第二話

 甘く爽やかな香りに鼻をくすぐられ、少年は目を覚ました。

 やけにすっきりした頭で、首だけ動かして香りを追いかける。小さなテーブルのうえに、紫の花が一輪あった。テーブルの後ろには真っ白な壁と、どっしりとしたクローゼット。

 それから今さらのように、ふかふかとした感触に包まれていることに気づいた。それと、隣にベッドがあることに。

 少年は床に寝かされていた。転がされていたわけではなく、下には毛布が敷かれているし、コンフォーターまで掛けられている。

 上体を起こし、ぼんやりとした視線を自分の身体に向ける。くすんだ色合いで、継ぎはぎした跡のある服を着せられていた。袋に穴を空けただけみたいなあの服に比べたら、ずい分と着心地が良い。

 いったい、いつ着替えたのか。そもそも自分は、何故こんなところに寝かされているのか。

 何があったかを思い出そうとした時、血と、炎と、泥の臭いがよみがえった。しないはずの臭いが火花となって、記憶に火を着ける。

 白い炎。白装束。黄昏時の森。動かなくなった仲間。突き落とされた痛み。目を覚ました時の冷たさ。晴れない闇。その果てに何か、温かなものに触れたような気がする。

 ぎぃ。

 扉のきしむ音がして、少年は考えるのをやめた。獣の様に身を低くし、身構える。

 扉が開いて人影が見えた瞬間、少年は飛びかかっていた。

「おおっと!?」

 人影はびっくりするくらい軽くて細くて、勢いだけで簡単に押し倒せた。馬乗りになって、やたら長い袖を膝で抑えて腕を動かせなくする。そして、空いた手を喉元に突きつけた。

「おまえは誰だ。狩人な……」

 床の上に広がる、二本ずつの三つ編みとロールヘアに整えられた紫の髪。真っ白な肌とブラウスを包む、肩落としの黒いドレス。きりっとしたツリ目に縁どられた、はちみつ色の瞳。

 その少女の姿に血染めの光景が一瞬重なって見えて、少年は言葉を失った。

「おはよう、と言ってももう昼過ぎだが。すっかり元気になったみたいで、安心したよ。……とはいえ、この体勢と距離は少し照れるね」

 飛びかかられて押し倒されたのを気にした風もなく、少女が金色の瞳を細める。その笑みに、少年は覚えがあった。

 ……そうだ。意識を失う前、確かにこの少女を見た気がする。だけども少年の記憶が正しければ、この少女は。

「……おまえ、死んだんじゃ。だって、血が、あんな」

 ほとんど独り言のような呟きに、少女が「おや」と片眉をあげる。

「なんだ、覚えていたのかい?」

 手首から先だけを動かして、少女は自分の胸を指さした。斬り裂かれ、貫かれ、真っ赤に染まっていたはずの右胸を。

「昨夜、私は確かにここに傷を負った。爪で斬られて、くちばしで抉られた。だけど、ここに居る私は幻じゃない。誰かが化けているわけでもない。昨夜君を見つけて、君に助けられた私本人だ」

「うそだ」

 少女の言葉に、顔をしかめる。そっくりの双子とでも言われた方が、まだ信じられる。

「あんなの、人間は死んでなきゃおかしいだろ」

 突きつけていた手が、喉元に触れる。もし適当なことを言うようなら、このまま首を絞めるつもりだった。

「そうとも。だけど私は、おかしな人間でね。死なないん――ぐぉ」

 少女の白くて細い首を絞めるのは、かえって難しかった。少し力を入れすぎると、そのままへし折れてしまいそうで。

「ぐっ、ぁが……」

「ほんとのことを言えよ。そうじゃないと」

「っ、絞め、殺す……って?」

 目の端に涙を浮かべながら、少女は笑う。

「いい、よ。そうすれ、ば……ぐっ、ぅ。嘘じゃない、と……がっ、ぁ、わか……だろう?」

 その気なら、望み通りにしてやる。

 そのまま喉を潰すつもりで首を絞めようと、折らない程度に腕に力を込めた。込める力に比例するみたく、少女の手足がびくびくと震える。真っ白な喉に、少年の手の跡が赤く濃く刻まれていく。

