第69話:遭遇

 打ち寄せる波が長い年月をかけて削り出した岩場は自然の雄大さを感じさせるものの、特に何か変わったところがあるわけではない。しかしながら、アンジェは確かにそこに何かを感じたのだ。


 ――何だろう? 何かある……いや、いる……? それにこの感じ、どこか覚えがあるような……?


「アンジェ様? 何かございましたかしら?」


 不意にシャルロットの声がして、思考の海に潜りかけていたアンジェははっと我に返る。声のする方へ顔を向ければ、いつの間に戻ってきたのか全身ずぶ濡れのシャルロットが首をかしげていた。


「……どうやって戻ってきたんです?」


「この程度の障害、アンジェ様の貴重なお姿をしかと拝むためならいくらでも乗り越えられましてよ!」


「……」


 何故か得意げに胸を張るシャルロットを、アンジェは冷たいまなざしで睨むのだった。


「……それでアンジェ様、何か考え事をされてらしたようですわね?」


「あ、えっと……あっちの方、なんか気になって」


「あっちの方?」


 アンジェが岩場のほうを指差すと、シャルロットもそちらへと目を向ける。そして、意識を集中させるかのようにしばし瞼を閉じるのだが。


「……わたくしは何も感じませんわね」


 怪訝そうな一言とともに瞼を開き眉根を寄せた。


「ですが、アンジェ様がおっしゃるのならば何かあるのでしょう。従者にでも少し調べさせましょうか」


「いえ、それは多分大丈夫です」


 シャルロットの当然の提案を、アンジェはどこか確信めいた表情で制止した。


「私の直感ですけど……悪い感じはしないので。むしろ、こう……何て言うか、澄んだ感じっていうか……」


「……なら、直接確かめにまいりましょうか」


 少々言語化に困るといった様子で首をひねるアンジェに、シャルロットが右手を差し出した。


「アンジェ様が気になることでしたら、わたくしどこへでもお供いたしますわ」


「……下心とかないですよね?」


「少しは信用してくださいまし!?」


「えへへ、冗談です」


 雷にでも撃たれたかのような衝撃を顔に出したシャルロットに悪戯っぽく微笑みかけつつ、アンジェはシャルロットが差し出してくれた手を取った。


 波に濡れて滑りやすくなっている岩場を慎重に進み、時折間に見える潮だまりを泳ぐ小魚たちに目を輝かせたりしつつ歩くことしばらく。


「……やっぱり、何かいます」


「えぇ、ここまで来ればわたくしも気配を感じますわ」


 ひときわ大きな岩陰に身を潜めたアンジェとシャルロットが小声で言葉を交わす。その岩の向こう、アンジェたちが来た方角とはちょうど反対側のあたりに、何物かの気配がするのだ。


 岩と岩で挟まれたそこは日よけのようになっているのか日差しが届かないために薄暗く、隙間を通る風が奏でる甲高い音が不気味に響いている。アンジェはシャルロットとつないだ指先にぐっと力を込めた。


 それにしても、とシャルロットが眉を顰める。


「随分小さい気配ですわね。まるで子供か何かのようですの。……まぁ、仮に子供だったとして、こんなところに潜り込める以上ただの子供ではないでしょうが」


 この沿岸は王家直轄領にあたり、極々限られた人物しか入ることを許されないエリアだ。当然警備は厳重だし、魔物だろうが人だろうが易々と入り込める場所ではない。そんな場所で感じる小さな気配だ、シャルロットでなくとも警戒するだろう。


「うーん……でも、本当に悪い気配はしないんですよね……大丈夫だとは、思うんですけど……」


 アンジェもそういいながら、状況の不自然さに自信を無くしつつあるのか声色は不安げである。


 そんなアンジェの頭に、シャルロットがポンと左手を乗せた。


「アンジェ様がそう感じられるのなら間違いありませんわ。……万が一があっても、わたくしが必ずお守りいたしますからご安心なさって」


「……はいっ」


 頭をなでられる心地よいリズムにちょっぴり元気づけられたアンジェは、こくりと頷いてそっとシャルロットに身を寄せた。こういう時のシャルロットの背中はとても大きく見えるから不思議である。


 シャルロットはそれを確認すると、アンジェを後ろに庇いながら慎重に岩陰から顔を出した。


 そして。


「……は?」


 そんな一言と同時に硬直した。


「……へ? しゃ、シャル様?」


 アンジェが彼女の手を引いても全く動く気配はなく、何か信じがたいものを見たとばかりに琥珀色の瞳を大きく見開いている。その尋常ならざる様子に、アンジェも岩陰から顔を出せば。


「……はい?」


 アンジェもまた、そっくりそのまま同じように硬直した。


 半ば岩窟のようになっていて日差しが遮られているはずの岩場は、しかし全くの暗闇ではなかった。中央に存在するがうっすらとまとっている光が、あたりをぼんやりと照らしていたからだ。


 光源は、夜の闇を切り取ったかのような濃い紫色の長髪。その長髪が白銀色の粒子を纏い、辺りに拡散して柔らかな輝きを放っている。透き通るどころかどこか冷たさすら感じさせるような白い肌は、果たしてそれが本当にこの世界に存在しているのかを疑ってしまうほどに滑らかだ。


 そんな異質さに反して、その体躯は外見年齢十歳のアンジェよりもなお幼く見える。腕や足は補足全体的に華奢で、顔に対して大きな瞳は今は瞼に隠されて穏やかな寝顔を晒していた。だが、いつ誰が訪れるともしれないこのような場所でそんな無防備な姿を平気で晒せるということそのものが、その存在の異質さをより際立たせていた。


 しかし、アンジェとシャルロットが同じように言葉を失ったのは、目の前の人物の存在感に圧倒されたからだけが理由ではない。


「な……な……」


 アンジェの唇が震え、かすれた声が漏れる。その双眸は信じられないものを見たとばかりに大きく見開かれ、揺れている。


 そして、その頬に微かに赤みが差したかと思えば。


「……っな、なんで裸なんですかあああああああああああああああああああ!?!?!?」


 一糸まとわぬ姿で胎児のように丸まって健やかに眠る少女を前に、アンジェの絶叫が轟いた。


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