第一章  水の街とオアシスの魔導士①

さらりとした白い砂は、どんなに掘り進んでも乾いているだろう。


サイファは膝を付き、砂を手に取る。

乾燥しきった砂はサラサラと手から零れて、風にさらわれた。

結局何も残らない。

砂時計のようで、無意味な時間の流れを感じた。


イグアスが治めていたアレナ皇国は、三年前までは緑豊かなオアシスだった。

灼熱のこの土地にあって、唯一冷たくて透明な湧き水。

まさに、厳しい砂漠の中の慈愛のような国だった。

今はその面影もなく、人々の暮らしの痕跡は砂に埋もれ、ゴツゴツとした岩と砂だけの景色になり果てている。

中心部の水殿に続く参道でさえ、家屋も浅葱色あさぎいろの窓枠も、全て朽ちはて白っぽく風化していた。


「はやすぎる」


守護神を無くした土地はこれほどまで荒廃が進むのだろうか。

まるで何千年もの昔に滅びた古い遺跡のようだった。


アマルを連れ去ったイグアスは、その足で自国に帰りすべてを消し去った。

アマルもその直後に気配が消えた。

イグアスは、次期アレナの守護神への力の継承を拒み、白龍族を全て抹消したうえで行方を眩ましている。

イシュタルだけでも探し出せれば、アレナを救済することができるが、フィオナの力を使っても全く痕跡が掴めなかった。


アマルを連れ去られたあの日、本当はすぐにでも後を追いかけたかった。

しかし、身の内に巣くう暗黒の血液はことあるごとに暴走しようとする。

それを制御し強くなるには時間が必要だった。


イグアスとイシュタルはどこに消えた。アマルは何処かに監禁されているのだろうか?

アマルの守護の光は、まだ大気中に存在している。どんな形であれ、アマルが生きていることは確かだ。

それだけを支えに今までやってきた。


自分の情けなさに歯噛みをする。

サイファはこの土地を訪れるのに三年もの月日を要してしまったのだ。


師匠のレヴィンが裏の世界ウク・プチャウに去った後、誰に教えを乞うこともできず、サイファは生命の樹カウサイ・サチャの根元の洞窟に入り、試練を願った。

生命の樹カウサイ・サチャに与えられた試練は厳しく、暗黒の力を制御し新たな力を得るまでに、時間が掛かってしまったのだ。

そして、その新たな力は邪悪が具現化したような、まさしく闇の力だった。


サイファは参道をさらに進む。

かつては沙羅の白い花が咲き乱れた森林の奥、水辺に浮かぶように建っていた水殿が見え始める。

今は、立ち枯れの樹に囲まれ、建物の土台の石組が無残に風に晒されていた。

オアシスの乙女イシュタルが好んだという、青や紫のネモフィラの花壇も水殿の前庭から消えている。

草の一本も生えてはいなかった。


しかし、不思議なことにそこに鎮座する女神像だけは、生命をもっているように生き生きとしている。

右手に太陽を掲げ、愛しそうにそれを見つめる美しい横顔。下に伸ばした左手に水瓶を持っていた。

その水瓶はこの世界ができた昔からオアシスの水源だった。

溢れ出す清らかな水は、今はもうない。

女神の像が残した微かな残留思念が昔の幻影をサイファの脳裏に映す。

在りし日の清涼な空気を一瞬感じた。

その刹那、瞳を開けると、そこは砂と風だけの景色。



イグアスは暗い部屋の扉を開いた。

一筋の光が暗い床に映る。

煙水晶の中の人影が薄灰に発光していた。

そこには、かつてイグアスの姉だったものが封印されている。

暗毒竜の血液による汚染を受け、鱗模様が頬や胸の皮膚に浮かび上がっていた。それを封ずる、美しく細い指に似つかわしくない指輪が、禍々しく存在を主張しているようだった。


