな柘榴の樹の葉陰に白い漆喰の四阿あずまや


 燈火の聖女ハルワタートは、白い四阿あずまやの中からサイファを手招く。細身の装飾の少ないドレス姿だった。


「大きく、立派になりましたね。お茶を用意して待っていました。尋ねてくださって喜ばしいわ」

「ご無沙汰しております」


 四阿あずまやの八角形の天井は鍾乳がくり抜かれ、彫刻が施されている。アラベスク模様の繊細で奥行きのあるものだった。


「今日は、たくさんお話を聞かせてくださいな。青龍サイファよ」

「ハルワタート様はご健勝でしょうか? 俺で良ければ、是非とも話し相手をさせてください」

「ふふふ、何か相談があるのでしょう? それを先にお話しなさいな」


 サイファはこれまでの経緯を説明した。ハルワタートは興味深そうに、楽しそうに聞いていた。


「話はわかったわ。だけどね、紅龍が自分の子供に不利益な封印を、例え相手に命じられても施さないわ。白龍や青龍のように頭が固い訳でも無し、例え命じられても従わないと思うわ。黙っていればれば、バレないじゃない」


 頭が固い、たしかに青龍族は堅物の集まりといつも言われている。

 耳が痛いなとサイファは思いながら苦笑する。


「そして、子供に不利なものを封じたのなら、自分以外は解除できないようにするわ。強力だけど、外せないわけではない封印でしょう? それは、時期尚早まだ早いって事よ。然るべき時がきたら、その子自身が解除できると思うわ」

「そうでしょうか?」

「まずは、黒いほうから外しなさいな。闇の力なら、サイファが一番でしょう? それこそ、貴方以上なんて、冥府の王くらいなものだわ」

「黒いほうを外して危険はないのでしょうか?」

「無いでしょう。貴方の話からすると、片親の暗黒竜も暴れ出すような恐竜じゃなさそうだし、理知的なはずだわ。それに、赤ん坊の性格や性質なんか封印できないわ。どちらに似るのか、それとも、どちらにも似ないのか、赤ちゃんじゃ解からないじゃない。封印できるのは、あくまでも先天的に発現している力だけよ」


 ソレイユの占いでも、黒の封印を解除するのは必要で、そこが始まりだと告げられた。サイファ自身が黒の封印を解けばいい。そうすることを決意し、ハルワタートのパティオを後にした。


 サイファを見送るハルワタートにアスダルはそっと近付く。


「今の子供は?」

「あの子は、軍神の青龍よ」

つるぎを握って生まれてきたと有名な? どんな話をしていた?」

「子供が親にするような相談よ」

「ハルワタートはあの子の親代わりなのかな? それじゃ、あの子が臣下に欲しかったら君に言えばどうにかなる?」

「親代わりは他にいるわ。わたくしじゃない。臣下にって軍神を? アスダルが配下になるのではなくて? 無理よ。あの子が神龍族で一番強いのよ。イグアスだって今のあの子には勝てないかもしれないわ」

