第10話

 拓也は、絵を見るなり怯えていた桜子が落ち着くまで、克己と一緒にいた。あの絵の蛇に見覚えがあるという克己と桜子――。そして拓也が今、創作している小説の登場人物の名前も出て来ていた。もしかして、昨日の昼間のエマの件も関係があって、何か知っている可能性があるのかも――。そんな事を考える拓也は慌てて首を振った。そんな事があるはずがないじゃないか、何を考えているのだと、否定する自分がいる。


 拓也はチラリと克己を見た。桜子と寄り添うように体を支え彼女の髪を撫でている。少し落ち着いてきたのだろう、克己が「大丈夫か?」と桜子に尋ねると「うん。大丈夫」と返事をしていた。


「拓也、今日はごめんな。ありがとう。また、連絡するわ」


 克己はいつもより口数が少ない。少なからず動揺しているのが伝わってくる。そしても桜子も――。


「拓也さん、ありがとうございます」


 その言葉を口にするのがやっとな程、彼女の顔色は優れなかった。


「気にしないで」


 拓也も頭の整理が出来なかった。何が何だか分からず、その一言しか言葉が出てこない。もっと気の利いた言葉をかけてあげたかったが、何をどう言ったら彼女の気分が優れるのか分からなかった。

 ずっしりと心に重い物を抱え込んだようになった拓也は二人の後姿を見ながら見送った。

 そして、その日はなかなか寝付けず、拓也が寝たのは午前3時ごろだった。


 翌朝、眠れたのか眠れなかったか、よく分からない状態で拓也は目覚まし時計が鳴る前に目が覚めた。あれから、あの二人はどうなったのだろうか、と心配になる。かと言って、電話をするのも気が引けた。メールの方が良いかも、と拓也はスマホでメールのアプリを開き文字を打つ。けれど、なんて送ればいいのか思いつかず、文字を打っては消し、文字を打っては消しの繰り返しだった。


 長い溜息を吐き、何か食べて頭をリフレッシュさせようと朝食の準備をする。昨夜は、あれから何も手が付かず、何もする気になれず、朝食の用意も出来なかった。だから仕方なく先日買ってあったシリアルに牛乳をかけて食べた。


「やっぱり、気になるよね」


 スプーンでシリアルをすくい、口にパクっといれる。牛乳に浸したシリアルは半分ぐらい柔らかくなっていた。自分が描いた絵ではないにしろ、あの絵を見せたのは拓也自身だ。そうでなくても、とても放っておける拓也ではなかった。


「心配だな……あぁ、でも何てメールすれば……とりあえず、『元気?』『大丈夫?』。うーん、どうしよう」


 いろんな言葉を頭の中に巡らせた拓也だったが、結局は『元気? 大丈夫だった?』とありきたり文をメールし、朝食を食べ終え会社に向かった。もっと違う言葉をメールしたかった、と思いながら――。


 昼休み、会社の食堂で昼食を食べながらスマホを見ると、克己からメールの返信が来ていた。

 ただ一言だけ、『大丈夫』と――。


「うわあ、ダメだ。これは……本当に大丈夫なのか?」


 物凄く心配になり、拓也がテーブルの上に伏せていると、同僚の女性たちが何やら話をしていた。耳を澄まして聞いていると、何かの本の内容を話しているようだった。


「ねぇ、それって面白いの?」

「うん。今、私、ラノベにハマってて……この本ね、登場人物が誰かが書いた異世界の小説に転生してしまうっていう話なんだけど……」

「え? そんな設定の小説あるの?」

「それがあるのよ。たまに読むとね面白いのよ。他にもゲームに転生するものとか……」


 そんな会話が聞こえてきた。

 異世界転生? ああ、今流行りの――。

 拓也も、異世界ファンタジーのライトノベルはいくつか読んだことがある。拓也が今書いている小説も似たようなものだ。拓也が高校生の時に書いた話もファンタジーだった。戦国大名が現世に敵方の一人と一緒に幼馴染として生まれ変わり、異世界の戦国時代に転移してしまう、そんな話だった。


