@tousai21

第1話

 男は自動車産業で大金を稼ぎ、妻と子供にも恵まれた。

 しかし、余命宣告された。五十歳まで生きられないと医師に宣告された。今年四九歳なので、あと一年しかない。男は精神的に追い詰められ、家族との会話も無くなった。

 そんな男だったが、一ヶ月程経って生きる希望が湧いた。極楽浄土という教えを見つけた。極楽浄土は男の恐怖を和らげた。男はそれ以来、極楽浄土に心酔し、ありとあらゆる浄土宗の本を取り寄せ、熱心に念仏を称えるようになった。男は貯金のほとんどを宗教に使ってしまう程熱中した。それ程までに男の心は病んでいた。

 そんなある日、男は、ある男のことを思い出した。二十年程前に自分の経営する会社で働いていた男だ。名前は思い出せないが、鼻が特徴的だったことは覚えていた。その鼻が特徴的な男を、口論の末、理不尽な理由でクビにしていたことを思い出した。

 男の体が震えた。震えの原因は、罪悪感などではない。もっと自分本位な浅ましいものである。震えの原因は恐怖感である。極楽浄土に行けなくなるかもしれないという恐怖感である。人を貶めた人間は、極楽浄土に行けなくなるかもしれない。償いをしなければ極楽浄土へ行けなくなるかもしれない。男の頭の中は、極楽浄土へ行けなくなるかもしれないという恐怖でいっぱいになった。

 男はクビしにした男を探すことにした。残りの少ない金で人を雇った。そして、幸運な事にすぐにクビにした男の居場所が見つかった。思ったよりも近くだった。三十分程で着いた。男は、クビにした男がいるとされる建物の前で立ち止まった。

 その建物を見て背筋が凍った。暗く汚くおよそ人が住んでいるとは思えない陰鬱な建物だった。蜘蛛の巣がカーテンのように張り巡らされ、建物の壁は今にも崩れ落ちそうな程、老朽化していた。男は、あたりを警戒しながらドアを叩いた。暫く待っても、返事は無かった。何度叩いても返事は無かった。男は勘弁ならなくなり、ドアを蹴って乱暴にこじ開けた。

 家に入っても静かだった。鼠一匹いない静けさだった。こんなところに人が住んでいるはずが無かった。男は諦めて帰ろうとした。その時、微かに女の声がしたような気がした。奇声のようなうめき声だった。

 男はその音を頼りに家の中を進むことにした。ギシギシと音を立てながら進んだ。木の床が腐っていて、今にも壊れそうだった。そこら中に蜘蛛の巣も張り巡らされていて、空気もひどく汚れていた。何度も咳き込みながら進んだ。しばらく進むと仏壇がある部屋に着いた。

 仏壇の前に老婆がいた。マッチ棒のようにやせ細った老婆だった。歳は七十歳位だと思う。その痩せ細った老婆が泣いていた。何かに縋り付くように泣いていた。老婆の体がブルブル震えていた。震えながら泣いていた。男は立ち止まりバレないように努めた。バレてはいけないと直感した。その状態がしばらく続いた。

 少し経つと老婆は泣き止み、隣の部屋に入って行った。老婆がいなくなったのを確認してから仏壇がある部屋に入った。

 部屋自体はとても人が住めるものとは思えない程、臭くて汚い場所だったが、仏壇と遺影だけはとても綺麗にされていた。遺影の写真には五十歳位の男が写っていた。クビにした男だった。

 男は老婆がいるであろう隣の部屋の襖を開けることにした。意を決してゆっくりと襖を開けた。

 そして、頭を下げ「私はあなたの御主人を理不尽な理由でクビした。申し訳ない。」と謝罪した。

 すると、老婆の身体が石のように固まった。ピクリとも動かなくなった。そしてゆっくりと男の顔を見た。魔女の様な大きな鼻をヒクヒクとさせながら男の顔をじっくりと見た。

 そして動かなくなった。口を開けたまま涎をダラダラと垂らした。涎が床に大量に落ちていった。男は少し強めに「聞いていますか?お婆さん?」と言った。

 すると老婆が急に目をカッと見開き「あんたが死神かい?」と尋ねてきた。男は唖然とした。老婆が何を言っているかさっぱり分からなかった。男は老婆から狂気を感じ取り、家から出る事にした。老婆は完全にボケていた。しかし、男が帰ろうとすると、老婆が男のズボンにしがみついて「命を取るのはちょっと待ってくれ。今から棺に入るから。」と懇願した。

 老婆は棺を開けた。棺の中に布団が敷いてあった。男は驚いて「何で布団があるんですか?」と恐る恐る聞いた。すると老婆はさも普通そうに「ここで寝てるからだよ。」と答えた。

 男は混乱して棺を閉めようとした。すると老婆は慌てて「失礼ですよ。うちの主人に挨拶してください。」と言って布団を捲った。そこには白骨化した遺体があった。老婆は「うちの主人です。男前でしょ。」と言って布団に潜り込んだ。そして「よし、殺しておくれ。」と言った。

 骸骨に服を着せていた。見ると老婆も同じ服を着ていた。

 男はただ呆然と立ち尽くした。そして無言で棺を閉めて、一階に降りた。

 家に帰り、なけなしのお金を持って、棺屋へ向かった。

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