FILE2.5

 娘の名前は何だったか、妻の年齢はいくつだったか、そもそも子どもが何人いたのか。一般の人間よりはキャパの大きいはずのこの脳は、そんな簡単なことすら覚えられなかった

 だからだろう。妻と娘たちが私から離れていったのは、何人目かの娘が生まれてすぐのことだった。仕方がないのだと思った。家族の名前が覚えられないなどありえない。普通ならば家族は一番に愛し、身を呈してでも守るもののはずだ。これは時代錯誤だと言われるかもしれないが、父親ならなおさら。だが私には、そんな気が一切起きなかった。

 仕方のないことだった。これ以外あり得なかった。頭では分かっていたはずなのに、心は逆恨みを初めた。お前らが捨てたせいで、俺は出世と天才として得るはずの栄誉を失ったのだと。馬鹿馬鹿しい話だ。それにアイツらは何も関係ない。だが、研究者と言えども、心を制御するというのは一長一短で出来ることではなかった。

 机の上に写真を乗せているのは、せめてもの贖罪だ。私が悪かったのにも関わらず逆恨みしてしまった、罪悪感から飾っている。それにこうして額にいれて置いておかなければ、すぐにでも破って呪いそうになってしまったから。

 そういう意味で、名がなく人かどうかも怪しい研究体というのは私の心を揺るがすことはなく、生活に定着していった。研究、睡眠、また研究。家族のいない私は研究を中心の生活を始めた。そうして得たものは、地位と名誉だった。そうして、自分のチームも出来た。チームのメンバーは似たりよったりだ。人によってはあの研究体に命を捧げるほど傾倒している者もいる。理解は出来なかったが、否定する気もなかった。自由なのだと、そう思うことにした。

 私にとっての研究体は、研究体以上の意味を持たなかった。名がなく感情もない分、他の人間よりは好ましく見えたくらいだ。人の顔も名も覚えられない私にとっては、ある意味で特別だった。

 彼女に出会ってから、元家族への怒りや恨みは増幅していった。自分を何も傷つけないただそこにいるだけの人間に出会ったからであろう。その結果、私の心は元家族を完全に敵認定した。机の上に写真があるだけで、人目もはばからず破いてしまいたい衝動に駆られた。

 もちろんするはずはない。だが出張中、写真をうっかりペラで持っていった時にやってしまった。自分の鞄の中に、研究の成果と一緒に、あの家族達がいることが許せなかった。その結果、復元不可能なほどまではいかなかったが、だいぶ写真は破けてしまった。しまったと思ってその写真を鞄の奥底にしまった。誰にも、こんな社会不適合な部分を見られないように。

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