第一章 水の街とオアシスの魔導士③
この世界は三つの大陸で構成されている。
中央から東に広がる
北側のセイサドラコ北大陸。
メンシスから見て西にあり、南に広がるセイサドラコ西大陸。
そして、ここトロム王国は砂漠の広がるアレナの隣にあたる。
トロムはアレナの急な砂漠化と崩壊に伴い、行き場を無くした難民を数多く受け入れていた。
それは、アレナの魔導士がトロムの治水に多大に貢献をした恩によるものだった。
あれは、アレナが崩壊するなんて夢にも思っていない頃。
トロムの王女がアレナを訪れ、自国の水源に巣食う暗黒竜の掃討を願い出た。
願いは聞き入れられ、勅命を負った水の魔導士が、トロムの討伐隊に加わり、現在は王に即位した聖騎士と共に暗黒竜を打ち負かしたのだ。
討伐後は、水源を浄化しトロム国全土に治水を行った。
運河が建設され、街のあちらこちらに水路が通り、飲み水が湧き出す噴水が数多く創られた。
この水利を制御する設備を、水の魔導士が一人で、魔法により創り上げたという。
傍から聞いても、とんでもない魔法力の持ち主だった。
ソレイユはサイファに敷布に座るように仕草で促す。
「ねぇ、サイファって、龍なの?」
「ああ、本性はそうだ。だが、地上では龍にはなれない。だから、多少魔法が使えるだけで、普通の人間と大差ない」
「へぇ。また、髪の毛を乾かしてくれる?」
「世話になったから、そのくらいのことはしてやれる」
ソレイユは髪には苦労していると零していた。
このテントの住人は、元々アレナで暮らす人々だった。
アレナは白龍神が治める皇国。
慈愛の神といわれるイグアスに守られ、技芸の神イシュタルの恩恵を受けていた。
技芸の神イシュタルは、高名な歌い手であり、その玲瓏な歌声は厄災さえ凌駕し、世界中に響き渡ると言われている。
その恩恵を受けるアレナ人は、生まれながらの芸術家だった。
難民となってトロム王国に渡った後は、その特技を生かして、生活をしている。宮廷画家として召し上げられた者も居れば、田舎に居を移し、田畑を耕しながら、創作活動をしている者も居る。
ソレイユ達は、芸能に秀でた者たちを集め、首都ロマスクブールの中央広場で大道芸一座として興行をしていた。
ただし、ソレイユにはアレナ崩壊の記憶が全く無かった。
事件のときに記憶喪失になり、それ以前の事は何も覚えていない。
ソレイユの記憶はトロムに逃げてきた馬車の中から始まっているのだ。
「ごめん、あたしサイファの役に立てない。だけど、サイファが探し人に出会えるか占う事ならできるよ」
ソレイユはサイファにドラコカードを差し出す。そのカードに龍の力を感じた。透明で心地よい冷たさの澄んだ力。アマルの力では無い。
「このカードはどこで手に入れた?」
「アレナよ。占いは?」
「後にしてもらいたい。今は自分の事は考えられない」
その時、部屋の区切りのカーテンが引かれ、官能的な踊り子の衣装を着た女性が部屋に入ってきた。
「ソレイユ、お友達?」
「エマおかえり、青龍がホントに来た。話してあげて」
「まぁ」
エマはスラリとした美しい肢体を持つ女性で、アレナでは皇室の踊り子をしていた。
また、ソレイユに占いの技術を教え、育てた恩人でもある。
エマは穏やかな気質の人のようで、ゆるやかに当時の様子を語った。
サイファはそれに耳を傾ける。
「あの日の事は忘れられません。アレナは白龍神イグアス様が最高位の
神が共にあるのが当たり前だった。
それなのにイグアス様はいつのまにか姿が見られなくなり、誰も行方が分からず、探すこともできません。
姉のイシュタル様は後宮に篭られていて以前から人前には出ることも無いお方でしたし、みなさん不安で水殿内は不穏な空気で包まれていました」
オアシスに注ぐ水の流れが止まった。
日課とする舞踊の稽古をするエマの耳に、外からそんな話し声が聞こえてきた。
それは、アレナの常識からしてあり得ないことだった。
聞き間違いだと思い、半信半疑のまま稽古を続けた。
だが、どうにも集中することができない。
エマは話の真相を確かめるため、稽古場を出て前庭に向かう。
静まり返った歩廊は、まるで初めて訪れた場所のようによそよそしく感じた。
建物から屋外に出ると初夏の光が降り注いていた。
庭園は、いつものように花々が咲き乱れ美しく輝いて見えた。が、しかし。
水辺に集まる鳥達の声は消え、風もピタリと止まっている。まるで神の怒りにより打ち捨てられた箱庭のように不気味に静かで、それでも明るい。
「クワァーーー」
遠くから鴉の鳴き声がする。
人以外の動物はここを見捨てて何処かに消えた後のようだった。
薄ら寒い景色から視線を外し、初代白龍の女神をかたどったと言われている女神像を見やる。
女神像はいつもと違っていた。
いつもなら、左手に持った水瓶からは溢れるばかりの水が流れオアシスに注がれている。
それなのに、今は、女神像の水瓶は乾ききっていて、何時間も前から流れが止まっているように見えた。
あり得ない状況にエマの背筋が凍る。
初夏の日差しは暑いのに、寒気がエマを襲ってきた。
異常事態だった。
エマ以外の神官たちも言葉が出ずに凍りついている。
どれくらいそうしていたかわからないが、不意に太陽の光が遮られるのを感じ振り返った。
なにが起こっているかは分からない。
武装した白龍軍がアレナ上空を旋回していた。
