第71話:腹ペコ幼女

「そうじゃそうじゃ、空腹を紛らわせるために寝ておったのをすっかりわすれておったわい」


 岩でできた冷たい床にぺたんと座り込んだ少女は、数秒前までの剣呑な雰囲気などまるでなかったかのように弱々しい声で問いかける。


「のうお主ら、何か食いもんは持っておらぬか? どうにもこの辺りはきっちり魔物が討伐されとったらしくて食料が少なくてな、ここ三日ほどなにも食っておらんのじゃ」


「三日……三日前?」


 その少女の発言に、シャルロットはハッと息を呑む。


「もしや、この辺りの魔物が急に激減したというのは貴女の仕業でして?」


「え……シャル様、何かご存知なんですか?」


 ようやく急激な緊張の緩和に追いついたアンジェが尋ねれば、シャルロットは小さく頷く。


「えぇ。ちょうど一週間ほど前かしら、ここよりもっと東の方ですが、新たに魔物の集団が発生したという報告を受けておりましたわ。南東方面軍が対処に当たり、十分に鎮圧可能というお話だったのでそのままお任せしていたのですが、三日前に不自然な報告が上がってきましたの」


「……それって」


 話の流れから、アンジェもシャルロットの言いたいことに気づいたようで目を丸くする。


「報告の内容はこうでしたわ。『対処していた魔物の群れが突然大きくその数を減らした。後には魔物が何かと争った形跡はあるものの魔物以外の魔力の残滓は感知できず、詳細は不明である』」


「あぁ、それはまず間違いなく妾じゃな」


 二人の会話に、少女があっけらかんとした調子で割って入る。


「飛び出した最初のうちはそこかしこで魔物が群れておったから食うに困らんかったのじゃが、この辺りに来てからはとんと少なくなってのぅ。妾とて無為に騒ぎを起こしたいわけではないし、人間らに気づかれんように魔物を食って負ったのじゃよ」


「……騒ぎを起こしたくないのでしたら、先ほどの好戦的な様子はどういうことでして?」


「いやーすまんすまん、どうにもお主らはおもしろそうじゃったもんじゃからつい試してしもうたわい。許せ、何も本気で戦おうとは思っておらんかったぞ」


「……」


 カラカラと笑うその姿からは全く邪念を感じられず、シャルロットは珍しく本気で困ったような表情を浮かべていた。


 と、そこへ。


「あ、あの、一つ聞いてもいいですか……?」


 アンジェが一歩前に進み出て、少女へと問いかける。


「うむ、何でも聞くが良い」


「えっと……あなたは、その……人間じゃない、んですよね……?」


 『魔物を食う』という発言やアンジェ達のことを『人間』と呼ぶなど、彼女の言葉の端々にはアンジェの、人間の常識を逸脱するものが数多く含まれている。そのうえで人間と同じ姿を取ることができ、かつその膨大な力と先ほど一部権限させて見せた腕の造形から察するに。


「……あなたは、『竜』で間違いないですか?」


 竜。それは魔物の頂点に君臨する力の象徴、災厄の化身。


 翼の一振りで突風を巻き起こし、鋭い爪の一撃はいかなる鉱物をも砕き割る。強靭な鱗は名匠が鍛えた渾身の一振りすら易々と弾き返し、口腔から吐き出すエネルギーは射線に存在する万物一切を塵芥へと帰す。まさしく世界最強の暴力だ。


 そして、そんな竜の中でも長い年月を経て高い知能を持った個体は、魔力消費が少なくそれでいて魔法の扱いに長けた人間の形を取ることがままあるのだという。……今まさに、アンジェ達の目の前に座り込む少女のように。


「うむ。いかにも」


 少女は特にためらうでもなく肯定し、アンジェは思わず息を呑む。が、衝撃的な事実はここからが本番だった。


「妾は竜。その昔は『聖龍・ノクシア』などと呼ばれておったな」


「……え?」


 アンジェは我が耳を疑った。


 聖龍と言えば、かつてドゥラッドル帝国初代皇帝および聖女とともにこの地を切り開き、その後『聖龍の宝玉』の中で眠りについてからは長きにわたって帝国を見守っているとされているいわば守り神だ。それが帝国を離れこんなところで、それも腹を空かせて昼寝しているなど誰が予想できるだろうか。


 だが、そういわれて改めて少女を見ると、アンジェには思い当たる記憶があった。


 それは十年前、アンジェが聖女に就任するにあたって開かれた式典でのこと。


 これまでに経験したことのない大勢の視線にさらされてこの上なく緊張している間に進行していた式典の最後、見上げるほど大きな『聖龍の宝玉』の前で祈りを捧げていたアンジェは不思議な声を聴いたのだ。


『ほう? お主、ずいぶんと"あ奴"に気に入られておるな? どうも近頃のこの国の輩は"あ奴"の力の上に胡坐をかいて腑抜けておったが、それだけの力を託されたということは"あ奴"も何か期待しておるのじゃろう。ならば妾も、今しばらく見守ってやろうではないか』


 ただでさえ緊張しきっていたうえにあまりにも突然の出来事で、アンジェはその内容をろくに覚えてはいなかった。だがしかし、その声が聞こえた瞬間に宝玉から感じた強い力だけは、この不可思議な現象とともに記憶の奥底に焼き付いていたのだ。


 そして、その力の気配は、目の前の少女が先ほど放ったものにとても良く似ていて。


「――せ、聖龍様。とんだ失礼をいたしましたっ」


 アンジェは反射的にひざを折り、少女――ルクシアに対して頭を垂れた。祖国の守り神を目の前にしたのだから当然ではあるのだが、アンジェがそう確信するに至った経緯など知る由もないシャルロットは困惑を深めるばかりである。


「あ、アンジェ様? その者の言葉をそんな簡単に信じてしまってよろしくて? 確かに竜であることは疑いようもございませんが、聖龍というのは流石に飛躍が――」


「む? 今アンジェと言うたか?」


 そんなシャルロットの当然の疑問は、しかしノクシアによって遮られる。彼女は顎に手を当ててしばし考え込むと、やがて思い出したとばかりに両手を打ち鳴らした。


「そうじゃ、妾が十年前に顔を合わせた最後の聖女がそのような名前であったな! 言われてみればお主、あの時の幼子によく似とる! ……いやしかし、少々幼過ぎはせんか? 人間はもっと早く年を取るものじゃろう? いやそんなことより、お主があの時の聖女ならば一つ頼まれてくれんか!?」


 ノクシアは急にテンション高く立ち上がると、アンジェに向かって歩み寄りその両肩をがっしりと掴んだ。


「魔力、お主の魔力を分けてはくれぬか!? お主があの時の聖女ならば、『あ奴』がみとめたお主の魔力はさぞ美味かろう! な、頼む!」


「え、えっと……」


 じゅるり、とよだれを垂らしながら迫ってくる全裸の幼女という絵面に、相手が敬うべき聖龍と知ってなおすぐには頷けないアンジェであった。


===


 腹ペコ幼女の正体は聖龍さん、割と早めの合流になりましたね。


 ところで、以前にも少し宣伝しましたが、作者の限定近況ノートでは不定期に本作についての裏話や設定を投稿しています。

 今後はそれに加えて、いつか書きたい小説のアイディアとかシーンの一部なんかもちょこちょこ投稿していきたいなと思ってますので、よろしければそちらもご覧ください……!

 サンプル(というか間違って全体公開にしちゃっただけですが)はこんな感じです。

 ⇒https://kakuyomu.jp/users/hichan0714/news/16818093086918669014

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