第十七話

 どのくらい、そうしたままで居ただろうか。

 ひどく長い間だったような気もしたけれど、空の様子はそれほど変わっていない。なら、感じていたよりは短い間のことだったのだろう。

「……どうしたんだい?」

 今さらのようにフルエットが問いかけると、ユリオの身体がびくりと震えた。目を見開いたままフルエットを振り返って、大慌てで手を離した。

 頬に残る汗の跡を拭った彼の視線が、さっきまでファルの立っていたはずの場所を見つめる。震えを吐きだすみたいにゆっくりと息を吐き、ユリオは弱弱しく首を振った。

「わかんない」

「わからない?」

「うん。全然わかんないんだけど、ここのところがざわざわして……」

 彼の手が、シャツの胸元をぐっと握り締める。無意識だろうか。その手には、指の関節が白くなるほどの力がこもっていた。シャツの生地が引っ張られ、張り詰めているのがわかる。

 フルエットは、そんな彼の肩を指の背で叩いた。

「手を離したまえ。そのままだとシャツを破いてしまいそうだ」

 そもそもシャツを掴んでいたところから無自覚だったのか、ユリオはちょっと驚いた様子で自分の胸元を見下ろした。離した手を彼は、シャツの袖に擦りつけるように拭う。

「とにかく、ファルのことは――」


「そこのお二方」


 割り込んできた別の声に、二人は振り返った。

 通りの奥、まっすぐ行けばナテール通りのT字路から教会への道へ接続する方から、一人の男がこちらを見ている。黄色の祭服に、小脇に抱えた買い物帰りの紙袋。彼のくすんだ灰色の髪と切れ長の目に、フルエットは見覚えがあった。

 ユリオを拾った翌日、教会で見かけた新顔の神父ではなかったか。

 急に神父と出くわしたせいだろう。隣で身体を強張らせるユリオを庇うように、フルエットはそっと一歩前へ出た。

「神父、どうされました?」

「おや、セリフを取られてしまいましたね」

「……と、言うと?」

「先ほどこちらの方から、女性の叫び声が聞こえたものですから。ですから何事かと思い、駆けつけた次第」

 ですがと神父はフルエットとユリオを交互に見やり、切れ長の目を細めてにこやかに笑った。

「そのご様子ですと、ささいな言い争いだった……といったところでしょうか? 私の手出しなど無用のようですね」

「……ええ、ちょっとした行き違いがありまして。だろう、ユリオくん?」

 振り仰いだフルエットの目に映ったのは、背を向けたユリオの姿だった。次の瞬間にはフルエットは手首を掴まれていて、彼はそのまま有無を言わさず何も言わず、フルエットの手を引いて早足に歩き出した。

「ちょ、ユリオくん!?」

 バランスを崩しそうになりながら視線を戻すと、神父が二人に駆け寄ろうとしていた。誰がどう見たって尋常でない様子だ、当然だろう。フルエットだって、神父を見たくらいでユリオがこんなことをするとは思わなかった。これでは神父に、ひいては教会と関わりたくない理由があると言っているようなものだ。

「お嬢さん!」

「彼、人見知りなものですから! どうかお気になさらず!」

 放っておけば二人を引き離しかねない様子の神父を制して、フルエットは努めて平静な笑顔を向けた。神父にこれ以上関わられると、事態がよくない方向へ転んでいく気しかしない。

「痛っ……!」

 多分、彼も無自覚なのだろう。手首を握る力はさっきよりもさらに強くて、はっきり言って痛い。しかも歩幅の差をまったく気にしない歩調で進んでいくものだから、フルエットはしょっちゅう転びそうになる。そのうえすぐに大通りに出たから、強引に止めるのもはばかられた。これ以上、人目を引きたくはない。

 ひたすら真っすぐに通りを歩き続けるユリオは、道行く人々にぶつかっても無反応だった。もしかしたら、ぶつかったこと自体に気付いていないのかもしれない。ユリオの代わりに謝罪を口にしながら、フルエットは彼の様子を注視する。

 フルエットを掴んでいない方の手が、微かに震えていた。

 何かから逃げるように歩き続ける姿と震える手が、一本の糸で結ばれる。その糸の先には、さっきの神父の顔があった。

 ユリオがその姿を見て恐れを抱き、逃げ出したいと思う誰か。それはいったい何者か、フルエットにはひとつの答えしか思い浮かばなかった。

「……彼が、君たちを?」

 その問いかけは、真実わかりきった答え合わせでしかない。

 イルーニュの空は、少しずつ朱色に染まり始めていた。

 

