第2話 京都行こう
「こっ、来ないで……!!」
月の光も届かない細道。二人以外の人の姿は見えず、生ぬるい風だけがひゅひゅうと通り過ぎる。
二人というのは正しくないのかもしれない。腰を抜かして後ずさる女性、その正面に立つそれは人の形をしている。
だが、それは人とは呼べるものではない。腐敗し青黒くなった皮膚、生気の無い瞳、力の無い揺れる足取り。人と呼ぶにはあまりにも不気味過ぎた。
「ラ˝、ぬ……。」
その怪物はただ近づく。それだけならば良かった。
「血、にグゥ……!!」
突如として動きが変わる。手をぴんと伸ばそうと届きもしない距離から、冷たい皮膚の感覚が伝わるほどに急接近する。そして、唾液をまき散らし、大きく口腔を見せて牙を剥く。
その瞬間、破裂音が轟いた。
「っ……!?」
女性は恐怖から背けた瞳を開く。目の前の怪物は地に頭を垂れて動きを止めていた。
「危みゃあ、危みゃあ。」
音の方、屋根の上に一つの人影があった。長く伸びたツインテールと丈の長いスカートに反して、顔つきは幼く小柄な少女。特徴的な猫耳のような飾りは、影の中では鬼の角のようにも見えた。
「おみゃあさん、逃げんと死ぬでよ。」
その少女はふわりと女性の横に飛び降りる。ようやく目に入る、音の正体。
彼女は右手に銃を持っていた。それは彼女の腕より遥かに長く、身長にも届きうる大きさを誇っていた。
「はぃっ……!!」
女性は恐怖に弾かれて駆けだした。少女はちらりとそちらを見ると、再び怪物の方へと向き直る。
地に伏した怪物はぬるりと起き上がり、不気味な眼で少女を見る。それも束の間、怪物は風よりも速く駆け迫る。
「うつけ。」
少女の銃が火を噴く。それは怪物の足を抉り、容易く勢いを殺す。そして、鉛玉が再び怪物の脳天を貫いた。
「武田ん騎馬武者殺したんは、こん種子島だでよ。」
「突撃なんぞ、うつけもうつけ。大うつけだがや。」
『クックック、呼んだかぁ? 俺様を。』
「呼んでみゃあ。」
少女の背後に現れる男の霊。黒いマントをなびかせ、不敵に嗤った。
夜の新幹線の車内。風を切る音が繰り返される。アンナはアルカとその付き添い人の少女の三人で乗り込んでいた。
「いろいろ説明が必要ですね。」
今回の件はアンナが被害者を助けたこと、そして信憑性の無い証言が実証されたことで、厳重注意として着地した。
「なんなんですか? この刀。」
実証は偶発的だった。押収され保管されていた刀が、気づかぬ間にアンナの元へと戻っていたのだ。それにより一度は訝しみが増したのだが、アルカの立場を知ると刑事は大人しく引き下がった。
「それは
「新選組、鬼の副長「
新選組は幕末の京都の治安維持に努めた組織。今で言う警察だ。その副長の刀だということらしい。
「要するに、歴史的にすごい刀、ってことですよね……?」
歴史的に価値があるから、それだけでは今回の件の説明はつかない。明らかに人知を超えた代物なのだ。
「アンナさんは
「えーと、物の神様みたいな……やつだったかしら。」
うろ覚えのアンナを馬鹿にせず、アルカは説明を加える。
「長い年月を経て、物に宿る神様のことです。」
「その刀にも付喪神……正確には偉人の魂が宿っているのです。」
アルカ曰く、強い信念や感情を持つ人間が死後、物に魂を宿すことがあるという。
「つまり、この大和なんとかには、土方さんの魂が宿ってるってこと、ですか?」
アルカはそれを微笑んで肯定する。
「魂の宿った遺物は、不思議な力を宿します。」
「そして、共鳴する魂を持つ者の前に現れる。」
「私たちはそれを、
アルカは刀に視線を向ける。
「それはあなたに預けます。」
「預けるって言われても……。」
チンピラと戦ったときは助かったものの、日常生活において刀など使い道は無い。それどころか、どこにでも刀がついてきて、度々警察のお世話になることになってしまう。
「心配いりませんよ。」
「我が校では帯刀なんて普通のことですから。」
「おかしいわよ……。」