 だけども少女は、抵抗しようとしない。震える手足はただの反射で、少年を振り払おうとするものではない。それどころか、相変わらず笑ったままでさえいる。

 このままなら、本当に絞め殺せてしまうというのに。

 そして少女の喉からひときわ細く詰まったような音が漏れた瞬間、少年は喉から手を放していた。

「ぜひゅっ、えほっ……ごほっ……。な、なんだ……も、終わりかい? ごほっ、がほっ、ぇお……!」

「ば……ばかなのかおまえ!? ぼくが手ぇ放さなかったら、どうしてたんだよ!?」

 少女の喉に赤く残った手の跡が、少女の目じりに浮かんだ涙が、いやにくっきりと目に映った。絞め続けていた時の感触がものすごく不快になって、少年は何度も手を払った。それで感触が消えるわけでもないのだけれど。

 咳きこみ、喉をさすりながら、少女は何でもないような調子で言う。

「言っ、たろ。私は、っぐ……えほっ、私は……死なないんだ。君が手を放さなかったら、んんっ……それが証明されていただけだよ」

「……それだけで済まさなかったら、どうするつもりだったんだ」

「例えば?」

「えっ?」

 聞かれるとは思っていなかったものだから、少年は目を泳がせた。そして考えた末の答えを、ぽろりと呟く。

「えっと……は、ハサミでお前を斬る……とか……?」

「昨日のフクロウに比べたら、まだ大人しいほうじゃないかな?」

 可笑しそうに少女が笑う。実際やるとなれば斬られるのは彼女自身なのに、そのことをまるで感じさせずに。それから、小さくため息をついた。

「信じがたいのは当然だが、これは事実なんだよ。私の実家は、時々そういう娘が生まれるおかしな家系でね。先代から間が空くこと二百余年、また生まれてしまったのが何を隠そうこの私だ」

 二百年の間に多くの情報が失われていたが、それでも彼女の実家には『そういう娘』についての記録がわずかに残っていた。それによれば、こうだ。

「私のような娘を、記録は『血の娘』と呼んでいた。その血に『生命の精髄』を宿した、決して死なない不死の娘だ。ま、寿命はあるみたいでよかったけどね」

「生命の、精髄……?」

「とりあえず名前がつけてあるだけのようで、それが何なのかはわからないんだがね。……で、実は君もその力に触れている」

「なんのことだ」

 関わりを持ったという意味ならそうかもしれないが、それにしては遠回しな言い方だ。唇をぎゅっと結んでにらむ少年に、少女は黒レースに包まれた指をピッと立てて告げた。

「傷と熱、治っているだろう? 足のだけは傷が古かったのか、そのままになってしまったけどね」

「……!」

 そうだ。意識を失う前、少年の身体は至るところに傷を負っていた。痛みと熱で身体を動かすのもやっとだったはずなのに、今は痛みもなく、熱もすっかりひいている。この身体は治りが早いが、それにしたって異常だった。

「……ぼく、ずっと寝てたのか?」

「いや? 君が意識を失っていたのは、一晩だけさ」

「そんなわけあるか。ぼくの身体でも、一日でこんなきれいに治るわけない」

 困惑のあまり声を荒げる少年に、少女は先ほどと同じ言葉をくりかえした。

「言っただろう? 君も私の血の力に触れている」

「……だから、なんのことだ」

 しかめ面で唇をかんだ少年に、「やっぱり覚えてないか」と少女は遠い目をした。

「私は君に血を吸わせた。生命の精髄を宿した、この血をね」

「なっ……えほっ、ごほっ……!」

 少年は目を見開いた。口吻から血を吸い上げる感覚が、甘い蜜のような血が喉を落ちていく感覚がよみがえる。喉が焼けるように熱くなって、少年はたまらずむせた。

 その間にも、少女は言葉を続ける。

「血の娘の血には、飲んだ者の生命力を活性化させる力があるんだ。それが君の身体の治癒力の高さと組み合わさって、一晩できれいに全快したっていうわけだ。私みたいになるわけじゃないから、そこは」

