『雨で潤わず、血で潤う』
小田舵木
『雨で潤わず、血で潤う』
俺の人生の節目には必ず雨が降っている。
今日こそは、と言う日には雨雲が天を満たす。
手にした心臓。そこに降り注ぐ雨。
取り出したばかりの心臓は湯気を立てている。元持ち主の体温で雨が蒸発しているのだ。
俺は今日、初めてヒトの心臓を抜いた。即ち人生の節目。
だからなのか。雨は降り注ぎ。俺の体と抜かれた心臓を打っている。
雨に打たれて冷えていく体。
そこに。確かな熱い欲求がある。俺は心臓を喰らいたい。
俺は雨の中、心臓に喰らいつく。雨に混じって、心筋と血液が口を満たす。
心筋と血液を喉の奥に押し込めば。雨の冷たさを
ああ。今、俺は。『何か』を得た。それが何なのかは分からない。だが、今までに無かった『何か』が俺の体に宿った。
かくして俺は。『心臓喰らい』になっちまった。
当然、こういう人生の節目には雨が振り。雨が体に纏わりついている。
ああ、鬱陶しい。どうして俺の人生の節目には必ず雨が付いて回るのか。
これは運命なのか、悪運なのか、はたまた?
まあ、そんな事は知ったことではない。
俺はこの雨を境に変わっちまったのだ、ヒトという生き物ではなくなった。
◆
「雨の日には―心臓喰らいが現れる…」
そんな噂話が町を満たす。ああ、俺の事か。
ヒトでは無くなった俺は。ヒトの姿を隠れ蓑にしながら、心臓を漁り歩いている。
今日だって。手頃な心臓の下見の為に人里に降りてきた。
普段は山に籠もって生活している。なにせ、俺はもうヒトではなく、怪異の
町の目抜き通りをそぞろ歩く俺。
季節は梅雨。雨ばかりが降る湿気が鬱陶しい季節。
今だって。灰色の雲が町を覆い。今にも雨が降り出してしまいそうだ。
ああ。早めに獲物を見つけなければな。
俺は渇いている。心臓の味を一度覚えちまった俺は。いくら心臓を喰らおうが満たされる事を知らない。
まるで。底が抜けた水桶。いくら水を注ごうが、どんどん抜けていく。
だが。
俺は溢れ出しそうな欲求に従い続けて良いものだろうか?
ふと考える。
狩場にしているこの町で。心臓を喰らい過ぎた。ヒトの数を
当然。俺は警戒されている。小さな町だ。ヒトが一人減ろうものなら、案外に目立つ。
自警団が夜の町を見回っていると言う。ま、俺は昼夜関係なくヒトを襲っているのだが。
ぽちゃん。鼻の頭を雨が打つ。
ああ、降り出してしまったか。
俺は傘を持ち歩かない。手が塞がるのが嫌だからだ。
冷たい雨が俺の上半身を濡らし、下半身を濡らしていく。
雨粒が俺の体を打つ度、欲求が湧き上がってくるのを感じる。
ああ、心臓を喰らってしまいたい。もう誰でも良い。
この感覚は『心臓喰らい』じゃなきゃ分からないだろう。
お前らの感覚で言うと。空腹の時に眼の前にご馳走を出された感じだ。
俺は雨で髪を濡らしながら。
町の人々を眺めている。
突然の雨に慌てふためいた人々は。軒先に逃げ込んでいる。
その中から。手頃そうな人物を探す。
そして観察し続ける。物陰に隠れて。
後は隙が出来るのを待ち。跡をつけて心臓を引っこ抜くだけだ。
◆
しとしとと体を濡らす雨。
