第三章 二〇二号室


 竹澤の来客、ミズキとの会話、その日戸嶋が経験した出来事はこれまでのどの時間よりも濃縮されたものだった。

 静まり返る部屋の中で、ミズキが残した「この部屋について調べてはいけない。すぐにここから出たほうが良い」という残響が耳に触れた気がした。

 当然それは幻聴でも、この部屋が引き起こした異常でも何もない、自分の中で印象に残っていることをただ反復しているだけである。

 そんなことも理解できないほど、自分はおかしくなっていないと頭の中で反駁した。尤も、誰に対して当てるわけでもない自己弁護的な反駁をしている時点で、自分は明確に、追い詰められていた。


 心が軋む感覚。戸嶋は時々そんな歪な感覚に支配される事がある。快か不快で尋ねられば、確実に「不快である」と断言できるこの感覚は、例えばインフルエンザで高熱を出した時に、たった一人で「自分は死ぬかも知れない」と考えた、数刻後の沈黙に似たものがある。堪らなく不安になり、足を踏み込んだ先では自分が自分でなくなってしまうような、感情を外側から掴んで揺さぶられるような感覚。


 戸嶋が人生で初めて、心が軋む感覚を抱いたのは小学校四年生のときだった。

 それまで特段苦労することなく取れていた満点の答案から、百点の数字がこぼれ落ちた時の母親の形相は今でも忘れることはない。書き出された九十八点の数字に「どうして百点じゃないのか」と問いただす母親の狂気は、幼い自分ですら奇妙に思えた。

 引っ掛かりもした。だけど、幼い自分は母親の狂気もまた、自分自身そのものだった母親の一部として受容してしまっていたのかも知れない。明確に自分の母親が、「子どもの教育に対して異常な執着を向ける」ということに気がついたのは、中学校受験を目指して、自分では解くことができない難問と対峙するようになってからだった。

 些細なミスでも許されず、一度の説明で理解できないと母は烈火の如く怒りを噴出させた。

 古語、論証、物理定数、発音記号、法律。幼い自分には理解の難しい大量の概念が頭の中に流れ込んできて、思春期の自分はパニック状態に陥ったが、それでも鬼の形相の母親が、それらを理解することで穏やかな聖母に移り変わるのだ。本当にわずかそれだけの事で、幼い自分はこれほどまで容易く、盲目的に努力するに至る。

 言葉と違わず、死にものぐるいで勉強した。それがなんの意味を持つのかなども脇目も振らず、ただただ聖母の顔をした彼女を見たくて、努力した。どうやら自分は他の子どもと比べて勉強ができるようだったらしい。

 努力に応えるように。成績は伸びていき、中学校、高校と学校でも最上位の成績を収めるに至った。だが、どうやら母には「最上位」程度ではだめだったようで、一番以外の成績であると、激しく怒りをぶつけられた。


 もう、この時には気がついていた。母親が怒り狂うハードルが日増しに下がっていることに。

 思い通りの結果からほんの少しでもずれれば彼女の逆鱗に触れ、それに対して「自分がこの程度だからいけないんだ」と反復する毎日。

 恐ろしいことに、それに対して一切の違和感はなかった。当然だ。自分には、母親しかいなかったのだから。

 シングルマザーで自分のことを育ててくれた母には感謝してもしきれない。元をたどれば、働きもせずに家にいて、子どもが誕生日に渡したハンカチを「気に入らない」という理由で目の前でゴミ箱に捨てるような父親と子どもを設けたのが事の発端である。そう、頭の何処かで警鐘を鳴らしたものの、そんな人と別れて一緒にいてくれたという事実への感謝は一様にある。

 期待に応えるということが、自分の生きる目的になってしまった時点で、心がどこか、おかしくなってしまっていたのだろう。


 心が軋む感覚は母親から「どうしてこの程度のことも理解できないの」という蔑みの言葉や、憤怒の眼差しを向けられるたびに起こった。

 心臓が絞られ、全身の肌と衣服の間にもぞもぞと冷や汗が纏わりつく不快感、内側の筋肉が捻れていくような不安。心が軋むたびに、自分の中で何かが壊れ、何かが失われていく感覚があった。それでも母のもとにいる限り、この感覚と向き合って生きていかなくてはならないことは、幼いながら理解していた。

