第十六話

 日差しの注ぐ通り沿い。新聞売りのスタンドの傍で、フルエットはまとめ買いした新聞に目を通していた。

 ひとつふたつと読み進め、みっつ目の新聞に目を向けたところで、微かに顔をしかめる。

 十名ほどの狩人が、血狂いと思われる異類の手により皆殺しにあった――そんな内容の記事が、一面に大きく出ていたからだ。先日よりもずっと凄惨な事件は、仔細を読んでいるだけでも気分が悪くなってくる。

 一通り目を通したところで、記事の頭に戻る。事件が起きた場所を確認。

「……近づいてるな」

 新聞を畳み、近くのゴミ箱へ放り込んで歩き出す。このままじっとしていると、色々とよくないことを考えてしまいそうだ。ユリオがルイリの手伝いを終えるまで、適当に街を散策して気を紛らわせるとしよう。

 通りの脇を、軽快な音を立てて自転車が走り去っていった。遠くなっていく銀輪を振り返って、そういえばとフルエットは思う。

 これから頻繁にルイリの店を手伝うことになるなら、ユリオにも彼だけの足を用意してあげた方がいいのかもしれない。フルエットとしては送り迎えもやぶさかではないのだが、彼は遠からず「悪いよ」と言いだすのではないかと思っている。

 早速見繕いに行こうかと思ったが、ユリオが居ないと体格に合うかがわからない。また別の機会の方が良さそうだ。

 ふと、すっかり忘れていたことをひとつ思い出した。

「大火記念塔ってどうなっていたっけ?」

 前に入れなかった時は雨漏りの修理ということだったし、もうとっくに終わって開放されている気はするのだけど。

 今のうちに確かめておこうと、フルエットは塔に向かうことを決めた。大丈夫そうだったら、また今度ユリオを連れていってあげよう。

「……独り立ちできるまで、って私が言ったんだけどなあ」

 ユリオがいつまでも居るつもりで物を考えている自分に気付いて、フルエットはため息まじりに頬をかいた。


 結論から言えば、復興塔の閉鎖は解かれていた。というか、つい昨日解かれたらしい。

 久々の開放に詰めかけた人々が作る列を、入口の門の近くで眺めていたフルエットは、復興塔に視線を移した。手庇で陽の光を防ぎながら、そびえる塔を訝し気に見上げる。

「けど、ずい分かかったな」

 雨漏りの修理ひとつに、ひと月近くはかかっていたことになる。そう古い建物でもないのに、そこまでかかるものなのだろうか。

「何か言ったか?」

 独り言を呼びかけと勘違いしたのか、近くに居た門番が振り返る。「いえ」と首を振って、フルエットは門からそっと距離を取った。閉鎖が解かれたことがわかれば、今は十分だ。

 そのまま塔を後にしようとしたフルエットは、塔の敷地と歩道を区切るレンガ塀のそばに、ハンチング帽を被った幼い少女がぽつんと立っていることに気づいた。見るからにみすぼらしい服装で、ひとりぼーっと塔を見上げている。

「君、どうしたんだい?」

 フルエットが少女に声をかけたのは、ユリオが改造された経緯を思い出したからだ。彼を異類の身体にした者がもしまだ健在なら、こういう子にこそ魔手を伸ばすのだろう。

「ふぇ?」

 舌ったらずな声で振り返った少女は、幼くあどけない顔立ちをしていた。蠱惑的な輝きを放つとろんとした紅い垂れ目だけが、少し大人びている。

 少女がこてんと首を傾げる。サイズの合っていなかいハンチングがずり落ちて、ぼさぼさの琥珀の髪が顕わになった。こうして近づいてみると、彼女の服装はボロボロなだけではなくてちぐはぐだった。

