第三章  燈火の聖女①




ここはどこだろう?

確か、誰かに逢いに行こうとしていたはずだ。思い出せない。

最近は眠りが深すぎて、己の存在が希薄に感じる。








「起きましたか? 我が妃よ」

その声で、ハルワタートの意識は浮上した。



ここは夫婦の寝室で、目の前に居るのは夫。



「わたしくしは、ずっと此処ここにいたのかしら?」


穏やかに微笑むアスダルはベッドの端に腰掛け、ハルワタートの髪を一房掬う。いつものように軽く口付けをしていた。

「どこかにお出掛けでしたか? 私を置いて遠くに行かないでください。夢の中まで傍らに居ることを望むのは贅沢ですか?」

アスダルは軽くウィンクをする。

甘いマスクとスマートな仕草。体はよく鍛えられていて、胸板は厚く、瞳は緑玉のように深い緑。その瞳に見つめられたら、女性なら誰でも憧れを抱くだろう。

「まぁ、」

人間界では、智慧の神と言われ、才女と分類されるハルワタートは、男性に畏敬の念でかしずかれる事はあっても、こんな風にからかわれることは無いのだ。


「はは、冗談です。そんな可愛い顔をされると、ベッドの上で悪いことをしようと考えていた私は、いささか罪悪感を覚えます」


ハルワタートはアスダルのセクシーな言動にドキリとする。

こんな可愛げのない女でも、喜びを与えてくれる。

優しくしてくれるが、愛されているわけでは無い事をハルワタートは心のどこかで感じていた。

北大陸のテラ・ペルティタ国の王族の末裔だと、アスダルはハルワタート達に説明をしていた。

遥か昔、『ドス・オホスの穴』が出現した時、地下から無数に湧き出した黒毒竜により、テラ・ペルティタは滅ぼされ、今では『失われた国』と呼ばれている。


そう、彼には帰るべきところが無いのだ。

彼はいつか国を復活させるために、少数の家臣とともに細々と血脈を繋いできたと言っていた。

市井しせいに下り、自らの才覚だけで生きてゆく難しさが、身にしみているのだ。

彼がハルワタートの夫として傍にいるのは決して愛からではない。


しかし、彼女は気付かないふりをする。


「昨晩は良く眠っていました。私の一族の秘伝の薬はよく効きましたか?」


アスダルに渡される薬を飲むと、いつも決まって死んだように深く眠ってしまう。

丸一日も目覚めない事もあるし、夢遊病者のように屋外で目覚めたこともある。

決まって自分とは全く違う、恥知らずで残酷な女になっている夢を見ていた。

そう、心の中の願望を解き放つように。

こんなに深く眠らせる必要があるということは、その時間にアスダルは不貞を行っているのではないかと、ハルワタートは疑っていた。

しかし、問い詰めて本当の事になってしまうほうが怖かった。

彼女を深く眠らせてから、アスダルが向かう場所を知るほうが嫌だった。


「―――ええ、疲れが溜まっていたのかしら。とても自由になった夢を見たの。まるで、わたくしとは違う者になったような」

「それは結構。人間の智慧の神にして、私の燈火の聖女。それでは、奥様、朝食にいたしましょう」


そうは言うが、二人は正式な夫婦ではない。アスダルが拒否するせいで、太陽神に夫婦の誓いを捧げていないのだ。



アスダルの薬を飲んだあとは、決まって、ハルワタートは、何か大切なことを忘れている気がする。





サイファは、ロマスクブール郊外の運河の支川に建つ瀟洒しょうしゃな建物を尋ねていた。

川の上に対岸を繋ぐ橋のように、建てられているその建物は、プラムの父母が地質学者として所属している国の研究機関だった。

川の流れで水車を回し、地下水を組み上げる研究をしている。


「サイファ君。いらっしゃーい。こっちよ。こっちに来て!」


大学院への入学に関しては、まだ何も決まっていない為、プラムは研究所内の治療院を手伝っていた。診察室から顔を出し、サイファを呼んでいる。


サイファはブクカーナ家をわざわざ訪ねて、少々強引に、では無く、ちょっとした話し合いをして、プラムたちから奪った荷物を取り返してきた。


サイファは呼ばれた通り、診療室に入る。そこはシンプルな作りで縦長の部屋だった。

