第十一話
頭の下がごつごつする硬く不快な感覚で、ゼフィラは目を覚ました。
鬱蒼と茂る木々の天蓋に覆われた空は暗く、星も雲も、月も見えない。辺りは重たく湿った闇に包まれていて、視界の端にちらついた光がなければ、自分が目を開けたのか、開けたとて見えているのかすらわからなかったかもしれない。
光は、小さな焚火だった。パチパチと音を立てるその火の向こうに、誰かが腰かけていた。まだ少しぼやけているうえに、闇に慣れ切っていない目には、ぼんやりした輪郭としてしか認識できない。
「ふるえっと、さま……?」
自分の声が耳に届くと、ゼフィラは唇をむしり取ろうとするかの如く口元を押さえた。まさか、森の中まで探しに来てくれると? そんなわけがない。そんなこと、あっていいはずがない。
声に気づいたのだろう、影が立ち上がる。火のそばをぐるりとまわって歩み寄ってきたのは、ユリオとかいう羽虫男だった。瑠璃色の垂れ目が、少し強張った視線を向けてくる。
その途端、体感で言えば直前までの記憶が蘇る。この男を振り切ろうとしているうちに、車が。
「起きれるか?」
差し出された右手を無視して、ゼフィラは上体を起こす。ここまで転がり落ちる間に何度もぶつけたのだろう、身体の節々が痛む。メイド服もあちこち裂けて、赤い染みが浮かんでいた。
「……っ」
足首の痛みに顔をしかめた。転落した時にくじいてしまったようだ。
「無理に動かない方がいいぞ」
宙ぶらりんになった右手をズボンのポケットにしまったユリオが、小さく鼻を鳴らす。焚火を挟んだ向かい側へ戻っていく彼を、ゼフィラはまばたきもせずに見つめていた。
そのまま座り込む彼から視線は逸らさないまま、懐から取り出したハンカチを地面に敷いた。腰を下ろすと、ハンカチ越しに夜露の冷たさが沁み込んでくる。その不快感に、ゼフィラはハンカチの上でもぞりと身体を揺らした。
膝を抱えながら、先ほど痛んだ足首にそっと触れる。
夜の森、しかもこの足だ。逃げたとて、すぐに追いつかれるだろう。今のところ、このまま様子をうかがう他にできることはない。夜が、肌にまとわりついてくるような気がした。
「よく火を起こせましたね」
「車から一緒に落っこちた荷物の中に、マッチがあった。返すよ」
投げてよこされたマッチの小箱が、そのまま下草の上に軽い音を立てて落ちる。それには目もくれないまま、ゼフィラは焚火越しにユリオを見つめた。半目気味になっているのは、何も焚火が眩しいからではない。
「しかし夜営をするくらいなら、ご自慢の翅で飛び去ればいいでしょうに。……ああ、それとも。近頃の異類は、食事に火を使うのですか? わたくしの肉を、その火で炙るつもりで?」
唇をひん曲げたユリオが、ギリリと音がしそうなくらいに目を細めたのがわかった。小枝を無造作に火の中へ投げ込むと、膝に頬杖をついて首の後ろをかいた。
「お前を抱えて飛んでいけるなら、とっくにそうしてるよ。けど、森の中へ突っ込んだ時にぶつけたせいで、今はうまく飛べない」
「わたくしを抱えて? そのようなこと、誰が頼みましたか?」
軽く肩をすくめて、ハッと吐き捨てるような笑みを浮かべる。いったい、誰が好き好んで異類に抱えられようというのか。
胸の前でぐっと腕組みしたユリオが、顔をうつむける。あるいはそれは、何かを押えつけようとしてうずくまっているようにも見えた。
ややあって、キッとゼフィラを睨みつける。
「ぼくはお前が嫌いだ」
視界には入れつつも決して目を合わせることなく、ゼフィラはごく単調な声を返す。
「そうですか」
そんなことはわかりきっているし、逆もまた然りだ。そんな無意味な言葉をわざわざ口にして、いったい何になるというのか。
ユリオの口から、長く尾を引くため息がひとつこぼれた。
「だけどお前に何かあったら、きっとフルエットはすごく悲しむ。それはヤだから、朝まではぼくが守るよ」
「……はぁ?」
地獄の底から響くような、低い声だった。口さがない同僚相手でさえ、こんな声を出したことはなかったかもしれない。どくとくと耳の中で鼓動の脈打つ音が響いて、その勢いに押し出されるように唇を開く。
