第Ⅳ章 Man&Woman

そんな時、テーブルの上に置いてあった房江の携帯が反応した。確認する房江。

「あ、LINE入ってきた。キャリーからだ。」

そう房江は一人、呟くと、

「ねぇ、一人、友達呼んでも良いかなぁ。」

と、リュウノスケと洋平に問いかけた。

「房江の友達か?」

「ウン、女の子。」

「別に良いよなぁ。」

と、リュウノスケが洋平に確認する。

「全然、オッケーです。」

「じゃぁ、リプライするね。多分十五分ぐらいでこっちに来ると思います。」

「了解。」「了解。」

携帯から目を上げると、

「ゴメン、話しを続けて。」

との房江の言葉。

その言葉に続いて、話題を変えたのはやはり天然の洋平の次の一言だった。

「あのさぁ、俺本当に進化論とか初心者だしさぁ、聞いていいのかもちょっと憚られるんだけどさぁ、、、」

と、リュウノスケに向かって切り出した。

「どうしたんだよ、何でも言ってみろよ。」

「あぁ、何時だったかさぁ、女性の国会議員だったか誰かがさぁ、同性愛者は子供を産まないから生産性がないとか何とか言って、無茶苦茶に叩かれたことあったじゃんかぁ。」

「あ、それ何となく覚えてる。女性なのに過激なこと言うなぁって思った。」

とは房江である。

洋平のこの発言は、2018年に当時自民党の衆議院議員だった杉田水脈議員の発言のことであろう。

「俺も覚えてる。性的マイノリティーへの差別発言だよな。謝罪とかさせられたんじゃなかったっけ。」

確かにこの時は、所属する自民党の幹部から指導を受けたり、すったもんだした上で、最終的に謝罪し発言を撤回している。

「それでね、まぁ、人にはいろいろ意見があるとは思うけど、そもそもの疑問ていうかさぁ、進化論の初心者的には疑問を感じたりしたわけですよ、、、」

と、なんだかもったいぶっているのか恥ずかしがっているのか、微妙な洋平。

「で、何が聞きたいんだよぉ、じれってぇなぁ。」

と、言い出すリュウノスケを見ながら、アイスコーヒーを一口すすると、洋平はこう言い出した。

「何で同性愛ってあるんだ?」

沈黙の輪が一瞬広がる。

もう一口すすった洋平が言葉を続けた。

「それで俺、ちょっとネットとかで調べたんだけどさぁ、同性愛って人間だけじゃないんだってな。」

「え?」

周囲が振り向くほどの声で房江が驚いた。

我ながら自分の声の大きさに気づいた房江は、身体を小さくしながら、声も小さく囁いた。

「それってどういうこと?」

答える洋平。

「そのまんまでね、同性愛って、人間だけじゃなくてサルとかゾウとかキリンとか、色々発見されてるし、昆虫でも見られるらしいよ。」

「へ?」

再び大声をあげてしまう、房江。

周囲の注目を再び浴びて、

「む、虫が同性愛って、、、」

小声でそう呟きながら、机の下に隠れるようにうずくまった。

ここにきてやっとリュウノスケに口を開く順番が回ってきたようだ。

「いくつか説はあって確定している訳じゃないから、俺が一番それらしいって思う奴で良いかな。」

そう前置きするリュウノスケに、見合って頷く洋平と房江。

「さっき無礼な女性議員がさぁ、『子供を産まないから生産がない』って言ってたじゃんかぁ、、、」

と一息つくと、

「でも血縁さえ残せればいいんだよなぁ、自分で産まなくったって、、、進化論的には、、、」

更に、

「ということは、もし自分に子供がいなかったら、兄弟姉妹の子供を可愛がるよなぁ。」

頷く洋平と房江。

「相手が甥だって姪だって、関係なく可愛がるよなぁ。」

続けるリュウノスケ。

「自分が男だろうが女だろうが、相手がオスだろうがメスだろうが、可愛がるよなぁ。」

同上。

「可愛がるってことは、よしよしするだけじゃなくて、敵が来たら守ってやったり、ひもじい時には食べ物を恵んだり、色々してくれるってことだよ。」

異論はない。

「それが今みたいに各家族になる前の話だぜ。親戚一同、みんなで暮らしているってわけだよ。だとすりゃあ、そういう人っていた方が何かと便利ってか、都合がいいこともあるじゃないか。」