 とうとうと語る少女をさえぎるように、少年は少女の顔の両脇に思いきり手をついた。というより、叩きつけた。覆いかぶさるような恰好で、少女をにらむ。

「……なんでだ」

「君の命を確実に繋ぐには、それしかなかったからさ。最初は医者に診せるつもりだったが、フクロウのおかげでそんな余裕はなくなってしまったからね」

「そういうことじゃない、わかってるだろ!? ぼくは……!」

「異類なのに、って?」

 少女がためらいなく口にした言葉に、少年は頭を思いきり殴りつけられたような気がした。くらくらする頭を振って、噛みつかんばかりに少女に顔を近づけて吠える。あるいは答え次第では、すぐにも大顎で噛みつくつもりでさえいた。

「そうだ! ぼくは異類だ、化け物だ! なのに、なんでそんなことした!?」

「君はフクロウから私を助けてくれた。理由はそれで充分だろう?」

 少女は平然とそう言った。裂けんばかりに目を見開いた少年の目を、その中に飛び込むみたく真っすぐ見返して続ける。

「それに君は、私を襲わなかった。少なくとも、襲おうとする本能に抗おうとした。私が……いや、皆が知っている異類は、そんなことしない。だから、気になってしまったんだ」

 大顎を出現させる。淡くきらめくソレを、少女の喉元に突きつけた。見世物へ向ける好奇心の類なら、そのまま。

 少女が目を伏せた。大顎に怯えるという風でもなく、ただ少年の反応を咀嚼するといった様子で。

「別に話してくれとは言わないよ。楽しい話じゃあないだろうしね」

 そのまましばらく、お互い無言のまま向き合う。少年がどれだけにらみつけたところで、少女は顔色ひとつを変えなかった。

「……ちっ」

 大顎をしまい、身体を起こす。

 その時だった。

 ――ぐぅ、と。

 少年の腹が鳴った。かなり盛大で、主張の激しい腹音だった。

 かあっと頬が熱くなる少年を見て、少女は目を瞬かせた。それから、くすくすと肩を揺らす。

「いやあ、すまない。お腹が空いているだろうに、ずいぶん長いこと話し込んでしまったね」

「おい待て、今のはべつに」

「いいよいいよ、もともとそのつもりで起こしに行こうとしていたんだ。スープとパンを持ってくるから、とりあえず降りてくれるかい?」

 そのまま少年を強引に押しのけ、少女は立ち上がった。ずっと床に押し付けられていた背中をとんとん叩きながら、扉の向こうを指す。

「飛びかかる元気があるなら、一緒にダイニングにおいで。テーブルについて待っていてくれたまえ」

「だから、ぼくは……!」

 言葉を遮るように、また腹が鳴る。腹を抱えてうずくまるように黙った少年を見て、少女は髪を弾ませて笑った。

「まったく、身体の素直さを見習った方がいいんじゃないかい?」

「……くそっ」

 少年は結局、言われた通りダイニングへと着いていった。



「さ、どうぞ」

 ダイニングテーブルについた少年の前に、スープとパンの器が置かれた。

 ふわりと鼻をくすぐる温かなスープの香りをかいだ途端、空っぽの腹が食べ物を求めて活動し始めた。空腹に促されるまま手を伸ばす。スプーンを握りしめ、野菜と豆がたっぷり入ったスープを一気に流し込む。香りまで一滴残さず味わおうとするかのように、鼻の穴がぷくりとふくらむ。

 腹の中から身体が温かくなっていくのを感じながら、少年はパンをスープにひたした。たっぷりとスープを吸わせて柔らかく崩れたパンを、ほとんど吸うみたいにスプーンでかきこむ。