 大きすぎるハンチング帽子、主に男子が着るようなベージュのジャケットとくすんだシャツ、腰から下は濃いグレーのスカート。どれもよれよれでくたくたで、ところどころ穴も空いていた。スカートはともかく、ジャケットもシャツもオーバーサイズ気味、しかもジャケットの方が小さいのか、シャツの袖がはみ出している。そのうえ余り袖だ。着られるものをとりあえず着た、という印象である。

「おねえちゃん?」

 まじまじと服装を見つめていたフルエットは、少女の声で我に返った。

「じろじろとすまなかった。君は……」

「ファルカ! ファルでいいよ」

「そういう意味じゃなかったんだが……まあいいか。ファル、君一人かい? お父さんやお母さんは、どこかに居る?」

「ううん。ファル、ずっとひとりだよ」

 表情ひとつ変えずに答えるファルに、フルエットはかえって胸を痛めた。しゃがんでファルに目線の高さを合わせる。

「そうか。……なあ、ファル。このまま一人で居るのは危ないよ。おねえちゃんが、危なくないところへ連れていってあげるから」

 これはこれで人さらいの言葉だなと、フルエットは苦笑を浮かべた。よくわかっていないのか、ファルはきょとんとしている。

 とにかく教会へ連れて行って、ガスパール神父に引き渡そう。あとは神父が良きように取り計らって、孤児院なり救貧院なりへファルを案内してくれるはずだ。

 ファルの手を取って歩き出そうとすると、ぐっとファルの方から手を引かれた。意外なほど力が強くて、フルエットは少しよろめいてしまう。

「ねえねえ、おねえちゃん」

 ファルが頭上を指差した。無論、その先にあるのは大火記念塔だ。

「ファル、あれのぼりたい」

 フルエットは少し思案した末に、希望通りにしてあげることにした。教会へ預けた後は、いつその機会が訪れるかわからないからだ。


 ◆

 その頃、ルイリの店。今日も今日とて薄暗い店内を、ユリオは慌ただしく駆け回っていた。

「ルイリ、この本はここでいいんだっけ?」

「あってるよー。……あ、待って。その本見して」

「え、えっと……これか?」

「そうそれ、三段目に抱えてるやつ。それはあっちの棚だねー」

「わかった!」

 祭の日から数日。ユリオが受け取りを代行したものの他にも、その数日の間に買い取った本が店には溜まっていた。

 目下のところのユリオの仕事は、それらをルイリの指示通りに棚へ並べることだ。

「よし、じゃあ次は――」

「そんなに慌てなくてもいいよぉ? お客さんが待ってるわけでもないじゃん?」

 次の本を取りに奥へ戻ると、机でのんびりしているルイリがそんなことを言う。ちなみに最初ルイリは棚入れの見本を見せようとしたのだが、初っ端から手を滑らせて顔面強打しかけたので、ユリオがお願いして座ってもらったのだった。

「それは……まあ、そうだな」

 ユリオは店内を振り返る。シェード付きのランプがほの暗く照らす店内には、ふたりの他に誰も居ない。もともと、そう客足の多い店ではないのだ。

「でもぼく、お願いして働かせてもらってるんだしさ。あんまゆっくりやるのも、どうなんだろって」

「ユリくんは真面目だねぇ。あーしなんか、お客さん居ないからっ作業ほっぽらかして読書してばっかだったのに」

「それはちゃんと仕事しろよ」

 ユリオが棚の向こうからじとっとした目を向けると、ルイリは「あっはっは」と頭をかいて大笑いした。

 ふと思い立ち、ユリオは作業の手は止めないままルイリに問う。

「そういえばさ、ここって花の本ってあるか?」

「お花? んーと、植物図鑑と野菜の栽培についての本はあったと思うけど、お花の本ってなると今はどうだったかなぁ。でもなんで?」

「あー……いや、さ。自分のお金で、フルエットに……」

 本人に言うわけでもないの、ユリオはもごもごと言いよどむ。するとルイリが代わり続きを口にした。ちょうど棚の影で顔は見えないが、笑っているような気がする。

「プレゼントが買いたいな、って?」

 ユリオの顔がほんのり赤くなる。自分で考えていたことなのに、他人の口から言われると何故か妙に気恥ずかしい。本を棚の空きスペースに置いて、にわかにかいてしまった手汗を拭う。

