いつまでも輝く母へ

尾八原ジュージ

インタビュー

 地球へ、ことにこの日本へやってきて大変感動したことには、日本人もまた地球、つまり自分たちの種族がうまれた星を「母星」、つまり母なる星と呼ぶということでありました。月のコロニーでうまれた方にも地球を「母星」と呼ぶかたは少なくないそうで、そのような心情もわたしには何かしら切なく温かいように思われるのです。

 ご存じのとおり、わたしはノコロ星人でありますから、母星と呼ぶべきは母なるノコロ星であります。といってもわれわれはノコロ星のことを単に「母」と呼んでおりました。なぜならばわれわれは、この星の核から分裂によってうまれますので、自分たちの住んでおりました星が文字通りの母であるのです。母語では■■■■というふうに発音いたしますが、これは地球のかたには大変むずかしい音だと聞きました。

 ああ、しかしなつかしい。われわれの母たるノコロ星はもう存在いたしません。母は百光年の彼方において、ある日原因不明の消滅を遂げ、われわれのきょうだいは星外作業に従事していたため生き残ったわずか数人のみ、そのなかでもたまたまワープホールに飛び込んで地球へとたどりついたというのは、まさにわたしだけであります。

 しかし百光年! まぁなんという距離でしょう。

 ワープホールがなければ――つまりもしも当たり前の速度で宇宙を航海してくるのであれば、地球にたどりつく前にわたしの寿命は尽きていたことでしょう。たまたまこうして、この美しい星にたどりついたということは、わたしにとってはすばらしい幸運であります。美しい動植物、空の色、そしてミタカ宇宙センターの皆さんも優しくしてくださいます。

 しかしなにより嬉しいのは、こうして宇宙センターの長大な望遠鏡を使いますと、われわれの母たるノコロ星の輝きが見えるということなのです。あの光はすでに存在しない光ではありますが、ともかくこの星ではまだ観測できるのです。申し上げたとおり、わたしの寿命はあと百年もありませんから、わたしは死ぬまで母の光を見ることができる。

 はぁ、ノコロ人の繁殖はおそらく不可能でしょう。きょうだいを見つけることも難しい。ですから母やきょうだいのことは、今のうちにわたしがいくらでもお話しいたしましょう。どうぞ研究のお役に立ててください。その報酬といたしましては、ここで時折母の輝く姿を空の彼方に見せてくだされば、わたしにはもう十分であります。

(西暦2×××年 5月31日 三鷹にて)

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