水の街とオアシスの魔術師②

 一人イシュタルが封印されている部屋に残っていたアスダルは、思わずといったふうに肩を揺らし笑いをかみ殺していた。


「くっ、フフ、―――イシュタル。

 其方そなたは罪な女だな。生まれながらに大罪を犯しているようだ。イグアスは、其方そなたと共に生を受けたのが一番の不幸の始まりだと思わないか? 其方そなたのためにあの男が本気でここまでするとは思っていなかった。本気で黒毒竜の血液の呪いだと思っているのだろうか?あんな原始動物の毒が神をも変質させるわけがないだろうよ。疑うことを知らぬ馬鹿な男だ。結局、あの男も其方そなたと同じ」


 アスダルは、大股で歩き部屋の入り口に向かう。その仕草に先程までの上品さは無かった。

 荒々しい破壊神のようだ。

 ふと、含み笑いをして、柔らかい物腰に戻る。


「いい加減にして、我が姫を迎えに行かなくては。賢くて愚かな私の妃なのだから」











 風が吹き抜ける砂の土地をサイファは水殿に向かって歩く。

 女神像の前に差し掛かった時、サイファは自分を呼ぶ声を聴いた。

 それは、アマルの声だった。

 空耳では無い。


「―――サイファ ―――」


 ノックス・オパールが輝き、風がサイファの体を空に巻き上げた。遥か上空で体が投げ出される。


 龍が神体を取るには高低差が必要だ。

 落下の速度が増せば龍態を取ることができるし、風に乗れば翼が無くても空中を泳ぐことができる。

 また、龍の状態を維持できるのは、生命の樹カウサイ・サチャの領域か、大空でなければならない。なぜなら、地上は人の住む場所だからだ。


 サイファはバランスを取り、頭から急降下する。その姿は霞み、青黒い鱗の神龍となった。

 そのままノックス・オパールに導かれるように地上に落下すると、青銅色の屋根の尖塔と、飴色の屋根が立ち並ぶ大きな街が見えてくる。


 地上が近付くにつれ神体は解かれ、人の姿となり、風脈に乗るように流され、気が付いた時にはどこかの部屋の中だった。部屋というよりは、布張りでテントに近い構造である。









「エマ?」

 その時ソレイユは、布で部屋を区切り、桶に張った水で水浴びをしていた。粗方流し終わる頃に外から物音がする。

 同室のエマが今日は朝食の当番で部屋を出ていたため、何か忘れ物でもしたのかと、それほど気にせず、髪を両手で高く纏めた。


 多すぎる髪がびしょびしょに濡れている。束にしてギュッと絞る。この毛量のせいでソレイユは毎朝髪を洗わなければならない。寝起きでぼさぼさになった髪は他に直しようが無いのだ。


「ねぇ、昨日のドラコカードの占いで青龍のカードが出たじゃない? 遥か東に住むと言われている青龍の眷族なんて、本当にこの街に来るのかしら? 最近、予見が外れることは無かったけど、今回ばかりは外れよね」


 体を拭くための布を巻き付けながら、簡易的な風呂場から出る。すると、部屋に見知らぬ男が立っていた。


 ソレイユたちが住んでいるのはユルトと呼ばれるテントだ。このユルトには、廊下のようなものは無く、真ん中の居間が各部屋に直接繋がっている構造だ。入口も一つしかない。居間には見張り役の男達が常に詰めているし、人の目もあった。外部の人間が簡単に個人の部屋には入れない。


 それなのに、忽然と少年が現れた。目の前に居る男は普通の人間では無いし、今起こっていることは、必然である。ソレイユは、そう読み取っていた。驚きもしないで侵入者であるサイファをまじまじと眺める。


 青光りする黒髪を軽く梳き、首元で束ねていた。細いながらしっかりと筋肉が付いている体は、戦う男のものだった。

 左腕に指先までの白銀の武具を付け、腰には短剣を装備している。だが、それ以外は防具も無く軽装だ。この辺りでは珍しく、東国風の青い衣を纏っている。


「あんた誰? まさか青龍の眷族?」


 彼女と相対すると、左腕のノックス・オパールが、激しく振動し共鳴する。その共鳴に合わせて少女の茜色のブロンドの髪が、光を帯び舞い上がった。多すぎるその髪が激しく揺れ共鳴する。

 それは不思議な出来事だった。サイファがノックス・オパールを引き継いで初めての事だった。


 共鳴の余波が過ぎると、ザワザワとした生活音が辺りに戻る。


「やだ、あたし髪が多くて。……ボサボサだ」


 ノックス・オパールが反応したとしても、ソレイユはアマルと決定的に違う。


「どこから、どう見ても女の子だよな? 俺は人を探していた。簡単に言うと、この石が探す鍵になっていて、導かれて気付いたらここに居た。たしかに、俺は、青龍に属するものではある」


「占いが当たったみたいね。あんたを待っていた。あたしは占い師のソレイユ。あんた、名前は? もう、この髪! 嫌になっちゃう」


 広がってボサボサになった髪を手で撫でつけながら、鬱陶しそうにしかめ面をする。先程の共鳴ですっかり髪は乾いたようだ。


「俺はサイファと言う。色は違うのだが、この石に似た宝石を持っていないか? 丁度、君の髪の毛みたいな色だ」


 ソレイユは、服を掴み、吊るした布の向こうに消える。どうやら服を着るようだ。


「今の便利! 髪を乾かす魔法? それと、そんな凄い宝石を持っているように見える? あたしはその日暮らしの占い師だし、今だってさぁ、ほとんど裸だよ?」


「それは、そうだが」


 サイファは部屋を見回す。そこにあるのは、座るための敷布と小さなテーブル。テーブルの上に木のコップと占いに使うカードの山だけだった。

 物入れなどは無く、女性の所有物と一目でわかる布製の袋に衣類など日用品を片付けているのだろう。


 どれも、価値のある宝石を保管するには適さないものだった。どこもかしこも貧しいが、女性らしい部屋。同世代の女の子がほぼ裸。


 サイファは、急に恥ずかしくなってきた。途端に所在無く狼狽える。どうしたらいいかわからない。頬が熱くなり、頭も上手く回らない気がした。


 そうしているうちに、西洋風の占い師の装束を着たソレイユが片手で布をまくり、こちら側に出てきた。


 ソレイユは毛量の多い髪を落ち着かせるためか、両耳の横で束ねた髪をヘヤカフスで止め、後ろに流れた上半量の髪を束にしてかんざしで止めていた。

 それによって毛量が調整され、ウェーブが掛かった髪が丁度よく下に流れる。

 その髪は虹色の游色が揺らめいていた。インティ・オパールの色と輝きそのものだった。

 そして、はすっぱな口をきくが、仕草はどことなく上品さを感じる。更に、アマルと同じ空色の瞳。


「ただ、あたしの髪色の宝石なら心当たりがあるよ。あたしには説明できないから、エマが帰ってきたら話を聞いて。あたしもあんたのような人を探していた。あたしの知らない、あたしを知る人」


 アマルについて、初めて手掛かりのようなものを得た。

 おかげで少し頭が冷えた。

 サイファはホッとしながら、エマを待つ事にした。アマルを探す手立てがここで得られるかもしれない。


「ところで、ちょっと聞いてもいいか?」

「うん」

「ここは、どこだ?」


 ソレイユは面白そうなものを見たと言う顔でニヤリと笑った。


「ここは、セイサドラコ西大陸のトロム王国。首都のロマスクブールよ」


 そして、艶のある笑顔を見せる。


「ようこそ、オアシスの魔術師が創り上げた。水の街へ」


 続く

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