NTR論 ~何故に令和の時代にNTRが~
どうもドロミーズ☆魚住です。
鬱モードです。
あんまり読者には見られたくない姿です。
死にたくなりますね。
そういう訳で本日は私の考えるNTR論創作論について。
まず、NTRとは何ぞやという話ですが……寝取り・寝取られを意味します。
上記の言葉は要するに『第三者に自分の配偶者を奪われる、あるいは自分が第三者に奪われる』という意味合いでOKです。
余談ですけれども、最近のオタク文化・サブカル文化の発展には目を見張るものがありますよね。
実際『推し』という単語が生まれてきた訳なのですが……昨今になって余り耳に入らなくなる言葉があったりします。
そう。『○○は俺の嫁!』という言葉ですね。
もはや死語と言っても過言ではないでしょう。
平成初期に流行っていたネットスラングであると同時に、実に興味深い事に当時は『処女信仰』というものがありました。
処女信仰は言ってしまえば【ヒロイン=非処女=駄目】というヤツであり、当時の創作業界にとっては地雷要素であったりしますが……そういう排他運動は最近では鳴りを潜めています。
更に言ってしまえば、平成の時代ではNTRなんて地雷要素でしかなく、当時のNTRが置かれていた社会的立ち位置は【少数の異常者がカルト的に嗜んでいる代物】というものでしかありませんでした。
頻度はどうあれ、どちらにせよ最近の消費者は『嫁』ではなく『推し』として愛情を向け、愛情を向ける存在が『非処女』でもその行いを取り止める事は致しません。
さて、それは一体どうしてか?
一見すると余りに関係性のないこの点に何かしらのヒントがあるように思えてなりません。
平成の時代の消費者と、令和の時代の消費者。
嫁という言葉は消え、代わりにNTRが増えたのには一体全体どういう関係性があるのか?
私個人としての結論と致しましては、リアルティの零落だと考えています。
動物界における群れのボスは基本的にハーレムを囲います。
自分を慕う女性を侍らす状態を作る事でハーレムを形成出来るだけの能力があるオスは優秀な子孫を残し、更なる子孫繫栄の為に他者のハーレムから優秀なメスを奪う。
これは人間にも当てはまりますが、社会というルールによって一部地域ではいけない事……禁忌であると制定されています。
では、どうしてそんなルールを作るのか?
言ってしまえば、そのルールが無いとその地域の社会性が乱れてしまうからでしょう。
とはいえ、法律を議論する気は毛頭ありません。
本題として、人間の男性は本能的にそのような嗜好が備わっている傾向にあるという事です。
……が。
さて、それはあくまでも動物的な人間であればの話です。
ハーレムを形成できるオスというのは『何かしらの能力が高いオス』。
平成の時代において、ジャンル・ハーレムというものが一時代を築いた事があります。
ハーレムを築くという事で高能力の証左!
メスが近づくのも納得できる設定!
しかしながら、それは『自分が何かしらの能力が高い人間である』という自意識があって成り立つジャンルでもあるのです。
ここで質問なのですが令和に生きる貴方たちは『自分が何かしらの能力が高い人間である』と胸を張って言えますか?
ネットワークが発展し、SNSによって隣人を更に知れるこの時代で『自分が何かしらの能力が高い人間である』と証明できますか?
令和の時代、それは人が人を比べる頻度が多くなった時代でもあります。
自分よりも下の人間を見て嘲笑い、自分よりも上の人間を見ない振りをするか絶望するか羨望するか。
良くも悪くも……人間は視野が広くなり過ぎた。
狭い自分だけの『好き』で満ちた空間を安息の地に出来なくなってしまった。
まぁ、自業自得と言えば自業自得なのですが。
どちらにせよ、そんな時代を生きた令和の人間は平成作品で多く見られた手法……大勢のヒロインを惚れさせて自分の虜にしていく主人公を『自分自身に重ねられなくなった』のではないのでしょうか?
