第3話
洞窟の中を、一行は突き進んでいく。
洞窟の中は暗く、腰に付けたランタンの灯りだけが視界の先を照らしている。
先ほど洞窟の外にまで、漂っていた異臭はさらに濃く、激しさを増し、吐き気を催すほどだった。
スタンは雰囲気にのまれそうになりながらも、抑え込み戦闘に備える。
先頭のアルモアも、その後ろにいるサルフェンとアミルもまた緊迫とした面持ちで歩を進めていた。
やがて道のりに進んだ先に大きな広間の入口を見つけた。
恐らくここにトロールがいるだろう。
物音を立てないように、慎重に歩を進めると、中に3メール(3メートル)ほどの影を見つけた。
―――トロールだ。今は、眠りについているのか動く様子はない。
奇襲をかけるには絶好のチャンスだ。
スタン達は、突入する前に立ち止まり、息を整えると、武器を抜き放つ。
これから戦闘が始まる。緊迫感は最高潮に達し、剣を握る手に汗がにじむ。
「よし、行くぞ!」
アルモアが号令し、突入を開始する。その時だった。
「待って!」
不意に、声が響きわたる。その声はスタンのすぐ近くから聞こえた。
アミルだ。彼女は今まさに突入しようとする3人を制して、前に出る。
「なんだよ、アミル!びびってんのか――」
「何かおかしい」
口をとがらせるアルモアにそう言うと、目の前の空間を見つめ続けた。
10を超える時間が過ぎ、誰かがアミルに声をかけようとして……
その瞬間、アミルはゆっくりとあゆみ出した。
腰に差した長剣に手をかけながら歩を進める。
何も、起こらない
縄張りを侵されたトロールが出てくることもなくただ静寂だけが響きわたる。
「やっぱり……」
一人まえにでたアミルは小さな声でつぶやくとスタン達のほうへと振り向く。
「……トロールは、死んでる」
立ち尽くす3人はトロールのほうへと視線を向ける。
アミルが堂々と近づいているにも関わらず振り向かないどころか、体を動かす様子すらない。
何かがおかしい。
スタンたちは、アミルの後に続き、トロールの元へ向かう。
剣を握り、ゆっくりと進んでいく。
やがてトロールのもとへたどり着き、覗く。
トロールは死んでいた。
入口を除いただけではわからなかったが、その死に姿は強烈だった。
肉をえぐられ、体のあちこちが傷だらけだ。何より目を引くのは至るところにある火傷のあとだ。
その死にざまに全員が呆然とした。
トロールは決して弱い存在ではない。
その巨体は人を造作もなく引きちぎり、鉄さえも引き裂く力を持つ。
さらに、回復能力も持ち、傷を負っても一日もたてば元通りになる。
そんな魔物をこのように殺す。
おおよそ人間業とは考えられなかった。
沈黙の時間がしばらく続いた後、サルフェンが口を開く。
「……どうする?」
「……どうするっつたってなあ……」
普段は豪胆なアルモアもさすがに異質な状況を前に委縮してしまっているようだった。
「とりあえず、帰るしかない」
アミルはそういうとトロールの指や耳を切り落とす。
魔物を討伐した際はこうして魔物の一部を討伐の証として持って帰るのが習わしだ。
状況は異質なれど、いつまでもこの場にとどまるわけにはいかない。
トロールの討伐の証を袋に入れると、速やかにその場を立ち去る。
入口まで戻る間に会話はない。
いつもなら、軽い雑談の一つや二つ出てくるものだが、そういう雰囲気ではなかった。
入口に戻る道中で、スタンは先ほどまで感じていた嫌な予感がさらに濃くなっていくのを感じた。
トロールの死体を見たせいだろうか。
妙な胸騒ぎがするが、考えたところで答えがでるわけでもなかった。
入口が近づく。先ほどまで降っていた雨はさらに勢いを増していた。
スタン達は、荷物の中から雨よけ用のコートを取り出し、身に着ける。
ここからふもとまで行くのは気が引けたが、この雨はそう簡単にやみそうにない。
もしかしたら夜まで降り続けるかもしれない。
夜に山道を行くのは危険だ。魔物も行動が活発になるし、灯りも少ない。
なるべく夜に行動するのは避けるべきだ。
そして何よりこの洞窟にいつまでもいるのは憚られた。
