やさしいすいせい

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やさしいすいせい

 まだ夕暮れ。割と大きな川の近く。河川敷っていう場所。お尻の汚れた人たちが、まばらに夕涼みをしていて、上流から風に乗って飛んできた、おにぎりをきれいに包むためのビニール袋を拾い上げると、上空では飛行機の轟音が暮れの空にたなびき、斜めに川を横切りながらどこまでも近づいてきて、でも遠ざかり、まっすぐに消えるだけの余韻が引き伸ばされていく。

 その下を私は歩いている。川に近い玉砂利の上ではなく、舗装されたアスファルトの道で愉快な酔っ払いたちとすれ違う。その時に流れる空気感。嫌だな。

 道と土の分け目。そこには狂ったように生命が息づいて、やや勾配のある土手の頂上から、幾重にも縫い合わせるようにして夥しく、憂鬱が燃え広がっていくように川の方まで凸凹の草が派生していて、見た目が悪い。一本目が揺れると、まるであいうえお順になびいていく。意思がなくったって、きれいに同調を燃やせるものだと私はうすら笑う。

 というこの瞬間、優しい彗星が落ち、どんな命も等しく燃やされてしまえば、満天の思いが募るくらいにずっと昔に話したことや、したためた筆跡や運動も、全部消化しきれぬまま消えてしまうんだろうなと、何気なく見つめてしまった、爪先の汚れたコンバースから目線を浮かすと、落ちてきた空の、寝起きの星々を幾つも包んだ薄紫色の皮膚の絶え間から、光る月が姿を見せていた。

 〇〇教育大学と書いてある背表紙を握り締める手の甲に、青い川が流れていて、背後からは、「おーい」と誰かを呼ぶ声が通り過ぎるが、誰からも一向にあがらない返事とともに、その質量をゼロに共感することで風に乗って浮遊している。ふと川の方を見やると、座っていた人たちがお尻を叩き終え、お辞儀をする格好で、足首をくの字に折り曲げながら、ぽつり、そしてまたぽつりと、こちらに上ってきている。蛇行しているのはきっと、草の少ない斜面を選んでいるからに違いない。

 やがて周囲には誰一人いなくなり、変化の乏しくなった世界が目の前に露呈する。それを見計らうかのように、夜の粒子をこんこんと含み始めた風が、太陽で乾いた空気を軽やかに押し退けて、作られた隙間にただぼんやりとたむろしていた。近くに灯りはない。目を細め、何かを探すようにじっと遠くまで見渡す私と、夜と、河川敷の生態系だけが取り残されている。

 幼い頃から夜は少し苦手で、その中にいると私は、言い知れぬ気持ちに包まれる。何かを急かすようなこの感情から身を守りたくて、自分の手を自らに差し伸べるように、昏々と想像をめぐらせていく。

 『想像をめぐらせていく』というとちょっと文学的な香りもするけれど、どちらかというと“想像をかき混ぜる”に近かった。でも、かき混ぜて、はい、終わり、というわけではなく、その続きがちゃんとある。それはあらかじめ決められた順番があり、もし順番通りに上手くできなかったとしても、頭の容量に乏しい私には、一度にたくさんの想像を保存しておくのが苦手だから、という理由で、保険のようなものをきちんと用意している、そんな抜け目のない一面も持ち合わせていた。

 放っておくと、私の頭の中は想像がみるみるうちに肥大化していくため、一回の想像を一つずつ、きちんと完結させるということが、私の経験上もっとも有意義に編み出したルールだった。しかし想像は目には見えない。“視覚”ではなく、“脳覚”というものがあれば、多分そこに映っている気がする。 

 でも、欠伸を噛みちぎるくらいの感触で、はたまた野良猫が道路を横切るくらいの素早さで、頭のどこかに浮かんでは消え、一日もすれば、昨日の想像なんて大体きれいに忘れているものだ。だから想像を誰かと共有するために、言葉や文字ってあるのかなと思う。

 そんなものをにべもなく、流れ作業のようにかき混ぜていくため、最中は頭の方も、かき混ぜられていくように円を描くのだった。それは長い人生の、ほんの一握りの短い時間、私と友だちでいてくれた男の子が、唯一教えてくれたことだった。