「な、なんでわかるんだ?」

「フルエットちゃん、お花好きだし。本見て選ぶつもりなのかなぁって?」

 そう言われると、わからない方がおかしい気がしてきた。気恥ずかしさでそわそわするのを紛らわせるように、ユリオは棚入れを再開した。どのみち参考にするものがないのだ、今はこれ以上考えたって仕方がない。


 楽しかったかいとフルエットが問うと、ファルは元気よく頷いてみせた。

 「たのしかった!」

 八重歯を見せて笑う彼女の頭には、もうハンチングは乗っていない。ジャケットも、すっぽりと身体を覆う薄手のコートに変わっている。ボロボロの恰好のまま連れて行くのはさすがにはばかられたから、待ってもらっている間に急いでランバーの店へ行って買ってきたのだった。ハンチングとジャケットは、ついでにそのまま捨てさせてもらった。幸い、ファルも特別思い入れはなさそうだったから。

「よかった。それじゃあ――」

 今度こそ教会へと歩き出した途端、ファルのお腹がくぅと可愛らしい音を立てた。ファルは自分のお腹のあたりを見つめ、それからフルエットを見上げる。

「ファル、おなかすいた!」

「みたいだね。どうするかな……」

 預けさえすれば、教会の方で食事を用意してくれるだろう。しかし小さな子をお腹を空かせたまま歩かせる、というのも気が引けた。

 そういえば、近くにちょうどいいテイクアウェイの店があった気がする。しばらく行く機会はなかったが、まだやっていればいいのだけど。

「よし、わかった。先にご飯にしよう。はぐれるといけないから、手を離すんじゃないよ」

 ファルを連れて向かった先は、記念塔からほど近い脇道にある小さな店だった。くたびれた印象の看板が年季を感じさせるその店は、通りに持ち帰り用の屋台も出していた。イルーニュにまだ不慣れで、店にも入りづらさを感じていた頃のフルエットは、時々ここの屋台でお世話になっていた。

「ジャケット・ポテトをひとつ」

 多少の懐かしさを感じつつ、持ち帰りのジャケット・ポテトを注文する。ポテトに挟むものを聞かれたので、ファルの方を見た。

「ファル、ポテトに挟むものは何が良い?」

 屋台の前面にある絵入りの表を示した途端、ファルはほぼノータイムで叫んだ。

「ファル、ベーコンとハムがいい!」

「そんなに大きな声で言わなくても、大丈夫だよ。ということで、そのふたつを頼む」

「いっぱい入れてね! いーっぱいよ!」

 ファルの元気な様子を微笑ましく見つめながら待つこと少々、ジャケット・ポテトが提供される。焼けた皮の香ばしさや脂の香りに、思わず口元が緩んでしまう。

 フルエットはしゃがんで目線を合わせると、ジャケット・ポテトの包みをファルに差し出した。赤い目は包みに釘付けになっていて、待ちきれないとばかりに鼻がひくひく動いている。

「熱いから気を付けるんだよ。手を離すから、しっかり両手で持つんだ。いいね?」

「うん、ありがと!」

 包みを手にしたファルは、満面の笑みでジャケット・ポテトにかじりついた。ポテトからはみだすベーコンを引きずり出して飲み込むと、ファルの口から満足そうなため息がこぼれる。

 そんな美味しそうに頬張る姿を見ていたら、フルエットも少しお腹が空いてきてしまった。ユリオを送る前に昼は済ませたから、実際そんなに入らないはずなのだけど。ついついメニューを眺めていると、

