第七話

 ランバーの店を出たフルエットは、ユリオに告げた通り教会へと向かった。

 店のある通りをそのまま奥へ進み、T字路に出たところで左へ折れてやはり真っすぐ。途中で水路を越えてもう少し進んだ先、道が石畳から剥き出しの白土となった辺りで、白亜の鐘塔が見えてきた。

 この街の教会は、黒い石壁で俗世とは区切られている。年月が風雨の跡となって刻みこまれた石壁に、埋め込まれるような形で据えられた門をくぐる。空気が少し冷えたように感じて背筋が伸びるのは、フルエットが血の娘だからだろうか。

 門を抜けてすぐ目と鼻の先には、白い石造りの教会堂がある。記念塔の完成と前後して立て直されたソレは、石壁とは違って真新しい清廉な白をしている。入口に掲げられた波打つ十字も、灯されたばかりの火のようにまっさらだ。

 しかし、用があるのは教会堂にではない。

 目的の人物を探しに行こうとすると、どこからか「ギッ」と木の軋む音がした。振り返ると、木箱を積んだ荷車を引く神父の姿があった。くすんだ灰色の髪に、切れ長の目。見ない顔だが、最近派遣されてきたのだろうか。

 神父の方もフルエットに気づき、荷車を引く手を止めて声をかけてくる。

「お嬢さん、どうされました?」

「あの、ガスパール神父は今どこに?」

「ああ、彼ならさっき中庭に居ましたよ。ニガヨモギに水やりをしているところだったかと」

「そうですか、ありがとうございます」

 ぺこりと頭を下げて、フルエットは中庭の方へと向かった。

 

 さんさんと日光の降り注ぐ中庭の隅に、ニガヨモギの小さな畑がある。ブリキのじょうろでそこに水を撒くのは、祭服姿の小柄な老人だ。

 終わるまで待つつもりでフルエットが立ち止まると、神父は水やりの手を止めて振り返った。彼女の姿を認めると、老人は鉤鼻の目立つ顔に柔和な笑みを浮かべる。

「スピエルドルフさん、ようこそお出でになりましたね」

「ご無沙汰しています、ガスパール神父」

「水やりをしながらでも?」

「ええ、もちろん」

 ガスパール神父は畑に向き直り、水やりを再開した。じょうろを左右にゆっくりと振って水を撒きながら、神父が問う。

「また、異類が出ましたか」

「先日、フクロウが一匹。他の異類と争ったのか、片翼が切断されていました。追う際の手がかりになるかと」

 ユリオに関わる部分はごまかして、あの夜のフクロウの異類のことを伝える。死なないだけで異類を撃退する力を持たず、異類除けの香も使えない彼女は、襲われるたびにこうして教会へ報告に来ていた。そうして教会の狩人――異類狩りの聖職者たちを派遣してもらい、狩ってもらう。それが、彼女にできる身の守り方だった。

「ここしばらくは落ち着いていたようでしたが……残念です。貴女も災難でしたね」

 じょうろの水の勢いが弱まっていく。やがて雫がぽたりぽたりと落ちてそれっきりになるのを、神父は眺めていた。

「以前にもお聞きしましたが、街へ移り住むおつもりはないのですか? 教会の過去の記録と比べてすら類を見ないほど、貴女は異類を引き付けやすい。いつまでも香頼りというのは、不安ではないですか?」

「私のようなものが街で暮らしては、迷惑でしょうから」

 もう何度目かになる神父の提案に、フルエットは笑って首を振った。血の娘であることは、もちろん伝えていない。しかし異類を引き付けやすい性質であることだけは、スピエルドルフ家から教会へと申告が行われていた。幸いと言っていいものか、ただ単に引き付けやすいというだけなら過去にも例はあった。もっとも神父の言う通り、フルエットの遭遇しやすさは比較にならないほどなのだが。

「ああ、そうでした。以前お渡しした香が、そろそろなくなる頃でしょう。新しいものをご用意しますから、持っていってください」

「感謝します」

「すぐに持ってきますから、少しお待ちください」

 空になったじょうろを畑の脇の木製ラックに片付けると、ガスパール神父は教会堂の方へ向かった。しかし、ふと立ち止まって振り返る。

「その間に、たまには礼拝もいかがですかな」

「せっかくですが……」

 余所行きの曖昧な笑みを浮かべて、フルエットは提案をそっと辞退した。教会堂の中は、異類除けの香の臭いがいつも漂っている。フルエットにとっては、入るだけでも拷問のような場所だ。