 店の前に停まったフルエットの二輪のそばを、ルイリは落ち着かない様子でうろうろしていた。

 向こうからやってくるふたつの人影に気付いて、ぱっと表情を輝かせた。

「来た来た! フルエちゃん、どこ行ってたのもー?」

 手を振り振り駆け寄ったルイリは、二人の様子に手を振るのを止めた。うつむきがちに押し黙ったユリオと、心配そうにその一歩後ろをついていくフルエット。どこからどう見ても、何かあったとしか思えない。場違いに思えてきた手をそっと下ろした。

「フルエちゃん……」

 ルイリと目が合うと、フルエットは苦笑を浮かべた。

「遅くなってすまなかった。迷子の相手をしていたら、思ったより時間がかかってしまってね」

「そっか。だからユリくん、なかなか迎えにこなかったんじゃん?」

 それだけではないということは、流石にルイリにもわかる。だけどフルエットが言おうとしないということは、きっと聞くべきではないことなのだろう。

 街から離れた所に一人で暮らすお嬢様と、そんな彼女がある日突然拾ってきた居候。流れ者のルイリがそうだったように、二人はきっとそれぞれに訳アリだ。人に話したくない事情なんて、いくらでもあるはずなのだから。

「すまないね、一日停めさせてもらって」

 サイドカーにユリオを押し込むフルエットに、ルイリはいつものにまぁとした笑みを返す。

「いーってことよ。そうそう、お駄賃はユリくんに渡してあるから」

「ありがとう。ユリオくん、どうだった?」

「すっごく助かったよぉ? あーしと違って、本落っことしたりしないしね」

「……君は落とし過ぎだと思うよ?」

 フルエットはふっと目を細めて笑うと、バイクのシートに腰を下ろした。

「それじゃあ、私たちは行くよ。今日はありがとう」

「うん、じゃーね」

 ひらひらと手を振って、バイクをスタートさせるフルエットを見送る。少しずつスピードを上げていく後ろ姿に、ルイリはいつもより声を張って呼びかける。

「今日はほんとに助かったからさー! 明日でも明後日も、いつでも手伝いにきてよねー! 毎日でもいいよー!」

 長い振袖が風に踊る。後ろ姿のまま、フルエットが軽く手を挙げるのが見えた。

 どんな事情を抱えているにせよ、ルイリは二人のことが気に入っている。店の手伝いが、これからも二人とルイリを繋ぐくさびになってくれたらいいなと思う。

 ふたりの姿が見えなくなった頃、ルイリはあくびをひとつかみ殺して伸びをした。

「あーしもそろそろ店戻ろっかな」

「そこのご婦人」

 他に誰も居ないと思っていた通りに、人影がひとつ。店に用かと振り返れば、そこに立っていたのは一人の神父だった。

 くすんだ灰色の髪に切れ長な目をした、なんとなく胡散臭い顔つきをした男だ。手には空の紙袋を抱えたその男は、黄色の祭服の上から白い上着を羽織っている。教会の関係者において、白は確か狩人にだけ許された色ではなかったか。

「神父様……狩人様が、あーしに何の御用? あーしの店、宗教書はそんなに揃いよくないよぉ?」

「申し訳ありません。書店の客としての来訪ではなく、お尋ねしたいことがありまして」

「お尋ねしたいことぉ?」

 声と表情に露骨なほどの不審を乗せて、ルイリは神父に向けて目をすがめた。何か目をつけられるようなことをしただろうか。イルーニュに落ち着いてからそれなりに経つが、とうとう昔のことでも知られたか。

 あんまりなルイリの態度に、神父は鼻の頭をかいて苦笑する。

「ご婦人自身のことではありません。先ほどご婦人がお話ししていたお二人――少年とフルエット嬢についてです」

「……」

「もともとフルエット嬢は一人で暮らしていたとのことですが、いつ頃からあの少年と一緒に?」

 面倒くさいな、と思った。もしかして自分がこの店に住み着いた時も、リブおじいちゃんに同じくらい面倒くさい思いをさせていたのだろうか? なんにせよ、ルイリの答えはとうに決まっていた。

「そんなこと聞いてどーすんの?」

 狩人は、ただ穏やかに微笑むだけだった。そういえば血狂いとか綽名された人狼が、イルーニュの近くで事件を起こしていたっけ。この狩人は、彼がそうだと疑っているのだろうか。

