触手 ─ふれて─

木目ソウ

第1話

 かーっかーっかーっ……


 森にすむカラスたちは獲物をもとめるため、わずかな夕闇の奥へ鳴いている。


 やがて森は夜に閉じこめられていくのね。しらないけれど……。


 深呼吸をくりかえし、荒れてしまった息をととのえる。


 ……迷子を誘うように霧がふきはじめた。


(もしかしたらこの霧は……雨の予兆なのかもしれない。雨はかまわない。足跡を消してくれるし……この服は、気に入りの物だが、もう汚れている。だけど、道に迷うかもだから、早いとこ抜け出したいような、それよりもモモンガさんに会いたいような……。ちょっと困っちゃいますねー)


 そうなのですっ!

 この森にはモモンガがでるのですっ!

 だからなに? て話だけど……。


 あ、湖……。

 白霧に水鳥の影が数羽うかび、私の足音におびえとびたった。

 ここは狼が出て、時に水遊びをしているみたい。

 でもね、湖の水が波打つ畔には、青白い貝殻が転がっていて、それは首飾りに相応しい美しさをもっている……。


(水でも飲もうかしら……え? 湖のちかくに生えた大樹に、ひとりの女の子がよりかかっている……)


「あーぁ、誰か私とお友だちになってくれないかなー」


 チラチラチラチラ


(とても愛らしい少女だ……期待に満ちた目でスッゴいチラチラみてくる。異国のシャーマンが着ているような、黒色のローブを着用している……)


「あーぁ、今なら期間限定先着一名でどんな『ぶちゃいく』な女の子でも私のお友だちにしてあげるんだけどなー。誰か声かけてくれないかなー」


 チラチラチラチラ


(そんなに見つめないで! アァ引き寄せられてしまうわっ)見えない糸に手繰り寄せられるように、私は彼女のもとへ歩いた。


「クプププ……やっぱ都会の女の子はチョロいねー♪期間限定でこうもアッサリ釣れるんだから♪」


(かなりタイプな女の子だ……。せっかくだしなにか話してみよう)

「こんばんわ~。お友だち募集しているの? 私でよければ、よろこんでお友だちになりますっ!」


「ありがとうっ! えーっと、敬語は使わなくておーけぃだよ♪」


「おーけぃ! えーっとお名前はなんていうのかな?」


「フ……某、名乗るほどの者ではございません」


 くるくるくるくる……


 彼女の黒のローブが、闇に風をはためかせてその場を回るさまは、カラスが翼を蠢かせているようにおもえた……。


「っていっても……それだと呼び合うときに困っちゃうよね……くらちゃんって呼んでね♪」


「えっとねー私はねー、ゆり子といいますっ♪よろしくね、くらちゃん!」


「くらちゃんはどーしてこんな森の中にいるとおもう~?」


(えーっと? 私は祖母の教えをメモ帳に記していて……連帯保証人の申し出は断る……串カツのタレに二度付けをしない……それから、自分のことを名前で呼ぶ女性を信用しない、とある。この蠱惑的な笑みを浮かべるこの子を信じてよいのか?)


 危機にとらわれた時は、鷹の目理論が身を救ってくれる……私たちは駒だ……澄みきった青空から見おろせば、淡い血痕なのだ。

 しかし。


(人生とは連続したサイコロの出目によって支配されている。それは多くは神の手のひらに転がっているが……、私の直感的にはサイコロは今、くらちゃんが所持しているようにかんじる……)


「ンー? どうしてだろ~。キノコ狩りのシーズンは、終わったよね。なにかなー」


「ふふ~ん♡くらちゃんは迷子なのです~てへ~♡」


「こんなに余裕たっぷりな迷子はいないよっ! じゃあお父さんお母さんとはぐれたの? どこにおうちがあるか、わかる?」


「迷子は迷子でも……人生という砂漠の迷子なのだっ! 道しるべは夜に浮かぶさみしげな月だけ……メソメソ」


(コイツ……就活に失敗した、ちょっとこじらせた大学生みたいなこといい始めた……)

「ンー私は迷子センターではありません。嘘つく子、お姉さんは嫌いだなあ~そのまま遭難者として放っておこうかなー」


「ダメ~っゆり子とお話するのっ! ホラもうすぐ雨がふるよ~。くらちゃんといっしょに雨宿りしましょ~ちこうよれ~♪」


 ローブの余った袖で口元を覆いながら、くぷぷぷ……とくらちゃんは笑っている。その時、私はハッと気づいた! 


「あ、わかった!」


「?」


「くらちゃんがこの森にいる理由だよっ!」


「おお~」


 そうだ……こんな森に幼女がわざわざ入る理由なんて、一つしかない!


「くらちゃんはズバリ……モモンガさんに会いに来たのねっ!」


「モモンガ……ってなにかしら」


(えー嘘、ちがうのっ?! モモンガブームはまだきてないのかな?)