「守る? 異類が? わたくしを? ――フルエット様のために?」
どの口が。
白々しいにもほどがあるその言葉に、ゼフィラの身体は熱く固まっていく。その熱が目の前の炎を煽って、恥知らずな異類を焼いてしまえばいいのにと思う。
けれどそうはならないから、ゼフィラは懐を探った。弾はまだ残っているだろうか。そもそも、落としてはいないだろうか。
「信じらんなくて当然だよ。ぼくはこんな身体だし。でも、」
「そもそも」
指先にグリップが触れた。身体全部が炎になったように熱を持つ中で、指先だけが痛いほどに冷たかった。
「お前は思い違いをしています」
「思い違い?」
ユリオが眉間にしわを寄せ、目を細めた。
その間にゼフィラは指先だけを動かして、グリップを握りこむ。
「わたくしがどうなったところで、フルエット様は気になどされませんよ」
勘違いを嘲笑うような調子で口にしたはずの言葉は、思っていたよりも平坦で淡白な声色になった。
けれどもそれが、かえってユリオには真実らしく聞こえたらしい。彼は表情をこわばらせて、視線を上へ下へとさまわよせた。さらには唇を噛んだしかめ面をして、それからようやく怪訝そうな、それでいて底には煮え立つような熱のこもった声を漏らす。
「……お前、それ本気か?」
「本気ですが?」
だって、そうあるべきだ。そうあってほしい。……そうでなければ。
「そ……っ、そんなわけないだろ!?」
瑠璃色の垂れ目を激しくつり上げて、ユリオが立ち上がる。踏み出して焚火に突っ込みそうになって、慌てて後ずさった。両手をぎくしゃくばたつかせて、「だったら!」と声をあげた。
それは夜にこだまするような大声で、ゼフィラはたまらず片耳をおさえた。
彼自身も自分の声の大きさに驚いたのだろう。身体をビクっとさせたユリオは、トーンを調節するように喉を押さえる。それから腰を下ろし、打って変わって低く唸るような声で唇を尖らせた。
「だったら……なんであの時、あいつはぼくを止めたんだよ」
彼を後ろから羽交い絞めにしようとした、細い腕を思い出す。あのままユリオが首を絞めるままに任せてくれていたら、あるいはこの思いを丸ごと断ち切ることだってできたかもしれなかった。けれどフルエットは、そうしなかった。そうしてくれなかった。
「家の中で死体が出ては、後処理に困るからでは?」
「そんなん……!」
ユリオの腰が浮いて、また声が大きくなりかける。しかし不意に中腰の姿勢で止まったユリオは、歯を食いしばって目を伏せた。片足で乱暴に地面を踏みしめると、ゆっくりと座りなおす。
「……そんなんで、あんな辛そうに止めるかよ」
焚火に寄ってきた虫を払い除ける彼の額の血管が、ぴくぴくと震えていた。何かを払い落とすように、彼は小さく首を横に振る。
「そもそも、お前はおかしいんだ」
そんなことは、言われるまでもなくゼフィラ自身がよく理解していた。そうでなければ、あの家を訪れるお役目など、未だに引き受けたままではいない。そうでなければ、とっくに彼女のことなど忘れて、スピエルドルフの屋敷での仕事に専念しているはずだ。
「お前、フルエットが嫌いなんじゃないのか」
一瞬目を閉じ、息を吸い込む。パッと浮かべた笑みは、自分でも驚くほどに清々しかった。だってそうだから。だってそうであるはずだから。だって、そうでなければ。
「ええ、嫌いですよ。当然ではありませんか。あんな殺されても死なないだけではなく異類を誘う死神のような御方、嫌いになるなというのが無理なお話ではありませんか。お前は見た目の可憐さに騙されて、犬として手なずけられているようですが」
言葉を紡ぐたびに、喉がひりつく。指先がじんじんと痺れて、銃のグリップが滑り落ちる。
ユリオが、微かに首を傾げたのがわかった。
「どうしました? ああ、犬と呼ばれたのが不服でしたか? お前は虫のようですから、そのように呼ぶべきだったかもしれませんね。まったく、お前のようなものをあの方はどこから拾って来たのでしょうか。もしかして、お前を連れてご実家に戻ることで、復讐の一つでも行おうというおつもりで、」
「だったらなんで、泣きそうになってたんだ?」
