第72話:魔力供給

「その……私、生き物への魔力供給ってやったことなくて……」


 数日ぶりの食事にありつけるとあってものすごい勢いで迫ってきたノクシアに、アンジェはそう返すので精いっぱいだった。事実、アンジェは他者に魔力を受け渡すようなことはやったこともなければ知識すら持ってはいないのだが、どちらかと言えばその発言は、とにかくいったん落ち着くための時間が欲しいという意図から来るその場しのぎの一言である。


 だが、極上の餌を前にした飢えた獣ノクシアはその程度では止まらない。


「そんなもの簡単じゃ! 魔力を譲渡する意図をもってその者と身体的に接触すればえぇ。接触が深ければ深いほど供給効率が良くなるぞ! ほらこれで良かろう? はよぅお主の魔力を分けてくれ! な!?」


 と、期待の証か金色に変化した瞳をキラキラと輝かせて顔を寄せてくる。


 その勢いに思わずのけぞりつつ、どうしたものかとシャルロットに目線を向ければ。


「……まぁ、アンジェ様が問題ないのであれば、分け与えて差し上げてもよろしいのではなくて? この方は聖龍なのでしょう?」


「えっと……しゃ、シャル様、怒ってます……?」


「別に怒ってなんていませんわ」


 何故かちょっとツンとした様子のシャルロットに突き放され、アンジェはいよいよノクシアの頼みを受け入れざるを得なくなってしまった。


「そ、それじゃあいきますよ……?」


「うむ、いつでも来るがよいのじゃ」


「……あの、これはこの体制じゃないとダメなんですか……?」


 今、アンジェはノクシアに全身で抱き着かれている。アンジェは水着、ノクシアは全裸だったのだから当然素肌同士が密着しているわけで、ハグ自体にはだいぶ慣れつつあったアンジェであってもさすがに落ち着かないのだが。


「この方が効率が良いのじゃ! ……それともアレか、もっと効率の良い方法で分けてくれるというのか?」


「こっこのままでお願いします!」


 何やら見た目の幼さに不釣り合いな雰囲気をまとって見せたノクシアを慌てて制止しつつ、アンジェは頭の中で魔力を譲渡するイメージを始めた。


 自分という器の中から人さじの魔力を掬い取り、別の器へと移し替えるように想像を膨らませる。すると、アンジェの中で魔力が動き、わずかな浮遊感のようなものと同時に魔力が零れ落ちる感じがした。


「……!?」


 魔法を使うときとも、魔道具や植物に魔力を込めるときとも異なる感覚。どこかゾクゾクとしたものが背筋を駆け上がり、アンジェは小さく身震いする。


 直後、アンジェと接しているノクシアの体が柔らかな輝きに包み込まれた。それはかつてアンジェが得意としていた『聖女の力』の一つ、【癒しの光】を彷彿とさせる、穏やかであたたかな光。その光の中で、ノクシアが持つ力の気配が見る見るうちに大きくなっていく。


 初めて見る現象にアンジェが目を丸くしていると、不意にその脳裏に白銀の鱗をまとった龍の姿が浮かんだ。その姿はまさに帝国の建国物語で語り継がれる聖龍そのもの。そして、その龍の傍らには銀色の長髪をなびかせた眉目麗しい女性の姿。アンジェがかつて精神世界で対面した初代聖女が、聖龍に寄り添っていた。


 ――あぁ、この方、本当に聖龍様なんだ。


 アンジェはそう確信した。


 ノクシアを包む光が全て彼女の体に吸い込まれると、もともと白銀の粒子をまとっていた濃紺の長髪はさらに輝きを増していた。カッと見開かれた瞳はより強い光を宿し、心なしかあたり一帯の空気すらどこか澄み渡ったようにさえ感じられる。


 「うむ、うみ! やはり思った通り、いやそれ以上じゃ! これほどに美味い魔力など久々に食うたわい!」


 その結果に満足したのか、ノクシアは満腹とばかりに腹をなでながら外見相応の笑みを浮かべた。


 そんな言葉をどう受け止めて良いのかわからないアンジェは曖昧に微笑むのだが、そんな彼女にノクシアは今一度ずいと顔を寄せる。


「じゃがお主、妾と面を合わせたあの時にはこれほどの魔力を持ってはおらんかったじゃろう? それに、どうにも『あ奴』の気配が薄いと思ったら、『あ奴』の力が封印されておるな? 一体何があったというのじゃ?」


「っ……それは、その……」


 急に真面目な調子で問いかけてきたノクシアに、アンジェは言葉を詰まらせる。そのあたりの事情を自ら口にするのは、まだアンジェにとってはハードルが高いのだ。


 しばし目を泳がせながらどうしようかと糸口を探していたアンジェだったが。


「……まぁ良い」


 アンジェの様子に何かを察したのか、はたまたただの気まぐれ化。ノクシアは顔を寄せたままに破顔する。


「お主にどんな事情があるのかは知らんが、お主が素晴らしい魔力の持ち主でありそれを妾に食わせてくれたことは事実。それに『あ奴』が力を封印という形で残したということは、今も『あ奴』はお主に期待しておるのじゃろう。ならば妾もお主に手を貸そうではないか」


「……それって」


「この妾がお主らについて行ってやろうと言って居るのじゃ! ほれ、嬉しかろう?」


 そう言ってふんぞり返って見せるノクシアの姿は幼子が精一杯偉ぶって見せているようでほほえましくはあるのだが。


 ――連れて帰って大丈夫なのかな……? 王城の皆さん、びっくりしない……?


 こんななりでもその力は数百数千の兵士を優に凌駕する。一応アンジェに従ってくれそうではあるが、そんな特級戦力をアンジェの一存で国の首都へと迎え入れて良いはずがない。


 ということで、先ほど突き放されてしまったばかりだが助けを求めようとシャルロットに目線を向けると。


「アンジェ様が良いのであれば構いませんわ」


「わぶっ」


 完全に向ききる前に、アンジェの体はシャルロットに抱きしめられていた。背中に回された腕にはいつもよりも力が込められていて、ぎゅぅっと押し付けられる柔肌の感触がより鮮明に感じられる。


 ――あ……シャル様、あったかい……。


 岩場を吹き抜ける風に知らず知らずのうちに体温を奪われていたのだろう。重なり合ったからだから流れ込んでくる体温に、アンジェの心はふわふわとした心地よさに包まれていた。


 アンジェがうっとりしていることに、しかしながら気づく余裕のないシャルロットは。


「ただし、アンジェ様の正妻はわたくしですので、そのことだけはお忘れなきよう」


 そう言って、鋭い眼差しでノクシアにくぎを刺すのだった。


「……ほほう? なんじゃお主、妾に嫉妬しておったのか? アンジェのその様子を見れば翻意などあり得ぬじゃろうに、可愛い奴よのぅ」


「べ、別に嫉妬などではございませんわ! アンジェ様がお望みならば側室を取ることもかまいませんしむしろ推奨するところですが、あくまでも立場というものを理解しておいていただかなければならないがゆえのただの忠告でしてよ!?」


「ほれほれ、そんなにムキになるな。心配せんでも妾に他人のつがいを奪い取る趣味などない。」


「ムキになってなどいませんわ! 今はその気がなくとも、アンジェ様の魅力に触れれば誰がどうなってもおかしくはございませんの! ですからそのあたりははっきりさせておきませんと!」


「わかった、わかったから落ち着け」


 頭の上で繰り広げられるそんなやりとりなどまるで耳に入っていないアンジェは、ただただ大好きなぬくもりに身をゆだねるのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る