「ごちそうさま!」

「えっ、もうかい?」

 ファルの手の中の包みは、もう空っぽになっていた。

 口元を油でべたべたにさせたファルは、食べ足りないのかお腹をさする。フルエットはまたしゃがんで目線を合わせると、ハンカチで口を拭ってあげながらぴっと指を立てた。

「食べ過ぎは身体に良くないからね。今はそれで我慢してくれるかい? あと、あまり急いで食べるのも身体に良くないからね」

「はーい」

 わかっているのか、いないのか。元気だけは充分に答えたファルは次の瞬間、フルエットの手を引いて走り出している。

 しゃがんでいたせいで危うく転びそうになりながら、辛うじて持ちこたえるフルエット。しかしファルの力は見た目の幼さからは想像できないほど強く、まったく踏ん張れなかった。やむを得ず立ち上がり、半ば引きずられる恰好でファルの後に続く。

「ファル、どうしたんだい!?」

「ファル、もっと遊びたい!」

 振り返ったファルが、歯を見せて笑う。どこまでも無邪気な笑みの眩しさに、フルエットはそのまま引きずられてしまうのだった。


 そしてフルエットが気付いた頃には、時刻はもう夕方近くになっていた。ほどなくして、空は朱色に染まり始めるだろう。

 ユリオの仕事ももう終わっているはずだから、ファルを教会に預けて迎えに行かなければ。

「ファル、次はあれ見たい!」

 そんなフルエットのことはお構いなし、ファルは通りに停まった人形芝居の車へ彼女を引きずっていく。からくり仕掛けのソレは確か、人形の早変わりで人気なんだとか。なるほど、ファルくらいの子には楽しくて仕方のないものだろう。

「ごめんよ、ファル。そろそろ行かないといけないんだ」

 フルエットが足を踏ん張る。抵抗を感じたのか、ファルは足を止めて振り返った。

「どこに?」

「君は教会へ。それから私は、居候を拾って家に帰らないといけないんだ」

 幸い、今居る通りはナテール通りのひとつ向こうだ。教会は比較的近い。さあ行こうとフルエットが手を引くと、今度はファルが足を踏ん張った。

「やだ」

 唇をとがらせたファルが、いやいやと首を振る。

 なんとか言い聞かせなければと、フルエットはいったん手を引くのを諦めた。ファルに向き直り、その場にしゃがみこむ。

 その時ちょうど大通り側から、ファルの身体を覆うような影が差した。

「こんなとこに居たのか?」

 聞き慣れた声に顔を上げると、ユリオがそこに立っていた。先に仕事を終え、迎えに来ないフルエットを探していたのだろうか。何してるんだと言いたげな顔をしている一方で、少し安堵しているようにも見えた。

「すまない。この子の面倒を見ていたら、こんな時間になってしまってね」

「だぁれ?」

 ファルがユリオの方を振り返った、その次の瞬間だった。

 物凄い勢いで駆け寄ってきたユリオが、ひったくるようにフルエットの手をファルから引きはがしていた。それどころか駆け寄ってきた勢いのまま、数歩後ろに下がらせさえする。彼が手を掴む力はやけに強くて、フルエットは痛みに小さな悲鳴をあげた。

 そして引きはがした勢いのせいだろう。ファルが転んでしまったのが目に入って、フルエットはさすがに抗議の声を上げた。

「酷いじゃないか。ファルが何をしたって言うん、だ……」

 詰め寄る声が萎んでいく。フルエットから見えるユリオの横顔が、ひどく青ざめていたからだ。頬に一筋冷や汗を伝わせ目を見開いて、倒れたファルを凝視している。

「ユリオくん?」

 呟いて、フルエットはファルの方へ向き直る。確かにさっきそこに転んでいたはずの幼い姿は、しかしもう影も形もなくなっていた。

「……ファル?」

 返事はない。はじめから誰もそこに居なかったみたいな空白だけがそこにあって、ユリオの眼差しだけがそこに誰かが居たことを証明していた。

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