第三章 プラムは暗黒竜の混血の女の子

暗黒竜のプラム①

 ソレイユがユルトから外に出ると、ちょうど東の空が薄紅に色付き、夜空が明るい紫に変わるところだった。


 何処に居ても水のせせらぎが聞こえる。


 この街の水路は、魔力を使わずに高低差だけで街の隅々にまで水を行き渡らるものだった。


 広大な西の山脈の雪解け水を水源として流れる大きな川の支流にダムを築き、運河を作って街に水を送り込む。

 そのおかげで、木材や交易品を積んだ商船が行き交う大商業都市となった。


 更に加えて、トロム国の女王は白魔法師でもあるため、国は結界や精霊に守られていた。

 王家の白魔術は代々遺伝によって、女性に引き継がれる。

 王家には王女も生まれており、国民は豊かな国で安寧あんねいに暮らしていた。


 ソレイユは中央広場の共同水汲み場でおけに水を汲む。

 今日は良い天気になりそうだ。東の空に太陽が昇り始めた。


 生まれたての太陽の光は、ソレイユの体に元気を与えてくる。

 太陽に守られていると、実感している内に、桶の水が一杯に溜まった。


「おはよう。ソレイユが俺を個人的に雇ってくれたって、団長から聞いた」


 サイファは朝日の中で、まだ夢の中に居るような、ソレイユに挨拶をする。

 とても人間じゃないなんて、信じられないくらい普通の女子だった。


「あたし、こう見えても稼ぎ頭なのよ! サイファは朝が早いのね」


 思いの外、元気な返答が返ってくる。


「まぁ、ソレイユの護衛だからな。食い扶持分はしっかり働かなくてはな。しかし、本当に髪が爆発している。鳥の巣に似ているな」


 ソレイユの寝起きの髪は、モジャモジャにもつれていて、後頭部の髪が絡まって固まりになっている。

 そこに鳥の雛が住めそうだ。


「ぐっ、気にしているから言わないで」


 ハハハ、と笑いながらサイファはソレイユの持っているおけを受け取ると、ふと止まってソレイユを見た。


「髪を濡らしてから、乾かせばいいのか?」

「うん、そう。乾かしてから、香油を使って整える」

「わかった」


 サイファが人差し指を伸ばすとそこに小さな青い魔法陣が浮かび上がる。

 すると桶の水が多数の粒となって、ソレイユの髪に纏わりついた。


「わぁ、服が濡れない」


 水は意志を持っているように、髪を一本一本包む。

 ソレイユの髪が真っすぐになっていく。


「俺は水の魔法は使えるが、風の魔法は得意ではない。でも、このくらいならしてやれる」


 次に小さな白い魔法陣が指先に浮かび、ソレイユの髪の間に風が吹き抜けた。

 肌に馴染むような温度の風が、髪をいたわるように優しく擽る。

 髪は無事に乾き、元の半分くらいの量になった。


「便利な護衛だろう?」

「魔法使ったの? すっごい! 初めて見た」

「ソレイユは使えないのか? 何だか使えそうだが」

「魔法力はあるみたい。だけど、発現しないの」


 ねぇサイファ、とソレイユは言いにくそうに下を向いた。

 その横顔は頼りなくて、何だか力を貸したくなる。

 ソレイユの笑顔がとても見たいと思った。

 サイファはポンとソレイユの肩に左手を乗せる。


「どうした?」


 ソレイユは、くっ、と顔を上げた。

 不安で泣きそうな瞳をしている。

 突然の来訪者にも動じない気丈な子だと思っていたのに。


「あたしって、サイファの持っているのと同じ石で、人間じゃないってことでしょう。その、アマルって子が見つかったら、あたしは、石になっちゃうのかな?」


 ソレイユの大きな空色の瞳から涙が溢れてきた。雫が零れそうで零れない。


「ソ、ソレイユ? わぁ、どうした、泣くな。心配しなくてもアマルはそんな悪い奴じゃないよ」


「いい人なの?」


「ああ、優しい奴だった。俺が持っているのはノックス・オパールと言って夜を象徴している。アマルのほうはインティ・オパールで太陽の石だ。それは、いつも俺たちの傍にいて助けてくれるものだよ。だから、ソレイユもアマルに逢えば、きっと―――きっと気が変わる」