波立つ心に、石ころがひとつ投げ込まれた。
「――はい?」
「ぼくを撃つ前、お前は泣きそうな顔でフルエットと話してた。あの時からおかしいと思ってたんだ。本当にお前がフルエットのことを嫌いなんだったら、あんな顔しないし、あんなこと言わないだろ」
鼻で笑おうとして、引きつった喉からは掠れた音しか出なかった。見間違いだ。聞き間違いだ。あるいは、演技だ。なんでもいいからまくしたてようとした言葉は、片っ端から喉につかえて言葉にならない。さあっと音を立てて流れる血の音が、焚火のはじける音や葉鳴りの音をかき消していく。
石ころの起こした波紋に波がかき消されて、空の様に凪いだ心の水面にあの時の自分が映る。断ち切れないまま引きずってきたものがあふれ出た、未練がましくてしかたない自分の姿が。
隠した傷が疼くように痛んで、ゼフィラは左の前髪をかきむしるようにおさえる。右目が熱を帯びて、視界が潤む。その熱があふれ出してしまう前に、ゼフィラは右目も塞いでしまった。
「お、おい……?」
真っ暗闇になった視界の中で、ユリオの声が近づいてくる。少しでも遠ざけようと、ゼフィラが目を塞いだまま身をよじったその時、
「伏せろ!」
鋭く険しい声が鼓膜を刺した。
伏せるどころか身体を強張らせたゼフィラは、次の瞬間頭を押えつけられた
ねばつく冷たい汗が、ぶわっと背筋を濡らす。押えつける手の感触はすぐに離れたが、その拍子につんのめった身体が、そのまま下草の上に倒れ込んだ。鼻腔いっぱいに広がった草の匂いにむせそうになると同時に、くじいた足が鈍い痛みを訴える。心臓が耳元に移動したみたいに、鼓動が速くうるさく響いている。
目を塞いだ手をようやく退けて、足の痛みをこらえながらなんとか身体を起こして振り返った。
「なにを、して?」
我知らず漏れた声は、情けなくなるくらいに上ずっていた。目の前の光景が信じられず、目をこらす。
だって、そんな。まさか。あり得ない。ユリオが――異類が。
まるで自分を護ろうとするみたいに、片翼のフクロウのような姿の異類と向き合っていた。淡緑色のハサミが、フクロウの脚の爪を受け止めているのが焚火の灯りで辛うじて見える。
ユリオが素早く身を捻ると、バキリと音を立てて爪が折れた。ユリオが左腕を返す動きをしたかと思うと、ハサミが触れてもないのにフクロウが悲鳴をあげる。
爪だ。
先ほどへし折った爪と思しきものが、フクロウの顔面に突き刺さっている。今の動きは、折った爪を投げつけるためのものだったのだ。
続けて、鋭い切断音。片方だけの翼が半ばほど切り裂かれ、鮮血がほとばしった。
あふれかえる鉄臭さに吐き気がこみあげ、ゼフィラはうずくまる。口元をおさえてえづく彼女の耳に、遠のいていく羽ばたきが聞こえた。
「待っ――、じゃない!」
草を踏む音が近づいてくる。血の臭いが少し強くなって、意思とは無関係に身体が強張る。錆び付いたネジみたいな動きで顔をあげると、鮮血をしたたらせたユリオの左手が目に入った。
既にハサミではなくなっているが、それ故に血の赤が引き立つその様に背筋が粟立つ。
次の瞬間にも再び変化したソレが振りかざされる気がして、左手で口元を押さえたまま右手で懐を探る。
「だいじょ……っ」
はっとしたユリオが、左手を後ろに払って血を振り落とした。それから、血のついていない右手の方を差し出す。
「大丈夫か?」
顔を覗き込むように身を屈めて、ユリオが問いかけてくる。眉を落として見つめる視線は、図体の大きな犬が飼い主に擦り寄ってくる時みたいだった。屋敷で飼われている犬がアンジェリカに寄り添う時、こんな雰囲気を漂わせていたような気がする。
差し出された手は取らないまま、ゼフィラは両手をついて起き上がった。手のひらについた土と草を払いながら、ハンカチの上に座りなおす。目を塞いだ時の名残の雫は、気づかれる前にぬぐい取った。
「……平気です。誰かさんに突き飛ばされたせいで、少しぶつけましたが」
「ご、ごめん。慌てて……」
しゅんとうつむいて、バツが悪そうに右手で頬をかくユリオ。叱られた子供みたいな彼の反応に、ゼフィラは目をすがめた。