「狩人様が思ってる通りなら、あーしは今頃こんな呑気に話してないじゃん?」

 せせら笑うようなため息に、大げさにすくめてみせた肩。そんなルイリの様子に、神父は目を伏せてふっと笑った。

「私もそうでなければと思っていますよ」

「……へっ?」

 失礼しますと踵を返して去っていく狩人を、ルイリは首をたっぷり90度近く傾げて見送る。

「……皮肉かぁ?」

 それにしては、ずいぶん真摯な声色だった気がした。

 日が暮れるよりも先に出てきた雲が、空を薄暗く染め始めている。

 

 日が暮れるより先に雲に覆われそうな空の下を、フルエットとユリオを乗せたバイクは走っていく。

 フルエットが横目にサイドカーを見やると、ユリオは相変わらず黙りこくったままでいた。まるで人の形をした岩でも乗せているみたいだった。

「……」

 帰ったらホットチョコを作ってあげよう。それでほんの少しでも、彼の心が落ち着いてくれたらいい。

 そう思いながらユリオへ何度めかわからない一瞥を向けた時、彼と目が合った。藍色の垂れ目が今はひどく落ちくぼんで、深い水底のようだった。目を離せないで居ると、彼がふと口を開く。

「ちゃんと前見ろよ」

「あ、ああ……そうだね」

 陸路で他の街とイルーニュを繋ぐ太い道路を逸れ、脇道に入た。しっかりと整えられた道が、ただ草を刈って表面をならしただけの道へと変わっていく。このまま走り続ければ、そのうち家へ着く。

 しばらくして、サイドカーのシートが軋む気配。

「ちゃんとはまだ、話してなかったよな」

 小さくて強張った声だった。何を、とはフルエットも尋ねなかった。

 フルエットは続きを促さない。ユリオが話そうとしてくれるなら、それでいい。話していなかったことを確認しただけなら、それでもいい。自分がそうであるように、話せること、話したいこと、話したくないことは誰しもいくらもあるものだ。自分やユリオのような存在の場合は、特に。

 ややあって、ユリオはいつかの夜にも聞いた言葉を繰り返す。

「最後は、ぼくとジオだけだった」

 ユリオの声がよく聞こえるように、フルエットはバイクの速度を少し落とした。


 心臓が痛いくらいに激しく鼓動している。気づいた時には、森の中を走っているのは二人だけだった。

 火傷と切り傷、矢を抜いた跡。体中に刻まれた傷の放つ熱が、ユリオの意識をもうろうとさせる。どこへ向かっているのか、向かった先でどうするのか。熱に溶かされた頭では何も考えられなかった。

 くらくらする頭と視界の中でそれでも明確だったのは、目の前の白金色の長い髪を見失わない、見失ってはいけないということだけだった。

 翅を広げる力すら残っていない身体で、恐ろしいほど重く感じる足を引きずって走り続ける。しかし、限界はすぐに訪れた。

 とっさの悲鳴すらあげられない。

 足をもつれさせたユリオは、下草へ派手に顔を突っ込んだ。雨の気配孕んだ草の匂いが鼻腔を急激に満たし、ユリオはたまらずむせる。

 咳きこむユリオの上に影が落ちる。地面に縛り付けられたみたいに重たい頭を持ち上げると、揺れる白金色の髪が目に触れた。ユリオより傷付いているように見えるのに、二本の足でしっかりと立つ姿はふらつくことすらない。ユリオを見つめる淡紅色の瞳は、こんな時でも涼やかさを保っていた。

「ジオ、ごめ……」

「いいから。ほら、立って」

 差し出された手は、鱗に覆われていた。

 ユリオが手を伸ばすと、ジオ――ジオスピザは手を取ってユリオを立ち上がらせた。ユリオよりも少し高い位置からの眼差しが、荒い息を繰り返す彼の身体を上から下までさっと眺めた。辺りを見まわし、ジオは向かって右手側にあった巨木を指差す。

「あそこに隠れるよ」

「で……でも、狩人がまた……」

「いいから。その身体じゃ、もうしばらくは走れないでしょ」

 有無を言わさない調子だった。手を引くどころかユリオを抱え上げ、ジオは強引に彼を巨木の陰まで運ぶ。抵抗できる力は、ユリオにはもう残っていない。

 幹に横たわる格好で寝かされながら、ユリオは熱にうなされたようにうめいた。誰に、何にというでもなく弱弱しく首を振る。

「なんで、みんな……なんで、こんな……」

 頭の中に蘇るのは檻を破壊して、監守の目をかいくぐって、ようやく外に出た直後の光景だ。

 そこに居合わせたのは、くすんだ灰色の髪をした男に率いられた白装束の男たち。「狩人だ」とヒルドが呟くのが聞こえた。ヒルドが狩人に助けを求めた瞬間風切り音がして、聖火を灯した矢が無数に突き刺さっていた。彼は檻を砕いた時に、異類の姿になったままだった。「違う、俺たちは」異類の姿を解いたラムが、けれど丸穴のような牙の残った掌を剣で貫かれた。「ほんとは人間で」消せない大きな耳を手で覆いながら叫んだデスが、銃弾を撃ち込まれた。