 神父は残念そうに目を伏せると、そのまま教会堂へと入っていった。

 待っている間、フルエットは畑のニガヨモギを眺めていた。この畑自体はガスパール神父が個人的に育てているものだが、どこの教会にも必ずひとつは教会所有のニガヨモギ畑があるらしい。なにせ異類除けの香の原料になるのだ、どれだけあっても困ることはない。

「……嫌になるな」

 ため息をつく。

 フルエットは、ニガヨモギが嫌いだった。より正確には、ニガヨモギを使って作られる香の臭いが。

 普通の人間ならば、せいぜい「嫌いな臭いに感じる」くらいのものだ。しかし彼女の場合、臭いがしただけで目まいはするし頭は痛むし、息苦しくなったあげく、ひどいと熱すら出る。身体が香を受け付けないのだ。だから彼女は、異類除けの香を使えなかった。今の家で暮らし始めた頃には、そのせいで悲劇が起きたことすらあった。

 あるいはこれも血の娘という、人であって人を外れた存在であるせいなのだろうか。

 そんなことをぼんやり考えていると、「お待たせしました」と声がかかる。渡された紙袋には、香にくわえて香を練り込んだキャンドルがたっぷりと入っていた。開いた口から、微かに臭いが漂ってくる。

 顔をしかめたくなるのをこらえて作り笑いを浮かべるのも、もう慣れたものだった。本当ならば受け取りたくもないが、それは流石に不自然に思われる。だから、受け取ったうえで死蔵しておくしかない。

「ありがとうございます、神父様」

「いえいえ。貴女の身を護るお役に立てば何よりです。……ああ、そういえば」

「どうされました?」

 神父は浮かべていた微笑みを消し、重たい鼻息と一緒に眉根を寄せた。眉をひそめたフルエットに、重々しい声で囁くように告げる。

「先日、ヴィヨンヌ近くの森で複数の異類が廃墟に住み着いていたのが発見されたそうです」

「群れ、ということですか? 人狼のような?」

「いえ。種類は鳥にヒルに、虫にヤツメウナギ……群れにしては不自然なほど、種類はバラバラだったそうで」

 フルエットは、かすかに目を見開く。

 

 ――年や種類はバラバラだったけど、みんなぼくと同じだった。

 

 一昨日の晩、ユリオがホットチョコを飲みながらこぼした言葉が、脳裏をよぎったからだ。特に虫の異類が居たというのが、あまりにもユリオを想起させる。彼と仲間たちが何処に居たのかまでは聞いていないが、あるいは――?

 頭のてっぺんがチクチクするのを感じながら、不自然にならないように神父に質問する。

「その異類たちは、狩人に?」

「ええ。ですが一匹……虫の異類だけが、狩人たちの手を逃れて今なお逃走中ということだそうです」

 無意識に握り締めてしまった紙袋が、腕の中で音を立てる。

「見失うまでに捕捉していたルートから考えると、イルーニュ近辺にたどり着いていてもおかしくないのだとか」

 フルエットの顔から血の気が引いて、喉がぎゅっと締め付けられる気がした。間違いない。その未だに逃走中の虫の異類とは、ユリオのことだ。

 フルエットの顔が青ざめさせたのに気づいて、ガスパール神父が今さらのように笑みを浮かべる。逃げた異類に襲われる不安に怯えている、とでも考えたのだろう。人を元気づけようとするための、少しわざとらしいくらいにゆったりとした笑顔だった。皺だらけのごつごつとした手が、そっと十字を切る。

「ご心配なく。その異類を見つけ出そうと、狩人たちが今も動いておりますから。遠からず、その虫の異類も狩りだされることでしょう」

「ええ。一刻も早くそうなることを祈っています」

 喉につまった目には見えない塊を飲みこんで、フルエットは青ざめた顔に笑みを貼り付けた。

 ……ユリオの逃走劇は、まだ終わってはいなかったのだ。

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