ここまで来て話を聞く二人にも合点がいったようだ。

「だったら、同性愛って子孫のために貢献してるんだ。」

「同性愛があった方が、生き残れるのね。」

「飽くまで仮説であって、俺が気に入ってるってだけの説だけどね。」

と話をいったん締め括った。


すると房江が思い出したように話し出した。

「関係ないんだけどね、うちのママが結構クラシックバレエが好きでね、、、」

「クラシックバレエって、こんななって踊る奴か?」

リュウノスケが手をバタバタさせながら聞く。

「何よそれ!」

房江は聞き流すように続ける。

「結構前に映画にもなったクラシックバレエっていうか、クラシックバレエの新作って言うか創作って言うか、、、」

「なんだそれ?」

洋平も突っ込む。

「ちょっと長くなるから説明しないけど、兎に角、うちのママがそのバレエの映画が好きでさぁ、DVDも出てるから、私も見させられたんだけど、、、」

「へー、房江も見たんだぁ。」

「うん、ママと一緒に見たんだけど、ユーチューブ にあるはずだからぁ、、、」

そう言うと、房江は携帯で動画を検索しだした。

「あ、あった。これこれ。」

全く便利になったものである。一分と掛からずぐにお目当ての動画が見つかったようで、

「折角だから、ちょっと二人にも見せるね。」

そういうとイヤホンを取り出して、二人にそれぞれ片方ずつのイヤホンを嵌めさせ、携帯の動画を再生させた。

洋平が見ながら言う。

「へぇ、男の人なんだぁ。」

「おぉ、上半身裸だぞ。」

リュウノスケも多少驚いているようだ。

その動画は、映画ではなく、映画にも使われた「ボレロ」というクラシック音楽で創作されたクラシックバレエの舞台映像であった。円台の上で一人の白人男性が楽曲に合わせて踊るものである。因みにその映画とは、「愛と哀しみのボレロ」という、クロード・ルルーシュが監督した1981年の作品である。

「ちょっと我慢して、もう少し見てみて。」

そう言う房江に、素直に頷く二人。暫し動画の観劇の時間が過ぎる。

「じゃぁ、これぐらいで良いかな。」

そう言うと、房江は動画を止め、イヤホンを二人から外した。

「まだ、途中だよ。」

リュウノスケがそう言うと、

「ゴメン、これ全部見ると十五分ぐらいかかるから、そこまで付き合わせられないからね、、、」

と、手を合わせる房江。

「何かこっちから振っておいて悪いんだけど。ごめんなさい。」

「へぇ、そうなんですか。十五分もこのメロディーが繰り返されるんですか。綺麗な旋律ですよね。」

感心したように洋平が感想を述べる。

「そうなんですよ。洋平君、気に入ってくれました?!」

「はい、かっこいいですよね。クラシック音楽かと思ってたら、なんかちょっと違うから新鮮だった。」

「うわぁ、センスあるかも。」

誰しも自分がレコメンドしたものを評価してくれるのは嬉しいものである。

「だって、単調な繰り返しのようで、でも一発で耳に残るって言うか、、、」

ご存じの方も多いとは思うが、ラヴェルのボレロは同じメロディーを延々と繰り返すだけの楽曲なのだが、それでいて単調な繰り返しではなく、終焉に向けてうねるように昇りつめていく楽曲である。

「ママに言ったら喜ぶわ。言っても良いですか?」

嬉しそうに洋平に確認する房江。

「いや、そんな、センスとか、俺、そんな、許可とか、良いとか、悪いとか、、、」

「何照れてんだよ!」

突っ込むリュウノスケ。突っ込まれる洋平。

「それにこれがクラシックバレエなんですか?」

突っ込まれても、めげない洋平。

「うわぁ、洋平君、踊りにも興味を持ってくれたんですか?」

「いや、興味というか、なんと言うか、普通バレエといえば、その、あの、、、」

「何言ってんだよ!」

再び突っ込むリュウノスケ。突っ込まれる洋平。

しかし、洋平の言うとおり、「ボレロ」というバレエ作品は、直系で3mほどある円台の上に上半身裸の男性舞踏手がたった一人で踊るという設定である。ただ、その1m程の高さの円台の周りには、十数名のやはり同じ男性の舞踏手が配置され、円台の周囲をまわりながら踊る構成になっている。こうすることによって、円台の中心の男性舞踏手のソロのダンスと、円台の周りを囲む男性舞踏手たちの群舞のダンスが、楽曲の進行とともにシンクロしていき、劇的な効用を高めてもいく、といった凝った演出である。全く一般的なクラシックバレエにはない舞台構成であり演出だ。因みに、女性バージョンと言うのもあって、その場合はソロも群舞も女性舞踏手が踊ることになっている。