当然と言えば、当然です。
何せ平成の作品というのは
かくして、嫁という言葉は消え、代わりに推しという言葉が台頭した。
だって、その推しと結婚するには『数多くの相手と競争をする必要性』がありますからね。
生存競争として余りにも現実的では、ないのです。
さて、では令和の消費者は如何様にして己が自尊心を満たすのか。
何故に令和の消費者にNTRは適合出来たのか。
ところで、NTRは以下の視点4つに分けられます。
①寝取る側視点
②寝取られる側視点
③寝取られた側視点
④どちらでもない人の視点
現時点では、まず①②③の視点から解説していこうと思います。
①……寝取る側視点。
この視点で考えられる楽しみ方は、支配欲が満たされること。
『他人のものを自分のものにする』という行いによって支配欲が満たされ、優越感に浸れるのです。
また『人の恋人を寝取られる』という実績を有した容姿やテクニックを間接的に説明する事で『魅力があり優れている』ということを証明できる訳ですね。
生物学から考えるに、配偶者がいる女性というのは、他の男性に認められている事により遺伝子的に優れている優良な母体になり得ると保証されているという要素も無くはないです。
隣の芝生は青く見える……とも言いますが、さて。
②……寝取られる側視点。
寝取られる側視点で考えられる人気の理由の一つに、配偶者の魅力を実感できるということが挙げられますね。
どういう事かと申しますと、他の存在にパートナーを取られるということは『自分が認めたパートナーがそれだけ引く手数多な優良物件』という証左になり得るからです。
お分かり頂けると幸いなのですが……寝取られではなく、寝取らせ視点で考えると『自分の有しているモノは優れているものであり、その優れたモノを他の人に自慢している』という訳なのです。
逆説的に自分の恋人は凄いのだと説明している訳ですね。
詰まる所、奪われるだけの価値があると証明している訳です。
③寝取られた側視点
寝取られた側視点……要は他者に攻略されてしまう人間で考えた場合、背徳感がキーワードとして挙げられますでしょうか。
『好きなあの人がいるのにっ……! 悔しいっ……! 気持ちいいっ……!』と人道に反した行いに浸ることで、より興奮するのでしょう。
また、パートナーがいるにも関わらず他の存在に求められるという事実は逆説的に『自分の魅力』を証明し、実感したり、逆ハーレムのような優越感を演出が出来たりもします。
さて、物分かりの良い方はもうお気づきになられた頃合いでしょう。
そう、令和の消費者は『第三者を介して評価される事』で己が自尊心を満たしているのです。
第三者からヒロインを奪える自分は凄い。
自分の愛するヒロインは第三者に奪われるほどに美人であり、そんなヒロインを所有している自分は凄い。
第三者に奪われてしまうぐらいに、自分は凄い。
第三者は実に便利です。
異世界転移モノにおける『スキル』に『転生先』だなんて、紐解いてみると第三者のような立ち位置だったります。
『第三者』という創作概念に関しましては、長くなりますのでいつの日かお話したいですね。
話をNTRに戻します。
令和の時代に女性の社会進出が目立ってきたのも遠因の1つではないかと、創作者……というよりも、女性である私一個人の視点で考えていたり。
女性の解放運動と社会進出によって男女の平等化が推し進められてきた近代ですが、それは逆に男女平等化からかけ離れた代物になり、何なら不公平感を産み出してしまっているのが現状です。
男性たちは女性活躍社会に順応しきないまま、女性が考える『男らしさ』の規範に縛られ、多くの理不尽と責任を背負わされていたりします。
まぁ、女性ってそういう生き物です。
かくいう私も女性から『女性らしさ』を度々問われていますからねぇ。
女性ってクソです。
常識に群れて数で殴ってくることしか出来ない肉塊は本当クソですよ、えぇクソ。
自分の好きが相手の好きじゃねぇ事ぐらい覚えてくれませんかねぇ。
また最近のSNSでは表現規制警察やフェミニストだとかいうクソの所為で『男性はクソ!』だとか『女性は神!』だとか『男は劣等! 女は優等! そんな女を認める自分は偉い!』だとか、そういう学の無い輩の所為で男性の方々は肩が狭い思いに駆られている事でしょう。
……さて。
男性は現代において多くの我慢を強いられる状況です。
隠れて非日常を楽しみ、その非日常に理解のない女性から迫害される毎日を送り、肩身が狭い毎日を送っている。
しかし、女性はどうか?