俺は雨に塗れながら、亡骸の上に
ああ、殺ったんだよ。心臓を引き抜いてやった。
右手には心臓。抜きたてホヤホヤ。
その心臓は雨に打たれて水蒸気を放っている。
赤く煌めく心臓。何度見ても美しい。
俺はその心筋に貪りつく。溢れ出る血が口を満たす。
雨に混じった心筋と血。その滋味が体を駆け巡る。
俺は跨った死体から、起き上がる。
そして水たまりを踏みながら、山へと帰っていく。
◆
「雨の日には―心臓喰らいが現れる…」
こんな噂話が。町を満たしすぎたせいで。
雨の日にはみんな引きこもっちまうようになっちまった。
ああ、面倒臭い。だが。溢れ出る欲求はいかんともし難い。
俺の食欲はどうやら。雨に紐付けされちまったらしい。パブロフの犬よろしく。
困ったものである。なにせ季節は梅雨で。いくらでも雨が降るからだ。
俺は雨に打たれながら町の目抜き通りを歩いて。
だが。食欲ってのは抑えがたい。どうにかしなければ、俺は飢えて死んじまうだろう。
体を打つ雨。
それは
喰いたい。ヒトの心臓を喰いたい。
だが。ヒトが居ない。
空打つ律動。打たれる俺。
◆
空腹と雨。
凡そ関係ない組み合わせだが―俺にとっちゃ致命的だ。
高台から町を見下ろしながら考える。
っても。空腹の時にまともな思考が出来るほど俺は賢くはない。
町には明かりが灯っている。
皆、雨の日を何とか家でやり過ごそうとしている。
ああ、俺のメシ共は引きこもっていやがる。
いっその事。町に降りてヒトを無差別に襲ってしまおうかと考える。
だが。俺はたかが『心臓喰らい』だ。大した能力がある訳ではない。
今は夜。自警団がうろついているはずで。下手に行動を起こせば、袋叩きにされて死んじまう。
今夜くらいは我慢するか?そう考えてみるが。
俺の渇きは雨では解消されない。血だ。血でしか潤わないのだ。
血が。血が欲しい。鉄で赤く染まった血が欲しい。
頭の中がそれだけで満たされていく。
雨が体を打っているが。今の俺は火照っている。
欲求が熱く燃えているのだ。
ああ、分かっちゃいるさ。冷静に考えれば今晩は我慢すべきだ。
だが。『心臓喰らい』な俺は。もう我慢できそうにない…
◆
雨が町を濡らして。冷やしている。
そこに熱く燃え滾った俺が降りてくる。
俺の周りだけ雨が蒸発しそうな勢いで。俺はずんずんと町を歩く。
しばらく歩けば。前から自警団。
俺は間髪入れずに自警団の青年の胸元に手を突っ込む。
そして、心臓を引き抜いて。彼を骸に変える。その間30秒。
俺は引き抜いた心臓を食べ歩きながら、町を進む。
町の目抜き通りを歩いていけば―やがては広場に着く。
そこには自警団が何人か
さて。ここからが面倒だが。俺の渇きはまだまだ潤わない。依って。彼らから心臓を頂戴するしかない。
「…何者だ?」自警団の一人が俺を認めて言う。
「…名乗るほどでもないさ。知ってるだろ?雨の日には―」
「心臓喰らいが現れる…」
俺と自警団は向き合う。
ああ、人数は3人。こりゃ分が悪い。
だが。俺には雨で潤わない渇きがある。
突き付けられる銃。銃口が俺の頭を捉える。
だが。この雨でうまく発砲出来るかな?
