第73話解放条件
「……時にアンジェよ。幸せそうにしとるところ悪いのじゃが、話をしても良いか?」
ノクシアからそう問われ、アンジェはハッと今の自分の状態を顧みる。シャルロットにギュッと抱きついて、だらしなく頬を緩ませていた自分は、果たして他所からはどのように見えていたのだろうか。
「す、すみません。なんでしょうか」
顔に熱が集まるのを感じつつ、アンジェはシャルロットから腕を離してノクシアに向き直った。そんな姿を見たノクシアは幼い顔立ちに、まるで娘か孫を眺めるかのような穏やかな表情を浮かべていたが、スッと頬を引き締めて口を開く。
「お主の『聖女の力』の封印、かなり強固じゃな? その様子じゃと、おそらくあらゆる力の一切を発動させられまい」
「えっ……? そ、そんなことまでわかるんですか……!?」
「妾を誰だと思っておるのじゃ。『あ奴』のことにおいては、妾ほど詳しい者もそうおるまい」
そういって胸を張る姿は、どう見ても少し家事を手伝ったことを褒めてほしい小さな子供にしか見えないが、それでも纏う空気にはどこか聖龍としての威厳が感じられるから不思議なものである。
態度と雰囲気のギャップにアンジェが戸惑う一方、ノクシアは再び表情を引き締めて言葉を続ける。
「お主にその力を制御する資格が戻れば、いずれはその封印も解かれるであろう。……じゃが、それはそう容易なことではない」
「……心の傷、ですよね」
そう口にしたアンジェの胸がズキリと痛んだ。
信じていた全てが一瞬にして崩れ去った、あの夜会の記憶は今でもアンジェの心に深く刻み込まれている。思い出すだけでも苦いものがこみあげてくるその出来事を乗り越えられたかと問われれば、答えはノーだ。
だが、それでも。
「確かに、今でもちょっと苦しい時はあります。……でも、私には私のことを大切にしてくれる人たちがいてくれますから」
いつも隣に寄り添ってくれるシャルロット。聖女でなくなってからも変わらぬ忠誠を捧げてくれているメリッサ。優しく見守ってくれるセリーヌに、無邪気に甘えてくれるシルヴィ、友達になってくれたルシール。こんなに素敵な人たちに囲まれている自分は、ちょっと申し訳ないくらいに恵まれているのだとアンジェは思っている。だから、決して悲観することはない。
「まだ少し時間はかかるかもしれませんが、
「それだけではダメじゃ」
「……え?」
思いがけないノクシアの固い声に、アンジェは驚いて言葉を止めた。アンジェを見据えるノクシアの瞳は、今は仄暗い青色をしている。
「確かに心の傷はきっかけではあったじゃろう。しかし、それがお主の力が封印されている理由の全てではない。そしてそれは、時が勝手に解決してくれる類のものでもないのじゃ」
予想だにしなかったその一言は、アンジェから呼吸を奪うには十分すぎた。息を詰まらせ、揺れる瞳を向けるアンジェに、ノクシアは淡々と続ける。
「妾から言えることはただ一つ、お主に必要なのは『過去を乗り越える』ことじゃ。力が封印されるきっかけになった心の傷だけではないぞ。今のお主を構成する物事全てを理解し、そのうえで新しい自分を作るのじゃ。……そして、そのためにお主は考えねばならぬ」
ノクシアは一度言葉を区切ると、アンジェを指差して瞳に力を込めた。
「『聖女の力』は『愛する者のための力』じゃ。お主が誰を愛しておるのか、誰を愛するべきなのか、それをよく考えよ。力の解放はその先にしか訪れんじゃろう」
「誰を、愛しているのか……愛するべき、なのか……」
ノクシアの言葉は、押し寄せる大波のようにアンジェの心にぶつかっては消え、波間を揺蕩う木の葉のように、彼女にはまだ飲み込むことができなかった。
かつて帝国を離れるときに、アンジェは自分を愛してくれる人を、愛したいと思った人を愛したいと心に決めた。そして今、アンジェはシャルロットを、メリッサを、セリーヌ、シルヴィ、ルシール、それに自分を温かく受け入れてくれた人々を愛している。だが、ノクシアの口ぶりではそれではまだ不足しているということらしいではないか。
もっとたくさんの人を愛さなければならないのか、はたまた愛し方が足らないのか。なんにせよ、今のアンジェには何をどうすれば良いのかとんと見当がつかない。自然と表情が険しくなり、顔が俯いていくのを止められない。
「……アンジェ様」
呆然と立ち尽くすアンジェを、シャルロットが今一度抱き寄せた。ふわりと包み込まれるような感触は、アンジェの心の奥底に陽だまりのようなあたたかさを与えてくれる。
「大丈夫ですわ、わたくしが傍におりますもの。おひとりで抱えないで、一緒に考えてまいりましょう」
「……はい」
自分からも腕を回してぎゅっと抱きつき、アンジェはしばしその温もりと、頭を撫でられる心地良いリズムに身をゆだねる。こうしているだけで、垂れこめ始めていた不安の雲が薄くなっていくようだった。
「む……ちと強く言いすぎたか? そこまで脅かすようなつもりはなかったのじゃが」
二人の様子に少々戸惑った様子のノクシアが指をさすのを止めて歩み寄る。瞳の色はいつしか明るい緑色に変わっており、どこか温かみを感じさせた。
「時間だけで解決できんことが理解できたのであればそれで良い。お主は良き友に恵まれておるようじゃし、それを上手く頼りつつ、先ほど自分で言うたようにお主のペースで進むのじゃ。無論、妾もついておるからな」
「……本当についてくるおつもりなんですのね」
親し気に笑って見せるノクシアに、シャルロットは困ったように呟く。
「もちろんじゃ。……なんじゃ、まだ妾がアンジェに手を出さんかと疑っておるのか?」
先ほどシャルロットが見せた嫉妬を思い出したのか、ノクシアは意地の悪い笑みを浮かべる。しかし、シャルロットはふぅっと一つ長い息をつくと。
「……であれば、何かお召し物を着てくださいまし。貴女は竜ですから気にされないのかもしれませんが、わたくしたち人間の世界でそのお姿は目立ちすぎますわ」
「おっとそうじゃった。全く、人間の体は魔力効率が良くて便利じゃがそういったところは煩わしいのぅ」
呆れたようなシャルロットの視線を受けつつ、ノクシアは魔力節約のために消していた衣服を魔力で再構成してその幼い体に纏うのだった。
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