 学校で友達もいない。他の大人も、自分の世界にはいなかった。あるのは都合の良い時には笑顔を見せるが、自分の思いどおりにならないことに対しては当たり散らす母親。そんな母親のことを大切だと思う愚かしい自分。狭い世界から抜け出ることも出来ず、ひたすらに勉強ばかりに邁進する自分のことを疑うことも出来なかった。


 戸嶋にとって決定的な転機となったのは就職である。

 そもそも母親の言いつけで勉強ばかりしていたことが、幸いなことに報われて大企業の営業職に就職することが出来た。だが、勉強ばかりしていて対人経験に乏しかった戸嶋に営業が務まるはずもなく、毎日の激務に忙殺されつつも、毎夜「仕事も完璧な息子」を期待し続ける母親の眼差しに虚言を交えて応える生活。

 存外に、戸嶋の心身が限界を迎える日は近かった。

 最初の不調は「体が動かない」というものだった。具体的に言うと朝起きる事ができない。学校時代にも度々、「今日は気が進まない」なんて日はあったが、それとはわけが違う異常な感覚を戸嶋は突きつけられた。

 体の不調はないはずなのに、起き上がることができない。体の痛みや不調関係なしに、脳と肉体をつなぐ回路が中途半端に切断されてしまっているようなものだった。時には意識があるというのに、体を動かすことのできない恐怖感が纏わりつくこともあった。

 当然そんな生活に痺れを切らしたのは母だった。学生時代と変わらぬ怒りをぶつけては、暴力を振るってまで戸嶋のことを起こしにかかる。しかしそんな程度で起き上がることはできず、結局会社を休んでしまうことが続いた。

 会社に馴染んでいたわけでもなく、毎日続く叱責の記憶と、母の前の虚言、あらゆることから逃げ出したいという願望が「仕事を一週間休んだ」ことにより、奇しくも叶えられてしまったのだ。


 そこから先、戸嶋はついに幻覚と妄想が生じるようになった。とは言うものの、発症したときの具体的な記憶は意外に薄く、気がつけば病院のベッドの上で眠っていた。いつの間にか、精神科病院の閉鎖病棟に転院していたらしい。後から話を聞けば、自宅に引き込もっている時に栄養失調にて倒れ搬送され、一般病棟では手に負えない程の妄想や幻覚症状があったということで、精神科に転院する運びとなったらしい。

 戸嶋はこの時の記憶がごっそりと頭の中から消えていた。漠然としているのは、母親に似た女性の金切り声がずっと耳元で鳴っていて、自分がいかに社会に適応できていないか、いかに何もできない無能かを一つ一つ論われたという、自分では事実としか思えない記憶である。

 これが本当に事実だったかはわからないが、後に転院した精神科病院のなかで、戸嶋の「中年女性看護師に対しての攻撃的な発言」などから分析されたことを聞かされる。戸嶋の中で抑圧していた「母親に対しての怒り」という具体的な形となり、最終的には妄想や幻聴となって表れた可能性があるという。

 入院したての戸嶋は「急性期」と呼ばれる状態だった。端的に言うと妄想や幻覚の症状が激しく出ている状態であり、頭のあらゆる回路が爆発的に動き続け、一種のオーバーヒートしているようなものらしい。この時になれば流石に記憶はあり、むしろ自分が見ていた幻覚や幻聴の荒唐無稽さに悪寒が走るほどである。それでもなお、頭の奥にこびりついて離れたない幻聴の感覚が不安に結びつき、症状がいつ表れてもおかしくないようだった。


 急性期の戸嶋に行われていたのは投薬を中心に作業療法、定期的なカウンセリングという、比較的シンプルなものだった。効果のほどは個人差がかなり大きいという話は聞いていたが、戸嶋のように理路整然と物事を考え、かつ素直なタイプには効果的だったようで、長い時間はかかったものの一度退院するレベルにまで至った。


 精神科からの退院の際は、専門の相談員がついてくれて、一緒に退院後の生活のことを考えてくれる事になっている。戸嶋が母親に対しての感情を初めて吐露したのはまさにここであり、当てる場所すら見つからない感情の受け皿を求めて相談員に感情をぶつけた記憶がある。