 久しぶり、しかも今まで生きてきた中で一番まともかもしれない食事を、無我夢中で食べ進めた。

 そうして食べ終わる頃には、身体は汗をかくくらい温まっていた。その熱を吐き出すように、満足げなため息をつく。開け放たれた窓から吹き込んだ風が、火照った身体に心地よかった。

 向かいに座ってその様子を眺めていたフルエットが、楽しそうに笑う声。

「そこまで必死になって食べてもらえると、作った側として悪い気はしないね」

 見られていたことを思い出し、少年は今さらのように目を逸らした。二回も突っぱねようとしたくせい、こんなに夢中になって食べたのが気恥ずかしい。

「……たすかった」

 そういうわけだから、感謝の言葉も目を逸らしたままだった。言ってからチラリと様子をうかがうと、少女はにこにこと笑ったまま小首を傾げた。

「おいしかったかい?」

「……まあ、うん」

「そうかいそうかい、それならよかったよ」

 空いた食器を片そうと、少女が立ち上がる。そのままキッチンへ向かった彼女の後ろ姿を、少年は満腹感で少しぼんやりする頭で眺めていた。

 飛びかかって、首まで絞めて。しかも身体は異類で。たまたま家に流れ着いただけの、こんなろくでもないガキに、どうしてコイツは。

 ――君はフクロウから私を助けてくれた。理由はそれで充分だろう?

 少女の言葉が蘇る。下世話な好奇を示しでもすれば、建前だろうとも思えたが。気になると言いながら、それ以上は聞こうともしてこないのだから、おそらくそうではないのだと思う。

 そのうち洗い物を終えた少女が、そのままキッチンの棚を漁りだした。

「お茶でも飲むかい? この後のー―」

「あのさ」

「なんだい?」

 棚に手を突っ込んだ格好のまま振り返った少女に、「座れよ」とうながす。戻って来た少女が椅子に腰を下ろしたのを見てから、少年は続きを口にした。

「ぼく、異類にされたんだ」

 急に切り出したものだから、少女は最初ぽかんとした顔をして。それから言葉の意味を理解して、はっと息を呑んだ。

「……『された』? つまり君は、そもそも」

 少女は視線を落とし、口元を手で覆った。言葉を飲み込む沈黙があって、そのまま少女は押し黙る。そこで彼女がそうしなければ、少年は続きを口にしようとは思わなかったかもしれない。