イグアスは、知らぬ男に嵌められた指輪に侮蔑の眼差しを送る。

今すぐ破壊してしまいたいが、その指輪が呪いを抑える唯一の方法だった。

くすんだ煙の中にあっても清らかな双子の姉は、イグアスにとっては、家族以上に愛した存在だった。

溢れる優しさや玲瓏な声が懐かしく脳裏に蘇る。そんな、次々と浮かぶ思考はどれも汚れを知らぬ美しい記憶。

もう、自身は汚れている。龍も人もたくさん葬った。イグアスはそれでもいいと思っている。姉が一人が汚れを受けるのよりは、ずっといい。

いつかイシュタルが目覚める時、白い皮膚が毒で汚れていても、独りではない、自分も同じだと言ってやれる。

そんな思考の移ろいを真後ろからの声が邪魔をした。

かけがえのない姉との時間を遮る者に憤りを感じたが、声の主を考えるとそうも言ってもいられなかった。


「時を止めるしか、救う方法が無いとは、―――何とも残酷なことですね」

ここの女主人が扉を開けて佇んでいる。イグアスは向き直り、礼を尽くし叩頭した。

智慧の神でもあるハルワタートは、思慮深いが決して冷たい女ではなかった。その通り名のように、暗い夜に道しるべとなるような、暖かい明かりのような女だった。

「燈火の聖女様。神龍族の裏切り者である私に、保護を与えてくださり感謝しています」

「オアシスの乙女は、わたくしとは旧知の仲でした。まして貴方は、わたくしの夫が連れていらした方。力が及ぶ限りお守りいたします」

背後より彼女の夫である豪華な金色の髪をした男も姿をみせる。

柔らかい物腰、緑の瞳。颯爽とした紳士の仕草で、彼女の赭土色そおにの髪を一房取って口を付けた。

「ハルワタート、宰相が急ぎの用件で探していたよ。気の毒だから行っておあげなさい」

「アスダル。あなたは、わたくしのことよりも他者をいつも優先して。少しのお休みも取れやしないわ」

「急ぎの件だけすませてくれれば、後でいくらでも城の者から隠してあげるよ。あまりにも気の毒だったからね。イグアスと少し話をしてからすぐに向かうから」

「わかったわ」

温かみのある赭土色そおにの瞳を細め微笑むと、ハルワタートは部屋を後にする。

その姿を穏やかに見送ったアスダルは、イグアスに視線を移した。

その顔は影が濃く、冷気を感じるほどの冷酷な眼差しだった。


「いい加減教えてくれないか? あの忌々しい小僧をどこに隠した? 貴殿に安っぽい忠誠心が残っていたなんて実に意外だったよ」


イグアスは苦々しい後悔を感じる。

三年前のあの日、攫ってきた太陽神が逃げたのは、只の失態であり、忠誠心などでは無かった。

だが、それを証明する手段など存在しない。


「アスダル様。その件に関しては誤解でございます。決して、貴方を裏切るようなことは致しておりません」


イグアスは君主にするように頭を下げ敬礼した。柔らかな見た目に反して、この得体のしれない男は、強大な力を秘めている。

ハルワタートは預かり知らぬことだが、残忍さは群を抜いていた。

恐らく位の高い竜の一人だろう。


「あなたの姉を救ったのは私だということを忘れてしまっては困る。本当に逃がしたのではないのなら、早く見つけて私に差し出すことだ」

「わかっております」


イグアスは踵を返す。太陽神は死んでいない。

その証拠に忌々しい光の加護が世界を覆っている。その光がある限り、暗黒竜の類は真の力を発揮できない。


イグアスも本当は神龍の力を捨て去り、暗黒竜に下りたかった。

だが、この力を捨てると次期の白龍が立ち、アレナを拠点に西の地域を制圧するだろう。

イシュタルが目覚めたと時になんの障害もない世界で迎えてやりたい。ようやく、勢力を広げ始めたのだ。その礎を壊したくはない。


天空の国ハナク・ユスを制圧し、生命の樹カウサイ・サチャを焼き払い、神龍族を滅ぼしてからでも遅くはない。

しかしなぜ、太陽神は逃げ出すことができたのであろう。三年前のあの日、イグアスは、アマルを完全に昏倒させ、鎖につなぎアスダルを待った。

煩い白龍軍を排除しているうちにアマルの姿が見えなくなっていたのだ。

忽然と姿を消した太陽神は、今も生き延びている。そして、気配すら残していない。

無事ならばとっくに天空の国ハナク・ユスに帰っているはずだ。それなのに玉座は空のままだった。


手薄な天界を攻め滅ぼしてしまおうと、イグアスは暗黒竜の武隊と戦闘を仕掛けようとしたが、翠龍のフィオナが何重にも結界を張っていて踏み込むことができなかった。

現在では天空の国ハナク・ユスの出入りは厳しく制限されていて、中にいる協力者と水鏡で通信するのがやっとの有り様だった。その通信でさえ結界に阻まれて、大量の魔力を消費するうえ、少し気を抜けばフィオナに気付かれてしまう。

結界術に関してフィオナの右に出るものは居ない。

そのフィオナさえも、新たに生まれたオアシスの双子の白龍を連れ天空の国ハナク・ユスを出て、更に結界の強い自国に引き上げている。

その国の神官たちは結束が強く、隙がないため中の様子を知ることができなかった。

忌々しい、イグアスは顔を歪める。

唯一、痕跡を探せると思われる、青龍の子供も動きが無い。闇雲に探し回っても何の手掛かりを得られることは無かった。


続く

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