 これが功を奏して、戸嶋には多くの支援員がつくことになった。これからの生活において、金銭的な部分や住まいのこと、利用できる福祉サービスのことなど、基礎的なことを色々しった戸嶋は、いかに自分の環境がおかしかったのかを理解する。とはいえ金銭的に裕福でもなく、必要最低限の貯金しかない戸嶋にとって、やはり住まいは実家しかなかった。心の何処かで、自分が入院して、母親も少し暗い変わってくれたのではないか、なんて浅はかな願いもなかったとは言えない。言うなれば、そんな願いを祈って、戸嶋は「問題のある実家」へと舞い戻る。


 しかし結果は明白である。母親は支援者に対してはいい顔をするものの、戸嶋に対しては悪辣であり、「優秀じゃなければ別にどうでも良い」と言わんばかりの態度を示す。

 当然、戸嶋の心は軋んだ。それだけにとどまらず、母親は戸嶋がしていた蓄えを使い込んでいたことが発覚し、戸嶋はようやく、母親へ抱いていた幻想に終止符を打つことができた気がした。

 その時の衝撃は今なお激しく自分に影響しているようで、あの出来事を思い起こすたび、まるで水の中から景色を見ているように輪郭がぼやけてしまう。正確に思い出せるのは今まで自分が失ってきた時間の重さと、爪の先程の憐憫の念がこぼれ落ちてしまったという感覚。それと、ほとんど残されていない預金通帳だけである。


 戸嶋にとって幸いだったのは、この状況に対してはっきりと「おかしい」と言ってくれる者が多かったということだ。

 相談員の竹澤を始め、彼ら支援者は戸嶋の異常な家庭環境にしっかりとした苦言を呈し、母親と離れて生活できるように、あらゆる制度的な手配をしてくれた。それはまとめて「引き離し支援」と呼ばれるようで、個人が自分のために生きていく、ということを知らない人間が、自立していく過程を支援してくれるというものだったらしい。


 戸嶋のような若い人間がそのような支援を受ける場合、「仕事」が重要な焦点となる。

 戸嶋は当然、地域での生活に馴染むことができたら、少しずつ社会復帰していく方向を望んだ。仕事が困難なほど症状が進行してしまった場合は、「生活保護」を受けて、何かしら福祉的な支援を受けながら生活していくことになるらしい。戸嶋は生活保護を受けず地域生活を続け、そこから少しずつ社会復帰を目指すことになった。


 だが、生活保護とそれ以外では金銭的な余裕がまるで違う。生活保護であれば「非課税世帯」となり、医療費や無料になり、基本的な税制面での優遇を受けることができるようになる。そればかりか、自治体によって、さらなる恩恵を得ることができ、金銭的にあらゆる面で余裕ができるようになる。更に生活保護では基本的な生活費の他にも家賃補助によって住まいの面でもある程度安定することになる。


 最初はあまりの不調と金銭的な余裕もないということで、生活保護を勧められた。だが戸嶋は頑なにそれを拒み、なんとか自力で生活して行くことができないかを、竹澤に相談した。

 もちろん生活は苦しかったが、それでも今まで生活してきたという自負が、なんとなく生活保護への不快感を押し上げた。

 そのため、竹澤を始めとする支援者は戸嶋の「生活保護にはなりたくない」というワガママのために奔走する羽目になったことはよくわかっている。その結果がこの部屋での暮らしだった。


 ここでの生活を実現するため、自分も含めて実に多くの人間が大量の労力と時間を費やしてきたのは、自分が一番理解している。


 だからこそ戸嶋は、ミズキの言うように「すぐに部屋から出ていく」という選択肢を即決することはできなかった。

 この部屋はたしかに異常だが、それが「自分の妄想である」という可能性を捨てきれない。一度、しっかりとした服薬調整の上で、幻聴や妄想に対して効果のある薬を処方してもらってから、それでも症状が改善しないのであれば検討すれば良い。


 戸嶋はミズキの提案に自らそんな答えを下すものの、同時に湧き上がったのは「この部屋にはなにかがある」という漠然とした好奇心だった。

 戸嶋は少なくとも、自分の妄想の可能性について捨てることができないと思っていた。しかしミズキという第三者の介入によって、「自分が見ているものが幻覚以外のものかもしれない」という可能性が生じ始めていた。