「そうだ、もとは人間。でも、こういう身体にされた」

 左腕だけを異類に変化させる。淡緑色のハサミが、日中の光に透けるように輝いた。

 視線を落としたままの少女が、額をおさえて重いため息をこぼす。

「いったい、誰が何のために?」

「知らないよ。いや、誰がやったかはわかるはわかるけど。でもそいつの名前もわかんないし、顔もちゃんと見たことなかったし」

「じゃあ、何故君が?」

 鼻を鳴らして腕を組む。何故自分か、自分たちだったのか。少年には察しはついている。

「ぼく、親死んでんだ。家もなかったし。どっかいっても、異類の身体になっても、気にするやつなんか誰もいなかった。そういうやつらがよかったんだろ」

 路地裏暮らしのガキが、飯と毛布につられてついていった先で、目を覚ましたらもうこうなっていた。子供を怯えさせるためのおとぎ話のような、クソのような話だ。

 少女はしばらく無言で、ややあってから遠慮がちに口を開いた。

「そいつは、君を異類にして。それでさようならと、解放したわけじゃあないんだよな。きっと」

「そりゃあ――」

 そこまで言ったところで、彼女は「いや」と手で制した。いぶかしむ少年に、彼女はゆるやかに首を振る。

「今のは独り言みたいなものだ、気にしないでくれ。君が普通の異類では……いや、そもそも異類ではないということは、もうわかったのだし」

 今度こそお茶でも淹れようかと立ち上がりかけた彼女を制すように、少年はテーブルを手の甲で叩いた。視線を上げた少女に言う。

「……おまえさ」

「なんだい?」

「信じるの、ぼくの話」

 知恵をつけた異類が適当な話をでっちあげ、同情を買って付け込もうとしている。そうは思わないのだろうか。どうしてそんな風に、真に受けていられるのか。

「信じるさ」

 ぴくりとも逸らさずに目を見て即答され、少年はむしろ怯んだ。

「……なんでさ」

「私みたいなのが居るんだ、異類にされた人間が居たっておかしくないだろう?」

「……そういうもんかよ」

 そっぽを向いた。

 不死の血を持って生まれた彼女からすれば、大抵のことは信じるに値するのかもしれない。だとしても、素直過ぎやしないかなんてことを思った。

 座り直した少女が、少年に向き直った。人差し指と親指をピッと立てる。

「ところで君、」


「おや、若いコマドリでも飼うことにしたのですか。フルエット様はお盛んでいらっしゃいますね」


「は?」

 突然飛び込んできた毒づく声に、少年は顔をしかめた。また何か言いかけたところで遮られたせいか、少女が小さく肩をすくめるのが見える。

 声のした方を見れば、赤髪を二本の太い三つ編みにしたメイド姿の少女が、開いた窓の外からダイニングを覗いていた。ただでさえじとっとした目つきをしているのが、左を前髪で覆っているせいで強調されている気がする。

 少女――フルエットが椅子を立ち、窓の方へ向かう。

「ゼフィ。玄関から来てくれって、いつも言っているだろう? あと、私はコマドリを飼うような歳じゃあないよ」

「それは失礼いたしました。では、お人形でもお買い求めになられましたか?」

「人形?」

 カチンと来た。コマドリは何のことだか知らないが、人形は明らかにバカにして言っていることはわかる。

 少年が席を立つ。フルエットを押しのけるように、窓枠に身を乗り出した。

「ぼくが人形に見えるのか? 半目だから、まともに見えてないんじゃないか?」

 ゼフィと呼ばれた少女が暗い緑の瞳を細め、少年をねめつけた。よどんだ緑に見つめられて少年が顔をしかめると、彼女はそれを鼻で笑った。

「これはこれは、よく吠える犬でございましたか。フルエット様も御一人暮らしで静かな日々を送っていらっしゃっているでしょうから、たまにはこのくらいうるさい犬をお飼いになるのも良いお考えかと」

「だれが犬だ!?」

 少年が窓枠を叩くようにつかむ。バンと響いた音にもゼフィは顔色ひとつ変えず、嘲笑うように口元を大きく歪めた。心がざらつくような、気分が悪くなるような、そう思わせることが目的にしか見えない笑顔。

「それに、異類除けには丁度良いかもしれませんね。これだけうるさければ、異類もフルエット様より先に狙いを定めるやもしれませんし」

「異類除け?」

 どういうことかとフルエットを見ると、彼女は頭を抱えて小さくため息をついていた。

「ゼフィ。彼は異類除けなんかじゃ」

「フルエット様。もしや、そちらの彼にそのお身体についてお話されていないのですか?」

「身体? それなら聞いたぞ、こいつ死なないんだろ」

 ははは、と。ゼフィの口から、形ばかりを笑い声に似せた空しい音の羅列が響いた。聞く者の肌があわ立つように計算したような、そんな嫌な空笑いだった。そして彼女は、吐き捨てるように言う。

「それだけではございませんよ。フルエット様は、異類を招くお身体なのです。ですからご自分のお命を大事に思われるのでしたら、疾くご縁をお切りになるのがよろしいかと」

 異類を招く。その不可解な言葉の意味を問い詰めようとするより早く、まくしたてるようにゼフィが言葉を続ける。まとわりついてちくちく刺してくるような一言一言に、少年の腹の底がふつふつと煮えてくる。