 仲間は、あっという間に殺されていった。ジオに手を引かれていなければ、ユリオもすぐにそうなっていただろう。

 そして気付いた時には、ジオ以外の仲間は居なくなっていた。他のみんながいつどうやって死んだのか、ユリオはまったく覚えていない。

 このまま狩人たちに見つかったら、自分たちも死ぬのだろうか。とうに涙の枯れ果てた身体は、恐怖と悲しみでただ震えるばかりだ。

 鋭い目つきで周囲をうかがっていたジオの眼差しが、一瞬遥か彼方を見つめるように遠くなった。そのまま瞳を閉じることしばし、ジオは落ち着いた声で告げた。

「ユリオ、あんたは逃げなさい」

 ジオの言葉の意味が、ユリオにはよくわからなかった。 今まさに一緒に逃げているのに、「逃げなさい」とはどういうことか。ジオの言いたいことがわからなくて、ユリオは彼女の言葉を繰り返した。

「逃げなさい?」

 ジオが目を開ける。その眼差しは不気味なくらいに穏やかで落ち着いていた。仲間が死んだ後、逃走劇の最中だとは思えない表情だった。

「……ジオ?」

 遠くからいくつもの足音が聞こえる。続けて響いた不明瞭な叫びは、狩人たちの怒号だろうか。

「あんたは」

 ジオの傷だらけの手が、ユリオの頬を包み込んだ。温かいその手からは、血と泥と炎の匂いがした。

「あんただけは、まだあっちに行ける」

 ほとんど無意識に、ユリオはジオの手を掴んでいた。人の姿に戻ってもなお彼女の手に残る鱗が、指先にざらついた感触を刻む。何度も唾を呑み込んで、ユリオはようやく口を開いた。

「あっちって、何?」

 ジオは切なげな微笑みを浮かべただけで、何も言わなかった。頬から手を離してユリオの手をどけ、そのままユリオの頭の上に乗せた。髪をぐしゃぐしゃとかき回す手つきは優しくて、なのにユリオはお腹の底が軽くなっていくような、ひどく頼りない気持ちになってしまう。

「これはあたしからのお願い」

 ジオがユリオを抱きしめた。羽の広がる音がしたかと思うと、彼女の肘の辺りから黒く大きな翼が広がった。黒い羽がいくつも舞い散る。鳥の脚みたいになった腕で、ジオはさらに翼ごとユリオを抱きしめた。

 触れ合った胸元から、ジオの鼓動が伝わってくる。何か言わなければならない気がした。お願いを聞いてはいけないと、告げられたらもう二度とは戻れないと、頭の一番深いところが訴えている。