「でも、この男性のダンサー、カッコイイですね。」

これまたご存じの方も多いと思うが、ボレロの男性舞踏手は、ジョルジュ・ドンという白人バレエダンサーである。

「カッコイイけど、ガタイもいいし、顔もデカいぞ。」

口を挟むリュウノスケ。

確かに、ジョルジュ・ドンの胸は厚く、髪の毛も非常に豊かな金髪である。見方によってはドラム缶のような胸板に、ライオン丸のような顔立ちと髪型に見えなくもない。

「今のリュウノスケの発言は、ママには内緒にしておくわ。」

「いや別に取り立てて隠さなくてもいいけどね。」

そんなリュウノスケに笑みを浮かべた房江は、再び携帯で何かを探し当て、その画像を二人に見せた。

「でね、この作品を作った振付師が、この人。」

「え?」「え?」

絶句する洋平とリュウノスケ。

「このオールバックのおっさんが振り付けたの?」

「結構腹も出てるみたいだなぁ。」

「そう、モーリスベジャールって言う、とっても有名な二十世紀を代表するクラシックバレエの大御所。振付師であり演出家でもある凄い人。」

「へー。」「へー。」

再び絶句する二人。

「濃いなぁ。」「腹も出てる。」

「てか、おっさんだな。」「あぁ、おっさんだ。」

「ちょっと二人とも、モーリスベジャールに失礼なんですけど。」

そう言って房江はメロンソーダの残りを飲み干すと、

「でね、言いたかったのは、この二人は同性愛でした~ってこと~。」

「?」「?」

目を見合わせるリュウノスケと洋平。

「なるほど、それが言いたかったわけか。」

と、リュウノスケが納得し、洋平も頷いた。

そしてもう一度、携帯でジョルジュ・ドンとモーリスベジャールを見比べるリュウノスケと洋平。

「へー。」「この二人がねー。」

何かを噛み締めたか、飲み込んだかの様な男二人。

「でも、同性愛で立派な作品を残せたんだとしたら、何だかそれでもいいとも思えたりするなぁ。ちゃんとバレエって言う血脈を残せたんだから、、、」

と洋平がしみじみ言う。

この発言には、

「いや、洋平君、良いわ。ママに絶対言うわ、今のセリフ。」

拍手しながらの房江。

「い、いや、そんな、それじゃぁ、今度、挨拶とか、しなきゃ、いけな、、、」

「あほか!」

と、三度突っ込むリュウノスケ。

すると顔を曇らせ、房江が続ける。

「でもね、ジョルジュ・ドンは死んじゃうの。」

「え?」

「何で?」

「エイズで。」

「お~。」「お~。」

再び暫し絶句の二人。

「まだエイズが死ぬ病気だった頃の事かぁ。」

「随分前の事なんだなぁ。」

その通りで、エイズあるいはHIVは、日本語での正式名称は後天性免疫不全症候群といい、身体の免疫力をなくしていく病気で、これに掛かると普通は治る病気でも、免疫力がなく死に至ってしまうという恐ろしい病気である。1980年代から見つかるようになり、セックスによって感染することが多いため世界中で恐れられた病気だ。プロバスケットボールのマジックジョンソンがエイズ感染が判明したため、1991年に引退を表明したのも有名である。ただ、その後新薬の開発や治療方法、予防方法の周知によって、死に至る病ではなくなっている。因みにマジックジョンソンのエイズ感染は同性愛によるものではなく、かなり多くの複数の女性との性関係によるものである。