アンナはこれからの学園生活に不安を覚える。助け船と思い飛び乗ったが、選択を誤ったのかもしれない。
その後悔も束の間、車内にメロディが鳴る。
<<次は、京都です。>>
「起きてください、ハルさん。」
「んぁ……? ハッ!?」
アルカは眠る少女を起こす。ハルは揺さぶりで目を覚まし、だらしなく開いていた口を引き締めた。
「戻ってこい。」
ハレがそう一言つぶやくと、簡素な人の形をした紙切れ三枚がふわりと彼女の元へと集まる。
「私が先導します。」
ハレは二人の先を歩き始めた。
「ここが京都駅っ……!!」
改札を通り抜け、アンナたちはエントランスへと足を踏み入れる。遥か高い天井、行き交う人々、見慣れない地名の数々。どれもがアンナの目には新鮮に映った。
「修学旅行以来、でしょうか?」
物珍しそうに周りを見渡すアンナに、アルカは心を和ませる。
「いやぁ私、熱出しちゃって……。」
アンナは修学旅行当日、三十八度の高熱を出していた。それでも気合で登校しようとしたのだが、玄関で倒れたという。
「ふふっ、今度案内しますよ。」
「ハレさんが。」
「……私ぃ!?」
アンナとは異なる理由で周囲を見ていたハレは、唐突な言葉に振り返る。それと同時にアンナは右手をピンと上げる。
「金閣寺行きたいです!」
「話を勝手に進めるな!」
ハレは再び前を向いて歩きだす。
「龍安寺もお勧めですよ。」
「八ツ橋も食べたいわぁ~!」
次々と話が進められていくが、ハレは会話に混ざることはなかった。
「お待ちしておりました、ヒストリア様。」
駅の外で三人を待っていたのは、パンツスタイルのスーツに身を包んだ女性。彼女に連れられて、三人は車に乗り込だ。
「どこまで行くんですか?」
アンナたちは学校へと向かうわけだが、その場所を彼女は聞いていなかった。
「嵐山の方です。少し遠いですよ。」
嵐山は京都駅から西に位置する山だ。竹林の
「楽しみ……!」
走り出す車。その車窓から、先ほど見た紙人形が並走しているのが見えた。
「えっと、ハレさん……でしたかしら?」
「今は話しかけるな。」
アンナはぴしゃりと会話を断たれたことに少しムッとした。
「ごめんなさいね、アンナさん。」
ハレをフォローしたのはアルカだった。
「今は任務中でピリピリしてるだけですから。」
「本当はとても優しい子ですよ。」
アルカの顔に微かな憂いが浮かぶ。それは今置かれた状況と、アンナへの罪悪感。
「アンナさん。今、この京都では……。」
「人が、次々と消えているのです――。」
「始まりは三か月前でした。」
ある日、京都で修学旅行に来ていた女子生徒が行方不明になる事件が起きた。警察がその行方を掴めない中、同様の事件が再び起きた。世間やマスコミにバッシングされながらも、警察は一つの情報をつかみ取った。
「被害者が……!?」
連鎖する行方不明事件の犯人。それは攫われた被害者だった。だが、その被害者は異様な姿をしており、超人的な力を持っていた。
「この怪物……
アルカはアンナに悲哀に満ちた眼差しを向ける。
「……霊遺物は良性とは限らないのです。」
アンナは刀に目を向ける。この刀は彼女を守ってくれた。人を斬ることもなかった。だが、それは運が良かったに過ぎない。
「霊遺物には、先人たちの願いが込められている。私はそう思います。」
「ただその願いが呪いに変わってしまうこともある。」
「悲しいことです……。」
アルカは目を伏せる。その長いまつげは街灯に照らされ、微かに光を反射させる。
「大丈夫ですよ、アルカさん!」
一度俯いたアルカは再びアンナへと顔を向ける。
「京都の平和は私たちが護ります。」
「新選組の名に懸けて――!!」
しばらく車を進めると市街地を抜け、山道に差し掛かった。ところどころに街灯はあるものの、道は暗い。当然、人通りなど無い。
ゆえに違和感に気付いた。
「止まるなッ!!」
視界に入った三つの人影。運転手の女性はブレーキを踏もうとした。それを制止したのはハルだった。
車は止まるどころか加速し、その人影へと突っ込まんと接近する。だが、人影たちは避ける素振りも無く、道の真ん中に立ちふさがる。