皆が茫然とする中、イグアスが突然現れオアシスの剣を一振りする。
誰もが胸を撫で下ろし、救世主の登場に喚起した。
だが、しかし、いつも穏やかに微笑み、皆に公平なイグアスがゾッとするような冷ややかな笑みを浮かべている。
イグアスが剣を振るたびに悲鳴や叫び声が上がった。
そして、白龍軍の兵士や神官たちが断末魔のような叫びを上げて砂のように消えていく。
白龍軍の指揮官がやっとイグアスが敵である事に気付いたときには、大勢の神官と兵士が砂となり消えていた。
「散開しろ! 打てぇ」
自軍の将であるイグアスが敵となる事態に、頭では理解していても上手く対応できない。
それでも副将のライアンは軍隊を指揮しイグアスを攻撃しなければならない。
誉れ高き神龍最強の騎士。我々の守護者。
弓を放ってもことごとく弾き返される。
イグアスが力強く剣を振るたびに水は引き、砂はうずたかく積まれ、オアシスは乾き、建物はひび割れていった。
イグアスの顔面に浮かぶ嘲笑が不気味で、余りの恐怖に人々は逃げ惑い混乱する。
そんな混乱のさなかに、どこからともなく美しい歌声が聞こえた。
玲瓏に響くその歌声は人々に訴える。
「落ち着きなさい、わたしの愛しい人達よ」
その歌声が「逃げるように」と高らかに謳う。人々は歌声に導かれオアシスの外へと向かった。
エマは人波の中で夢中に走る。冷水に漬けられたように手足が冷たく痺れていた。途中で足がもつれる。そしてとうとう転んでしまった。
膝と腕を擦り剥き血が滲む。
諦めてしまいたかった。
この先どうなるか分からないし、絶望が蛇のように絡みつき、心を蝕む。わかっていても止められない。
ただ、ただ、泣いてしまいたかった。
俯いて地面を見ていたエマの視界に、女性の手が差しだされる。
縋るように、その手を掴み立ち上がると、助けてくれたのは、禰宜(ねぎ)の装束を着ているが外套で顔を隠した女性だった。
「大丈夫ですか?」
美しく響く声。なぜか安心感を与える。エマの凍える指先にその温かさが触れた。
「ありがとうございます」
禰宜の女性はエマに、手の平くらいの大きさの宝玉を差し出した。
「私はまだやることが残っています。だから、この子と一緒に逃げてほしいのです。どうか、守ってください。大切な子なのです」
エマはその宝玉を受け取った。
そして、女性禰宜は懐から宝石が散りばめられた長方形の箱を取り出し、胸に抱き守護を与える。
「こちらも、お持ちください」
すると、暖かい光が辺りを包んだ。
まるで、穏やかなお日様のような柔らかな光。
エマは思わず宝玉と箱を抱きしめると、宝玉はみるみるうちに女の子変わった。
エマは裸の女の子に自分の外套を巻き付け、夢中で導かれるように走る。
オアシスの出口には大きな辻馬車が何台も待っていて、人々はそれに乗り込んでいた。
エマも乗り込み、着いた先がトロム王国の首都だった。
アマルが攫われた時、その足でイグアスがアレナ帰ったことは間違いない。やはりアマルはアレナで消息を絶っていた。イグアスが消したのは本性が龍の神官や兵士だけだ。
アマルも一緒に消えてしまったのだろうか?
そして、イシュタルは、皇民を助けようとしている。
だとしたら、インティ・オパールをエマに託した者はイシュタルの手の者だ。
そして、ここに存在するソレイユは?
インティ・オパールが主の危機によって人の形に変わったのだろうか。
サイファは自らのノックス・オパールを凝視する。
自分の魔法力では不可能な気がする。
増しては女性に変えるなど未知の領域だ。
しかし、鉱物が完全に肉体を実体化させることができるのだろうか?
アマルはたしかに男だった。
前女神のルフレは、男の神を産んで崩御したと言われている。
アマルがいくら最高位の神龍だとしても、龍の完成された個体である限り性別を変えるのは不可能だろう。
改めて見るとソレイユは、人間にしては不思議な気配をしている。
それに龍の力も感じない。
精霊か物の怪の類を魔法で強化し実体化させたのだろうか。
そして、それを行ったのはアマルかイシュタルだと推測できる。
「禰宜の女性から託された宝玉が子供に変わった時、本当に太陽のような光を発していました。
だから、わたしは、この子をソレイユと名付けました。
あなたがお探しなのはこの子なのでしょうか?」
エマの話はそこで終わった。
「面差しはたしかに似ている。
髪の色は違うが、瞳の色は同じだ。
だが、決定的に違うのは、俺の探している人物は男だ。
それと、託された箱の中身はなんだったのだろうか?」
「ソレイユが使っているドラコカードです。
箱のほうは、みんなの生活のために売ってしまいました。
そのお金でこのテントを購入したのです」
ソレイユは何か考えるような仕草をした。
「私に似ていて、男性。それならたまに逢えるよ。ただし、こっちが呼んでも出てきてはくれないけど」
「どういうことだ?」
「あんたさ、強い? それなら、用心棒として置いてくれるように頼むから、しばらくここに居なよ。そしたら、逢えるかもしれない。ちょっと説明は難しいんだ。実際、見たほうがいいって」
どちらにしても、他に方法は無いのだ。ソレイユが精霊でも物の怪でもアマルが残した手掛かりには違いない。
続く
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