医師用の作業机と患者用の椅子。診察用の簡易ベッド。

それ以外は、真っ白で清潔な部屋だった。

プラムは診察机の椅子に座り、患者用の椅子にサイファを座らせる。

サイファは大人しく椅子に座った。

プラムの医術師としての所作は、昨日今日のものではなく、完全に板についたものだった。聴診器を首からぶら下げている。



「これ、持ってきた。賠償金も入ってるらしい。後で確認してくれ」


サイファは、大きな頭陀袋ずたぶくろを差し出した。

プラムは驚き、感情も露わに両手の握り拳にぎりこぶしを振っている。

彼女の



興奮した時の彼女のくせだった。


「手に入りにくい本があって、諦めてたのにもどってきた。うれしいぃぃぃ」


この医術師の卵は、何を置いても本が優先らしい。

席を立ちあがって荷物を漁り、本にキスをしている。

サイファは内心驚いていたが、感情が外には出にくい性格だった。


「サイファ君、ありがとぉぉぉぉぉ」


感情が高ぶると末尾が伸びるのもくせなのか、とサイファは微動だにできずに考えていた。勢いがある。


「あ、そうそう、今日、こっちに来てもらったのはね」とプラムはいきなり医術師の顔になり診察机の椅子に座りなおした。

「サイファ君、隠しても無駄よ! あなたは持病を持っていますね。わたしの目はごまかせません。さぁ、診察させなさい」


なんせ、勢いがある。このはこんな性格だったのか! と気持ちは、この街の隔壁の外側くらいまで引きながらサイファは答える。

「俺が病気に見えるのか? 龍だからかなり頑丈だぞ」

「いいえ、わたしプラムの目は、いぇ、鼻はごまかせません!! サイファ君、いい? あなたからは毒の匂いがします」

「匂い?」

「わたしは、鼻がいいのです! 毒は魔法の類ではないので、病気です。

 わたしの見立てでは、その短剣に浄化魔法が付与されている。だから抑えられているだけでしょう?」

「ああ、そうだ。この短剣のお陰で俺は正気を保っている」


プラムは眼鏡の縁をくいっと持ち上げ、サイファの顔の前に身を乗り出す。サイファは椅子が倒れそうになるくらい後ろに引いていた。

「わたしは解毒が専門なのです。その短剣には最高級に強力な浄化の魔法が付与されている。それでも解毒できずに体内に残っている。そうでしょう! サイファ君」

「ああ、そうだ。この浄化の魔法は高位の神のものだ」

「わたしの生涯を掛けて叶えようとしている夢は、暗黒竜の毒が解毒できる万能薬をつくる事なのです。暗黒竜が人間の脅威にならない世の中にしたいのです。 それに、サイファ君を助けたい」


プラムは志のある人だった。

サイファに助けられた恩も忘れるつもりは無かった。

そして、若いながら解毒の分野では、かなりの功績を残しているのも事実だった。


「俺は何をすればいい?」

「まずは、毒の残留物を調べたいので、髪の毛をください。そして、血液も採取させてください」

「ああ、かまわない。俺もプラムに話があった。君の出生の件だ」


出生に関して話をしたとき、プラムは少し寂しそうな顔をしていた。




プラムたち黒秘竜の一族は、人型に変化へんげする暗黒竜の存在をひた隠しにしていた。また、人型になれる暗黒竜はプラム達、黒秘竜だけではない。

一般的に知られている、空の飛べない大型の暗黒竜は黒毒竜と言う。

知能は低く、人型にもなれない。狂暴で猛獣そのものだった。

だが、翼を持っている種族は、知能も高く、見た眼は人と変わらない姿で地上で生きている。

そして、どの種族も、その血液は神龍族や人間にとっては毒となる。


神龍族が把握していることは、地底の王が地上を支配しようと、ドス・オホスの穴より暗黒竜を遣わしたという事だけだった。地底の王がどんな姿かはわかっていない。

黒秘竜の一族も地底を去った時、地下の国であるドリュージョ・デマーンの伝承は、一族の長から次の世代への口伝だけとなっていた。


暗黒竜に関して情報を求めるなら、北大陸に行かなければならない。


続く

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