第2話 予感
――竜を見た。
黄金の草原の真ん中で、少年は見た。
幼き日の少年は竜を見て感じた。
竜に対する畏怖を、青い空を駆けられる羨望を、伝説を目の当たりにした興奮を。
そして……何者にも縛られず、己の力で自由へと翼を広げる偉大さを。
ふと空を見上げれば曇り空が広がっている。
厚い灰色のカーテンが太陽を遮っていた。
快晴とした空が好きなスタンとしてはいまいちテンションが上がらない光景だった。
やはり、依頼を行うときは晴れ晴れとした日に限る……などと思っていると。
「おい、スタン。ぼーっとしてんじゃねえぞ」
野太い声が前から響き、スタンの意識を現実に引き戻す。
声をかけてきたのはアルモア。スタンの所属するパーティーのリーダーを務めている男だ。
「あ、わりいアルモア」
「ふふ、またドラゴンの事考えてたの?」
猫人(ケットシー)のアミルがからかうようにスタンをのぞき込む。
「ちげえよ。ただ、天気がよくねえなーて思ってただけだ」
「確かに雨降りそうだね」
後ろにいるサルフェンが同調する。
単純な天気の好み以外に、自分たちに不利な環境下での戦闘は避けるべきだ。
雨に濡れれば、身体の動きは鈍り、視界も遮られる。命がけの戦闘でそのようなことで隙をさらせば死が待っている。
依頼の達成も難しくなるだろう。
「なんだお前ら、このぐらいでビビってんのか?」
しかし、リーダーのアルモアは動じていないようだった。
心配する二人を尻目に高らかに語りとばす。
「そんなんだからお前らはダメなんだよ。細けえことでいちいちわめいているからな」
「でも、アルモア……」
「でもじゃねえ」
反論しようとするサルフェンにアルモアは威圧的な口調で返す。
「いいから俺に従いな。てめーらはまだひよっこなんだからよ、なあスタン」
「……」
スタンは反論しようとして、やめた。否、できなかった。
アルモアは豪快で、威圧的な男だ。黒く生えそろった髭と、使い込まれてところどころに傷がある皮鎧を身にまとい、背中にはこれも使い込んでいるだろう両手剣を背負っている。
このような出で立ちであるため見たものに威圧的な印象を与えていた。
確かに無能な男ではなく勇敢ではあるのだが、視野が狭く、人の話を聞かない性質の人物でもあった。
スタンも反感を覚えたことも一度や二度ではなかったが、反論することはしなかった。
結局、アルモアのほうが経験や実力も上なのだ。スタンは彼の出す指示にただ従うだけでよかった。そうすれば……とりあえずは、生きつづけることができる。
自分が情けなくなることも多々あったが、スタンはそのたびに必死に自分の気持ちを抑えつけた。
生きていくために、死なないようにするためには、仕方ないことだと納得させながら。
でこぼことした、緩やかな傾斜の道を突き進む。スタンたちは、依頼者から教えてもらったトロールの住処へと向かって進んでいる。
ランカール山は魔物の出没が多い関係かあまり開拓が進んでおらず、手つかずのありのままの自然が残されている。
遠くから見る分には彩りがあって結構なことだが、実際に登ることになると大変だった。
幸いトロールが根城にしている洞窟はふもとから近いところにある。
ふもとに近いということは、近隣の村や旅人が襲われるリスクが上がるということにはなるが、この場合はありがたい。そうスタンは考えた。
険しい山道を突き進み、やがて目的の洞窟へと近づいてきた。
トロールは夜に活発に行動する。この時間帯はおそらく洞窟にいることだろう。
近づくにつれてあたりに不快で、強烈な異臭が鼻腔を刺激してくる。
冒険者としての経験からスタンたちはこの異臭の正体はわかっていた。
―――これは死だ。生き物の血の匂い……死の、匂い。
恐らくトロールが殺し、胃の中に納めたであろう獲物の匂いだ。
スタンの顔に緊張感が宿る。パーティーの面々を見ると皆同じような感じだ。
やがて洞窟の入口にたどり着く。死臭はさらに濃く、強くなってきた。
「おし、お前ら獲物は目の前だ。さっさと行くぞ」
アルモアはそういうと意気揚々と突き進む。
警戒もなにもない、堂々たる進撃だった。
アミルとサルフェンは顔を見合わせ、ため息を吐きアルモアの後をついていく。
スタンも後を続こうとして、思わずためらった。
トロールとの戦闘に臆したわけではない。魔物との戦闘など今まで何度も経験がある。
ただ、少しだけ、嫌な予感がした。
今まで感じたことのない、胸の奥に蛇のように忍び寄ってくる不気味な感覚だった。
ふと後ろを振り返る。空は先ほどより厚さを増し、日の光を寄せ付けない。
もうすぐ雨が降るだろう。
数秒みつめたあと、スタンはため息を吐いて洞窟の中に飛び込んだ。
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