第70話:何人たりとも

「んむぅ……? 何じゃ、騒がしいのぉ……」


 岩窟内に反響しまくったアンジェの叫びが耳障りだったのか、少女は不機嫌そうに呟くと眠たげに瞼を開いた。その瞳は特定の色を持たず、数秒ごとに次から次へと色を変えている。


 ゆっくりと体を起こした少女は、固い地面を気にも留めずにその場に座り込んだままその瞳で周囲を見回す。やがて岩陰から顔を出しているアンジェとシャルロットの姿を認めると、少女は不思議そうに首を捻った。


「むむ? お主ら、何故妾がここで寝ておると気づいた? 人間のこの姿なうえに軽く結界も張っておったし、生半可な手合いでは妾の気配すら感づけんというのに……いや待て、その者、どこかで見覚えがあるぞ?」


「へっ? わ、私?」


 不意にびしっと指をさされて、アンジェは困惑の声を上げる。そんなアンジェにかまうことなく、すっくと立ちあがった少女はずかずかとアンジェの下へと歩み寄るのだが。


「止まりなさい」


 すかさず、シャルロットが二人の間に割って入った。その瞳は真剣そのもので、目の前の異様な雰囲気を醸し出す少女を強く睨みつけている。


 シャルロットの剣幕に驚いたのか、はたまた単に目の前を遮られて止む無くか、少女は足を止める。


「なんじゃ? 妾はお主に用はない。そこを退け」


 その声は幼子のように甲高いのに、不思議とどこか重々しい響きがある。アンジェがシャルロットの背後で不安げな表情を見せるが、シャルロットは一切ひるまない。


「何者かわからない相手を近づけるはずがないでしょう? 大体貴女、ここが誰の領地かご存知でして?」


「そんな人間のままごとなど妾には関係ないわ。妾の行動を縛れるのはただ『あ奴』のみ、邪魔立てするなら容赦はせんぞ」


 瞬間、これまでの少女としか思えなかった気配が急激に膨れ上がった。絶え間なく揺れ動いていた瞳の色は深紅に染まり、長髪からあふれ出ていた白銀の粒子が腕に収束して、その細腕を覆うように鋭い爪を持った異形の腕を形作る。


「ひっ!?」


 全身にかかる強大なプレッシャーに、アンジェは大きく体をすくませる。もともと他人からの悪意や敵意といったものに対する耐性が薄いアンジェだが、それを加味しても人間はもとより、魔物と相対した時ですらこれほどの圧力を感じたことはなかった。顔色がさっと青ざめ、額には冷や汗が浮かぶ。


 だが、そんな中に会っても。


 ――ダメ、このままじゃシャル様がアブナイ……! あの子の目当ては私みたいだから、私を囮にしてシャル様だけでも逃げてもらわないと……!


 恐怖が渦巻く心の中で、アンジェは必死にシャルロットを逃がす方法を考えていた。


 シャルロットの強さは信頼しているが、目の前の少女はどう考えても生物としての格そのものが違う。両腕に渦巻く力を解放されれば、恐らくはシャルロットも自分もこの岩場ごと跡形もなく消し去られてしまうだろう。


 ならば、どうやら興味を持たれているらしい自分が囮になるのは当然だ。それでなくともシャルロットはこの国の第二王女であり、生き残らなければならない人物なのだから。


 そして、何より。


 ――大好きなシャル様が無事なら、私はどうなったって……!


 愛する人を置いて逃げるなどありえない。少しでも助けられる可能性があるのならばなおさらだ。それは聖女だったころの名残ではない、今のアンジェの心からの想いだった。


 アンジェはシャルロットの腕を掴み、震える唇を開いた。


「しゃ、シャル様、逃げてください。私なら大丈夫ですからっ」


 ……だが。


「なりませんわ」


「えっ……?」


 シャルロットは額に冷や汗を浮かべながらも、鋭い目つきで少女を睨み続けていた。


「なりません。わたくしの命がある限り、アンジェ様に危害を及ぼす者は何人なんびとたりとも近づけさせはしませんわ。それこそが、あの時わたくしを救ってくれたアンジェ様に対してできる唯一の恩返しなのですから」


 アンジェが掴んだシャルロットの手は小さく震えている。彼女も当然、目の前の存在が圧倒的な力を有していることをわかっているのだ。それでもシャルロットはアンジェの前に立ち続ける。その大きすぎる感情を姿で示すかのように。


「シャル、様……」


 その背中に、アンジェはこんな状況にもかかわらず胸の奥が甘く痺れるのを感じた。


「わたくしが時間を稼ぎますから、アンジェ様はお姉様たちに連絡を。……大丈夫、クレマン王国王女シャルロットの名に懸けて、その程度の時間保たせてみせますわ」


 シャルロットはアンジェの手を優しく解くと、全身に魔力を漲らせて風を纏った。静かなる暴風は、近づくものの一切を容易に吹き飛ばす、シャルロットが極めた風魔法による絶対防御。それを見た少女はにやりと口角を上げる。


「ほう、これはなかなか良い魔法じゃな。現代いまの人間にこれほどまでの使い手がおるとは、思ったより楽しめそうではないか」


「油断していると足元をすくわれますわよ? これがわたくしの全力と思わないことですわね」


 泰然と構える少女に、シャルロットは右の拳を突き出して。


「貴女が何であろうと知ったこっちゃありませんの。アンジェ様に近づこうとするのなら、わたくしがぶっとばして――」


 そう啖呵を切ろうとした瞬間、ぐぅぅっとどこか気の抜けるような音が、不意に岩窟の中に響いた。


「……は?」


「……はい?」


 シャルロットとアンジェが場違いすぎる音に思わず動きを止める中。


「……むぅ」


 その音の主である少女が、纏っていた人外の気配を霧散させて、腹を押さえながらその場に座り込んだ。


===


 シリアスブレイカーシャル様が完全にお株を奪われてますね……。


 さて、近況ノートにも投稿しましたが、本作が何と『カドカワBOOKSファンタジー長編コンテスト』の中間選考を突破しました!

 正直突破できるとは思っておらず、これもご愛読いただいている皆様のおかげだと思っています。ありがとうございます!

 最終選考はそれこそ全然かなとは思ってますが、結果にかかわらず引き続き頑張って執筆していきますので、これからもお読みいただけたら嬉しいです……!

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