 それに加えて、「すぐに部屋から出ていけ」なんて話が混ざれば、入居日から部屋に鳴り響いている奇怪なノック音や、どす黒い人型、こちらを覗き込んでくるなにか。

 あらゆるものは「二〇二号室で起きた怪異」という解釈することが正直な気がする。


 怪異。頭のなかで過ぎていった言葉がずっしりと腹に沈む感覚があった。


 生まれてこの方、怪異なんてものを見たことも聞いたこともない。そんな存在に、人生の岐路を惑わされるのは、恐怖よりも先に怒りを生じさせる。

 しかし二〇三号室に暮らしているというミズキが嘘をついているとも思えない。確かに不気味なところはあるが、彼女が「二〇二号室に誰かが住み続ける」ということに強い抵抗があるのは確かだろう。


 戸嶋はふとぐるりと室内を見回した。毎日自分が見ている光景。

 ここに何があるのか。なにかあると考えるだけでもじんわりと嫌な気配がそこら中に犇めいている気がした。太陽の光が届かない直方体状の部屋の隅、ソファとキャビネットの隙間、使われていない浴室、あらゆるところになにかの影を気取ってしまう。かすかな家鳴りの音でさえ、一連の出来事と紐づけされては不気味な金切り声を彷彿とさせた。


 「調べてはいけない」ふとミズキの言葉が頭に残響する。

 無論そんな音が聞こえるはずがないのだが、戸嶋の好奇心と怒りが内包された「二〇二号室への興味」を逆なでするには十分すぎる言葉である。既に、自分はこの部屋に翻弄されすぎているし、すぐにここから出ることもできない。そんな状況で、何が起こるのかわからない得体のしれない部屋に居続けるのは、気が進む話でもなかった。


 戸嶋はミズキの警告を当然意識しつつも、「何も知らない」という部分で危うさを感じていた。もし、もし仮に何かがあればどうするのか。何もしないまま手を拱いて、有事の際にむざむざと恐怖に侵食されるだけでいいのか。

 戸嶋を机の上にあるラップトップパソコンに向かわせたのは、そんな恐怖感からであり、漠然とした不安を抱えながら、戸嶋は検索エンジンにて「コーポ峰山 事故物件」と在り来りな検索ワードをつなげる。


 すらすらと流れていく検索ページ、サジェスト一覧を見ても、戸嶋に引っ掛かるページはなかった。そればかりか、有名な事故物件確認サイトにすら「コーポ・峰山」の名前はない。これが事実なのであれば、このアパートにはなんのトラブルもなかったことになる。

 戸嶋は思わず眉をひそめるが。具体的な名前であることがいけないのかと思い立ち、今度は「コーポ・峰山」がある地域名を検索し、更には「事故物件」と付け加えて検索をかける。


 すると今度は周辺の事故物件と思しき情報が大量に出てくるものの、思い至った感想としては「意外に事故物件が多い」というものでしかなく、やはりコーポ峰山に関する情報は出てこない。

 よく考えると、この部屋を探してくれたのは竹澤だったはずだ。彼がただ「安い」という理由から事故物件を選ぶとは思えないし、そもそもここは「心理的瑕疵物件」という記載すらなかった。もしかすると、この物件に隠された「なにか」とは、一般的には知られていないものなのかも知れない。


 インターネットと言う最もポピュラーな手段が頓挫した時点で、戸嶋はすっかり手詰まりになってしまった感覚に陥る。

 このご時世、ネットにすら流れていない情報を探ることなど、まさに不可能とも思えるほど、途方もない作業であることは想像に難くない。


 ネットにないのであれば記事にすらなっていないだろう。そうなればもはや口伝しか残っていないかも知れない。しかしその心理的な負荷が、むしろ戸嶋の好奇心を掻き立てることになる。

 これほどまでに徹底しているのであれば、この部屋に隠された秘密なるものは、自分の想像もしない出来事ではないかと逡巡させる。それが戸嶋を行動に駆らせた。

 ネットが通用しないとなれば次の手段は「人から聞く」ことだった。幸い近くに大家が住んでいるということも知っていたし、戸嶋は性急に靴に足を入れて、日の傾き始めている夕暮れに飛び出した。

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