三話

 ――さて。

 彼をこの家に置くとなれば、まずやらなければならないことがある。

「ユリオくん、採寸をさせてくれないか?」

「なんでだ?」

 不思議そうな顔で首を傾げるユリオ。その様子にフルエットは、腕組みしながら目を細めた。ユリオを横目に見上げる。

「なんでって、君。その場のしのぎに作っただけの継ぎはぎ一枚で、これからずっと過ごさせるわけにはいかないだろう?」

「ぼくは別にこれでいいけど」

 襟をつまんで答える彼は、何の疑問も頂いていないようで。それ故に、フルエットはひどく顔をしかめた。急場しのぎの継ぎはぎとは言え、昨夜彼が着ていた、いや被っていたあのぼろに比べれば、確かに着心地は遥かに良いだろう。

 だから、本当に「これでいい」と思っているのだろう。この少年は、あのぼろに慣れてしまっているから。慣れざるを得なかったのだろうから。

 だからといって、はいそうですかと納得するわけには当然いかない。

「馬鹿なことを言うんじゃ――」

 フルエットはめいっぱい手を伸ばし、

「ないよっ!」

 指先で彼をの額を気持ち強めにつついた。

「――っとと!」

 しかし思いのほかユリオの身体は揺るがず、むしろ反動でフルエットがよろめく羽目になった。

「大丈夫か?」

 手をつかまれて踏みとどまって、それからフルエットは何事もなかったような顔をして言葉を続ける。

「君はこれからこの家で暮らすんだ。服だってきちんとしなきゃ、あのぼろを被っていた時と変わらなくなってしまうだろう? それに私が、君を虐げてるみたいじゃあないか」

 そして、何より。ぴっと立てた指を、ユリオの鼻先につきつける。

「そんな急場しのぎの継ぎはぎで満足されては、私の沽券にかかわるんだ。というわけで、黙って採寸されるんだ。いいね?」

「わ、わかった」

 少々たじろぎながらうなずくユリオを見て、ならばよろしいとフルエットはうなずいた。

 すぐにミシン部屋から巻尺を取ってくると、そのまま採寸を始める。一緒に取ってきた紙の切れ端に、万年筆で数字を記録していく。そうして一通り採寸し終えた後、記録を見返したフルエットはパチンと指を鳴らした。

「ああ、このサイズなら丁度あるじゃないか」

「なんで?」

 疑問の声はひとまず無視。ユリオの手を引いて、ダイニングから廊下を挟んで向かいにある暖炉の小部屋へ。壁から壁へわたした紐にぶらさげた服を確かめていく。青と白のストライプのワンピース、これは違う。花柄のブラウス、これも違う。ブラウンのシャツ、これは大きすぎる。黒のズボン、これは腰回りが太すぎる。そうやっていくうちに、採寸の結果に近い寸法のものが見つかった。淡い灰色のシャツに、薄青のズボンの上下一式だ。

「シャツは必要なら袖をまくってくれ。ズボンも裾が余るようなら、裾上げするから言ってほしい」

 まとめてユリオの胸に押し付ける。口を半開きにして部屋中にぶらさがった服を眺めていた彼が、はっと我に返った。

「え、ああ。悪い」

 服を受け取ったユリオの視線が腕の中の服を、ぶらさがった服の数々を、それからフルエットを順々に、そして繰り返し何度も見やる。それからしばし明後日の方を見つめた後、おもむろに口を開いた。

「これも、このいっぱいぶらさがってるのも、ぜんぶおまえが?」

「その通り。ここにある服は全て私が作ったものさ」

 舞台の上を紹介するような司会者のような調子で手を広げ、フルエットは部屋の中の服を示す。ユリオに押し付けたものを入れて、ざっと十数着。すべてフルエットの手製の品である。「すげえ」とユリオが漏らすのが聞こえて、フルエットはふふんと小さく鼻を鳴らした。

 シャツを掲げるように持ったユリオが、その脇から顔を出す。シャツとフルエットを見比べて、

「でも、なんでこんなの作ってあるんだ? おまえには大きすぎるだろ」

「そりゃあ君、私が着るためのものじゃないからね」

「どういうことだ?」

 怪訝な顔をするユリオ。フルエットは、部屋の隅に置かれた大きなトランクへ目を向けながら答える。作った服を運ぶのに、いつも使っているトランクだ。

「売り物さ。作った服を、街の服屋に買い取ってもらってるんだよ。この評判が割合に良くてね」

 最初に持ち込んで以来、こうして今に至るまで買い取ってもらえている。嗜みとして母とゼフィに叩きこまれた裁縫だったが、幸いフルエットには多少の才があったらしい。おまけに本人の性にもあっていたのか、作業はおおむね楽しいのだから言うことなしだ。

 さらに言えば、異類を誘う血の故にあまり街に長居したくない身としては、買い取り以外は家で済ませられるのは非常に大きな利点だった。

「……そっか。おまえ、働いてんだな」

 シャツを巻いて抱えながら、ユリオがもごもとつぶやいて唇を噛む。そんな彼に、フルエットは暖炉前に安楽椅子と並んだソファの背から、一本のベルトを手に取って渡した。ズボンの腰回りの具合を確認するために街で買った既製品だ。

「ま、仕送りもいつ打ち切られるかわからないしね。日々の糧を得られるようになっておいて、困ることはない」

 いざ打ち切られてからでは遅いのだ。それに他にやるべきこともなかった、というのもある。

「っと。……ぼくも見つけなきゃな」

 服を抱えなおして、ユリオがつぶやく。

「働きに出たいのかい?」

 フルエットが首を傾げて見上げると、ユリオは顔をしかめた。腕の間から落ちそうになったベルトをつかんで肩にかけ、バリバリと頭をかく。

「そりゃそうだろ。何から何までおまえの世話になりっぱなしじゃ、ほんとにおまえに飼われてるみたいじゃないか」

 ゼフィの言葉を思い出したのだろうか。目を逸らして、少し低く、固い印象の声でユリオは言う。

「それは嫌だ。それに、それじゃお前に助けられてばっかりだ」

「……そう思ってくれるのは嬉しいけどね」

 フルエットは、ふっと小さく息を吐く。彼のこういう、恩に報ようとする姿勢は好ましく感じる。だけど、同時にこうも考えるのだ。

 親を亡くし、家をなくし、人としての身体さえ奪われた。それ故に彼は、得たものに対して直ちに報いなければならないと思っているのではないか。そうしなければ、取り上げられてまた失うと思っているのではないか。

 放逐された後ですら与えられてばかりのフルエットは、それを否定できる言葉を持たない。口にしたところで、恵まれた者の戯言でしかない。

「君がまずするべきことは、これからの暮らしと、街に慣れることだ。働き口を見つけるのは、その後でいいさ」

 だからこうして、猶予を重ねて。必ずしもそうではないのだと、彼が自分でそう思えるようになればいいと思う。

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