「で、おっさんの方は?」

思い出したようにリュウノスケが聞いた。

「天寿を全うしたわ。」

「あっ」

「そーですか。」

「人生ってそういうものよねぇ。」

房江はそう言うと、

「すみませ~ん、」

と店員を呼び、

「ホット下さい。二人は?」

というわけで、

「俺も。」

という洋平と、

「俺は、もう一杯アイスカフェオレにしようかな。」

と言うリュウノスケ。


そんなボレロの話がひと段落した頃、房江が再び携帯を確認する。

「あ、来たみたい。」

そう言うと、房江は店の入り口の方を見やり、

「こっち、こっち!」

と、大きめの声で手を振る。

リュウノスケと洋平もその方向を見やると、ブレザーを着た女子高生が店に入ってきたのが見えた。見た目はかなり派手だ。

彼女の方もすぐに房江に気が付いたらしく、笑顔で手を振りながら三人の席へとやってきた。房江が詰めて座らせる。

「ゴメン、突然押しかけちゃって。」

と言いながら座る彼女。

「全然押しかけてなんかないよ。私たちも暇してただけだし。ねぇ。」

と男性陣に話を振る。

「えぇ。」「あぁ。」

「どうも、初めまして。」

「こちらが、大日向マライアさん。」

と、房江が彼女を洋平とリュウノスケに紹介する。

「こんにちは、始めまして、マライアです。」

ペコリと頭を下げる、マライアと名乗る女性。

「こっちがリュウノスケで、こちらが洋平君。」

「ども。」「ども。」

おずおずとした感じの男性陣。

「どうしたのよ、二人とも。もしかしてマライアのギャルっぽさに圧倒されてるなぁ。」

確かに見た目だけでなく、名前まで派手である。

「何よフー子ったら、いきなり初対面でディスるのなくない?」

「ディスってなんかないよ。」

とマライアに返して、

「で、マライアだからいつもキャリーって呼んでるの。だから二人もキャリーでいいよ、ね。」

と、二人に言いつつ、最後にはマライアを見る房江。

マライアが首を縦に振ると、男連中も頷いた。とのことなので、今後はキャリーの名で呼ぶことにしよう。

「いや、ギャルって言うより、そのブレザーって付属のですよね。」

と、おずおず感満載で口を開いたのはリュウノスケであった。

「えぇ。」

と、頷くキャリー。

付属というのはここら辺では有名な名門進学校の事である。決して、房江たちの学校も悪いと言うわけではないのだが、付属と言えば知らぬものはいないといった名門であった。

「そうよ、キャリーったら見かけによらず頭が良いの。」

「何よその見かけによらずって。」

「だって、ギャルなのに付属何だもの。」

「誰がギャルなのよ。」

「あ、付属のみちょぱだ。」

「誰が付属のみちょぱよ。あんただって県立のみりちゃむって言われてるくせに。」

「誰、その県立のみりちゃむって。」

そんな二人は仲がよさそうだ。

なおもおずおず感満載で、リュウノスケが口を挟む。

「キャリーさんも、何か頼みます?」

そう言いながらメニュー表を差し出すリュウノスケ。

「ありがとうございます。じゃぁ、私アイスカフェオレにしようかな。」

更におずおず感全開で、リュウノスケが口を挟んだ。

「ハ、ハ、俺と同じだ。」

場の空気が変になったのをごまかそうとしてか、リュウノスケが店員に叫ぶ。

「すみませ~ん、ここ、アイスカフェオレ、追加で~、氷普通で~、グラスも普通で~、お願いしま~す。」

暫し顔を見合わせるリュウノスケを除く三人。

「で、何の話してたんだっけ?」

と、言葉を継いだのは房江だった。

すかさずリュウノスケが言葉を繋げる。

「丁度、ボレロの同性愛の話が一段落して、次の話題を探してたところだったよね。」

房江がそれを受けて、

「あぁ、紹介し忘れたけど、今日キャリーを誘ったのは、進化論の話をするんだって言ったら、ちょっと興味を持ったからって言うか、ね、そうよね。」

「ウン、私も詳しくないんだけど、ちょっと聞いてみたいなって思って。」

そこにキャリーのアイスカフェオレが運ばれてきた。

「じゃぁ、乾杯。」

「乾杯。」「乾杯。」「乾杯。」

何となくこんな時は乾杯をするものでもある。


そんな仕切り直しから口火を切ったのは、洋平だった。

「じゃぁ、同性愛繋がりではないんですけど、タイって恋愛の多様性が凄いって聞いたことあります?」

みなさんはご存じだろうか?