 記憶のスクイーズが元の膨らみに戻る。私だって、女子の端くれ。恥ずかしいという気持ちくらい持ち合わせてはいるけれど、幸いここにはもう誰もいないから、思いきり自由に頭を振っている。そして滑らかになるまで攪拌された想像は、粉雪が紙吹雪になって落ちていく迫力で、頭の海底に降り積もっていくようにきれいだ。

 沈殿した雪のような澱を上から見下ろすと、あいだにある空気がエレベーターように上昇し、顔に当たって皮膚がピリリとした。澱は近寄りがたいほどの高熱を帯びており、その攻撃するような熱と眩しさから、身をよじるようにして顔面を手で守った。視界が遮断されると、そういえば今まで澱の形や色には、何一つとして同じものがなかったと、つい過去の記憶が辿られていき、私の意識はもう別の方向へと弛緩している。

 ようやく、目視できるくらいまで澱の眩しさが落ち着いてきた。急いで頭の端っこにしまっておいた、円柱の網を取りに行く。その後は、網を空中に固定するための台座を作ったり、途中、何もない所でけつまずきかけながら、苦労して準備をすると、その海ごと持ち上げて、<網:わたし、大丈夫?ですか?>という顔をこちらに向けてくるが、私は知らん振りを決め込み、“エイッ”という豪快な掛け声で、躊躇なく網の中へ放り込んだ。

 バッシャーンっという今まで聞いたこともない猛烈な音と、大量の想像を全体に浴びせかけられ、息も絶え絶えになっている網をつかまえて、すかさず左右に素早くふるうと、余計なものが目のあいだからぽろぽろと小気味よくこぼれ落ち、形の大きな澱だけが目の上に踏み留まった。それは線香花火のような、誰かの家の鍵穴に差し込みたくなるような、そのどれでもないような形のあれこれは、私の記憶の端くれかもしれないと思ったら、私は顔を近づけていきながら、じっくりとそれを見てみたくなる。

 誰かの寝顔を見ている時って、こんな感じだろうかと勝手に思う。徐々に網を逆さまにし、最後の一粒を地面に落とした。落とした澱は重力に逆らうように、一つ残らず夜の空中へと吸い込まれ、やがて暗闇に散らばった点描になる。子どもたちが夜空に浮かぶ星を人差し指で繋げ、星座の形を鮮やかに浮かび上がらせあそび続けていくように、空中に散らばった点に向かい、確かめるように私は人差し指を定めた。

 どんな形を想像するか、その日の指先が決めてくれる。初めはゆっくりと、手慣れてくると大胆に動き出す指先が、もはや慣性の法則に従って、点と点に道筋を引き、楽しそうに私の予想を裏切っていく。時折、はやるように動きが速くなっていったり、逆にわざとらしく、もったいつけるように後戻りなどをしていたら、段々と指先がマッコウクジラのように重くなり、やがてピタリと動くのを止めてしまった。指先は不思議な感覚で麻痺していた。

 痺れは血液を介し、六十兆個の細胞を味方につけて、体の最深部へ歩みを進める。指先が麻痺して動かないので、痺れがやがて心臓に根を張って、永遠にこんな状態だったらどうしようと、記憶で作ったスモールライトをこれでもかと浴びて可愛くされた私は、シルバニアファミリーっぽくなれたことに喜び勇み、薄暗い迷路の中を歩いていた。

 でたらめに進んで行くと、細かい突起物が側面から天井までびっしりと生えている所に着いた。興味本位で恐る恐る突起物に触れてみると、それは見た目よりもはるかに固い手触りで、冬の日の日溜りのように暖かく、表面はさらに細い短毛で覆われている。鳥の群れのように同じ方向に揺れていて、今度は一つ一つ、なでていくように触った。指先が生き物の感触を記憶して、私から離れていきそうで怖かった。

 目の前にある、昨日食べたものはジャンプして避けた。

 やがて、見たこともない場所に歩き着くと、こんな器官もあったんだなと、ちょっと観察する余裕まで出始めて、謎の好奇心が私の足を突き動かしていく。

 運よく、見覚えのある部屋に行き着いた。概略的ではあったけれど、『人体の秘密』の本で見たことがあった。今はその動きが止まり、弁も開いていたので、体を滑り込ませて中に入れた。怪しい奴だと思われないように、目の前にいる、目を閉じた心臓に話しかける時はできるだけ優しく、昨日見たテレビや、今夢中になっている音楽とか、そして昔の話などを、なるたけたくさん話してみようと思い、そのように楽しく話し続けていると、薄く目を開いた心臓と目が合った。見つめた私の気持ちも、溶けるかのように凪いでいく。そんな穏やかな目をしていた。

 欠伸をし、眠った心臓がゆっくりと動き始める。私の意識は、静かに指先へと戻り始めた。

 目が覚めて、また続きから始めていくと、しかし手に違和感、というか、気づいたことがあって、点をなぞる感触が、直に指先へと伝わってくるのだった。それまで存在した指先と点との、間接的な遠さが、どういうわけか、一遍になくなってしまっていた。ごくり、と唾が喉を鳴らす。

 それは周囲に聞こえても、おかしくないような音だった。

 いよいよ、一つの想像が姿を現す、という瞬間だった。震える指先に集まった緊張が、これ以上大きくなりたくないと一斉に逃げ出し、指先の慣性が失われていく。制御を失った指先は、尖った星に引っかかり、身が見えるくらいさっくりと切れた。怖かったから、サーモンピンクのようにきれいで、おいしそうだなとそればかりを考えた。もちろん痛みなどはなかったけれど、飛び散った鮮血でこれ以上なぞることもままならず、完成を目前にして、全てが台なしになってしまった。

 リセット。すかさず頭を振ってコンティニューをしたけれど、想像の卵の数はすでにゼロとなり、いつも肝心な時に上手くいかない私の中に吸い込まれて消えた。

 あーあ、結局上手くいかなかったと私の頭をなでる少し未来の私。カーテンの隙間から入る橙の日の光。起き抜けにぼんやりと見える誰かの寝顔。失敗した時に私を庇う、想像の余韻にまだ酔いしれていたかった。

 気を取り直して、唯一上手く思い描ける方法を使う。するとつぶらな瞳だけが取り柄の犬が、すごい力でリードを引っぱっていくように、パラパラ漫画のスピードで、すれ違っていった幾つもの手に笑顔で手を振り返したり、七色の吹き出しの文字に元気をもらい、楽しそうに作られるお喋りの庭に辿り着いた私は、自然と気持ちが軽くなっていったのだった。

 ふと我に返ると、いつの間にか川縁の静けさは行き場を失くし、これ以上ないくらいの静寂が目を通して体に満ちる。そのせいか耳を澄ませば、夜の風に見知った声が混じるように聞こえた。



 まるで字がぶつかっているようだ、と先生は言った。課外活動の一環として、学校から歩いて十五分くらいの所にある市民会館に行き、みんなで馬鹿みたいに大きなスクリーンで映画を見た。容赦なく降り注ぐ太陽を全身に浴び、やる気を溶かしながらだらだらと歩く姿は、後ろから見ればまるでスカートを履いたナメクジの集団のようだ。信号で隊列を乱され、赤になる前に渡りきれたナメクジが、少しだけ羨ましく私の目に映った。

 保育園児らしき緑色の帽子をかぶった頭が、木製の枠の上部から申し訳程度にちょこんと覗いている。前に先生らしき人が一人いて、みんなに見えるようにきれいに手をあげた。

 「はーい、みんなもせんせいみたいに手をあげてわたりましょー」という声に続き、たくさんの手がぞくぞくとあがっていく。園児たちを乗せた大きなリヤカーがこちらに向かってゆっくりと近づいてきた。

 もちろん別の先生が後ろから操作しているのだが、背丈が小く前傾姿勢で取っ手を持って押していたため、園児の手や頭が障壁になって、リヤカーだけが散歩をしていた。すれ違いざまに緑色のみんなと手を振り合って、横断歩道を渡り切り、別れたらちょうど正面に目的地が見えている。

 エントランスから空調がほどよく効いていて最高だった。少なく見積もっても千人は入れそうなホールに、絨毯の生地みたいなよくある座席が備えつけてある。今日は貸切のため一般の人はいない。最後尾までいってホール全体を俯瞰すれば、一つ一つの座席の集合体が大きな長方形を作り、それが区切られていくつかの島のように見えた。出席番号順に座るようにと、先住民に似た顔の先生が促し、みんなは好きな場所に適当に座り込む。座席に座るやいなや、私はスカートをパタパタとさせ、汗ばんでいた体に向かい風を送り込む。気温ヤバい!とか暑すぎるしっ!とかいう声がちらほらと聞こえ、私も地球まじヤバいなと心の中で同調すると、辺りは波が引いたように暗くなった。

 『The Cure』というタイトルの洋画だった。かいつまんで話すと、HIVに冒されたデクスターという少年が、友達のエリックとともに、ニューオーリンズで見つかったと噂される治療薬を求めて、一緒に旅に出かけるという話だった。私は初め、ふーん、という表情で見ていたのだが、物語の終盤、エリックが自分の靴とデクスターの靴をこそこそと入れ替え、どこに持っていくのだろうと思ったその靴を、行き着けなかった目的地へと続く川に流した場面で、自分の両目からこぼれ落ちている何かに気づく。慌てて制服の袖にそれを吸わせた。私の中に眠っていたまっとうな“人”という感情が呼び覚まされた感覚と、子どもたちの成長や友情の尊さが頭の中で合流し、それがとてつもなく大きな川になり、二つの防波堤からあふれ出たのだろうと、エンドロールが流れている暗闇の中で、自己分析していた。

 そして目は正直だという答えに辿り着く。だけど川に流れていった片われ靴のように、ずっと胸の奥底にしまい込んだ“思い”までは、きっと目で見ることはできない。見えないことに対して、想像力を働かせるといった脳内の現象は合理的な正しい理屈で、だから目に見えている物事がその全てではなく、私は“人”が考える、“見えない思い”を知りたいと思った。

 と、あとから思えば、その映画鑑賞がきっかけになったのかもしれない。私は子どたちの発想や行動、そしてその成長を傍で見守る人になりたいと思った。それはさながら、デクスターのお母さんのような先生に。

 学校に戻ると、四枚ずつ取るようにと言われた。先生が指先を大量の原稿用紙の中心に置き、そのまま手品のように回転させていく。円状になった原稿用紙から先生は、銀行のドラマのように人数分数えて抜き取り、前列の人にだけその束を配布していく。前の席から後ろの席に、不吉な数の用紙が渡っていって、ざわついた教室の中でも、正確にその枚数は減っていき、原稿用紙がどの列も最後尾できっちり全てなくなると、誰かが指笛を鳴らし、かけられていた何かしらの呪いが解けた。

 今週中に提出することが課せられていたので、忘れないうちにこの思いの丈をぶつけるように、早歩きで帰宅すると、一目散に自分の部屋までダッシュして、猫が入ってこないように鍵を閉めると、がむしゃらに原稿用紙のマス目を埋めた。

 進路相談が終わった。あの時に書いた感想文が目の前に置かれ、まるで字がぶつかっているようだと言った先生の口元は、どこか楽しげに微笑んでいたのだった。



 先週、教育実習がようやく終わった。私の小学生時代とは大違いだと思う。何か全体的に小ぎれいで、あれほど上りにくかった階段がなだらかに感じられた。今もウエストミンスターの鐘が授業の終わりを告げ、机や椅子のサイズ感は目にするだけで可愛いと思った。小学校ってこんなだったか。子どもたちもすごかったな。小さな車が伸びやかに私を交差して、時々衝突をする。ブレーキを踏むということを知らない。いや、初めからついていないのかもしれない。もちろん、そんな子どもたちばかりではなく、生き別れたお姉ちゃんを見つけた時のように嬉しそうに私を慕ってくれる子、窓の外ばかりを見ている子、縄跳びが上手な子、黒板を丁寧に掃除してくれる子、仕事の呼出しがあいにく授業中にかかってきて慌てて教室の外に飛び出していく子、といったようにカラフルだ。

 そんな子どもたちが登校する前に学校へ行き、一日の流れを確認するところから私の朝は始まる。そのまま、数名の先生と保護者とで正門に立つこともあった。挨拶をされた方が晴れやかな気持ちになれると知った朝だった。そこから校舎へと戻り、朝礼、授業の見学、懐かしくて思わず写真を撮りたくなった給食をはさみ、掃除、午後の授業の見学をして、終礼となる。その後は職員室に戻り、ひたすら実習録を書き、もくもくと翌日の指導案を作成していく。思っていた三倍はハードだ。職員室で一人になってほっとひと息つくと、お腹が鳴って、給食がまた食べたくなってしまう。

 エネルギーは目には見えない。マイヤー、ジュール、アインシュタイン。エネルギーという単語から、物理学を頭に思い浮かべる人もいるはずだ。でもその認識の多くは概念的なもので、想像力を働かせて成り立つ世界だと思っていた。けれどもエネルギーは、掛け値なしに目に見えた。私たちがゼロを認識できるように、いつでも私の目の前にいてくれたのだから。

 縄跳びの輪の中に、音楽室から鳴り響く楽器の音に、大好きな給食のおかずを嬉しそうに眺める瞳の奥に。きらきらと愛おしい、その輝きが子どもたちから離れてしまわないようにと私は願う。ささやかな発見のような悟り。“エネルギーは目に見える形で存在する”と、私は忘れないうちにメモ帳へ書き留める。私がいつの間にか忘れたり、失くしたりした感情でもある。でも私も、誰かに見えてる。見えているから、私にも多少のエネルギーがまだ、残っていると思いたい。

 エネルギーがぶつかり合うと残量がどんどんと減っていって大変だ。自分が小学生の時、先生の大変さなんて考えもしなかった。思い返すと、私のことをもっと見て、気に掛けて、とそんなことばかりをたくさん思った。いや、思うというより、願いに近かった。さえずりのように小さくてか弱い願い。私は拾ってあげられるだろうか。拾われずに、一日で消えた思い出が甦る。

 ぐー。ともあれお腹が空いた。誰もいないのをいいことに、机に突っ伏して食べ物のことを考え始める。私はパン派だ。毎朝パンを食べている。パンは簡単でいい。バターだったりジャムだったり、そういうものを塗るだけで美味しさの体裁が保たれる。学校に来る時、運よく見つけた商店街のおいしそうなベーカリー、まだやっているだろうか。

 机に突っ伏した体勢のまま、床に置きっぱなしの鞄に手を入れて、中身をあさる。学習ノート、味気のないペンケース、水筒、ハンカチ、化粧品、さらさら汗ふきシート、フリスク、推しの写真、8インチのタブレット、おやつカルパス、充電器、あっ、今硬い輪っかが指先に引っ掛かった・・・・・・あった。完璧な坩堝から、メモ帳だけを選び取る。パラパラとめくり、午後の営業時間を書いたページを探す途中で、今日メモしたことが目に留まる。学校に行きたくない生徒、保健室登校をする生徒も一定数います、と指導して下さった先生がパンを食べるみたいに言った。



 おとせ。確か漢字で書くとこう、「音瀬」。その子のことを思い出すと決まって私の世界の裏庭が懐かしさで染まっていく。二等分にはできない一つの季節の終わりを、だるま落としみたいに一段ずつ弾き飛ばして、私は大人になっていった。その子、音瀬のいたずらっ子みたいな真っ直ぐな眼差しを、私は今でもはっきりと思い出すことができる。

 私は幼い頃、正確には物心がついてから、自分のことを好きになれないという気持ちが、胸の中にあることを知っていた。馬鹿丸出しの同級生たちからは、“キョ~リュ~”と言って罵られたりもした。容姿や名前は、私をつかさどるものなどではなく、世界に縛りつけておくためのロープ、記号のように冷たくて無機質な暗号。そしてそれは、親からむりやり与えられたものでしかないと、そう、ずっと思っていた。

 両親とも同じ仕事をしていたので、私は学校が終わるとその足で学童へと通った。そこには図鑑や漫画、竹馬と一輪車、けん玉やボードゲームまであって、私は主に、海の生物に関する本や、自分の体や心にまつわる本を読んだり、『ドラえもん』を読んで時間を潰した。大体一番遅い時間までそこにいた。幼い頃から勉強の大切さを死ぬほど言われてきた私の、形だけ済ませた宿題が、無造作に入れられたランドセルを背負って、お迎えの声の方に向かって歩いていった。

 どちらかの転勤によって引っ越しをし、自動的に学校も変わって、私は同性ばかりがいる中高一貫の学校に通うことになった。ある出来事をきっかけに、私は変化というものを受け入れるのに、今までとは比べ物にならないくらいの時間がかかるようになってしまった。身も心も固く蓋がされて、蒸発することも逃げ出すこともままならない、夜のような暗い瓶の中で、ただ液体として揺れている、闇雲に時間だけを消費する日々だった。環境が変わるのは、ちょうどいい機会だったのかもしれない。     

 音瀬と私は小学校で出会った。音瀬とは違う保育園に通っていたから、私は初めて音瀬を目にした時、誰なんだろうこいつはと、音瀬の容姿や身なりを抜きにして、そう思った。第一印象はそんなごくありふれたものだった。しかし音瀬とは打ち解けるのが比較的早かったように思う。

 音瀬はいつも同じ洋服を着続けていて、私は音瀬の後ろの席だった。

 長い渡り廊下を通り音楽室に行く途中、「なぜ同じ洋服ばかり着ているの?」と音瀬にたずねた。変化に疎い私でも、変化しないことに疎いわけではない。音瀬は「これが好きだから」というような返事をよこした。私は「好きだから」という言葉に妙に納得し、共感すら覚えた。今でこそ、その意味を取り違えていた自分を上靴で叩きたくなるのだけれど、その時は何の躊躇いもなく、ただ純粋にそう思ったのだった。

 それから音瀬に興味を持った私は、少しずつ音瀬に話しかけるようになった。私は下の名前で“おとせ”と呼び、音瀬は上の名前に“さん”をつけて私を呼んだ。それから当たり前のように音瀬は学校を休んだ。二、三日出てきたと思ったら、そのまま翌週まで学校に来ないということも多々あって、まるでランダムだった。先生は家の都合だとみんなの前で言っていたけれど、本当の理由を知る者は誰もいないようだった。

 音瀬は文房具というものをほとんど持ち合わせてはいなかった。簡素なペンケースの中にあるのは、ちびった鉛筆一本と、小さな消しゴムが一つ。それが、音瀬が学校に持ってきていた全ての筆記用具だった。私はその頃、練り消し作りにハマっていたので、音瀬に消しゴムを貸して、代わりにその消しカスをもらった。音瀬は最初不思議そうな顔をしたものの、その交換条件を飲み、私に消しカスをたくさん貢いでくれた。持ってきたビニール袋に消しカスを入れ、せっせと家に持ち帰った。

 集めた二人分の消しカスを、十五センチ定規を使って一つになるようにこつこつとこねていく。単調な作業が性に合っていた。消しカスに絵の具を混ぜたり、ほどよい粘り気を求めてアラビックヤマトなども入れた。時間が幾らあっても足りないな、このパレードのような時間がいつまでも終わらなければいいのになと思った。できあがった練り消しは、県のなんとかコンクールに出品しても賞の一つや二つは貰えそうな、今にも空気に溶けていきそうなほど、見事なふわふわさを纏っていた。私は誰かに自慢したくなった。

 翌朝、学校で音瀬の姿を確認すると、風に乗って遠くに飛んでいってしまった洗濯物が、ひょっこり家の前に戻ってきた感触が胸のあたりにする。すぐにそれを見せた。

 私は窓の外を眺めるのが好きだった。外の世界はいつも少しずつ形を変えていく。私は頬杖をつきながら、飽きもせず、流れていく雲と車の群れを目で追った。時々前をふり向くと、音瀬も私と同じ方向を向いていて、何だかそれがおかしくて、後ろの席で小さく笑った。座っている席が前と後ろという地の利を生かし、鉛筆の向きを反対にして、音瀬の背中をちょんちょんと突く。それが音瀬と、授業中にこっそりノートの切れ端を交換し合う時の合図だった。

 音瀬は耳に入ってくる情報だけで、頭の中に授業のすべてを思い描けた。確かお父さんが、飛び抜けて頭のいい子を受け持ったことがあると言っていたけれど、音瀬もきっと、そうなのかもしれないと私は思う。だから同じように窓の外を眺めていても、音瀬は私より数段頭が良かった。でも頭の良さを自慢気にひけらかすことはなく、自分から進んで発言することもなかったけれど、指名されると先生みたいにすらすらと問題を解いて見せた。

