キックボクシングにハマる故の苦難

釣ール

きっとファンも病んでいる。そして私も。だけどそれだけでは終わらせたくない

 誰かがテレビで言っていた。

 推し活は生命維持費せいめいいじひだとかなんとか。


 何を言っているのだ。

 生命維持費なんて傲慢ごうまん極まりない。


 格闘技に関してはそんな安い言葉を使いたくない。

 それはオリンピック競技から草野球チームにまで言える。


 ファン同士の対立や他団体のファンとの対立・・・これはプロレスの話じゃない。

 格闘技の話だ。


 春野は慣れない社会人生活と思ったよりお金がなく、やりたいことが狭まっていくストレスからあるミニマリストの写真をサンドバッグに付けて殴り続ける。


 一時期流行っていた金稼ぎのためのミニマリスト達が大嫌いで「金目当ての癖に。」とSNSで嫌でも目にした連中の顔を思い浮かべ、雑誌まで買って参考にならなかったからとこうして利用している。


 お前達に格闘技関係の悩みを捨てられるのかよ。 リングに上がる人間のことを。


 だがそれは春野とてそう。

 選手や当事者達以外からすればただの人間、一般人。

 だから声を大きく出来ない。


 それに他格闘技や他格闘競技のファンもSNSだけ見ると分からないけれど国内外問わずそこまで悪い人は少なかった。


「別に国内外総合格闘技&MMA選手やファンを嫌っているわけでもないのに。

権威なんてなんでもありでついていけない。ただそれだけなのに。」


 なげきはきっと今後伝わることは永遠に無さそうだ。

 ペイパービューと生観戦に金銭を支払う。


 これが私の出来ることと春野は再確認する。


 また春野には他のコンタクトスポーツも楽しんでいた。


 本筋が怖い話でなくても笑いがあるエンターテインメントが好きな春野はプロレスにもハマっているのだ。


「プロレスも引き抜きはさておき選手の移籍も多いし時代による変化とコンタクトスポーツならではの熱さがあるから素敵。


でも格闘技のドラマはアクシデントすらフィクションに魅せようとするアドリブもあるのになぜ憎めないのだろうか。」


 この世は分からないことが多すぎる。

 関心や興味は尽きなくて、知らない方が幸せなことも山ほどあるけれど安心して楽しめる世界って大切なんだと社会人生活を送ると思い知る。


 だからこそリング上で輝いていたり、カースト上位かもしれないルックスの立ち技ファイターやMMAファイターを見ていると、


「明るそうなファイター達も選手としてリングにいる間はマイノリティなのかもしれない。


私は観戦者かんせんしゃとしてちゃんと進んでいるのだろうか。」


 そう考えることも増えて彼彼女らのSNS発信に表情が揺れ動く。


 他のジャンルなら過ぎた道でも古参と新参の分かり合えなさも二〇一〇年代は悪化していた。


「私はああなりたくないなあ。」


 傍から見ていて楽しめるもんじゃない。それなのに何もかもが異質な楽しみ方だった。


 やはり非日常を生きていると同じ勝ちに喜び、負けに泣く人間であることを今も昔も古今東西忘れてる人達は消えてなくならないのかもしれない。


 春野のような社会人なら稼げなくても愚痴で済むがファイター達の悲鳴は忘れられなかった。


 インフルエンサーが頭打ちの幸せをSNSで家族だの金だの家だの下手なプロレスをしているのを見ていると格差とまでは言わないものの理不尽さをより多く実感する。


 かつて自殺を考え、やめてを繰り返した時に立ち技ファイターが判定勝利をした後のマイクパフォーマンスで言った励ましがプロだからこその応援だと受け取った春野は今もこうして生きている。


 確かに古い幸せと大きな願望は頭打ちで誰も興味を示さないかもしれない。


 春野自身の人生をどう生きていき、課題を乗り越え、そして自由になるためのリングもケージもない舞台での戦いと葛藤は続くのかもしれないと身構えていく。


 それでも少し肩の力を抜こう。


「せめて私は流されないように応援し続けていく。」


 舞台は違うけれどやれることをやっていくしかない。

 だから春野はこの闇を生きていくことを決めた。

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キックボクシングにハマる故の苦難 釣ール @pixixy1O

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