「恋愛って言うか、性別って言うかの話ですよね。」

そう応じたのはキャリーであった。

「へぇー、キャリーそんなこと知ってるの。」

「うん、えーとねぇ、何かネットで見た気がしたんだけどなぁ。」

といい、キャリーはキャリーで例のごとく携帯スマホで検索である。これまた数秒でお目当ての記事を探り当てたようだ。

「何だか、18種類もあるんですって。」

「タイ、性別、とかでググればいい?」

「ウン、そんな感じ。」

今度は残りの三人が検索する番だ。同じくほんの数秒で、目的の情報に辿り着く若者たち。全く便利になったものである。

「言われてみれば納得するところもあるね。」

そんなことを言い出す洋平は、やはり天然のようだ。

「やだ、洋平君たら。」

ジョルジュ・ドンの話以来、洋平には反応の良い房江である。

「いえ、これも多分ご存じない、ちょっとオタクなプロレス情報なんですけどね、、、」

と、また洋平のマニアックさが顔を出す。

「あ、キャリーさん、驚かないで下さいね。洋平って、こういう奴なんです。」

とリュウノスに言われたキャリーは、ゆっくり洋平の方を向く。

キャリーに向かれたので、お辞儀をする洋平。お辞儀にお辞儀で応えるキャリー。

「みなさん知らないとは思いますが、昔、女子プロレスって人気があった時代があったんですよ。」

「へー。」

「今は聞かないね。」

「そうよねぇ。」

「かなり女子高生とかに人気があったりしたんですよ。」

「うわぁ。」「信じられない。」

「まぁ、昭和の時代って感じなんですけど、、、」

つまり、プロレス自体がブームであった頃、といった意味であろう。確かに昭和ではある。

「でね、その中で実力はあるんだけど、所謂ヒール役って言うか、悪役っぽい女子レスラーに神取忍っていう人がいましてね、、、」

「カンドリ・シノブ、カッコイイ名前ね。」

ここでも房江の反応は良い。

「まぁ、本名は名前の『忍』が、ひらがなの『しのぶ』って書くんですけど、、、」

キャリーが、

『そんなこと聞いていないのに、知ってて凄い。』

と言わんばかりの表情を浮かべて、房江とリュウノスケの顔を見た。

『その通り。』

『こういう奴なんです、許してね。』

という顔をする二人。

そんな二人を知ってか知らずか、洋平の説明は続く。

「で、この神取忍は柔道家出身で、実際技も切れて、実力もあったレスラーだったんですが、、、」

「所謂実力派だったのね。」

合いの手を入れるのは房江である。何となく呼吸が合っているようだ。

「その通り。しかも短髪って言うか、GIカットって言うか、角刈りって言うか、兎に角、スゲエ男前なんですよ。」

と言って携帯の検索結果を三人に見せる洋平。

「本当だ。」「本当だ。」「本当だ。」

と、納得する三人。

「だから、試合でやっつけられたりなんかすると、『これで神取も立ちションもできまい』、とか言われたり、、、」

「立ちション?」

「そんなことする人、今でもいるの?」

「だから、昭和の時代の話、、、」

付いていくのが大変である。

「何かのインタビューで、感極まって涙を流したりすると、『神取、男泣き!』とか雑誌に書かれたり、、、」

「女子でしょ!」

「本当に男らしかったんでしょうね。」

「だから、昭和の時代の話、、、」

思えばいい時代だったのかもしれない。

「というわけでね、言いたいのは男っぽい女性に女性が憧れる気持ちも分からなくはないなぁ、って言うことでした。」

そう言うと、洋平は再びタイの性別の記事に目をやった。

「これで行くと何になるのかなぁ。トムとかディーとかかなぁ。」

「え?どれどれ?」

と言って、房江が洋平の携帯を覗き込んだ。

キャリーはちょっと迷ったようだったが、仕方ないので、見習ってリュウノスケの携帯を覗き込むことにした。

「確かに難しいわね。この場合、神取忍が男っぽい女性だから、、、」

「あ、そうか、ディーで良いのか。」

「そうね、、、」

などと盛り上がる洋平と房江。

何となく眼と眼を合わせるリュウノスケとキャリー。

するとリュウノスケが、

「でも、トムゲイキングだって。凄い名前だね。」

とキャリーに向かって吹き出した。

つられてキャリーも、

「本当だ。トムが好きな男っぽいトム、ですって。」

「タイでトムって言うことは、トムヤムクンと関係があるのかなぁ。」

「あれは、煮るとかっていう意味で、チャンプルーみたいな感じだったんじゃないかしら。」

「あれ、『おかま』って言うのもあるんだね。」

「本当だ。タイ語でも『おかま』って言うのかしら。」

キャリーとリュウノスケも、気が付くと打ち解けて笑い合っていた。

ここら辺の区別は何かの公式な基準と言うことでもなく、また現地語で何というかは、気になった方はご自分でお調べいただきたい。兎にも角にも18種類のタイの性別は、四人の日本の若者のコミュニケーションに役立ったようだ。