「モモンガをしらないの? えっとねー、モモンガさんはね、手に翼をもっているリスさんみたいな動物でとてもかわいいんだよー」


「……そーなんだ♪じゃあゆり子はそのももんが? をどうして捕まえたいの? ペットにするの? たべるの?」


 モモンガを食用にする文化はこの周辺地域の町にはないはずだけど……。

 この子、とってもかわいいけれどすこしずれているね。やっぱり、どこか遠くの国から来たのかな?


「たべないよ! みてたら癒されるから、それだけだよ!」


「そうなんだ~。くらちゃんの国はけっこう色んな動物食べるから……しょくりょーなん? てやつ……? 勘違いしてゴメンなちゃい♪」


 はわわわ、可愛いわっ!

 くらちゃんは目の横でピースを作り、ウインクした。ウーむ、あざといぜっ! 私の心の壁がもろく決壊する……。

 社会の授業で習ったよね! たしかベルリンの壁も、幼女のほほえみによって破壊されたのだって……っ!

↑ゆり子ちゃんは、社会のテスト万年赤点でした……。


「そっかー。大丈夫だよっ! 机の足でもたべちゃう国とかもあるし、おどろかないよっ! くらちゃんはよその国からきたんだね。その服とかも、国特有の物? ダークな感じでステキ」


「ン? あぁ、この服はね、拾ったの。森に女の子の……おそらく奴隷として運送されていた子の死骸があって、その子から剥ぎ取ったのよ」


(……へーーー、ふーん)


 奴隷が飢え死にするケースはよくある。

 この森は豊かな植生を形成するだけでなく、逃走した奴隷の死体安置場として死肉を分解する役目がある。


 だからね、この森を走って抜けようとしない方がいい……霧により方向感覚を失うし、そこらにころがる死体に足をとられるから。


「……実はね、くらちゃんも奴隷として連れていかれていて……。なんとかね、奴隷の馬車からは抜け出したんだけど、裸で恥ずかしかったから、拝借したの♪」


(迷子というのはやはり嘘みたいね。興味深い。くらちゃんは……奴隷として非常に高価な商品だね……。商人は手痛い落とし物をしたわけだ)


 目をつむると記憶の泉がゆるやかに水を流しはじめる。


 町は雪につつまれ、闇のむこうから、カラララ……と車輪の回る音がする。


 雪のふる寒空の下、ぼろ布をきた子供たちが裸足で歩いている。


 くらやみに包まれた町の壁に、馬の嘶きと威嚇の鞭の音がむなしく響きわたる。


 奴隷たちの小さなすすり泣きの声は、風にもみ消され無くなった……。


 私は高所の部屋の窓から、その一行を見おろしていた……。


 奴隷としてつれてこられる少女は、厳選の終わった個体ばかり。ボーダーを越えられない者は、殺処分になる。残っていた者は精巧に作られたガラス細工のよう……彼女たちにふりつもる雪すらも一種の装飾品にみえる。綺麗すぎる物は、微笑み合う時も、壊れる時も、清らかな調べの音を鳴らすのか……?


(私だって友だちがほしいよ)


「ふぇぇん……だからね、くらちゃんひとりぼっちでさみしぃよぅ……あーぁ、せっかくお友だちになれたんだから、ゆり子ちゃんといっぱいおしゃべりしたいな~♪」


(そう、ひとりぼっちの行く宛のない少女。彼女に必要なものは、羽毛布団のように柔らかな『保護』私が今からさしのべる手は、少女の未来へと伸びている)


「そっかーさみしいのは辛いもんねそれなら私のおうちに来ない? パンダのぬいぐるみのある空き部屋があるよ暖炉もあるよおいしい果物もあるよやさしくするよ」


「えへへへ……♡くらちゃんは、この大きな樹にゾッコンだから離れられないのです~」


 ポツポツポツ……


 周囲の木々がわーっと一瞬鳴いたあと、とうとう、ちいさな雨が空から落ち始めた。

 

 ざーざーざー……


 雨には風も混ざっていた……。

 風が私たちのスカートをゆらしている。


「なんで?」


「ん?」


「どうしてついてこないの? こんなところにいたって雨がふせげないでしょ?」


「ン? くらちゃんはこの木が大切なの……。馬車から逃げ出して、ただ一人の友達だったから? 木のみを落としてくれるから、食べ物には困らないし……。近くにはこんな大きな湖もある♪」


(ひどいホラ話……。木の実だけで餓えをしのぐ? ……馬鹿げている)