「蹴飛ばせ、唐傘ッッッ!!」
ハルは右手の人差し指と中指を立て、念じるように叫ぶ。その瞬間、宙を駆けていた紙人形の一つが姿を変える。
「お化けぇっ……!!」
アンナたちの前に現れたのは巨大な一つ目を持つ、傘の怪物。
唐傘は丸太のように太い一本足で前方へ跳躍し、三体の鬼人を一蹴する。それによって開けた道を車は通り抜けた。
「切り刻め、
再びハルが念じると、紙人形は三つに分かれ、鎌の尾を持ったイタチへと変化する。そして、気が付けば鬼人の足が両断されていた。
「ハル! このままでは学校に招き入れることになります!」
バックミラーには一体の鬼人が車へと迫っていた。
「アルカ様の護衛が最優先です!」
「学校に到着次第、私が迎撃します!」
「それでは他の生徒に危険が――!!」
その口論を止めたのは、車内に吹き込んだ突風だった。
「あれ倒せばいいのよね?」
アンナは車のドアを開け、すでに半分身を乗り出していた。
「危険ですアンナさん! あなたはまだ完全な状態では――!」
アルカの忠告も外を流れる風にかき消される。アンナは車の屋根に手をかけ、その上へとよじ登った。
「やれるわよね、土方さん?」
『無論だ。』
アンナと土方の身体が重なり、彼女は浅葱色の衣装に身を包む。
「誠の正義、示させてもらうわ!!」
アンナは刀を構え、鬼人へと跳んだ。
「はぁぁぁあああ!!!!」
それは鋭い一撃。太刀から放たれる横薙ぎは鬼人の首を捕え、太い骨を砕いて切り飛ばした。バランスを崩した鬼人は道路を転げながら、残された勢いで坂道を登る。
一方のアンナは姿勢を保ちながら着地し、摩擦で勢いを殺しながら坂を下った。
「ふん、どうよ!」
アンナは余裕の笑みで背後を振り返る。その眼前に首の無い鬼人が迫っていた。
「ひぃッ!!」
その異様な姿にアンナは怯む。その一瞬の隙が命取りだ。鬼人は手首を掴んで彼女の動きを封じ込める。
「痛ッ……!!」
その力は万力のように強く、振り解くことを許さない。
「足ラぬ……!!」
切断された首から赤黒い体液が溢れ出し、血色の悪い顔が蘇る。
「強キ、かラダァ!!」
鬼人が牙を剥く。しかし、その頭部は宙に舞う。
『見るに堪えん。』
アンナの横に現れた土方が鬼人の首をはねる。それだけではない。首が落ちるよりも速く、鬼人の両腕を斬ってみせた。
『この程度で死んだら殺すぞ。』
土方は額に青筋を浮かべてアンナを睨む。その眼光は鬼人よりも鬼のようだった。
土方が姿を消す頃には、鬼人は再び身体を再生させていた。
「でも、どうするの……!? 相手は不死身なのよ!?」
『死ぬまで殺せばいい。』
「無策ってことね。」
そのときだった。見覚えのある紙人形が目の前に現れた。
<<アンナ! 聞こえるか!?>>
「……なによ?」
声の主はハレだった。話しかけるなと意趣返し、ということはしなかった。そんなことをしても意味は無い。ただ、少し返事は不機嫌になってしまった。
<<そいつには弱点がある!!>>
「はぁ……ッ……!!」
「ほんとにあるのかしら!?」
アンナは鬼人を斬り続けた。何度も何度も何度も斬った。だが。鬼人はそのたびに再生し、何事も無かったかのように襲い掛かってくる。
未だ光明は見えなかった。積み重なる疲労が、アンナから精細さを奪っていく。
「外した……!?」
頭部を狙った太刀筋が大きく逸れ、鬼人の右肩を切り落とす。その程度で怯むはずもなく、鬼人は左手を伸ばす。だが、かろうじて首に刀を突き刺したことで、その魔の手から難を逃れた。
「これッ……!?」
アンナが突き刺した鬼人の身体が崩れ落ちる。だが、死んだわけではない。再び蘇った。切り落とした右肩から――。
「見つけたわよッ!!」
アンナは再生する鬼人へと一気に間合いを詰め、地面に落ちた右肩へ刃を向ける。
<<鬼人には術師の刻印がある。>>
<<再生はそれがある部位から始まるんだ。>>
このためにアンナは何度も位置を変えて切りつけていた。だが、それも終わりが近い。