するとリュウノスケが呟いた。

「こう言うのなんて言うんだっけ?」

「何のこと?」

キャリーが聞き返す。

「なんかアルファベットでさぁ、、、一時期、法律がどうのこうのってさぁ、、、」

「あぁ、LGBTじゃない。」

「あ、それそれ。」

「レズにゲイにバイセクシュアルに、Tはなんだっけ?」

マニアックな洋平が答える。

「トランスジェンダーでしょ。」

「そうそう、それそれ。」

キャリーは、

「自分で言っておいてなんだけど、トランスジェンダーってなんでしたっけ?」

答えるのは勿論洋平。

「レズとゲイとバイセクシュアルは、恋愛の対象を意味しているじゃないですか、、、」

「えぇ、そうね、Lは女性が好きな女性だし、Gは男性が好きな男性っで、Bは両方よね。」

「その通り。それに対してTは、自分がなりたいって奴。」

「あぁ、思い出した。女なのに男になりたかったり、男だったり女になりたいってことね。」

「あぁ、そうよね。何かそれで自殺とかしちゃったタレントみたいな人いたわよね。」

ちょっと曇った表情になって房江が呟いた。

「あ、それ聞いたことあるかも。SNSとかで酷いこと書きこまれたとかしたんじゃなかったっけ。」

キャリーも気乗りしない様子でありつつも、思い出したようだ。

「でもさぁ、、、」

と、暗い方に行きそうになる場の雰囲気を変えるリュウノスケ。

「ジェンダーって、なんか社会運動っぽいことから生まれた言葉じゃなかったっけ?」

と話を洋平に振る。

「あぁ、その通りで、知ってるかもしれないけど、セックスは物理的で生物学的な性別で、ジェンダーは文化的、社会的な性別のこと。」

言い直すリュウノスケ。

「簡単に言うと、おちんちんがついていれば Male 、ついていなければFemale ってことだよな。」

「バカ!」

の一言の房江。

『やめなさいって、そういうの。』

と、手の仕草で制するキャリー。

舌を出すリュウノスケ。

するとキャリーが、

「リュウ君の言葉を言い直すと、セックスでは平等にはなれないけど、ジェンダーでは平等を目指せますってことよね。」

何時の間にかリュウノスケが「リュウ君」になっていたのはスルーされて、

「キャリーさん、凄い。」

と拍手で称える洋平と、

「流石、付属だわ。」

と感心する房江。

「まぁ、SDG’sってことよね。」

まとめるキャリー。


「でもさぁ、トランスって言われても困るよなぁ。」

と続けるのはリュウノスケである。

「そうなのよねぇ、『私は女よ。』って男の人に言われてもねぇ、、、」

と続くのはキャリーだ。

「そうかぁ、LGBまでは相手の事だから、お互いがそれで良ければ、一応問題はないもんね。」

「まぁ、法律的には色々問題はあるみたいだけど、人間関係とかの社会的には、そんなに問題はないことは確かかもね。」

法的に結婚は出来ないなど問題はあるが、ある意味で古典的な問題でもあるのがLGBではあるだろう。

「でもさぁ、トランス女性が競技会でメダルとかとってたりしたんじゃない。」

と、早速、携帯でググり出すキャリー。

「あ、これだ。しかも東京五輪で金メダルだ!」

ここでも自然と、キャリーとリュウノスケ、房江と洋平の二人組で携帯を共有する。

「へー、外科手術なしでも、男性ホルモンの血中濃度で男女を判定するんだ。」

そう言ってキャリーと眼を合わせるリュウノスケ。

「ってことは、この人、ちんちんも金玉も付いてるってこと。」

と言って目を丸くするのは、相変わらずのリュウノスケである。

手で制するキャリーだが、房江は、

「その通りよね。だってジェンダーだから。」

と、それを受けてリュウノスケは、

「それがトランスジェンダーのやり方かぁ。」

しばしの沈黙。

「一時期さぁ、これに関してトイレをどうするとか、浴場をどうするとかあったじゃない。」

切り替えて口を開いたのは房江。

「あった、あった。トランスジェンダー女性だって言う男が入ってきたら、どうするのって奴でしょ。」

キャリーが反応する。

「この人が、ちんちんと金玉ぶら下げて女湯に入ってきたら、そりゃぁビックリはするはなぁ。」

とはリュウノスケだが、

「個室風呂に入ってもらうんだろうなぁ。」

との洋平の言葉に、

「いや、やっぱ風呂は大浴場でないと、入った気にならないよ。」

とは、再びリュウノスケだが、反応はない。

「一面ガラス張りでさぁ、海とか見渡せる大浴場じゃないとさぁ、、、」

反応はない。

「露天とかも良いよね。もうすぐそこが崖で下に川が流れてたりして、小鳥がさえずったりなんかしてね、、、」

相変わらず反応はない。

「そこに源泉かけ流しのお湯ですよ、、、リュウマチに良いとかって書かれているわけですよ、、、う~ん、湯上りのフルーツ牛乳は美味い!、、、」

それでも反応はない。リュウノスケは居住まいを正し、

「違うね。違いました。そう言う問題ではありませんでした。答えをちゃんと言いますと、『男性器を具有されている方は、ジェンダーの性別如何に拘わらず個室のお風呂をご用意いたしますので、どうかそちらのご利用をお願いいたします。なおどうしても大浴場のご利用をご希望されるお客様に関しては、予めご都合のいいお時間をフロントまでお申し出ください。他のお客様とも調整の上、占有でのご使用時間をご連絡いたします。』」

そこまで言って周りを見渡し、

「ってことでジェンダー問題は解決しませんか、ということですよね。」

と、締めくくるリュウノスケ。

コクリと頷いたキャリーが口を開く。

「まぁ、お風呂は日本特有な事情だから今のでいいとして、私なんか、トイレもあんまし問題じゃないんじゃないかと思っちゃうんだけど。」

「そうそう、多目的トイレとかあるからね。」

「それに今って、男子も座る人が多いんじゃないの。」

とキャリーに振られる男性陣。

「洋平は座る派?因みに俺は座る。」

「俺も座る。ってか、学校みたいなところでは立ってもするけど、家や友達の家では絶対座る。」

「そうだよな。俺んちは親父が座るようになったから俺も座るようになった。」

「あ、同じだ。」

「へー、そうなんだ。」

「何か不思議だね。」「そうだね。」

と言って笑い合う房江とキャリー。

すると洋平が、

「親父が一度言ってたんだけどさぁ、千原ジュニアって有名な芸人さんがいるじゃんかぁ、、、」

と話し出した。聞き入る三人。

「その人がテレビ番組の中かなんかで、『芸人仲間が良く家に遊びに来るんやけど、絶対にトイレでは立ってやるなって言っとるねん。立ってやると汚れるねん。自分でも汚しとうないし、ましてや他人に汚させとうないやん。せやから絶対に座ってやれ言うとんねん。』って言っているのを聞いて、それは理に適っていると感心したのがきっかけだったんだって。」

「なるほどね。」

「確かに理に適っているわね。」

「ちょっと大阪弁、へんね。」

「ええやんか、そないなこと!」

話を戻す房江。

「ならそれでトランスの人もトイレは良いのかな。」

と、ここでやはり洋平の出番であった。

「浴場やトイレの話は、LGBTの入口みたいなもんでさぁ、その奥にはジェンダー平等って言う、ややっこしい奴が控えているんだよ。」

「ややこしい奴って?」

すると洋平がまた携帯をググり出して、

「あ、これだ、まだ残ってた。」

といって見せたのは、ネットの記事で、そこには「ファミマのお母さん食堂」とあった。

「何これ?ファミマがどうかしたの?」

房江は初めて聞くようだった。

「私、聞いたことあるかも。」

「俺もなんか聞いたことあるな。」

経緯はネットにも載っているので詳細は省くが、要は「お母さん食堂」という表現が、女性を主婦として家庭で料理をする女、という無意識的な偏見を助長させていると言うことで炎上したというものだ。その上で、その名のコンビニの総菜シリーズと言うのが販売中止になったというものである。2020年のことであった。