「異世界転移? 転生? あれ?」


 もしかして――いや、そんな事があるはずが無い。拓也は自分の考えをち打消した。まさか、克己と桜子が、転生者であるわけがない――。

 けれど、拓也は最近いくつかの奇妙な体験を思い出した。

 精霊が描く絵。

 そして、エマの登場。


 エマに会ったことも、夢の中の出来事だと思いたかったが、桜の花が咲くこの時期に、テーブルの上に紅葉こうようした紅葉もみじの葉が置いてあって、夢ではないとその葉が物語っていた。


「え? ちょっと待って……」


 拓也は頭の中で今までの出来事を整理しようとした。先程の聞こえてきた同僚の女性の話の内容に照らし合わせてみる。


 克己と桜子が転生者で――小説の中に転生した? いや、それは違う気がする。俺の書いた小説の中から転生した? こっちの方が正しい? あれ? でも、殆ど後先考えずに創作している小説でなのに、あれ? 何かおかしい? だって、大蛇もヘスティアもまだ小説の中には登場していないのに、あの二人は知っていた。そして、桜子は『クロエ』と『リュカ』の名前を懐かしそうに呟いていた。


「ああー! わかんない!! どうなっているんだ!」


 拓也は大声を出した。そして今、自分が会社の食堂にいることも思い出す。周りを見渡すと、ジロジロと見られていた。拓也は恥ずかしくなって昼食を早々に食べ、食堂を出て行った。


 案の定、拓也は午後からの仕事も殆どはかどらなかった。色んな事が頭の中をぐるぐると巡り、しかしミスをするわけにいかず、集中できない中でも必死に仕事をこなしていた。


 そんな状態の中、やっと終業のチャイムが鳴った。


「あぁ、やっと今日は終った。長かった」


 拓也はスマホを見た。あれから克己からのメールが無くて、不安で仕方がなかった。そんな気持ちのまま帰路につく。日中ぽかぽかしていたが、日が沈むと一気に気温が下がる。そして、拓也の心にも寒風が吹いていた。


『ピコンピコンピコン、ピコンピコンピコン……』


 拓也のスマホの着信音が、暗くなった静かな町に響く。着信を見ると克己からだった。緊張からか、拓也は一度ごくりと唾を飲み込んだ。そして軽く深呼吸をして、電話にでる。


「もしもし……?」

「……ああ、拓也……」


 会話が続かない。克己の力ない声が聞こえた。克己は、いつも明るい声で電話をしてくる。拓也は、仕事がうまくいかず落ち込んでいる時、その声に元気をもらっていた。こちらが落ち込んでいると、くだらない事で冗談を言い合ったり、相談に乗ってくれたり、励ましてくれた。その克己が、今にも消えそうな声で電話をして来たのだ。


「克己! 今から俺のアパートに来い!」


 拓也は強めの声で言う。けれど、それは怒ったり、怒鳴ったりしたものでもない。悩み事、心配事、何でも聞いてやる! と意気込んだ声だった。


「……いいのか?」

「何言っての? 聞いてほしいことがあるんでしょ!」

「……そう、だな。きっと、聞いてほしいんだ。俺は……」


 克己は自分で納得したように言った。きっとどうしていいのか分からずに電話をしてきたんだな、と拓也は思った。


「1時間ほど後になるけど、行っていいか?」

「うん、俺も15分ほどで着くから、大丈夫だよ」

「ありがとう……」


 電話を切ったあと、拓也は急いで家に帰った。

 アパートに着くと、パパっと着替えキッチンに立つ。買い物をする時間が無かったが、いつも冷蔵庫の中身にはいくつかの食材をストックしてある。冷蔵庫の中身を確認する。卵、厚切りベーコン、あと野菜などもあった。炊飯器にはタイマーをかけてあり、あと10分ほどで2合のご飯が炊きあがる。


「うん、これならチャーハンとお味噌汁ぐらい出来るかな?」


 



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る