まだ激しく脈打つ鼓動に、身体が揺れているような錯覚を覚える。そのせいで思考までがぐらつくようで、たった今目の前で起きたことを飲み込みきれないでいる。目を塞いでいる間に起きた、というせいもあるのだろう。
ひとつはっきりしているのは、ユリオが確かにゼフィラを守ったということだけだ。
ユリオから目を離さないようにしつつ、まだうるさい鼓動を黙らせるように胸元を押さえながら問う。
「何故、わたくしを助けるような真似を?」
「理由なら、さっき言ったろ」
ゼフィラの頭のてっぺんからつま先まで、ユリオは繰り返し視線を行き来させた。不躾な視線に、ゼフィラは自分の身体を抱きしめるようにする。小さく鼻を鳴らして、今度は両目を細めて彼を睨んだ。
するとユリオは、バツの悪そうな顔をして目を逸らした。首筋を指でかきながら、
「わ、悪い。ホントにケガないかと思って」
「ここまで落ちてきた時点で、傷だらけだったのです。少し傷が増えたところで、わかるものですか」
「それはそうかもだけど……っ」
ユリオが小さく息を呑んだのがわかった。その視線は、ゼフィラの左目のあたりに向けられている。
彼が何かを言う前に、ゼフィラは素早く左の前髪を手櫛で整えた。倒れた拍子に前髪が乱れて、傷が見えてしまっていたのだろう。
「……まあ、大丈夫そうならよかったよ」
大きく息を吐きだして、ユリオは焚火の向かいに戻る。
左右の三つ編みに絡まった草を払い落としながら、ゼフィラは座り込んだ彼に問いかけた。
「よくもまあ、フルエット様にそこまで忠実になれるものですね。数日前に出会ったばかりの分際で」
ふとユリオが拾いあげた枝は、そのまま火にくべるには少し長い。真ん中からへし折って投げ込みながら、彼は答えた。
「助けてもらったから」
その声の穏やかさが、ささくれのようにゼフィラの胸を細かく刺す。
「……そんなバカな話がありますか。いくらフルエット様とはいえ、異類を助けるなど」
胸を刺す痛みを乗せたような、棘のある声だった。フルエットが、異類を助けた? 彼女の人生を蝕んだ害悪そのものである異類を、他ならない彼女が? そんなこと、あるわけがない。だけど、ならばどうして彼はフルエットのためと言って、確かにゼフィラを守ったのか。いや、仮にフルエットが助けたというのが事実だとして、異類が人間のために何かするなどあり得るのだろうか? そもそも、何故フルエットは異類を助けたのか?
険しい顔で唇を結んでいると、ユリオは「だよな」と苦笑いを浮かべた。虚を突かれたゼフィラに、森の天蓋を仰ぐようにしながら彼は言う。
「うん。バカな話だよな。でも、あいつはそうしたんだ。今まで見てきた異類とぼくが、ちょっと違ってたからってさ」
これから相手を食おうという時でもないのに、異類の身体を一部とはいえ自分から晒したこと。この他の誰の目もない状況で、狩りのために利用しているというわけでもないのに、ゼフィラに襲いかかる素振りすら見せないこと。
守ったことを別にしても、確かにユリオには、ゼフィラも知っている異類とは違う点がある。
「……それでも、お前は異類です」
助けるまでは百歩、いや一万歩ばかりゆずって良しとしたとして。いやしたくはないが、とにかく今はそう思うとして。
フルエットがその後も傍に置こうとすることなど、あり得ないはずだ。すべて異類は、血の娘たる彼女の血肉を貪ろうとする存在で。よしんば助けたその時は大人しくしていたとしても、その後でいつ本性を現して牙を剥くかもわからない。
「なのに、何故フルエット様は」
そこでゼフィラが思い出したのは、ユリオがハサミを見せる寸前に口にした言葉だった。
同類、と。彼はそう言ってはいなかったか。
思い出した途端、カッと頭が熱を持ち、胸がむかむかとして仕方なくなる。異類が、フルエットと同類だなどと。
「ゼフィ?」
「……っ」
こみあげるものを沈めるように、軽く額を小突いた。不快感に身を焼くよりも、今はあの言葉の真意を探るべきだ。
これまで目にしてきた異類との違いに興味を抱いて、彼を助けた。それだけに留まらず傍に置くことを選んだことには、おそらくその、同類という言葉が関わっている。