「え?それって言いがかりも良いところ何じゃない?」

房江の意見である。

「同感。」

キャリーもだ。

「森進一の『おふくろさん』何て歌は、どうすりゃいいんだろうなぁ?」

というリュウノスケはスルーされ、

「何かこの頃はブームって言うか、これ言い出したのもどこかの女子高生が署名を集めたんだよね。」

と、冷静な洋平。

「そうなんだ!?私たちみたいなのが、言い出したんだ、こんなこと?」

驚きあきれる房江。

「同感。」

キャリーもだ。

「キャンセルカルチャーとか流行ったし、ツイフェミとかっていう人たちが、SNSで大暴れしていたんじゃなかったっけ?」

洋平が言うキャンセルカルチャーとは不買運動のことである。古くは消費者運動などと言われていたもので、元々は健康に悪い商品などをボイコットすると言った生産者の論理ではなく、消費者の視点で商品を評価すると言った活動である。ある意味で消費者の味方であり、資本主義が得意とするプロダクトアウトではない、マーケットインへの転換を推し進める活動でもあった。ただし、このツイフェミと呼ばれる人たちの活動はどうであろうか?いちゃもんを付けて不買を喧伝するというなら、単なる営業妨害にしかならない。

また、ツイフェミとは、ご存じの方も多いと思うが、ツイッターフェミニストの略称で、フェミニストと称するジェンダー平等を標榜するインフルエンサーなるものが、当時はやっていたツイッターというSNSを主要媒体として活動していたことによる名称である。

「そうよね、ちょっと私にはついていけなかったかなぁ。」

とは房江である。

「フェミニストって、元々は女性の権利をちゃんとしようねって人たちのことよね。」

とはキャリーである。

キャリーの言うとおり、元々フェミニストとは女性の人権を主張する人のことを意味し、日本では明治時代からの歴史を持つものだ。また、その活動が実って、女性の教育や政治への参加が促進されたのも学校で習うとおりである。しかし、ここで言うフェミニストとかツイフェミは、従来のフェミニストとはかなり違って、ある種暴力的ともいえる人たちのようである。

「なんか同じフェミニストって感じには思えないのよねぇ。」

とは、房江も感想だ。

フォローする洋平。

「ツイフェミって言われる人は若い人が大半なんだけど、フェミニストの大御所って言われている人たちも、特に反論はないみたいなんだよね。」

「大御所って?」

「上野千鶴子とか、田嶋陽子とかかなぁ。」

上野千鶴子は東大の教授で日本のフェミニストの第一人者、田嶋陽子もテレビでも活躍した上野に続く日本を代表するフェミニストである。

「何か、日本共産党と過激派の関係と似ていると言えばいいかな。」

と言ってから、

「あ、フェミニストの大御所はツイフェミを否定しているわけではないから、暴力革命を否定した共産党と肯定した過激派との関係とはちょっと違うか。」

と、自分で自分の発言を訂正した洋平。ただし、この補足説明は、他の三人には全くと言って良いほど刺さらなかったようだ。思えば遠い昔の話になったと言うことであろう。

四人の話は続く。

「私が受け付けられないのは、この人たちがなんでも『アンコンシャスバイアス』って言葉で片づけようとするところ。」

とのキャリーの言葉に、

「アンコンシャスバイアス?」「アンコンシャスバイアス?」

と、反応する房江をリュウノスケ。

すぐさま洋平がフォローし、

「無意識な偏見、って意味。」

まだ納得がいかないような二人の顔色を察知し、

「ほら、さっきの『お母さん食堂』でも、無意識に『お母さん』って言う言葉で、女性を見てるとかって言うじゃないですか。あ、でもこれは言いがかりで、悪い例だなぁ。もっといい例はなかったかなぁ、、、」

言いまどう洋平に、

「看護婦って最近言わないで、看護師って言うようになった感じ?」

と、房江がフォローする。

「そうそう、スチュワーデスがキャビンアテンダントになったのもそれだった。」

ハイタッチの二人。仲がよさそうだ。

「どっちも、女性がやるのが当たり前って言うイメージをなくそうっていうことよね。」

と、まとめるキャリー。

「それって女性だけが対象ではないだよなぁ。」

とはリュウノスケである。

「その通り。男性もそうだし、後は高齢者とか、障害者とか、色々。」

「俺なんか、少食だからさぁ、『男だからもっと食べろ』って言われるとうんざりなんだよなぁ。」

そう言うリュウノスケに、

「私と逆だぁ。」

と突っ込むキャリー。二人とも笑顔で、仲がよさそうだ。

「で、キャリーは、なんでこの『アンコンシャスバイアス』が受け付けられないんだ?」

とリュウノスケがそもそもの話題に立ち返った。房江と洋平も視線をキャリーに向ける。するとキャリーは、

「この『アンコンシャスバイアス』って、マジックワードって言うか、カードで言うジョーカーって言うかさぁ、、、カルト宗教の勧誘についつい反論しようとすると泥沼に嵌るって言うかさぁ、、、必ず上がる株って勧めてくる嘘くさいビジネスコンサルの『そこでみんな辞めちゃうんですよ。』って言うかさぁ、、、」

「あぁ、言いたいことは分かった。それさえ言えば、相手が反論できなくなっちゃうってことね。」

こう、なかば笑いながらキャリーを遮ったのはリュウノスケだった。

「そう、その通り。『お母さん食堂』だって、いくら『そんなこと思ってもいない』って言ってみても、『そういう所が、無意識なアンコンシャスバイアスなのよ』って言えば通っちゃうわけ。」