「もっともわたくしとしましては、フルエット様がこれ以上スピエルドルフの家名に血を塗りたくるようなことをされない限りは」

「おまえのほうが」

 今度は少年がさえぎる番だった。

 フルエットは昨夜たまたま会ったばかりで、まだちゃんとした形で名前を聞いてすらいない関係で、そもそもこれからどうなるかもわかっちゃいない。それでもなんだか腹が立つのだ。だって、彼女は。

「おまえのほうがうるさいよ。異類を招くかなんだか知らないけど、こいつはぼくを……助けてくれた。だからぼくから言わせれば、こいつのがおまえよりよっぽどマシだ」

 はっ、と。さっきゼフィがやったのと同じように、少年は嘲笑うように口元を歪めてみせる。

「……」

 ゼフィが顔をしかめるのがわかって、なんだか胸がすっとするのを感じた。

 フルエットが軽く手を叩く。二人の視線が向いたところで、彼女は言った。

「君たち、そこまでにしておいてくれ。で、ゼフィ? 君はそんな話だけをしに来たわけじゃあないだろう?」

「……ああ、そういえばこちらをお届けにあがったのでした。フルエット様のがめつさがなければ、危うく忘れて帰ってしまうところでした」

 窓越しに、ゼフィが小さな包みを差し出す。フルエットはそれを受け取ると、ろくに確かめもせずに懐へしまった。

「ありがとう、確かに受け取ったよ」

「それでは、失礼致します」

 うやうやしく一礼し、ゼフィはそのまま去っていく。その後ろ姿は、ダイニングの窓からすぐに見えなくなった。

 少年は叩きつけるように窓を閉めると、鼻を鳴らして椅子へ戻った。そして涼しい顔をしているフルエットに、不機嫌を隠すことなく言う。

「なんなんだ、あいつ。ぼろくそ言われてたのに、なんで言い返さないんだよ」

「ゼフィとは小さい頃から一緒でね。そのせいで迷惑をかけてしまったし、怖い思いもさせてしまった。だから言う権利があるんだよ」

 それに、とフルエットは笑っていた。それも何故か、どこか嬉しそうに。

「本当なら顔も見たくないだろうに、ああして実家からの仕送りを届けに来てくてれるんだ。いい子だろ?」

「……そうか?」

 ものすごく苦々しい声が出た。よほど表情にも出ていたのだろうか、フルエットは少年の顔を見るなり小さく吹き出していた。そういえばとそんな彼女に問いかける。

「異類を招く。あいつが言ってたのって?」

「異類は血の娘の存在を嗅ぎ付けることがあってね。そのせいか、私は余人よりもずっと異類に襲われやすいんだ。ゼフィはそのことを言ったのさ」

「へえ」

 それが事実ならば、昨夜のフクロウは彼女に誘われてやってきたのだろうか。弱っていた自分ではなく彼女ばかりを狙っていたのも、それが理由だったのか。面倒な血だなと思ったところで、少年はあることに思い至った。思わず、「げ」と声が漏れる。

「……ちょっと待て。じゃあおまえ、今までも異類に?」

「そうだよ。街の人に矛先が向くとマズいし、街の狩人への連絡はちゃんとしていたけどね」

 あまりにも平然とした答えに、少年はしばし言葉を失った。フルエットは、今まで何度も異類に襲われてきた? その度に、昨夜のような目にあっていたのだとしたら。

「いや、おまえ……死なないだけで、べつに痛くないわけじゃないんだろ」

「いやあ?」

 肩をすくめて、フルエットは笑った。

「さすがに慣れたよ。今じゃあ、多少斬ったり突かれたりするくらいは平気さ」

 確かに痛みには慣れることができる。少年にも、その覚えがある。だけどそれは、痛みを感じなくなるわけではなくて。なのにそうやって笑っているのが、なんだかとても腹立たしかった。歯を剥いて、フルエットをにらむ。

