第9話

 昨日は、克己が来ると事前連絡があったため、拓也は今日は定時に上がる。帰宅途中にスーパーで夕食の材料を買って帰る。ひき肉、食パン、玉ねぎ、レタス等が買い物袋に入っていた。


 アパートに着くと、早々に着替えエプロンを着ける。手早く玉ねぎをみじん切りし、バターで炒める。炒めたら冷めるまでに、家にあったジャガイモの皮を剥きポテトサラダを作った。付け合わせに野菜を用意し、最後にひき肉、玉ねぎ等を混ぜてたねを作る。時間を見ると、約束の時間までに20分ほどあった。


「もう一品できるかな? うーん、やっぱりお味噌汁かな?」


 拓也は冷蔵庫の中を見た。豆腐、まいたけが目についた。その二つを取り出し、あと乾燥わかめも用意し、水にもどす。その材料で味噌汁を作った。そして、ハンバーグを焼きにかかる。熱したフライパンにハンバーグを入れると、ジュッと音がした。蓋をしてタイマーをかけ、その間にお皿に野菜を盛り付ける。


『ピンポーン』


 インターフォンが鳴った。拓也は慌ててドアを開ける。克己と少女が立っていた。


「いらっしゃい! どうぞ。上がって」


 拓也は二人を招き入れるが、少女の方が少々戸惑っているよう様に見えた。

 おいで、と克己が手を引く。


「お、お邪魔します」


 二人がリビングに来ると、座っててと拓也が言う。二人が並んで座るのを確認すると、たった今、焼きあがったハンバーグを持っていく。


「拓也、ありがとう」

「あ、何かお手伝いがあれば……」


 少女は慌てて立とうとしたけれど、拓也は「大丈夫だよ」とまた座らせた。

 ごはん、味噌汁を運び、冷えた緑茶を出す。


「どうぞ。来てすぐだけど、焼き立てだから食べよ」

「その前に拓也、紹介させてくれ。小東こひがし 桜子さくらこさん。今付き合ってる子だ」

「桜子です。よろしくお願いします。高校3年生です」

「北出 拓也です。こちらこそよろしくお願いします」


 二人が深々と頭を下げる。

 桜子は、克己の顔を見た。「食べよう」と言うと、手を合わせ「頂きます」と言った。


「どうぞ、嫌いな物あったら残して良いから。克己もほら、食べて。ハンバーグ大好きでしょ」

「ああ、頂きます」


 桜子は、ハンバーグを一口、口の中に入れた。入れた途端、目をまん丸にして克己の顔を見て、拓也の顔を見た。


「美味しい!! 凄く美味しいです!」

「良かった! お口に合ったみたいで」


 ここに来て初めての笑顔を見た。


「だろ? 拓也の作ったハンバーグは美味しんだ。俺、こいつの作ったハンバーグが一番好きだよ」

「どうやって作るんですか? 何かコツがあるんですか?」


 少し食い気味に聞いてきた。


「何もコツは無いよ。そうだね……シンプルに作る事かな。変に色んなものを入れない。これがコツかな?」


 それから三人は他愛もない会話をしていた。拓也は、二人の出会いも聞いてみた。どんなふうに出会ったのか、少し興味があったからだ。


「私が公園の階段で転んで擦りむいて、ベンチで座っている時に『大丈夫か?』って声をかけてもらったの。それから、近くの薬局で絆創膏を買って来てくれて、手当もしてもらって……。なんだか、春の暖かさのようなものを感じて……」