<<そこを斬れば再生できない!>>
「たぁぁぁあああッッッ!!!!」
アンナが放った刺突、それは肩を捉えるには至らない。先に再生した右腕が彼女の刀身を掴んでいた。
「ぐぅぅッッッ!!」
純粋な力比べ。徐々にアンナは押され始める。それでも土方は手を貸さなかった。
「あ˝ぁ˝ぁ˝ぁ˝あ˝あ˝あ˝あ˝ッッッ!!!!」
鬼人の身体が再生していく。完全に再生すれば、一転して窮地に立たされることになる。だが、このチャンスを捨てるわけにもいかない。
「くゥゥゥたァァァばァァァれェェェェェェ!!!!!」
拮抗していた力は一瞬で形勢を変える。アンナの刀がするりと兄人の手を切り裂き、アスファルトごと右肩を貫いた。
「……土方さん。」
アンナはアスファルトに深々と刺さった刀を片手で引き抜く。
「まだやれるわよね?」
残る二体の
「埒が明かないな……。」
学校へたどり着いたハレはアンナの救援へと急いでいた。
彼女の操る唐傘と鼬は、式神と呼ばれる使い魔だ。彼女は調伏した怨霊を操ることが、彼女の術の主力だ。
この式神は遠隔操作や数的有利といった利点がある一方で、欠点も当然ながら存在する。
その一つが、精密性の低さだ。今回のように一点を狙わなければならない状況には向かないのだ。
ハルは右手で術の構えを取る。
「
「
彼女の足に炎が上がる。だが、それを意に介することはない。彼女は走り続けた。周りの木々が揺れるほどの風を巻き起こしながら。
「アンナッ!! 無事かッ!?」
ハレはアンナの姿を見つけ、すぐさま術の構えを取った。だが、それは無用だった。
「はぁッッッ!!!!」
アンナが振り下ろした刀が鬼人を捉える。鬼人はその刀身を両腕で受け止める。かろうじて骨は断たれない。だが、その押し切る力に耐えきれずに膝をつく。
「もうあれほどの力を……!!」
ハレが術を唱えるまで鬼人は持たなかった。頭部から真っ二つに両断され、桜の花びらとなって散っていった。
「任務完了。」
「で、いいわよね?」
アンナはハレに自信に満ちた笑みを見せる。だが、その笑みは一瞬で消えた。
「足っ!! 足燃えてるわよっ!?」
慌てふためいて駆け寄るアンナをハレは手で制止した。アンナの心配も足の炎と共に消え去った。
「感謝する、アンナ。」
「おかげでアルカ様も、学校も守ることができた。」
ハレは深く頭を下げて感謝を示した。だが、アンナはそこまで素直にはなれない。話しかけるなという言葉を根に持っているからだ。
「……ん!!」
アンナは右手を差し出す。
「ハレさんのおかげで……助かりました。」
「感謝します。」
顔を上げたハレは手を伸ばそうとして、一度止まった。
「なんで不貞腐れているんだ?」
「不貞腐れてないです。」
「いや、不貞腐れ――」
「不貞腐れてないわよ!!」
記憶にないハレにご立腹のアンナは手を引っ込めようとするが、それをハレの手が引き留めた。
「明日、京都の案内をしよう。礼と……何かのお詫びだ。」
「な˝ァーーー!!」
アンナは握手を引き離そうと、ブンブン手を振った。
「アンナ、いるか?」
ハレはアンナの寮室を訪れた。ノックの後、小さなうめき声が聞こえ、そこからさらに間を置いてドアが開いた。
「おはよう。」
「お˝あ˝ょ˝う˝……ご˝ざ˝ま˝ず˝……。」
髪はボサボサで、瞼も開いているのかいないのやら。明らかに寝起きの状態だった。
だが、声がおかしいのは寝起きだからというだけではなかった。
「なんか、顔赤くないか?」
アンナの息は荒く、視線も虚ろだった。
「が˝ぜ˝、び˝ぎ˝ま˝じ˝だ˝……。」
アンナの京都旅行は、再びお預けとなった。
歴戦少女 ガールズ・ヒストリア @towofuya
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。歴戦少女 ガールズ・ヒストリアの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます