Ⅱ/もう誰にも

 甘く爽やかな香りに鼻をくすぐられ、少年は目を覚ました。

 やけにすっきりした頭で、首だけ動かして香りを追いかける。小さなテーブルのうえに、紫の花が一輪あった。テーブルの後ろには真っ白な壁と、どっしりとしたクローゼット。

 それから今さらのように、ふかふかとした感触に包まれていることに気づいた。それと、隣にベッドがあることに。

 少年は床に寝かされていた。転がされていたわけではなく、下には毛布が敷かれているし、コンフォーターまで掛けられている。

 上体を起こそうとして、柔らかい肌合いに気づいた。ぼんやりとした視線を自分の身体に向けると、まっさらな無地の服を上下一そろい着せられていた。袋に穴を空けただけのような、服とも呼びがたい代物とは雲泥の差の着心地だった。

 いったい、いつ着替えたのか。そもそも自分は、何故こんなところに寝かされているのか。

 何があったかを思い出そうとした時、血と、炎と、泥の臭いが脳裏によみがえった。しないはずの臭いが火花となって、記憶に火を着ける。

 視界を焼く白い炎。追いかけてくる白装束。それを率いる灰色の髪。足音が迫る黄昏時の森。動かなくなった仲間。突き落とされた痛み。目を覚ました時の冷たさ。どこまでいっても晴れない闇。

 空に雲がかかったのか、少年の周囲に影が落ちた。影に熱を奪われるかのように、温まった身体が冷えていく。森の中を走り続けていた時のように鼓動が激しくなり、喉が詰まったように息苦しくなる。口元が、ギチギチと音を立てる。

 狭まった視界が、素早く小刻みに部屋の中を這いまわった。

 扉があった。少年から見て右斜め前に、ぴったりと閉められた木製の扉が。その扉に据えられた金属製のドアノブに、少年の視線が釘付けになる。

 ドアノブが、ゆっくりと回っていた。

 ぎぃ。

 扉のきしむ音がした時には、少年は獣のように身構えていた。

 そして扉が開いた瞬間、その隙間に見えた人影目がけて飛びかかっている。

「おおっと!?」

 人影は、びっくりするくらい軽くて細かった。勢いだけでほとんど抵抗なく押し倒せてしまった人影に、そのまま馬乗りになる。投げ出された人影の腕を、両手で抑えつけた。

「おまえ、かりゅ――……」

 床の上に広がる紫の髪を目にした瞬間、言葉はそこに絡まったみたいに消えていった。

 二本ずつの三つ編みと、ロールヘアに整えられた長い髪。真っ白な肌とブラウスを包む、肩落としの黒いドレス。きりっとしたツリ目に縁どられた、はちみつ色の瞳。

 そんな少女の姿に、血に染まった光景が一瞬重なる。腕を抑えつける手から力が抜けた。

 しかし少女は、抵抗する素振りひとつ見せなかった。

「おはよう、と言ってももう昼過ぎだが。すっかり元気になったみたいで、安心したよ。……とはいえ、この体勢と距離は少し照れるね」

 そう言って目を細めた少女の笑顔を、確かに目にしたような気がする。

 意識を失う前のことは、破れた本のように途切れ途切れでバラバラになっていて。それでもなお強烈に、少女の笑顔だけは記憶に焼き付いている。動けなくなってかすんでいく視界の中、胸元を真っ赤に染めて微笑む少女の姿だけは。

 直後に蘇ったのは、口吻が少女の胸を貫く柔らかくて生温かい感覚。こみあげてきた、焼けるような吐き気を飲み下して、少年は絞りだすように呟いた。

「……おまえ。死んだん、じゃ。だって……血が、あんな」

 ほとんど独り言のようなその言葉に、少女が「おや」と片眉をあげる。

「なんだ、覚えていたのかい?」

 手首から先だけを動かして、少女は自分の胸を指さした。斬り裂かれ、貫かれ、真っ赤に染まっていたはずの右胸を。

「昨夜、私は確かにここに傷を負った。爪で斬られて、くちばしで抉られた。だけど、ここにいる私は幻じゃない。誰かが化けているわけでもない。昨夜君を見つけて、君に助けられた私本人だ」

「うそだ」

 少女の声が、周囲の景色が、ぐるぐると回りだすような感覚。目の奥がチカチカして、少女の顔がよく見えなくなる。

「あんなの、みんな死ぬ。ぼくらだって、あんなになったら死ぬ。そうやって、みんな死んだんだ」

 そうだ。みんな死んだ。刺されて、撃たれて、切られて。真っ赤になって、動かなくなった。なのに、生きてる? あんなに血が出て、真っ赤になっていたこの少女が? そんなの、そんなの――

「おかしい、だろ」

「そうとも、おかしな話さ。だけど私は、おかしな人間でね。あのくらいじゃ、死なないん――っ、ぐぉ」

 気づいた時には、少女の首に手をかけていた。白くてほっそりとした華奢な首を、そのままへし折らんばかりの力を込めて絞める。

 絞め殺すか。どちらでもよかった。仲間と同じように目に遭って、それでも生きているということが許せなかった。仲間は死んだのに、どうして。

 真っ白な少女の喉に、少年の手の跡が赤く濃く刻まれていく。それ比例するみたく、少女の手足がびくびくと震える。だけど彼女は、抵抗しようとはしなかった。それどころか目の端に涙を湛えながら、相変わらず笑ったままでさえいる。

「いい、よ。やりたま、え。……そうすれ、ば……ぐっ、ぅ。嘘じゃない、と……ぁ、わか……」

 さーっと耳元を流れる音で、少女のその声はほとんどまともに聞えなかった。

 そのまま指先に力をこめ続けるうちに、少女の肌が色を失っていく。ただでさえ色白の肌から血の気が失せた様は、まるで人形のようだ。

 そして不意に、少女の四肢から力が抜けた。

 光が消えて色付きガラスのようになったはちみつ色の瞳と目が合った瞬間、少年は喉から手を放していた。

 というよりは、少女の上から飛び退いたと言った方が正確だろう。まだ指にはっきりと残る繊細な首筋の感触を振り払おうと、少年は何度も手を払う。とだが、そんなことで感触は消えない。裂けんばかりに見開いた目に映る少女が、ぴくりとも動かない事実も変わらない。

「ぼ……ぼく、ぼく、は……」

 呟いた声が、激しく荒れ狂う血流の音にかき消される。うまく息ができない。脚が震える。今すぐにでも駆け寄って確かめなければならないのに、しなければならないことがあるはずのに、身体が動かない。血色に染まる森の中で、最後の仲間が口にした言葉が頭の中で反響して、何も考えられなくなる。

 どのくらいの間、動けないままでいただろうか。

 不意に、少女の指先がぴくりと動いたような気がした。

 次の瞬間、

「――かはっ、ごほっ……!」

 激しく咳きこみながら、少女が勢いよく身体を起こした。青白くなっていたはずの肌は、元の血色の良い白さを取り戻している。首筋にくっきりと刻み込まれていた少年の手の跡が、きれいさっぱりなくなっている。そして潤んだ瞳は、生気に満ちた光を取り戻していた。

「ごほっ、えほっ……んんっ。さすがに窒息は苦しいな……」

 何度か咳きこみ、喉をさすりながら、けれど何でもないような調子で少女はぼやく。

 そんな少女の姿を目の当たりにして、少年は思わず後ずさった。痺れるように震える指先が、そっと彼自身の首筋に触れる。先ほど彼女へしたことを、確かめるかのように。

「な……なんで……。だって、今……ぼく、ぼくは……おまえを……!」

 再び飛びかからんばかりに身構える少年に、少女は肩をすくめて歩み寄る。少女が近づけばそのぶん少年が後ずさるといった塩梅の追いかけっこは、少年の背中がベッドにぶつかって、あっという間に終わりを迎えた。

 少女を押しとどめようとして、あるいはその視線から逃れようとして無造作に掲げた手ごと、少年は少女に抱きしめられていた。甘く爽やかな香りとぬくもりが、少年を包み込む。さまよい続けた闇の果てで、同じものに触れたような気がする。

 少年の耳に、少女の声が少しくぐもって届く。

「そうだね。余人であれば、扼殺やくさつされていたところだ。だけど私は、さっきも言ったがおかしな人間でね。あんな目にあっても、ちゃんと生きてる」

 香りとぬくもりが離れ、視界が開けた。しゃがんだまま数歩後ろへ下がった少女が、少年の手を取る。そして、あっけらかんとした笑みを浮かべた。

「だから、大丈夫。そんなに震えなくても平気だよ」

「……!」

 動けないでいる少年の手を、少女はそのまましばらく握っていた。レースの手袋越しに伝わるぬくもりは、確かに血の通った人間のもので。少年の指の震えは、雪が解けるようにおさまっていた。

 それを確かめるように何度か少年の手をぎゅっぎゅっと握った後、少女は肩をすくめて小さなため息をこぼした。

「話を戻そうか。私の実家は、時々こういう娘が生まれるおかしな家系なのさ。それも先代から二百余年ばかり間が空いたところに、また私という存在が生まれ落ちてしまってね」

「にひゃくねん……?」

「ああ。人が忘れてしまうには、二百年というのは十分すぎる時間でね。その間に、記録の多くが散逸してしまっていた。わずかに残ったものによると、私のような娘は『血の娘』と呼ばれていたらしい。その血に『生命の精髄』を宿した、決して死なない不死の娘だとね。――ま、寿命はあるみたいでよかったけどね」

「血の娘……? 生命の、精髄……?」

 頭の裏を爪の先で軽く引っかかれるような感覚に、少年は顔をしかめる。どこかで、聞いた覚えがあるような。

 少女は乱れた襟元を正しながら、ゆるやかに首を振った。長い紫の髪が、動きに合わせてさらさらと流れる。

「とりあえず名前がつけてあるだけのようで、それが何なのかはわからないんだ。……で、実は君もその力に触れている」

「ぼくも?」

 目の当たりにしたという意味なら、確かにそうだ。だが、それにしては遠回しな言い方だ。唇をぎゅっと結んでにらむ少年に、少女は黒レースに包まれた指をピッと立てて告げた。

「傷と熱、治っているだろう? 足のだけは傷が古かったのか、そのままになってしまったけどね」

「……!」

 そう言われて、初めて自覚した。意識を失う前、少年の身体は至るところに傷を負っていた。痛みと熱で身体を動かすのもやっとだったはずなのに、今は傷も痛みもなく、熱もすっかりひいている。この身体はもともと治りが早いが、それにしたって異常だった。

「……ぼく、ずっと寝てたのか?」

「いや? 君が意識を失っていたのは、一晩だけさ」

「そんなわけあるか。ぼくの身体でも、一日でこんなきれいに治るわけないだろ」

 声を荒げる少年に、少女は先ほどと同じ言葉をくりかえす。

「言っただろう? 君も私の血の力に触れている」

「……だから、なんのことだ」

「私は君に血を吸わせた。生命の精髄を宿した、この私の血をね」

 瞬間、少年の身体は思い出していた。口吻から血を吸い上げる感覚を、甘い蜜のような血が喉を落ちていく感覚を。途端、喉が焼けるように熱くなって、たまらず少年はむせた。

 すると少女は立ち上がり、ややあってから水を注いだグラスを持って戻ってきた。

「ほら、飲みたまえ」

 押し付けるように差し出されたグラスを受け取って、少年は一気に中身を飲み干した。むせていたのが落ち着いたのを見て取ると、少女は話の続きを口にし始める。

「血の娘の血液には、摂取した者の生命力を活性化させる力があるんだ。それが君の身体の治癒力の高さと組み合わさって、一晩できれいに全快したというわけだね。私のようになるわけじゃないから、そこは安心して――」

「なんでだ」

 とうとうと語る少女をさえぎるように、少年は彼女をにらむ。しかし少女は、表情ひとつ変えようとはしない。ごく当たり前の事実を述べるような調子で、

「君の命を確実に繋ぐには、それしかなかったからさ。最初は医者に診せるつもりだったが、フクロウのおかげでそんな余裕はなくなってしまったからね」

「ちがう! わかってるだろ、ぼくは……!」

「異類なのに、って?」

 少女がためらいなく口にした言葉に、少年は頭を思いきり殴りつけられたような気がした。くらくらする頭を振って、噛みつかんばかりに少女に顔を近づけて吠える。その叫びを発する口は、半ば大顎に変化しかけている。

「そうだ! ぼくは異類だ、化け物だ! なのに、なんでそんなことした!?」

「助けてくれただろう?」

「えっ――」

「君はフクロウから、私を助けてくれた。理由はそれで充分じゃないか」

 少女は平然とそう言った。裂けんばかりに目を見開いた少年の目を、その中に飛び込むみたく真っすぐ見返して続ける。

「それに君は、私を襲わなかった。少なくとも、襲おうとする本能に抗おうとした。私が……いや、皆が知っている異類は、そんなことしない。だから、気になってしまったんだ」

 気になった。ただそれだけのことで、異類ばけものを助けた?

 完全に変化した大顎が、ギチリと音を立てた。少女はそれを一瞥すると、ひらりと手を振る。少年さえその気なら次の瞬間にも喉を喰い破るであろう鋭い顎を目の前に、表情ひとつ変えようとはしない。

「別に話してくれとは言わないよ。楽しい話じゃあないだろうしね」

「…………」

 少なくとも、見世物小屋に向ける好奇心の類ではないのだろう。大顎をしまい、少女を押しのけるようにして立ち上がろうとした――その時。

 ぐぅ、と。

 少年の腹が鳴った。かなり盛大で、主張の激しい腹音だった。かあっと頬が熱くなる少年を見て、少女は目を瞬かせた。それから、くすくすと肩を揺らす。

「いやあ、すまない。寝起きでお腹も空いているだろうに、ずいぶん長いこと話し込んでしまったね」

「おい待て、今のはべつに」

「いいよいいよ、もともとそのつもりで起こしに行こうとしていたんだ。スープとパンをごちそうするから、ダイニングにおいで」

 手招く少女に、しかし少年はついていこうとはしなかった。小首を傾げる少女から目を逸らし、拳を握り締める。

「…………いいのかよ」

「だから、言っただろう? 気になったって」

「ちがう。……そうじゃない。だってぼくはおまえのこと、さっき…………」

「いいさ。見せた方が早いと思って、私も抵抗しなかったんだ。そういう意味じゃあ同罪だよ。それにさ」

 軽い足音が、ひとつ、ふたつ。逸らした視線の先に顔を覗き込ませて、少女はぴっと指を立てた。

「さっきだって、君は私が目覚めるまで何もしなかった。できなかっただけかもしれないが、今のところはそれで充分さ」

「そんなの――」 

 言葉を遮るように、また腹が鳴る。腹を抱えてうずくまるように黙った少年を見て、少女は髪を弾ませて笑った。

「まったく、身体の素直さを見習った方がいいんじゃないかい?」

「……くそっ」

 バリバリと頭をかきむしる。少年は結局、言われた通りダイニングへとついていった。



「さ、どうぞ」

 ダイニングテーブルについた少年の前に、スープとパンの器が置かれた。

 ふわりと鼻をくすぐる温かなスープの香りをかいだ途端、少年は空腹に促されるまま手を伸ばしていた。スプーンを握りしめ、野菜と豆がたっぷり入ったスープを一気に流し込む。香りまで一滴残さず味わおうとするかのように、鼻の穴がぷくりとふくらむ。

 腹の中から身体が温かくなっていくのを感じながら、少年はパンをスープにひたした。たっぷりとスープを吸わせて柔らかく崩れたパンを、ほとんど吸うみたいにスプーンでかきこむ。

 久しぶり、しかも今まで生きてきた中で一番まともかもしれない食事を、無我夢中で食べ進めた。

 そうして食べ終わる頃には、身体は汗をかくくらい温まっていた。その熱を吐き出すように、満足げなため息をつく。開け放たれた窓から吹き込む風が、ひんやりと心地よく感じられる。

 向かいに座っていた少女の楽しそうな声に、少年は顔をあげた。

「そこまで必死になって食べてもらえると、作った側として悪い気はしないね」

 見られていたことを思い出し、今さらのように目を逸らす。あれやこれやと言いながら、いざ供されると夢中になって食べたのが気恥ずかしい。

「……ありがと」

 そういうわけだから、感謝の言葉も目を逸らしたままだ。言ってからチラリと様子をうかがうと、少女はにこにこと笑ったまま小首を傾げる。

「おいしかったかい?」

「……うん」

「そうかいそうかい、それならよかったよ」

 空いた食器を片そうと、少女が立ち上がる。そのままキッチンへ向かった彼女の後ろ姿を、少年は満腹感で少しぼんやりする頭で眺めていた。

 飛びかかって、あまつさえ。しかも、身体は異類で。たまたま家の近くに流れ着いただけの、こんなろくでもないガキに、どうしてこいつは。

 ――君はフクロウから、私を助けてくれた。理由はそれで充分じゃないか。

 少女の言葉が蘇る。下世話な好奇を示しでもすれば、建前だろうとも思えたが。気になると言いながら、それ以上は聞こうともしてこないのだから、おそらくそうではないのだろう。

 そのうちに洗い物を終えた少女が、踏み台を引っぱり出してキッチンの棚を漁りだす。

「お茶でも飲むかい? この後のー―」

「あのさ」

「なんだい?」

 棚に手を突っ込んだ格好のまま振り返った少女に、「座れよ」とうながす。戻って来た少女が椅子に腰を下ろしたのを見てから、少年は再び口を開く。

「……ぼく、さ」

 言ってしまってよいのだろうか。言ったところで、信じてもらえるだろうか。テーブルの下で指先をごちゃごちゃさせながら、少年はちらりと少女の様子をうかがう。

 少女は、ただ待っていた。ことさら興味を示すでもなく、こわごわ身構えるでもなく。少年の言葉の続きを、ただ穏やかに待ち続けている。

 それがわかった途端、自然に唇は動いていた。

「異類にんだ」

 その言葉に、少女は最初ぽかんとした顔をして。それから、はっと息を呑んだ。

「……っ! ということは、それじゃあまさか、君は……!」

 少女が視線を落とし、口元を覆う。言葉を飲み込む沈黙があって、そのまま少女は押し黙った。そこで彼女がそうしなければ、少年は続きを口にしようとは思わなかったかもしれない。

「……うん。もとは、人間なんだ。でも、こういう身体にされた」

 掲げた左腕を変化させる。淡緑色のハサミが、日中の光に透けるように輝いた。

 視線を落としたままの少女が、額をおさえて重いため息をこぼす。

「……いったい、誰が何のために?」

「知らないよ。いや、誰がやったかはわかるはわかるけど。でもそいつの名前もわかんないし、顔もちゃんと見たことなかったし」

「じゃあ、何故君が?」

 鼻を鳴らして腕を組む。何故自分か、自分たちだったのか。少年にも察しはついている。

「ぼく、親死んでんだ。家もなかったし。どっかいっても、どうなっても、気にするやつなんか誰もいなかった。そういうやつらがよかったんだろ」

 路地裏暮らしのガキが、飯と毛布につられてついていった先で、目を覚ましたらもうこうなっていた。子供を怯えさせるためのおとぎ話のような、クソのような話だ。

 少女はしばらく無言だった。ややあってから、遠慮がちに呟く。

「そいつは、君を異類にして。それでさようならと、解放したわけじゃあないんだろうね。きっと」

「そりゃあ――」

 そこまで言ったところで、彼女は「いや」と手で制した。いぶかしむ少年に、彼女はゆるやかに首を振る。

「今のは独り言みたいなものだ、気にしないでくれ。君が普通の異類では……いや、そもそも異類ではないということは、もうわかったのだし」

 今度こそお茶でも淹れようかと立ち上がりかけた彼女を制すように、少年はテーブルを手の甲で叩いた。視線を上げた少女に言う。

「……おまえさ」

「なんだい?」

「信じるのか、ぼくの話」

 知恵をつけた異類が適当な話をでっちあげ、同情を買って付け込もうとしている。そうは思わないのだろうか。どうしてそんな風に、真に受けていられるのだろうか。たった一度、助けたというだけで。それを帳消しにするようなことを、この手はしてしまったというのに。

「信じるさ」

 ぴくりとも逸らさずに目を見て即答され、少年はむしろ怯んだ。返す言葉は、さまよう視線と共に吐き出される。

「……なんでさ」

「私みたいなのがいるんだ、異類にされた人間がいたっておかしくないだろう?」

「……そういうもんかよ」

 微笑む少女を直視できなくて、少年はそっぽを向いた。

 不死の血を持って生まれた彼女からすれば、大抵のことは信じるに値するのだろうか。だとしても、素直過ぎやしないかなんてことを思った。

 少女が人差し指と親指をピッと立てるのが、視界の端に映る。

「ところで君、」


「おや、若いコマドリでも飼うことにしたのですか。フルエット様はお盛んでいらっしゃいますね」


「は?」

 突然飛び込んできた毒づく声に、少年は耳を疑った。また何か言いかけたところで遮られたせいか、少女が小さく肩をすくめるのが見える。

 声のした方を見れば、赤髪を二本の太い三つ編みにしたメイド姿の少女が、開いた窓の外からダイニングを覗いていた。左目を覆う前髪が、じとっとした目つきを強調している。

 少女――フルエットが椅子を立ち、窓の方へ向かう。

「ゼフィ。いくら窓を開けていたからとはいえ、覗き見というのは感心しないな。あと、私はコマドリを飼うような歳じゃあないよ」

「それは失礼いたしました。では、お人形でもお買い求めになられましたか?」

「人形?」

 カチンと来る少年だった。コマドリは何のことだかわからないが、人形は明らかにバカにして言っているとわかる。席を立つと、フルエットを押しのけるようにして、窓枠へと身を乗り出す。

「ぼくが人形に見えるのか? 半目だから、まともに見えてないんじゃないか?」

 ゼフィと呼ばれた少女が暗い緑の瞳を細め、少年をねめつける。よどんだ緑に見つめられた少年が顔をしかめると、ゼフィはそれを鼻で笑った。

「これはこれは、よく吠える犬でございましたか。フルエット様も御一人暮らしで静かな日々を送っていらっしゃっているでしょうから、たまにはこのくらいうるさい犬をお飼いになるのも良いお考えかと」

「だれが犬だ!?」

 少年が窓枠を叩くようにつかむ。バンと響いた音にもゼフィは顔色ひとつ変えず、嘲笑うように口元を大きく歪めた。心がざらつくような、気分が悪くなるような、そう思わせることが目的にしか見えない笑顔。

「それに、異類除けには丁度良いかもしれませんね。これだけうるさければ、異類もフルエット様より先に狙いを定めるやもしれませんし」

「異類除け?」

 どういうことかとフルエットを見ると、彼女は頭を抱えて小さくため息をついていた。

「ゼフィ。彼は異類除けなんかじゃ」

「フルエット様。もしや、そちらの彼にお身体についてお話されていないのですか?」

「身体? それなら聞いたぞ、こいつ死なないんだろ」

 ははは、と。ゼフィの口から、形ばかりを笑い声に似せた空しい音の羅列が響いた。聞く者の肌があわ立つように計算したような、そんな嫌な空笑いだった。そして彼女は、吐き捨てるように言う。

「それだけではございませんよ。フルエット様は、異類を招くお身体なのです。ですからご自分のお命を大事に思われるのでしたら、疾くご縁をお切りになるのがよろしいかと」

 異類を招く。

 その不可解な言葉の意味を問い詰めようとするより早く、まくしたてるようにゼフィが言葉を続ける。まとわりついてちくちく刺してくるような一言一言に、少年の腹の底がふつふつと煮えてくる。

「もっともわたくしとしましては、フルエット様がこれ以上スピエルドルフの家名に血を塗りたくるようなことをされない限りは――」

「おまえのほうが」

 今度は少年がさえぎる番だった。

 フルエットは昨夜たまたま会ったばかりで、まだちゃんとした形で名前を聞いてすらいない関係で、そもそもこれからどうなるかもわかっちゃいない。それでもなんだか腹が立つのだ。だって、彼女は。

「おまえのほうがうるさいよ。異類を招くかなんだか知らないけど、こいつはぼくを……助けてくれた。だからぼくから言わせれば、こいつのがおまえよりよっぽどマシだ」

 はっ、と。さっきゼフィがやったのと同じように、少年は嘲笑うように口元を歪めてみせる。ぎこちなくも、精一杯のいらだちとむかつきをこめて。

「……」

 ゼフィが顔をしかめるのが見えて、なんだか胸がすっとした。もっと言ってやろうと思ったところで、フルエットが軽く手を叩いて割って入る。

「君たち、そこまでにしておいてくれ。で、ゼフィ? 君はそんな話だけをしに来たわけじゃあないだろう?」

「……ああ、そういえばこちらをお届けにあがったのでした。フルエット様のがめつさがなければ、危うく忘れて帰ってしまうところでした」

 窓越しに、ゼフィが小さな包みを差し出す。フルエットはそれを受け取ると、ろくに確かめもせずに懐へしまった。

「ありがとう、確かに受け取ったよ」

「それでは、失礼致します」

 うやうやしく一礼し、ゼフィはそのまま去っていく。その後ろ姿は、ダイニングの窓からすぐに見えなくなった。

 少年は叩きつけるように窓を閉めると、鼻を鳴らして椅子へ戻った。涼しい顔をして向かいに座りなおしたフルエットへ、不機嫌を隠すことなく言う。

「なんなんだ、あいつ。ぼろくそ言われてたのに、お前もなんで言い返さないんだよ」

「ゼフィとは小さい頃から一緒でね。そのせいで迷惑をかけてしまったし、怖い思いもさせてしまった。だから彼女には、あんな風に言う権利があるんだよ」

 それに、とフルエットは笑っていた。それも何故か、どこか嬉しそうに。

「本当なら顔も見たくないだろうに、ああして実家からの仕送りを届けに来てくてれるんだ。しかも、車でも泊りがけになるような距離をだよ? 監視の意味もあるとはいえさ。いい子だと思わないかい?」

「……そうか?」

 ものすごく苦々しい声が出た。よほど表情にも出ていたのだろうか、フルエットは少年の顔を見るなり小さく吹き出していた。そういえばと、そんな彼女に問いかける。

「異類を招くって、あいつ言ってたよな。あれって?」

「異類は血の娘の存在を嗅ぎ付けることがあってね。そのせいか、私は余人よりもずっと異類に襲われやすいんだ。ゼフィはそのことを言ったのさ」

「……へえ」

 それが事実ならば、昨夜のフクロウは彼女に誘われてやってきたのだろうか。弱っていた自分ではなく彼女ばかりを狙っていたのも、それが理由だろうか。面倒な血だなと思ったところで、少年はあることに思い至った。思わず、「げ」と声が漏れる。

「ちょっと待て。じゃあおまえ、今までも異類に?」

「そうだよ。街の人に矛先が向くとマズいし、街の狩人への連絡はちゃんとしていたけどね」

 あまりにも平然とした答えに、少年はしばし言葉を失った。フルエットは、今まで何度も異類に襲われてきた? その度に、昨夜のような目にあって? それなのに、どうしてこんな風にしていられる?

「……死なないだけで、べつに痛くないわけじゃないんだろ。さっきだって、苦しそうにしてた」

「いやあ?」

 肩をすくめて、フルエットは笑った。

「さすがに慣れたよ。今じゃ、多少斬ったり突かれたりするくらいは平気さ」

 確かに、痛みには慣れることができる。少年にも、その覚えがある。だけどそれは、痛みを感じなくなるわけではなくて。なのにそうやって笑っているのが、なんだかとても腹立たしかった。歯を剥いて、フルエットをにらむ。

「どうしたんだい、怖い顔して」

「フルエット」

 突然名前で呼ばれたからか、フルエットはきょとんと目を瞬かせた。そんな彼女に、ユリオはほとんど衝動的に告げる。

「おまえをぼくに護らせろ」

 指先を唇にやり、フルエットは呆れたような深いため息をつく。

「さっきの話を聞いてたのかい? 私は人より異類に襲われやすいんだぞ? しかも死なない。襲われたところでなんてことないんだ、そんなの護って、馬鹿馬鹿しいと思わないのかい?」

 そしてなだめるような声で、ゆっくりと首を振った。

「だいいち、君にそこまでしてもらう理由がない」

「ある」

 椅子から立ち上がり、少年はずんずんとフルエットに歩み寄った。予想外だったのか、フルエットはたじろいだように椅子ごと後ろに下がる。

「お、おい君?」

 そのまま彼女を壁際まで追い詰めて、金色の瞳を覗き込むようにしながら少年は言う。

「さっき、あいつにも言ったろ。おまえはぼくを助けてくれた」

 命を救ってくれたばかりか、食事まで与えてくれた。そして何より、荒唐無稽なこの身体のことを、信じると言ってくれた。だから、理由はあるのだ。少なくとも、少年にとっては。

 飾り気のない淡い色合いをした、フルエットの唇が微かに揺れる。左の三つ編みを撫でつけながら、フルエットはきっぱりと告げた。

「ダメだ。そもそも私は、誰にも護ってほしくなんかない」

「なんでだよ」

 死なないからって、痛い思いを我慢する必要なんてないくせに。

 フルエットの澄ました顔に、白金色の髪の幻が重なる。別れの瞬間に目にした、澄ました顔が。どうして二人とも、そんな顔をしていられるのか。きっとこらえているものがあるはずなのに、どうしてそんな風に平気な顔で。

 ふつふつとこみ上げるイラつきが口から飛び出しそうになった時、「ただし」とフルエットがピッと指を立てた。

「君をこの家に置いておくのは、やぶさかではないよ」

 まさかこう続くとは思っていなくて、少年は戸惑った。喉の奥くらいまで上がってきていたいらだちが、すんと腹の底へと落下していく。なのでとりあえず、思ったことを口にした。

「なんでだ?」

「私を護りたいなら、近くにいないと無理だろう? だから、この家に置いてほしいというのも含んでの話だと思っていたんだが。や、護ってもらいたくはないんだけどね」

「それは……確かに、そうなるかもだけど」

 衝動的に言っただけで、そこまでは考えてなかったというのが正直なところだ。タンカを切って断られた手前もあり、どう答えたらいいものかわからない。

 そんな彼に、フルエットは振袖を翻して問いかける。

「こういう言い方は、気に障るかもしれないが。君、きっと行く当てはないんだろう?」

 確かにその通りだった。とうの昔に家も身寄りもなくなった身の上だ、他に行く当てなどあるはずもない。この身体なら日々のパンを盗むくらいは楽勝だろうが、いつまでもそれで生き抜けるとも思えない。

 しかも彼女は、自分の身体のことを知っている。隠し通すことを考えないでいいというのは、少年にとって抗いがたい大きな魅力だった。

「でも、いいのかよ。……おまえ、たぶんお嬢様なんだろ? さっきのヤツに、様とか呼ばれてたし。なのに、ぼくみたいなの家に置いてさ」

「確かに私はお嬢様だが、今は追い出されて独り暮らしの身だからね」

 振袖を翻したフルエットが、悪戯っぽく笑う。

「それにね。このまま君を放り出して、野垂れ死にでもされたら寝覚めが悪いんだ。ここは私の顔を立てると思って、首を縦に振りたまえよ」

 彼女がどこまで本気なのかを図りかねて、ユリオは今しばらくたゆたった。自分のような存在を、ただ家に置こうと言う彼女の真意がわからない。

 ……だが、別にそれでいいのかもしれない。どうせ、他に頼る当てはないのだ。ここにいれば当面はまともに生きられるだろうし、もしも彼女が狩人を連れてくるようなことがあれば、その時は逃げればいい。

「……わかった。じゃあ、世話になる。……っと、そうだ」

 そういえば、まだ名乗っていなかった。

「ユリオ。ぼくはユリオだ」

「ユリオくん、か。ではこれから先、このフルエット・スピエルドルフが君の衣食住を保証するとしよう。もちろん、家のことは手伝ってもらうけどね?」

 そう言いながら、フルエットはスカートの裾をつまんで華麗に一礼するのだった。

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