「まあ、なんだ。桜子ってこう見えてもおっちょこちょいな所があって、目が離せないと言うか……」


 克己の顔が赤い。こんな幸せそうな克己は、ハンバーグを食べている時以外ないかもしれない。拓也は少し嬉しくなった。


 食事が終わると、片付けに入る。桜子も手伝うと言っていたけれど、拓也は遠慮してもらった。だが、克己の方はいつもの如く食器を洗う。


「座っててくれて良いよ。せっかく、桜子ちゃんがいるんだから」

「大丈夫だ、すぐ終わるだろ。今日もありがとな。美味しかったよ」


 そんな二人を桜子は、とても仲がよさそうと眺めていた。


 片付けが終わると、今度は熱いお茶を用意した。何か用事があって今日は二人が来たのだろう。チョコレート、クッキーのお茶菓子を一緒に出す。


「ところで、今日は何か話があったんじゃ……」

「いや、特にこれと言った話はないんだが、桜子が拓也に会ってみたいと言って」

「……ごめんなさい。変な意味ではないんです。克己さんがとても楽しそうに拓也さんの話をするので、どんな人なのかなと思って……」


 遠慮しがちに桜子が答える。何を言われるのか少し身構えていた拓也はホッとした。


「俺、何か相談事でもあるのかと、ちょっと心配してたんだけど。良かった」

「ほんとごめんなさい。夕食まで用意してくれたのに……」


 桜子は俯いた。


「夕食の件は良いよ。克己が来るときには、いつも用意してることだし。泊って行く時は朝食だって用意するし。いつもの事だし気にしないで」

「ありがとう……ございます」

「だから、気にすんなって。大丈夫だって言っただろう?」

「うん」


 本当に気にしなくていいのになと考えながら、何か話題を変えたいなと拓也は思った。

 

「あ、そうだ! 克己、スケッチブック見てくれる? また、書いてあったんだ」

「また、例のか……」

「これ、なんだけれど」


 拓也はスケッチブックの頭が二つの大蛇の絵を克己に見せた。克己と桜子がその絵を見た瞬間に顔色を変えた。


「「!」」


 桜子の方は、声にならない悲鳴を上げた。そんなに、驚く程でもないと思っていた拓也であったが、克己の様子もおかしいのに気付いた。


「拓也、この絵って……」


 克己が両手で頭を押さえて苦しんでいるように見えた。


「克己? 克己、大丈夫?」

「拓也さん、この絵は……どうされたのですか?」


 桜子の手が震えている。二人ともどうしたんだろうと心配していると「私、これと同じ物をどこかで見た記憶があるような……」と桜子が呟いた。


「……桜子もか?」

「はい。双頭の大蛇と頭の中に浮かび上がった感じです。どこで見たかがはっきりしないのですが……恐怖と言う感情が体の奥から湧き上がってくる感じです。遠い遠い昔に……」


 そう言った桜子が目を見開いて、一段と震え出した。


「ああぁ、あれは……特に深紅の瞳が恐ろしく、大きな大蛇で牙をむいてきた……」


 桜子の様子がおかしい。拓也はどうしていいのか分らずにいると、克己が「大丈夫だ、大丈夫だ」と桜子に言い聞かせてそっと抱きしめた。


「克己さん、何か記憶の片隅に見えるの。記憶がフラッシュバックするような……あれは、珊瑚色の髪にエメラルドグリーンの瞳の女の人?」


 拓也は桜子の言う言葉に一瞬戸惑った。拓也の記憶にというか、記録にある女性。それは、拓也が今書いている小説の登場人物の一人だった。まさか、そんな事があるはずもない。もしかしたら、桜子が拓也の小説をどこかで呼んだことがあるのかもしれない。そんなことも考えてみたが――。確かめてみよう。


「その珊瑚色の髪にエメラルドグリーンの瞳の人って、クロエ?」


 拓也の小説に登場人物の中で、同じ人物像は二人。一人はクロエ。もう一人はまだ登場していない人物、ヘスティア。ヘスティアの名前が合えば――。いや、そんな事があるはずがない。まだ、書きあげていない部分の登場人物の名前が合ってしまえば、書きあげていない部分の記憶が桜子にある事になってしまう。拓也は混乱しそうな頭の中を一旦落ち着かせようとした。


「ううん、違うわ。……でも、クロエ。とても大切な名前」

「ああ、そうだな。クロエとリュカだ」


 桜子の黒い瞳からは涙が流れていた。拓也は何が何だか分からなくなった。何故、桜子が登場人物のクロエとリュカの名前で涙を流すのかを。そして――。


「……ティア、そう彼女は、ヘスティアだったわ」

「!」


 拓也は桜子の呟きに目を丸くした。狐に包まれたような、これは夢なのか。



 


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