「どうしたんだい、怖い顔して」

「フルエット」

 突然名前で呼ばれたからか、フルエットはきょとんと目を瞬かせた。

「おまえをぼくに護らせろ」

 フルエットは指先を唇にやると、呆れたような深いため息をついた。

「君はさっきの私の話を聞いてたのかい? 私は人より異類に襲われやすいんだぞ? しかも死なない。襲われたところでなんてことないんだ、そんなの護って馬鹿馬鹿しいと思わないのかい?」

 そしてなだめるような声で、ゆっくりと首を振った。

「だいいち、君にそこまでしてもらう理由がない」

「ある」

 椅子から立ち上がり、少年はずんずんとフルエットに歩み寄った。予想外だったのかフルエットはたじろいで後ろに下がった。

「お、おい君?」

 そのまま彼女を壁際まで追い詰めて、金色の瞳を覗き込むようにしながら少年は言う。

「さっきあいつにも言ったろ。おまえはぼくを助けてくれた」

 荒唐無稽なこの身体のことを、信じると言ってくれた。だから理由はあるのだ。少なくとも、少年にとっては。

「それにさっきもすこし言ったけど、ぼくは家がない。おまえを護るついでに、置いてくれたらたすかる。……別に異類が出てこなくても、手伝えることは手伝うし」

 フルエットの飾り気のない、淡い色合いをした唇が微かに動いた。左の三つ編みを撫でつけながら、フルエットはきっぱりと告げた。

「ダメだ。そもそも私は、別に護ってほしくない」

「なんでだよ」

 死なないからって、痛い思いを我慢する必要なんてないくせに。

 フルエットの澄ました顔に、白金色の髪の幻が重なる。彼だけが逃がされた時に見た、最後に見た、澄ました顔が。どうして二人とも、そんな顔をして居られるのか。居られたのか。

 ふつふつとこみ上げるイラつきが、口から飛び出しそうになった時。

「ただし」

 遮るように、フルエットが親指と人差し指をピッと立てた。

「君をこの家に置いておくのは、別に構わない」

 まさかこう続くとは思っていなくて、少年は戸惑った。喉の奥くらいまで上がってきていたいらだちが、すんと腹の底へと落下していく。なのでとりあえず、思ったことを口にした。

「……おまえ、たぶんお嬢様なんだろ? 様つけて呼ばれてたし。なのに、ぼくみたいなの置いといていいのか」

「確かに私はお嬢様だが、今は追い出されて独り暮らしの身だからね」

 くるりと振袖を翻したフルエットが、少年の前へ回り込む。それにと、悪戯っぽく笑った。

「置いてくれたら助かる、って言ったのは君だろう?」

 確かに言ったし、確かにその通りだった。

 家も身寄りもない身の上だ。置いてくれる家があるのは、ありがたいことこのうえない。この身体なら日々のパンを盗むくらいは楽勝だろうが、そんなことしなくても生きていけるならそれに越したことはないのだ。

 しかも彼女は、自分の身体のことを知っている。隠し通すことを考えないでいいというのは、少年にとって大きな魅力だ。狩人に突き出されなくて済む。

 間違いなく、これ以上はないと言えるほどの良い条件だ。良い条件なのだが。

「このまま放り出して、野垂れられても寝覚めが悪いからね」

 肩をすくめるフルエット。それから彼女は、スカートをつまんで一礼した。

「そういうわけで、このフルエット・スピエルドルフが君の衣食住を保証しようじゃあないか。もちろん、家のことはできる範囲で手伝ってもらうけどね?」

 目を逸らして、頭をかいて、大きなため息を吐いて。それからやっと、少年はうなずいた。

 護らせろなんて啖呵を切って、すげなく断られた相手の家に居候する。そう思うと、さすがに気まずかったのだ。フルエットの方はもう気にしていなさそうだから、余計に。

「……じゃあ、世話になる。……っと、そうだ」

 そういえば、まだ名乗っていなかった。

「ユリオ。ぼくはユリオだ」

「ユリオくん、か。……これも縁かな」

 そう言うと、フルエットは寝室の扉の方を見て笑うのだった。

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