そんな考えもあり、スタンたちは降りしきる雨の中歩き始めた。
洞窟から少し離れた時の事だった。
最初に気づいたのはアミルだった。獣人である彼女は人間やエルフに比べ聴覚や嗅覚に優れている。
先ほどのトロールに気づけたのもそれが理由だった。
だから今彼女たちを襲おうとしている災厄にもいち早く気が付くことができた。
だが、その時にはもう遅すぎた。
彼女は地に向かって落ち続ける雨音の間から轟轟と響きわたる異音を耳にした。
辺りを見渡す。周囲には雨に濡れる岩々や木々しかない。
しかし異音は相変わらず聞こえてくる。
しかもどんどん大きく、はっきりと聞こえてきた。
その音がどうやら上空から響きわたっていると気づくと、鉛色の空を見上げる。
アミルは思わず固まってしまった。
アミルの近くにいたスタンたちもようやくアミルの様子に気が付いた。
彼らはアミルに倣って空を見上げ……アミルと同じように固まった。
そこに……豪雨でぼんやりとした景色映し出された空に、黒く、巨大な影がとどまっていた。
その陰はしばらく空中にとどまっていたかと思うと、スタン達の20メール(メートル)先に降り立った。
20メールも離れているというのにその存在はトロールより巨大に見えた。
その存在は一対の翼をもち、その巨体を支える脚は人間の胴より太かった。
緑色のうろこを持つ胴体から伸びた首の先には、トカゲのような顔があり、肉をたやすく引きちぎれるであろう鋭利な牙と、目の前にいる人族どもに殺意の視線を向ける凶暴な瞳を備えていた。
スタンはこの魔物を知っていた。
空を駆け、火を放ち、ドラゴンに付き従う翼をもつ魔物。
―――ワイバーンだ。
ワイバーンは、スタンたちをにらみつけると大きく息を吸い込んで……吠えた。
大地を震わせるような咆哮にスタンたちは耳をふさいだ。
体中にひりひりとした衝撃が襲い掛かる。
咆哮だけですさまじい威力だった。
先頭にいたアルモアはしばらく呆然とした後、背中にある両手剣を抜き放ちワイバーンに向かって駆け出した。
―――この魔物は自分たちを獲物として見ている。
―――殺さなければ命は、ない
そう思っての行動であったが、現実は気持ちに応えてくれなかった。
一気に間合いをつめ、顔面に向かって剣を振り下ろす。
剣はワイバーンの固い皮膚に当たると、そのまま鈍い衝撃音を放って半ばから折れてしまった。
アルモアの行動は勇敢であったが、同時に無謀でもあった。
幾重もの魔物を切り伏せてきた剣は飛竜には通用しなかった。
アルモアが折れた剣を持ったまま状況を呑み込めないでいると、ワイバーンは再び息を吸い込む。
そして吸い込み終わったと同時に、猛烈な炎を口から噴き出した。
「アルモア!」
誰のものともわからぬ叫びが辺りに響きわたる。
だが遅かった。
炎はアルモアの身体を瞬く間に包み込み、一瞬にして黒焦げの肉塊へと変えた。
アルモアの身体は崩れ落ち、焦げた、不快なにおいが漂う。
スタンは震えた。
あのワイバーンの炎もそうだが、何より性格に難はあるが、実力があるアルモアが一瞬にして死んだ。
その事実が彼を震えあがらせた。
自らの経験・自身・思い……そういったものが音を立てて粉々になったのをスタンは感じた。
それでもスタンは自分を必死に奮い立たせ、剣に手を駆けようとする。
―――その時、ワイバーンと目が合った。
殺意だけで構成された闇色の視線がにらみつける。
その瞬間、スタンの心は砕けた。
スタンは背を向けて一目散に駆け出した。
「スタン!?」
サルフェンの困惑した声が向けられた。
その声を振り切ってスタンは走り続けた。
どこに行くのか自分でもわからない。とにかくいまはこの状況から抜け出したかった。
しばらく無我夢中で走っていると。
下り坂で足を滑らせた。雨のせいで滑りやすくなった地面はスタンが止まることを許さず、スタンは転がり落ちた。
そしてスタンは道の先にある大きな岩に激しく激突した。
頭を打ったスタンはそのまま気絶してしまった。
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