序章 おじいちゃんお置き土産
房江は丁寧にその原稿用紙の束を、本棚代わりのラックから両手で持ち上げ、破れないか、紙が折れないか気にしながら慎重に机の上に置いた。
「原稿用紙かぁ。」
勿論、房江も原稿用紙が何であるかは知っている。二十文字×二十行で計四百字が書き込める用紙である。ただし、それをこんなに大量に目の前にするのは初めてだ。積み重なった厚さはどのくらいあるだろう?
「5センチくらいかな?」
指で測ってみたりする。
「何枚あるんだ?」
めくるには余りにも枚数が多すぎる。ただひっくり返すだけでも一苦労だ。
「三百十九枚かぁ。」
房江は額の汗を手の甲で拭った。
それは夏が来ようとしていた頃のことだ。扇風機を出すように母から言われて、屋根裏の倉庫を覗いた時に、倉庫の片隅に見つけたのだった。そこには透明なゴミ袋に入れられた原稿用紙が、束になっていた。
「ねぇ、原稿用紙みたいなのがあるよ。」
と母に声を掛けると、
「あぁ、それ祖父ちゃんが昔書いたものらしいんだけど、パパがお棺に入れるの忘れちゃったみたいで、捨てられずにいるみたいなのよ。」
「ふーん。」
房江は、そっとゴミ袋を触ってみた。透明な袋の向こう側にタイトルが丁度見えた。
「科学になぐさめられる時Ⅰ」
「あれ?Ⅰなんだ。って言うことは、ⅡとかⅢとかもあるのかな?」
それが房江と祖父との出会いだった。
枚数を確認し、もう一度ひっくり返す。その一枚目のセンターには、先ほどのタイトル、
「科学になぐさめられる時Ⅰ」
とあり、次の行には、行の下にマス目を合わせて、
「如月 十三」
と、あった。
如月とは房江の苗字であり、十三とは父親方の祖父の名である。ただ、病気で早く亡くなったため、房江には生前の記憶はない。房江が二歳になるころに亡くなったはずである。
房江は考えた。
「これどうしようかな?」
原稿用紙が三百十九枚である。保存が良いようにと思ってか、原稿用紙の左側には、綺麗に揃えられた丸い穴があけられており、しっかりと茶色いタコ紐でくくられていた。更に耐久用だろうか、ダンボールを細長くカットしたクッション代わりが原稿用紙の上下に挟まれており、タコ紐はその上下から括られている構造である。ページめくりにも耐えられるようにと、耐久性を考えたのであろう。お手製の製本状態とでも言えばいいか。
「流石に、Google Doc でクラウドに上げるって時代じゃ無かったろうけど、ワープロでフロッピーとかでもないんだね。」
多分三〜四十年前とか、そのくらいの昔の事だろう。
「でも、あれか、漱石とか太宰の時代は、みんなこうだったのか。」
確かに、昔の作家は原稿用紙に万年筆であったはずである。
「しかし、おじいちゃん、字、汚な!」
ペラペラと何枚か捲くっては、感想を呟く房江。
どうやら祖父の十三は悪筆だったようだ。
「でもこのままにして置くのもねぇ。」
確かにこのままなら、再び屋根裏部屋に逆戻りするのが、この原稿用紙たちの運命だろう。悪くすれば粗大ごみで捨てられてしまうかもしれない。そう思うと、原稿用紙たちをこのままにはしておけない気もした。
「フゥ。」
と、房江は深呼吸して、自分のノートパソコンを開くと、その横に原稿用紙を置いて、肩と首をまわした。
「デジタイズと行きますか。」
どうやら原稿用紙鵜の内容をパソコンに打ち込み直すことにしたらしい。スキャンする機械など家庭にはないし、そもそも手書きの原稿用紙を自動の日本語テキスト認識してスキャンする機械など、どこに売っているだろうか?大学の研究室でも余程その手のAIに力を入れているところでない限り、ありはしないだろう。
「まぁ、一日一ページ、四百字ずつ入力しても、三百十九日だから一年掛からないもんね。」
なるほど、妥当な計算のようでもある。
「ヨシ。」
と、心の中で呟いてから、
「おじいちゃん、私が蘇らせてあげるからね。」
と、一言、房江は原稿用紙に声を掛けた。
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