「フルエット様と同類だと、お前は確かそう言っていましたね。異類のお前が、何故あの方と同類だと?」
ユリオが拳を握り締めるのがわかった。そのまま軽く肩をまわして唇を引き結んだ彼は、左腕をハサミへと変化させた。
「ぼくは今、こんな身体だけど」
元に戻して、焚火越しにゼフィラを見つめる。
「もとは人間なんだ」
「は」
「でも、異類の身体にされて。それで――」
「ちょっ、ちょっと。ちょっと待ちなさい!」
言葉を続けようとしたユリオを、ゼフィラは手と声で制した。
「お前がもとは人間だなどと、そのようなことがあるはずないでしょう!? お前は人狼のように、人に変化できるだけの異類です。そうに決まっています。人間であるはずがありません! 人間が異類にされるなどと、そのようなことあり得るはずが……!」
吐き気にも似た喉のひりつきに任せてまくしたてると、ユリオは目を瞬かせた。そのまま顔をうつむけると、含み笑いに肩を揺らす。
その姿に、ゼフィラは背筋がぞわぞわとする感覚と共に後ろへ身を引いた。ともすれば、今にも彼が飛びかかってくるのではないかと身構えながら。無意識に動かそうとした足首は、まだ痛みを訴えている。
ようやく顔を上げた彼は、どこか困ったような笑みを浮かべていた。
「そうだよなぁ。そう思うよなぁ、普通」
「……はい?」
さすがにそんな反応は予想していなくて、ゼフィラは身を引いたままユリオを凝視した。図星を突かれた怒りや、嘘を暴かれた諦めや、そういうのとは違う表情をかれはしていた。彼自身もゼフィラの言葉に同意していて、だからこそ戸惑っているような。そんな顔で頬をかきながら、彼は言葉を続けた。
「でも、フルエットは信じた。信じてくれたんだ。自分みたいなのが居るんだから、異類にされた人間が居てもおかしくないって」
その声は、少し涙ぐんでいる。
フルエットがどんな思いでそう口にしたのかを考えると、ゼフィラは胸が締め付けられるようだった。望んで得たわけでもない内なる異形を受け入れながら、別の異形を認めて受け止める。どうして彼女は、そんな風に居られるのか。
「同類っていうのは、フルエットが言ったんだ」
「フルエット様が?」
「うん。あいつもぼくも、人間だけど人間じゃない部分を持ってるから、っていうことなんだと思う。多分」
けど、と。ユリオは握り締めた拳を見つめた。
「ぼくはフルエットみたいに、異類から襲われたりしないから。ぼくがこれ言うと、あいつに悪い気がするけど」
それから彼は目元を手で覆って、目尻のあたりをぐりぐりとやった。やがて「とにかく」と手をどけた彼は、はにかんだ笑みを浮かべていた。
「あいつはぼくを助けてくれたし、信じてくれた。だから、恩返しがしたいんだ」
「……そうですか」
胸が燃えるように熱い。絞り出した声は、その熱で乾いたように掠れていた。
ゼフィラを遠ざけた主が、あえて傍に置くと決めたのだ。ユリオは確かに、彼自身が言うような存在なのだろう。少なくとも、フルエットがそう考えるに足るだけの何かがあったのだろう。
きっと望んだはずもない存在への変化、だけどそれ故に彼は"そこ"に居ることができる。そのことを思うと、ゼフィラの胸はどうしても軋む。
いつのまにか、左手が前髪をかきむしるように押さえている。
「お前さ」
そんなゼフィラを見つめるユリオの声は、何故だかひどく柔らかい。
「やっぱり、フルエットのこと嫌いじゃないよな?」
しばらく、虫の音と火が弾ける音だけがそこにあった。左目がズキズキと痛みを訴え、おさえる手に力がこもる。それから不意に、左手から力が抜けた。前髪から顔へ、顔から胸元へ、ずるりと滑り落ちていく。汚れた赤毛が、傷口からこぼれる血のように足元へ落ちた。
引きずられるように視線が下を向いて、まだ痛む足を見る。目の前の彼とは違う、普通の人間の身体。
「嫌いになれたら、良かったのですけどね」
そうでなかったら、こんなことを思わずに済んだのかもしれない。
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