俺は。銃の発射に手間取っている自警団の一人の心臓をさっさと抜く。
その際に隣の奴から銃床で殴られる。頭がクラクラしやがる。
俺が銃床で殴られてクラクラしている内に。
自警団の一人が俺から離れ、鐘を鳴らしに走る。
ちっ。参ったな。残った一人をさっさと喰って。鐘を鳴らしに行った奴を止めないと、町中の自警団が集まって来ちまう。
雨。俺の頭をしつこく叩く雨が。俺の意識を戻す。
眼の前には銃床を抱え上げながら、ビクついている青年。
ああ、コイツは運が良い。俺にビビって動けなくなってやがる。
俺は。ビビっている青年に足払いを食らわせ。
馬乗りになり、さっさと心臓を引き抜いてしまう。
断末魔を出す暇すら与えない。
居残り青年を喰っちまった俺は。
広場の中央に走る。そこの塔の上に鐘はある。
◆
全力で塔を登ったが―時既に遅し。
「ゴォン…ゴォン…ゴォン…」俺が塔の頂上に到着する直前で鐘が鳴りやがった。
ああ。コイツは拙い。塔の上に追い詰められた形になる。
下に引き返すか否か。俺は迷うが。
狭い塔の屋上に陣取った方が分が良いように思える。鐘つき台は四方に柱があり、屋根が付いている。上がって来れるのは狭いハシゴだけ。
俺はハシゴを登る。上には当然、鐘を鳴らした奴がいる。
恐らく銃を構えている事だろう。
そこに突っ込んでいくのは愚策と言えば愚策だが。一人を相手にして倒してしまえば、塔の屋上に陣取れる。
あまり迷っている時間はない。
こうしている内に。ハシゴの上から狙い撃ちされかねない。
向こうが手間取っている間に。突っ込んで行く他あるまいて。
俺はハシゴを上りきると。姿勢を低くして鐘つき台の内部に入り込む。
考えずに走り込んだ。それが良かったらしい。
なにせ。鐘つき台に居た自警団は銃を構えてプルプル震えていたからだ。
ああ、ツイてる。俺が出会った自警団共はどうやらひよっ子だったようだ。お陰でここまでこれた。
「さ。頂くか」俺は震えている青年の胸元に飛び込む。
「うわああ」と叫ぶ青年。引き金が絞られている。だが。手元を見ないで撃った弾は鐘つき台の柱に打ち込まれて止まる。
俺はリロードの隙を与えず。胸元に手を突っ込み。心臓を引き抜いてしまう。
「ふぅ」俺は一息吐く。
これで。増援が来るまでは何とかなる。
引き抜きたての心臓を喰らって。その場に座り込む。
◆
雨に打たれる塔。その鐘つき台に俺は居る。
下には早くも自警団が集まってきていて。雨の中、銃を撃ちあぐねている。
ああ。塔の上に陣取ったのは間違いだったな。そう思わざるを得ない。
塔に決死の勢いで突っ込んでくる阿呆はいないのだ。
俺は塔のハシゴを上ってくる奴らを一人一人始末する事を考えていたが、考えが甘かった…というより渇きでまともな思考が出来ていなかったらしい。
俺が鐘つき台の柱に身を隠していると。
ポツポツと弾丸が飛んでくる。ああ、弾丸の雨が降ってきやがった。
天からは水滴が落ち。地からは銃弾が降ってくる。
俺は2つの雨に挟まれて。どうしようもなくなりつつある。
それもこれも。天から降ってくる雨のせいだ。雨が俺を狂わせたのだ。
…いや。それは強弁か。渇きだ。渇きのせいで俺は冷静さを欠いていた。
腹が満たされると。
勢いってのは無くなる。むしろ面倒臭さが襲ってくる。
もう。いっそのこと、弾丸の雨に身を晒してしまおうか。
そう考える。どうせ。ここに居たって
俺は柱の隙間から天を臨む。
相変わらず雨が降っている。
俺の人生の節目には必ず雨が降っていた。雨男らしい。
今も。ある種人生の節目…というか。人生の終わりだ。
俺は梅雨の時期に生まれた。生まれた時から雨に打たれてきた男。それが俺で。
人生の終わりたる今も雨に見舞われている。
雨の雫が塔の縁を打つ。その水しぶきを俺は浴びる。
ああ。ホント、鬱陶しいったらありゃしねえ。
俺はからっと晴れた日が好きなのだ。なのに。印象に残る日はいつも雨。死ぬときですら雨だ。
何時までも雨を眺めている訳にはいかない。
どうせ、自警団共は俺が死ぬまで諦めやしねえ。
俺は鐘つき台の柱から身を出す。その瞬間、脇を銃弾が走り抜ける。
俺は鐘つき台に続くハシゴの上に身を出して。
銃弾の雨に撃たれる事にする。
まばらな銃弾の雨。それは地から降ってきて。
しとしとと降る雨。それは天から落ちてきて。
俺は間に挟まれて。最後の時を待つ。
別に後悔はしていない。欲求に従ったまでだ。
渇いちまった俺は。阿呆な事をしでかした。
ああ。血で潤うような渇きじゃなければ。俺はもっと長生き出来たかも知れねえ。
だが。そんな事、考えても無駄だ。
どうせ。長生きしたところで。雨に打たれる人生なのだ。
『雨で潤わず、血で潤う』 小田舵木 @odakajiki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます