アフターストーリー


 あれからは、本当に色々なことがあった。初めてのキスが終わった後、女の子が男の子から「昔から、ずっと渡したかったんだ…」と、いつしか私がプレゼントした男の子の名前の刺繍が入っているハンカチに、そっと優しく包まれた花を渡され、その物語に嬉しくなった女の子が人生で二度目のキスをしたり。商人と王都の商会に挨拶しに行っては、歓迎されたりされなかったり。最初の頃は二人で礼儀作法を習っては女の子がすんなりと出来るようになって男の子が驚いたり、下働きをしながら仕事や仕事仲間、取引先等々に慣れるよう努力したり、と本当に色々なことを経験した。


 最初は歓迎してなかった人達も、次第に認めてくれるようになった。全ては経験の積み重ね。そうして時を過ごしていくうちに二人は十八歳となっていた。

 

 二人は仕事の忙しさにてんてこ舞いになりながらも、成長を遂げていた。男の子は頭がキレて交渉術に長けているし、豊富な知識から商品の目利きや新商品の開発などに、著しい活躍をみせていた。女の子は、その人柄の良さと明るさから皆んなに好かれていて信用もあるし、マメな性格からなのか男の子の役に立ちたいからなのか、スケジュール管理に簡単な算術や文字の読み書きなど、男の子の相方として著しい活躍をみせていた。

 

 そして更に二年後、二十歳となっていた男の子は営業と開発の最高責任者に、女の子は事務の最高責任者に昇任していた。ついこの前までは幼馴染でありビジネスパートナーであった二人は…それ以前に運命共同体であり、人生のパートナーとして結婚していた。初めてデートに誘った男の子はガチガチに固まっており、その原因は成長した女の子が大人っぽく、男として思うところがあったからなのだろう。王都の高級レストラン、海辺の砂浜、王都から少し離れた所でのピクニック。そうして二人の時間を共に過ごしていき二十歳になったその日に、王都の全貌を眺めることができる高台にて男の子から……

 

「昔も今も、僕の隣にはずっと、君が居てくれました。隣を見るといつも君が居て、楽しそうに笑ってて…。僕は、そんな君が居たから、頑張ってこれたんです。大変なことや悲しいこともあったし、これからも、たくさんあるかも知れません。でも、どんなに悲しいことがあっても、君となら笑って乗り越えられると、そう思うんです。昔、僕の手を引いて連れ出してくれたように……これからは、僕が君の手を引いて生きていきたい!僕が君を支えて生きたい!!愛しています。僕と結婚してください!」

 

男の子の真剣な告白に、女の子は涙を流していた。それは、今まで過ごしていた二人の時間を思い出したからだ。小さい頃から好きで、二十年間の時の苦楽を共にしたかけがえの無い存在。そんな人に求婚されたのだから、感慨深いものがあって当然だ。ポロポロと溢れ出る涙を両手で抑えようにも、女の子の手はあまりに小さく零れでてしまう。しかしそれは、二人の未来を示すかの様に、夜を照らすほのかな灯りに弾けて消えた。

 

二人が結婚し二年の月日が流れると、東に位置する国に自分達の家兼店舗を出すために来ていた。というのも、女の子が二人の家を欲しているのを聞いた商人が、「友好的な東の国に店を構えれば、お互いに需要のある物を取引し合えると思うよ!」と、言ったのが始まりだ。国を跨いだ商会ごとの取引は、伝での仲介料や情報料などの、要らぬ手数料を取られてしまう。しかし、そこに自分達の息がかかった者を馴染ませることで、必要経費だった諸々の代金が浮くということだ。商人の商魂逞しさには、二人とも思わず苦笑いが出てしまった。しかし、その性格に何度助けられたか分からない。良くも悪くも、頼りになる人なのだ…。

 

店を構えた町に慣れるべく、商品の相場、信用の置ける商会への伝や根回しの土台、安定して売れ行きの良い商品の調査等々を終え、開店してから三年。独自の情報網も確立し、平穏な日常を謳歌していた。子どもにも恵まれ、まさに幸せの絶頂期とも言えるだろう。子供が初めて「マン…マ」と言った時は、二人とも嬉し泣きしながら頬を摩ったり、額にベタベタと唾液が付く位キスしたりと、子どもが呆れ顔をする位に甘やかした。しかし、二人の平凡的な、日常的な幸せは、一つの情報によって脅かされることとなる。


 それは食品や鉄関係、食品に関しては主にパンや干し肉といったものの値段が上がり始めている、という情報だった。それらが何故、三人の平穏な日常を脅かすのか…。それは、戦争の可能性が高いからだ。

 

今いる東の国と三年前までにいた西の国は友好関係にあるが、西の国と北の国は対立関係にあり、経済的にも宗教的にも折り合いが悪かった。北の国は南の国と友好関係にあり、長年均衡を保ってきていた。そんな二つの国が戦争を起こすのだ、状況的に全面戦争にもなり得る。間接的に国が戦争に関わるのだから、万が一負けた場合は税を踏んだ喰らわれたり、不平等な交渉取引をさせられる可能性がある。

 

しかし一番最悪なのが、夫が徴兵される場合と、敗戦国の人間の根本的な人権が剥奪されることである。夫には戦争などという政治的交渉の礎にはなって欲しくない……死んで欲しくない。だから、私達は逃げた。抱えていた食料や生活用品以外の商品の全てを売れやすくするために割安で売り、現金に替えてから全ての持ち物を持って自分達の馬車で国の最東端へと。東の国の最東端。それは戦争の被害が一番少ないところなのだ。東の国の更に東に隣接している国とは友好関係にあるので、漁夫の利で襲われることはない。


 最東端の小さな村。そこに私たちは住まわせてもらった。そこの領主は三十後半位の年齢で物腰柔らかそうな人であり、広い心の持ち主でもあるのですんなりと許可してくれたが、私たちも立派な商人の端くれ。お気持ち程度に金貨を十数枚程度握ってもらった。それに応えてくれたのか、私達の家を領主が作ってくれた。それは、どこにでもあるような普通の家。でも、夫と、私と、娘と…。この三人でなら、どんな家でも大切な居場所になるのだと、私は心から思う。

 

こっちの村に来てから五年という月日が経った。その五年という短い様で長い時を経て、周辺国は今まで保っていた均衡が崩れさることとなる。それは、西の国が戦争に敗れたからだ。

 

 もし五年前に戦争の予測を立てて避難するような事が無ければ、夫は、娘は、一体どうなっていたのだろうか?そう考えるだけで恐ろしくて、身体が震えてしまう。そんな私を見て夫は「大丈夫。君と娘を置いて、一人で居なくなったりはできないよ……」と優しく抱きしめてくれた。

 

 もちろん最東端だからといって戦争の影響が無かった訳ではない。移民者は来るし、隣国からの援軍が物資の補給などで来ることもしばしばあった。戦争に負けたといっても、東西南北の国の領土は広く金もある為、賠償金と北の国の近くの領土が奪われた位だ。そこの領民は奴隷の様に扱われているらしいから、それが私達じゃなくて良かったと不謹慎ながらも安心してしまう。本当に、良かった…。

 

 それからの人生は平穏そのものだった。これと言って何も無いただの平穏。しかしそれが一番の平和であると、私も彼も心の底から言うだろう。


 ー ー ー


 最後の時がやってきた。

 家にいるのは、私と夫の二人。

 夫は自室のベッドでここ数日寝たきりだ。

 鼓動もあるし息もしてるけど、それでも心配で。

 私はそれをただそっと見守るだけで何も出来やしない。

 夫の身体を拭いて、着替えさせて。

 二人分のご飯を作っては、起きない夫が心配になって。

 起きない夫の手を握っては、情けない自分に泣いて。

 それが何日も続くものだから、私の精神は擦り切れた。

 とぽとぽと流れる涙が夫の頬に垂れ落ちては、私の口から溢れ出る嗚咽に弾けて消える。

 そんな私の思いが実ったのか、それとも神による奇跡なのかは分からないけれど、鉛のように重かった夫の瞼が微かに開いたのだ。

 その瞳は虚ろで、気力や生命力なんてものは感じないけれど、その瞳は確かに私の事を真っ直ぐに見つめていた。


「アナタ…目を覚ましてくれたのね……おはよう」


「…………ちゃ、ん」


 カスれた声で夫が私の名前を呼ぶと、か細い…しかし、優しくて温かい頼りになる手を私の頭にゆっくりと乗せ、そっと赤子を相手にしてるかの様な柔らかさで撫でてくれた。


「おは、よ、う……」

 

 久しぶりに聴いた心地の良い声。

 久しぶりに撫でてくれた温かい手。

 久しぶりに開けてくれた優しい瞳。

 このどれもが私にとって愛おしくて…たまらなくて。

 胸の奥がきゅぅっと締め付けられる。


「もう…起きないかも、って…ずっと不安で。私……」


「…………ちゃんは、さみ、しがり、だか…ら。ぼくが、いな、いと…ふあん、で………ひゅぅ、ゲホンゲホン。でもぼく、もう…ながくないから……」


 咳き込みながら生気の感じない声でゆっくりと、しかし一言一言意味のある言葉で紡がれる思いを、一言一句全て忘れぬ様にと、脳に焼き付ける。


「不安にさせてゴメンね……私、大丈夫だから。安心して眠ってね!」

 

 本当は悲しくて、寂しくて…そんなどうしようもない感情を自分で偽って、自然と溢れていた涙を無造作に拭いながら……強がった。

 

「絶対……いつか私も、アナタのところに逝くからっ!」

 

 私がこの世界で一番愛してやまないアナタに、私の人生で一番の笑顔を……


「「愛してる」またね!」


「愛してる」の言葉を遺したアナタの口からは、命の息吹が止んでて……

 私を一途に見てた瞳は虚ろで……

 私に安心をくれてた温かい身体はもう冷たくて……

 アナタの胸に抱かれた時に聴こえてた心臓の鼓動は、もう止まってて……

 この時に初めて……愛するアナタの死を、実感した。


「アナタ……ねぇ、アナタ……起きてよ」

 起きて欲しくても、アナタの瞳は重く閉ざされたまま。

 

「また私に…愛してるって微笑んでよ!!」

 愛してるの言葉が欲しくても、アナタは息すらしてない。

 

「嫌だよ…逝かないで、私を置いていかないでぇぇ!!」

 生きてて欲しくても、アナタの心臓はもう動かない。

 

「いやああああああああああああああ!!!」

 自分を偽って無理矢理閉ざした感情が、怒り狂った火山の如く噴き上げ爆発した。


 それはあまりに膨大で、自発的に止むことを知らない。しかし、止まない雨は無いという。それは何秒何分……何時間かもしれない、が徐々に心から吹き出ていたガスは弱り、何時しか眠りについていた。


「すぅ……すぅ…………アナタの分まで、生きる……ね」

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いつも二人で 初心なグミ @TasogaretaGumi

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