「闇に呑まれた軍神なら臣下にできるかもしれないよ。闇魔法を使うのだろう?」

「え? 冥府の王みたいな事を言うのね」

「ふふふ、冗談だよ。将来が楽しみな子供に見えたから、ついね」


 アスダルは、ことのほか気分が良かった。

 ついに、青龍を見付けた。探しても見付からなかったのに自分から現れた。イグアスが大喜びするだろう。

 外側の回廊に影が見えた。イグアスはもう気付いている。


「さて、どうするかな」

 あの男イグアスは正面突破しできない。それでは面白くない。


 イグアスには悪いが、今回は獲物を譲ってもらって、イグアスには駒になってもらおう。

 そして、もう一つ駒がある。

 アスダルはこれからの計画を頭の中で組み立てながら、回廊を抜けイグアスに目で合図をした。




 プラムの黒の封印は、サイファの力ですぐに解除することができた。


 解除後は、瞳の色が緑玉のような深緑となった。

 そして、魔法が顕在化した。

 紅龍らしく炎の魔法と、成分分析の特殊魔法だった。


「プラムちゃん、美人になったね!」

「さーちゃん、ほらぁぁ、みてぇぇぇ、分析できます! これで研究も楽になりました。うれしぃぃぃぃぃ」

「プラムちゃん、……中身は変わらない。この眼鏡っ娘は!」

「まぁ、性格が一気に美人系になったら、びっくりするからいいんじゃないかな」

「そうだね」


 プラムはの気分は、紅龍の国の強い日差しと、晴れた空のようにすっきりとしている。

 プラムの両親も肩の荷が下りたような顔をしていた。

 これから魔法力が成長すれば、いずれ赤の封印も解けるだろう。

 プラムは外れたイヤーカフをチョウカーの飾りにして首に飾った。

 お守りにするそうだ。





 夜も深まり、アスダルは夫婦の寝室を開ける。

 鏡台の前で髪の手入れをするハルワタートを後ろから抱きしめた。


「とても疲れた顔をしている。今日は来客もあったし、公務が多かったからお疲れでしょう? だから、薬を用意しました。それを飲んでベッドに入りましょう。抱いて差し上げますよ」

「アスダル。薬はいらないわ」

「駄目です。よく眠れますよ。それとも、……欲しくはないのですか?」


 ハルワタートは窓から見える柘榴の実に視線を移した。

 良く熟れた果実は割れて、宝石のような果肉が詰まっている。

 愚かなのはわかっていた。柘榴の果肉には子供の守護という意味もある。


 また、何か忘れていることを思い出せそうな気がした。


 だけど、すぐに『忘れさせられた事』は霧の中に消えてしまう。


 されるがままを受け入れてから深い眠りに入った。沼のように暗くて深い。


「女性は不思議ですね。美しい顔と魅惑的な体。男を満足させるには十二分なのに、賢く頭が良いから女として自信がない。だから男に媚びる。オアシスの乙女は、大人しくて控えめなのに自主性が無いだけで、男には媚びない。だから、男が尽力する」


 アスダルはベッドを出て、外出着に着替え始めた。




 アスダルは暗い夜道を繁華街に向かって歩く。

 ルークスの女達は情熱的な者が多い。

 ルークス特有の曲が街に響く。

 六弦の音、カスタネットを鳴らしながら、足を踏み鳴らしリズムを取る。


 どの女も赤い髪をしていた。

 繁華街は、山の斜面にあり、この辺に多い放浪の民が洞窟で踊る。

 踊らなくては息が出ない、そんな切実さを感じた。


 洞窟の中は、漆喰で整えられて、天井には銅の飾りが、照明を反射し鈍く光る。低いドーム型の天井。

 アスダルは踊る人たちを掻き分けて、奥にある小部屋の扉を開いた。娼婦の部屋だった。


「私のタルフィ! 逢いたかったよ」


 灼熱のように、赤く長い髪がうねり、露出の多い流浪ロマの民の服を着た女が振り返る。真っ赤な瞳、柘榴のような唇。


「もう少し遅かったら、客を取ろうと思っていたわ」

「それはいけない。私以外には触れさせたくない。愛している。私のタルフィ」


 女はドレスの肩をずらしながらベッドに横たわる。


「早く、来て。愛しているのでしょう?」

「ああ。強く、淫らで美しい。君は私の理想の女だ」


 アスダルは、体の自由を奪うように上から押さえ付けて、激しく口付ける。首筋を吸い、服を剥ぎ取ると、タルフィは何処か遠くを見詰めていた。


「アスダル。わたしたちの、あのをどこにやったの?」

「誰にも取られない安全な場所。あのは元気だよ。運命は時に面白いね」

「あのに逢いたいわ」

「もうすぐ逢えるよ。あと少しの我慢だ」


 大きくなったかしら? と微笑んでから、残酷な瞳をした女はアスダルの全てを招き入れた。

 部屋の中は甘酸っぱい咲きたての花のような、柘榴ざくろの実の香りで充満していた。


 続く

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