 たぶん私が消しゴムを貸したおかげなのかもしれない。もちろん、ノートの切れ端には消しゴムの減り具合はどう? とかを書いた。汚い字の下に、きれいな字が書かれた切れ端が戻ってくると、まるで自分の間違いを直されたかのように思った。

 でも、それは全然嫌な感じを私に与えず、むしろその字をずっと眺めていたくなる気持ちが胸に満ちるように広がっていった。鉛筆をサイコロのように転がしてテスト問題を埋め終わると、音瀬が先生だったら、どんなに素敵なことだろうと考えを膨らます。

 私たちは家族のこと、生い立ち、どこに住んでいるのとか、そういうことをお互いに話したり、聞き合うということもしなかった。私が知りたかったのは、音瀬が普段考えていることを、私の頭を通して見てみたいということだけだった。

 日直の仕事とか、生き物係が行う餌やりとか、昼休みの一輪車の練習とか、宿題とか、やることはたくさんあったけれど、それなりにこなしていった。今日も先生の目を盗み、私は相変わらず窓の外を眺めた。少し変わったのは、窓の外を見つめる音瀬を見ている自分に、ふと気づくようになったことだ。結局、それ以上の進展はなかったけれど。そんなふうにして、毎日はあっという間にすぎていった。

 やがて待ち焦がれた日がやってきた。その日の前日、先生の話に耳を傾けているものは、もはや教室の片隅で飼育されているメダカくらいなものだった。夏休みがやってくるのを祝うように、みんなでランドセルを叩いて、音を出しながら大きく喜びを表現した。私たちはまだとても若く、何につけてもエネルギーがあり余っていたのだった。夏休みが終わると、音瀬は学校に一度も姿を見せることはなかった。



 私は今、念願だった小学校の教師をしている。住み慣れたアパートから、少し遠いところにある小学校に通うため、愛車の軽に乗って朝早く家を出る毎日だ。今日も一瞬で結果が分かる占いのコーナを、パンをひと齧りするように見た。

 先月のニュース以来、学校にくる生徒は少しずつ減ってきている。しかし無理もないことだと思う。今さら学校にきて何になるのだというのだ。勉強をしたって、もうそれを使う時が限られているのに。そういうことをおくびにも出さず彼らと接するのは、嘘をついているようで心苦しくもあった。

 大人たちがそうであるように、生徒たちだって馬鹿じゃない。今日だって生徒の数はまばらだ。それでも私は換気をするために窓を開けた。

 涼やかな風が、朝の雑踏をかき分けながら教室に入ってくる。頬をなでる感触は懐かしく、いつもとは違う不思議な柔らかさがそこに感じられた。目の前にいる小さな希望にも、その萌芽が届くといい。けれど、日々変わっていく空気の色を敏感に感じ取り、それに合わせようと必死になっている。理不尽な大人の都合に振り回されることがあっても、正しさの有無とかに関係なく、ただそれについていかなければならない。ちっぽけな選択肢を失くさないように、一生懸命抱きしめて生きるこの子たちと一緒に、どこまでもいける私を想像すると、また、風を感じた。

 それはあの時、上手くなぞれなかった指先を、外の世界に結びつけてくれようとしていた。河川敷で暮れなずむ私を、記憶の檻からそっと解き放ち、遠く離れた場所から人知れず見守るように、今まで途切れることなく私の心に流れ続けた、小さな小さな優しい想像。

 次は、私の番だ。カーテンを揺らす風が次第に弱まると、教室の端にはあの頃の音瀬が立ち、私を見つめていた。いたずらっ子みたいな目が、曇りのないきれいさで光る。私は音瀬だけに分かるよう、小さく頷きを返す。すると音瀬は練り消しのように、ふわっと教室に溶けていく。いつかまた、ひょっこりと姿を現すだろう。

 私は前を向き、短く深呼吸をして、言葉を見つける。

 きいて、私の名前は響子っていうんだ。子がつく名前なんて、今どきじゃないよね。先生は、ちょっと古い人間なんだ。でも私には、響き合える音があった。消えていなかった大切な意味に、やっと気づけたんだ。

 だから貰った名前を、大切にしてみようと考えるようになったよ。

 そうそう、字が下手だった私は、最近ペン習字を習い始めた。少しずつ字が上手になってきたなと思う。真っ新な黒板に、力強く板書する。チョークの削られる音が小気味よく教室に響き渡った。

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