第11話
『ピンポーン』
丁度夕食が出来上がった頃、インターホンが鳴った。
「どうぞ」と拓也は部屋の奥で返事をするとドアが開き、「おう……」と克己の元気のない返事が返ってきた。
短い廊下を通ってリビングまで来た克己の顔を見て、拓也は目を見開いて驚いた。
「克己、だ、大丈夫?」
見るからに青白い顔色をしていて、目の下にはうっすらとクマが出来ていた。見るからに寝ていないのが分かる。これは、大丈夫な訳がないと拓也は思った。もしかすると、食事も碌にしていないのかもしれない。こんな克己を見るのは初めてで、拓也は克己にどう声をかけたら良いのか、分からなかった。
「と、とりあえず……座って」と、ソファの所に誘導し座らせる。
「克己……顔色が悪いけど、ちゃんと寝た? ご飯もちゃんと食べた?」
克己は返事もなく俯いたままだった。拓也も今日一日仕事が手に付かない状態だったのに、当の本人はもっとだろう。この分だと桜子もどうなっているのか、心配になってくる拓也だった。
「拓也、俺……」と、ひ弱な声が聞こえてきた。
「うん。克己。話は後でじっくり聞くから、先にごはん食べよ」
テーブルの上に出来立てのチャーハンとみそ汁を並べ、冷たいお茶も用意する。克己は、じっとテーブルの上を見つめていた。しかし、食べる気配がない。手も動かずだ。
「克己。食べなきゃ……ゆっくりでいいから、食べて」
ピクリと克己の肩が動く。しかし、その次の動作が無い。暫く様子を見ていた拓也だったが、食べる気配がない克己を見て、どうしたものかと考える。
「克己、ちゃんと食べて。そうでないと、誰が桜子ちゃんを支えて上げれるの?」
克己にとって桜子は唯一無二の存在になるはずだ、と拓也は思っていた。
拓也の一言に、克己はハッとした。そしてゆっくり拓也の顔を見てから、スプーンを持つ。暫くそのままの状態だったが、チャーハンを一口スプーンで
「ああ、美味しいな」
克己はそう言うと、もう一口食べた。拓也はホッとして自分も食べる。克己は最初の一口の時だけ「美味しい」と言っただけで、後は無言で食べていた。食べる速さは遅く、時間がいつもよりかかったが、完食した。食べ終わる頃には少し顔色が良くなり、拓也は安堵した。
「拓也……ありがとう。美味かったよ……」
「良かった」
拓也は空になった皿をキッチンに持っていく。克己も運ぼうとしたけれど、拓也はそれを止めた。
「克己、今日は座ってて」と、手伝いを断る。チラリ、チラリとリビングに居る克己の様子を見ながら食器の片づけをする。来た時よりかは精神状態が安定した様に見えた。ほんの30分ほど前は今にも倒れそうな状態だった。改めて温かいお茶を入れる。
克己の目の前に湯気立つお茶を置く。「熱いから、気を付けて」と一言添えて。
暫くの沈黙が続く。コツン、コツンと部屋の窓に何か当たる。雨が降ってきたのだろう。その音に少し耳を傾けていると、「……拓也」と克己が話し出した。
「俺……何をどう説明したらいいのか、分からないんだ。昨日、あれから桜子と話をしたんだ。記憶? の照らし合わせ? 俺が思い出したというか、覚えがあるというかなんというか、変な感じだった」
「うん」
拓也は克己の話をじっくり聞きながら相槌をした。克己は支離滅裂になりそうな話を必死で纏めようとしている。
「克己は……あの絵の……頭が二つある蛇に見覚えがあるんだね?」
拓也は、敢えて「見覚えがあるの?」とは聞かなかった。多分、克己はあの蛇を知っているんだろう。それは拓也の中ではすでに確定事項だった。
「ああ……俺が今から話そうとしている事は、信じられないことかもしれない。けど……」
克己は口調は穏やかだが、真剣な表情で訴えかけてくる。信じてほしいと――。
「うん。話してみて」と拓也が言うと、克己は深い深呼吸をして意を決した様子で話をしだした。
「俺は、その……プランタニエ領で……春の祈りをする者として生きていた記憶がある。というか、あの蛇を見て少しずつ思い出した」
克己はそこまで話すと軽く息を吐き、拓也を反応を伺うかのように真っ直ぐ見る。拓也は下唇を軽く嚙みしめていた。
「最初は、拓也の小説を読んでいたから、その記憶とごっちゃになったんじゃないかって思った。だけど……違った……確かにあの領地で俺は生きていた。プランタニエ領で生きていた記憶の中では俺の名前は……」
克己がそこまで言うと、拓也は両手を胸の辺りまで上げ、「ストップ!」と話を中断させた。克己は目をパチパチとさせ、驚いている。
「ごめん。克己……名前は、この間エマに怒られて、早く決めなきゃって思って……その日のうちに頭に思い浮かんだものに決めたんだけど……『キリアン』。『キリアン・プランタニエ』だろ? このことはまだ誰にも言っていないし、小説にもアップしていない」
克己は目を見開いていた。相当驚いたんだろう。
「ああ、拓也。その通りだ。『キリアン・プランタニエ』。それが俺の名前だった」
奇妙の話で、今日の昼過ぎまで「まさかそんな事があるはずが無い」と思っていた拓也だったが、今は物凄くホッと安堵した感じだった。バラバラになったパズルが一つはまったような気がした。
そして、克己はもう一つ驚いたことがあったらしい。拓也は何気に話したようだったが。
「そういえば、さっきエマに怒られて? って言ったような。どういう事だ?」
あっ、と拓也は思い出したようでエマとのやり取りを話を克己にざっくりと話した。エマが拓也の前に現れたのは10代半ばぐらいの子だった。キリアンとしての記憶の中にエマは4,5歳ぐらいだったのだろう。
拓也の書いた小説では、キリアンには2人の子供がいた。クロエとリュカだ。クロエが6歳、リュカが4歳の時にキリアンは亡くなった事になっている。設定では、エマはクロエの一歳年下になっている。これらを克己の記憶と照らし合わせても一致する。そして、キリアンと一緒にいたレティシアもその時に亡くなっている。拓也はもう一つの確認をする。
「桜子ちゃんがレティシアの記憶を持っているの?」
「ああ」
克己は頷くいて、拓也の顔を見た。やっぱりと拓也は呟いた。
「じゃあさあ、あの『双頭の大蛇』だったけ……やっぱり」
拓也はその先を聞いていいものかと躊躇った。拓也の書いた小説では、キリアンとレティシアは王都からの帰路の途中で、あの双頭の大蛇に遭遇し殺されてしまう事になっていたからだ。小説の中ではその場面を書いていない。それでも、遭遇した本人達にしたら、相当の恐怖だっただろう。あの絵を見た桜子の表情からして、そうだったのだろうと安易に予想が出来る。
「ああ、拓也の聞きたいことは予想できるな。キリアンとレティシアの死んだ理由だろ? そうだよ。あの魔物に殺された」
克己は目をギュッと瞑りグッと両手も握りしめた。
「キリアンは……俺は、レティシアを、桜子を守ってやれなかった……逆にあの時は守ってもらった……情けない」
「情けないなんて、そんなことないよ。だってキリアンは精霊と契約した祈りをする者だった訳でしょ。剣を扱う事も無かったじゃないか」
拓也は克己を励ますというか、納得させようとする。これは、すでに起こってしまったことだから納得するしかない。それでも、克己と桜子はこの世界で再び出会う事が出来た。もう一度一緒に居ることが出来る。
うーん、と考えている拓也を、克己は「驚かないんだな」と言った。
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