 胸がツキリと痛んだような気がした。

 サイファは初めての感情に少し戸惑う。胸が痛いのか、痛くないのか、わからなかった。


「そうかな? 石になってもいいと思えるのかな?」


 寂しそうな瞳は逃げ出したくても、逃れられない事を覚悟しているように頼りなく見えた。


「それはわからない。俺達とこの宝玉は、共にあるのが自然な存在だ。寝るときなんかは、装飾を解いて枕元に居る。誰かが持って行っても戻ってくる」


 ソレイユの頬が微かに緩んで、少しだけ笑顔を見せた。


「やだ、なんか、それ。ちょっと怖くない?」


 そんな悲しそうな笑顔をさせたいわけでは無い。

 屈託のない笑顔を見せてくれるなら、今、この場で、ソレイユのために何でもできる気がした。


「ああ、まあ、そうかな? だがな、ソレイユ。君の事は、どんな存在なのか本当のところはわかっていない。俺には、石を人間に変えるなんてできないし、アマルならできるのかもしれないが、アマルがそうしたのか、君が自らそうなったのか、わかからない。ただ、ノックス・オパールは対になっている君を探し出した。それにな、アマルが見つかって、それでも君が石になんかなりたくないと言うのなら、俺がアマルにソレイユを自由にしろ! って、言ってやるよ。ついでにノックス・オパールも人にしてもらって、二人とも自由になるといい。

 ―――しかしなぁ、俺にそっくりなんて、嫌かな?」


「サイファはきれいだよ」


 サイファは控えめだが端正な顔をしていた。

 瞳は深い海のように青く澄んでいて、鼻筋も通っている。

 だが、アマルの華やかさに比べると、やはり月のような存在だった。


「俺は男だぞ。きれいなわけないだろう?」


 サイファはソレイユの瞳を指で拭う。

 その行為はソレイユにとって、嫌ではなかった。

 女の子扱いしてもらってるようで嬉しかった。

 ソレイユはドキドキして頬が熱くなる。


「あ、そうだ! サイファを占ってあげる。それと、カードを使っていると魔力が漏れ出すよ。見たいでしょう? すぐに支度するから待っていて!」


 恥ずかしくて、とにかくその場から逃げ出したかった。


 足早に走るソレイユの背中を見送ったサイファは、遠くの給水塔を見る。


 魔法で造られた尖塔せんとうの屋根は、青銅の細い金属が幾重にも絡まって螺旋を描いている。


 とても繊細なデザインだ。


 屋根は最上階の柱で支えられ、そこには大きな貯水タンクがあると言う。

 白い石を積み上げて造られたその構造は、アレナの水殿の建築様式に良く似ていた。


 アレナ水殿の『オアシスの魔術師』は、あれからどうなったのだろうか?

 アレナの皇民を助ける助力を願ったという彼女は、少なくともトロム王国内には居ないようだ。


 消えたのは、アマル、イグアス、イシュタル、オアシスの魔術師。

 新たに生を受けたのがソレイユ。

 わかからない事ばかりだ。


 まずは、ソレイユの占いの時に、まれに現れるアマルと思われる人物を確認しなければならない。


 大体、たまに来るけど呼べないってどういうことだ? とサイファは首をかしげる。

 魔力に関連したことなのだろうか?












 プラムは南の空を見上げる。早朝の太陽は隠れていて、宵闇のほうが強い時刻だ。

 今日、初めて黒秘族の村を出て北大陸から西大陸に渡る。

 学者の両親がトロム国の研究機関に招かれからだ。

 両親は地質学者だが、プラムは医術師の卵だった。

 両親が都会で働くこの機会に、プラムも大学院で学ぶと良いと言ってくれたのだ。


 たくさん勉強ができると思うと飛び上がるほど嬉しい。

 出発にこの時刻を選んだのは、プラム達には誰にも知られてはいけない秘密があるからだった。

 旅の荷物を足元に置いて両親を待つ。

 叔父に出発の挨拶を終えた両親は、緊張した顔をしていた。

 次に決意したように目線で合図する。プラムはわかっていると、返事をするように頷いた。


 両親が影のように一瞬揺らめくと、馬くらいの大きさの暗黒竜に姿を変えた。

 身体は小さくても大きな翼を持っている。その翼で海を渡たるのだ。


 プラムは竜に変身できない。


 実は彼らとは血縁関係は無く、子供ができない両親と、赤ん坊の頃に養子縁組をした。

 だが、プラムも暗黒竜に属するもので間違いは無い。

 プラムは母の背に荷物を乗せ、父の背に乗り込み大空に羽ばたいた。


 強い海風に眼鏡が飛びそうになる。片手で押さえて遠くを見た。

 遠い海の向こうの異国も、竜の翼なら船の三倍の速度で移動できる。

 夜が明けきれぬうちに到着するだろう。

 朝のうちは波も穏やかで、海風が心地よい。


 プラムの村は、暗黒竜に占領された北大陸中央部の境にある辺境地区だ。

 当然海から遠く、初めて見る景色は新鮮で、未来も輝いているように感じる。

 プラムの夢は医術師になって世界を飛び回ることだ。

 翼が無いのは残念だが、この竜族の強い身体と身体能力があれば何処へでも行ける。


 続く

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