 なのにユリオは、何も言えなかった。言葉にできたのは、「いやだ」という本能的な一言だけだ。

「あんたは生きて。……あっちに行って、あっちで生き続けて」

 その言葉を口にした時、彼女がどんな顔をしていたのかユリオにはわからなかった。

 その時にはもう、ジオは思いきりユリオを突き飛ばしていたからだ。

 内臓の浮くような浮遊感が身体を包む。振り向けば、どこまで落ちるのかわからない下りの斜面が続いていた。さっき周囲を見まわした時、ジオはきっとこれに気付いたのだ。

「待っ――」

 総身に残る力を振り絞って翅を広げようとした次の瞬間、後頭部から額へ衝撃が突き抜け、ユリオの視界に火花が散った。多分、斜面の木々に頭をぶつけたのだと思う。

 意識が途切れる刹那、ユリオが最後に見たのは大きく翼を広げ、太い蛇のような尾を振り立てて飛び立つジオの後姿だった。


 ユリオが語り終えた時には、空はもうほとんど雲に覆われていた。夕焼けが雲の向こうから透けたみたいに、淡い朱色が空に広がっている。

 フルエットはバイクを停めて、サイドカーの上でうずくまるユリオを見た。彼の肩は、いつかの夜の様に震えている。

「……ユリオくん」

 ためらいがちに手を伸ばしたその時、くぐもった声が言った。

「なんでぼくなんだろうな」

 行き場を失くしたフルエットの指先が、空を掴んだ。うずくまって顔を伏せたまま、ユリオは絞りだすみたいに言葉を続ける。

「一番外に戻りたがってたのは、ヒルドだった。あいつはずっとそればっか言って、たまにジオと喧嘩してた」それはまるで、「ラムはちょっとズレてたけど、一生懸命だった。外に戻れたら売って金の足しにするんだって、ジオや他のやつの羽なんか集めたりして」自分の罪を並べ立てる罪人の様な。「デスは昔食べた、名前のわかんないご飯がもういっかい食べたいって言ってた。戻ったら探すんだって」ひとつひとつの想い出が、「ジオは何も言わなかったけど、一番長くあそこに居たはずから。ほんとはヒルドよりも、もっと戻りたかったはずなんだ」罪人に刻む印のように彼の心を焼いている。「ぼくが居なかったら、ジオなら逃げきれたんだ」

 身体をぐったりとシートに沈みこませたユリオの両手が、だらりと垂れ下がる。わずかに顔を上げた彼の瞳は澱んでいて、そこには光も涙もありはしない。

「なのに、ぼくだけがこっちに居る」

 その目には、仲間たちの姿が見えているのだろうか。だとしたら、それはどんな姿だろうか。思い出の中のと同じ姿なのだろうか。

 それとも焼かれ、貫かれ、切り裂かれ、無惨に朽ちた姿なのだろうか。

「きっとみんな、なんでお前だけがって」

「ダメだ」

 フルエットは身を乗り出して、ユリオを抱きしめていた。彼の頭を包み込んで、目を塞ぐように抱きしめる。友の姿が彼を呪うなら、それが見えなくなればいいと願って。

「それ以上はダメだ。……そんな風に思っては」

「でも」

「少なくとも」耳を塞ぐように遮る。「ジオは君に、『生きて』って言ったんだろ」

「ジオはそうだよ、でもほかは……ほかのみんなは……!」

 ユリオは身をよじって、抱きしめるフルエットを引きはがした。顔を背けた彼の首筋は血走るみたい浮き立っていて、喉から溢れた声は荒れてひび割れている。

「ヒルドたちがどう思ってたかなんてお前には、……っ、ぼくにはわかんないだろ!? ジオだって、もしかしたらほんとは……!」

「そうだね」

 あまりにも素直な反応はユリオにも予想外だったのか、虚を突かれた彼が息を呑む。

 その隙にフルエットは、ユリオの頬へと手を滑らせた。少し無理やり振り向かせると、あとちょっとで額が触れ合うくらいに顔を寄せた。

 光も涙も失くした瞳に、今は自分だけが映るように。ありもしない呪いの声ではなくて、自分の声だけが届くように。

「どう思っていたかなんてわからないなら、なおさら勝手に最悪な方へ想像しちゃダメだ。それはただ自分で自分を呪って、傷付けているだけだよ」

 ユリオは何度も口を開きかけて、その度に頬がけいれんして口を閉じるのを繰り返す。せわしなく瞬く瞳でフルエットを凝視して、歯を食いしばった。

「だったら……どうしたらいいんだよ」

 迷子みたいな顔だった。まだ少しひび割れたままの声は、微かに震えている。

 ユリオの目をじっと見つめながら、フルエットはなんでもないことのように告げた。

「言われたことだけ噛みしめればいいさ。『生きて』って、そう言われたんだろう?」

「そう、だけど……でもっ」

 こつん、と。二人の額が不意に触れ合う。面食らったユリオが息を詰まらせるのは構わず、フルエットは不満げに唇を尖らせた。

「それにさ、考えてもみたまえ。君がそうやって自分を呪いながら生きていたら、あの日君を生かした私が酷いヤツみたいじゃないか。そうだろ?」

 口を半開きにしたユリオが、フルエットを見つ返す。じわりと広がる濡れた光が、澱んだ藍を流していった。そのまま光があふれそうになって、ユリオは慌てて手で覆った。押さえきれなかった光が、彼の指を濡らしながら零れていく。

 ふん、と鼻を鳴らしてユリオは呟いた。

「……またお前のためかよ」

 頬に触れていた手を離す。フルエットはおどけたみたく、立てた指をくるくるとまわして笑った。

「ああ、そうさ。私はいつだって私のことしか考えていないのさ。知らなかったかい?」

「……知ってるよ、バカ」 

 西の空の果てに出来た雲の切れ間から、ひときわ眩しい夕焼けが差し込んでいた。

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