キャリーである。

「ひろゆきの『それはあなたの感想ですよね。』ってみたいなもんかな。」

というリュウノスケに対し、

「確かに似てはいるわよね。でもちょっと違うというか、、、」

言葉を選ぶように続けるキャリー。

「それにひろゆきは、私もあんまり好きじゃないけど、、、」

と、言葉を区切り、

「『それってあなたの感想ですよね。』に対しては、チャンと事実なりデータなりを提示すれば、ひろゆきは納得する人じゃない。」

と、ひろゆきのことは認めるキャリー。

「なるほどね。」

「でも、ツイフェミの使う『アンコンシャスバイアス』は、そんなちゃんとしてないわけ。 何て言うかさぁ、もっとねちっこくってさぁ、粘着質って言うかさぁ。そう言うのに絡まれると、海を汚染した重油にまみれちゃったペンギンみたいな感じになっちゃてさぁ、、、」

キャリーのあまりの比喩に若干引き気味になる三人。

「アンコンシャスバイアスだよ、うぇぇぇぇぇ、、、」

と、リュウノスケに襲い掛かるキャリー。

一旦避けようとするも、すぐにされるがままになるリュウノスケ。

「ぐわわわわわわ、、、」

そう言うとリュウノスケはテーブルに倒れ込んだ。

「わぁ、死んじゃったぁ。」

と、大笑いのキャリー、それにつられる洋平と房江。

「本当にツイフェミが嫌いなのね、キャリーは。」

と房江。

「ちょっと引かれるかもしれないけど、、、」

「いいや、全然引かないよ。」

とキャリーをフォローするリュウノスケ。それに頷いてキャリーが続ける。

「もうちょっと真面目な言葉で言い換えると、反証可能性がないこと言う人って嫌いなのよね。」

「反証可能性?」「反証可能性?」「反証可能性?」

と、?の三人。

「カール・ポパーっていう科学者というか、哲学者が言った、科学の定義なんだけどね、、、」

と話し出すキャリー。

「科学か科学じゃないかを決める基準は、反証する可能性があるかないかだってその人は言ったの。」

「反証する可能性、、、」

「何か分からないでもない気が、、、」

「つまり、違うって言える可能性が、あるとか、、、」

三人、それぞれ頭の中で反証の可能性に思いを巡らせる。

「そう。簡単に言えば実験できるかどうかってこと。」

「あぁ、そういう反証ね。」

「実験すればはっきりするってことかぁ、、、」

「実験できないってことは、、、」

わかったようで、まだ飲み込めない三人。

「例えば宗教って反証可能性はないじゃない。」

キャリーが助け舟を出す。

「あぁ、そういうことね。」は、房江。

「そうだな、キリストが蘇りました、なんて信じるしかないもんね。」は、洋平。

リュウノスケは何故か黙っている。

「でも、なんでそんなこと言い出したの?」

と房江が聞く。

「カール・ポパーは、マルクス主義は科学じゃないって言ったんだって。」

ここら辺は詳しい方も多いと思うし、ネット上でも豊富な情報が揃っていると思うので、説明は省かせてもらおう。

「でも、結果的には反証されちゃったね。」、と洋平。

「分からないわよ、中国や北朝鮮が残ってるもの。」、と房江。

リュウノスケは、沈黙のままだ。

キャリーの言葉は続く。

「その上、心理学も嫌いだったみたい。」

ここで言う心理学とはフロイト心理学の事だが、ここら辺の説明も同様に省かせていただこう。

「最近、フロイトとか聞かないもんね。」、と洋平。

「どこかでラカンがどうのこうのって、どうだっけ、、、」、と房江。

リュウノスケは、沈黙のままだ。

それに気づいたキャリーが、

「リュウ君、どうしたの?」

と聞くと、

「それでいくとさ、カール・ポパーって人は進化論も嫌いだったんだろうなってさ、そう思ってね。」

と、言いにくそうに呟いた。その顔色は予想外に不機嫌そうだった。

キャリーの顔色が変わる。リュウノスケがこんなにも不機嫌になるとは思ってもいなかったからだ。

その空気は房江と洋平にも、ごく自然と伝わった。

確かにリュウノスケの言うとおり、ポパーの反証可能性の定理に照らせば、進化論は科学とは認定されない。太古の歴史を繰り返すことなど不可能だからだ。ましてや、サルが人間に進化するかしないかなど、そもそも実験など出来ようはずもない。仮に出来たとしても、倫理的に許されるかもわからない。

沈黙が辺りを支配する。

すると、そのリュウノスケが、

「あ、もうこんな時間だ。ゴメン、俺もう戻らなきゃぁ。」

と言い出した。

確かにもう午後も回っている。昼ご飯も食べずに話しっぱなしだった。

そのまま帰ろうとするリュウノスケに、キャリーがLINEの交換を申し出る。

まるで断る理由がみつからないからだけかのように、その申し出に応えるリュウノスケ。

辺りはまるで音も色彩もない、砂嵐の白黒テレビのようで、ぎこちなくて味気ない時間と空間になってしまっていた。

その日はそのまま解散となった四人だった。

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