女性たちは我慢を止め、社会に適合し、奔放に徹し、輝かしい毎日を送っているかのように演出する為に日々を奔走する。
さて、ここで悪魔の一言。
そういう女性の人生、滅茶苦茶にしてやりたくありません?
狡くないですか?
疎ましくはないですか?
羨ましくは、ないですか?
そんな女性はまさしく己の屈辱的な仕打ちに対する復讐心や鬱憤を晴らすための都合の良い対象でしかありません。
俗に言うところの、ざまぁ、ですね。
そんな女性の上っ面だけの理性や品位を失う瞬間、見たくありません?
翻弄する側が、翻弄される側に堕ちる瞬間、見たくありません?
自分が理想とするであろう女性像からかけ離れた底辺まで、女性を叩き落としたくはありません?
現実世界の気に食わない女を、非現実世界に投影させて酷い目に遭わせたくはありませんか?
まぁ、言ってしまえば……令和におけるNTRの立ち位置としては『男性が女性に向ける感情が実に歪になり、都合が良くなった』と言えなくもないのです。
読者はNTRに出てくる女性を通して『現実の女性は醜い生物』だとその罪深さを再確認・再定義し、男性たちはそんな女性を『罰する』という上位視点で俯瞰できるのです。
さて、ここで④の視点。
どちらでもない人の視点の出番です。
寝取る側でも、寝取られる側でもなく、まるで裁判官のように善悪を決められる読者様の登場です。
平成と令和における一番の違い……それは
NTRというジャンルは一見すると女性の主体的な意思によって行為に及ばれているように見えます。
実際、そういう風に演出できる訳ですからね。
ここで先日やった弱者共感がドンピシャ。
最低な女性を第三者に寝取られてしまった可哀想な主人公くんの完成です。
であれば、作者のやることは簡単です。
主人公は彼女たちよりも幸せになり続ける事です。
そして、彼女たちが不幸になり続ける事です。
故にこそ、令和のNTRは読者に一切の罪悪感を覚えることのない実に都合の良い娯楽として君臨した訳です。
自由奔放で性格最低で、快楽主義者で信用できない女性たちを物語の中で罰する事で、受け入れがたい現実の女性観との折り合いを付けているのではないのでしょうか?
また、NTRというジャンルはR18な内容のものが入ってきます。
しかも、国ではいけない事とされている類のR18内容です。
しかし、読者がその背徳性に気づいたとしても、受け手は寝取る側の男性の性的暴力を享受することはありません。
その代わりに寝取られる側の男性や女性に自己を投影することで、非社会的な性的暴力を遂行したという責任から逃避できてしまえる。
何なら④の視点に移行する事で『善悪を裁ける偉い存在』にもなれる。
100%ノーリスクで色々と楽しめられる……それが令和の時代にNTRが適合した背景なのではないのでしょうか。
とまぁ、14年ちょっとしか生きてない女子中学生の所感でした……。
人生経験が浅くてすみません……。
次回はラブコメ創作論やりますんでシクヨロ……。
これやって欲しいっていう創作論ありましたらコメントをよろしくお願いいたします……。
3歳で死んだ父親の部屋で遺品エロゲしてたら躁鬱になってコロナにもなって腱鞘炎で片腕死んでピロリ菌で胃に穴空いて何だかんだで舞台脚本を書いて生活してる競馬好きの女子中学生の創作論 🔰ドロミーズ☆魚住 @doromi
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