「雨ふってきたよ……ゆり子、この木の下にお入り?」


「それなら貝殻を集めない? 湖の畔付近にころがる、青いものがあるでしょ?  四辺が欠けず、光にざらつきなく反射するものがほしくて、……玩具の材料になるの」 


「おもちゃ? あなたの手にあるそれも、おもちゃの一つかしら?」


「……いいえ。これが、あなたには玩具にみえるの?」


「赤くキラキラ光ってる~♪」


「……これはね、首飾りよ! 結婚する花嫁の首もとを彩るのに最適なのっ!」


「くらちゃんも白馬の王子さまと結婚したい~♡」


「でしょ~? さぁさぁ私といっしょに貝殻を集めましょう? 雨が本降りになれば、貝殻は泥に沈んでしまうわ」


「くらちゃん雨に濡れるのやーやーなの」


「くらちゃんが遊んでくれなきゃ私、死んじゃう!」


「死なないで? くらちゃんのテディベアあげるから……」


 ぎりりっ……

 私は拳、それから「首飾り」を強く握りしめた。

 この子は、どこかずれている。というより、頭を神による腐蝕を受けているのか? うまく会話が成り立たない。いっしょに来てほしいのに、なぜか木の側から離れてくれない……。 


 それに……。


 私は「首飾り」を見つめる……。


「おちついて聞きなさい」


「どうしたの、ゆり子」


「くらちゃんはその服をもらった奴隷の死因をよくみたかしら? 心臓を鋭利な刃物で切り裂かれてなかった?」


「?」


「あなたは町ですごしていないから、しらないか……。今、私たちの町には凶悪な殺人鬼が出ていてね、彼女はかわいい女の子を己の快楽のために殺すの。そして、殺した少女の死体をこの森に遺棄するのよ。あなたはきっと、殺された少女の服を手にいれたの」


「ふぁあ、くらちゃんちょっと難しい話苦手なの~それで?」くらちゃんは退屈なのか、あくびをしている……。


「だから、あなたみたいにかわいい女の子が危険なのよ! 『彼女』は今すぐにでも、あなたを殺したいのに」


 くらちゃんはこの血まみれのナイフを見て「玩具」といった。気狂いとしかおもえない……。だが、たとえ気狂いとはいえ、彼女の美しさは「殺人鬼」の私としては見逃すことのできない存在だった。……ひとりの優秀なコックがいたとする。では彼が……めったに手に入れることのできない高級食材を目の前にして、包丁の刃を通さずにいられるか?


(愚問ね)


「ねぇゆり子。すこし矛盾してない~? あなた、この森に女の子一人は危険っていったけど、あなたも一人じゃない」


「……。……。……っ!

 いいいいい、いい子ね、くらちゃん♡

 いい子だから、私のいうことに従いなさい? そうすれば、私の家に案内してあげるから。この森はとても迷いやすいの……。霧も出ているし、あなた一人じゃ心配なの」


「くらんがについていくもーん」


(誰やそいつ、シカトしよ)

「でも私と手を繋いでいけば安心よ! 私、この森のことけっこうくわしいから」


(もういいか、こんな小さな女の子、多少強引でもなんとでもなる)


 私は彼女に一歩近づいた。

 雨が前髪から滴りおちる。

 そちらがこないなら、この「首飾り」であなたの首を赤く彩ってあげる……。


 本当なら、仲良くなって油断しきった顔が、死を目前に、唖然とし、恐怖に変わっていく様がステキなんだけどね……。

 じわじわ殺すのもよかったなー。お漏らししながら助けてママって泣き叫んでいて。

 私の手で死んでいく女の子は、皆、かわいくてステキだった……♡もう病みつきね。

 

 フフ、気狂いの女の子。

 あなたはどんな声で泣くのかしら……。

 頭蓋骨を割れば、神に侵食された脳髄が飛び出てくるのかな。どんな色しているんだろ? ワクワクが止まらない……。


「さぁいこう?」くらちゃんの手に触れたまさにその時。雨にぬれたわけでもないのに、ひどく「冷たい」


 ぷすっ


(ん?)


 首になにかが突き刺さる……。それはくらちゃんの指先から伸びていた


(針だ)


 からん


 ナイフが手からすべりおちた。

 体が麻痺している。


(口……っ!)


 私の人生最期に見た光景は、くらちゃんの首がちぎれ、中から黒色の「ナニカ」が飛び出す光景だった……。


(くらんが……くらんが……ア、


 そういえば聞いたことがある……。

森のどこかに潜んでいるとされる伝説の植物「肉食樹クランガ」

たしか……コイツは触手を人の形にし、獲物である人間を油断させ、誘い込み──)




 一人の少女が大樹の根本にひきずりこまれ、雨が土ぼこりを落としていった。


 落ち着いたあと、少女の形をしたものが、ゆっくりと、大樹の幹によりかかった。


「あーぁ、誰か私とお友だちになってくれないかなー」


 雨がやむと、ドドドと音を鳴らしながら、大樹は少女の形をしたものをひきつれ、移動を開始した。

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触手 ─ふれて─ 木目ソウ @mokumokulog

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