第8話

「取り敢えず言いたいこと言ったし、帰るわー」

「あ、う、うん」

「約束、守ってよねー。ルー兄様に絶対、怪我させないでねー」


 そこで、拓也は意識を失った。いや、失ったと言うより眠ってしまったと言った方が正しいかもしれない。ベットに寄りかかって寝息を立てて眠ってしまったていた。


『ピコンピコンピコン、ピコンピコンピコン……』


 拓也の携帯電話がベット横にあるサイドテーブルの上で鳴っている。うーん、と携帯電話に手を伸ばし、片目を開けて誰からの電話か見た。克己だ――。


「ふぁーあ」と大きな欠伸をしながら、拓也は「もしもし? どうしたの?」と電話に出る。


「おう。なんか眠そうな声だな? 寝てたのか?」

「ああ、うん。いつのまにかねぇ。なんかねえ、変な夢見てたよー。小説の登場人物にあーだ、こーだと文句を言われる夢……散々、文句言われちゃったよ」

「あー、それは重症だな。夢に出てこられるとゆっくり寝てられないな」

「うん。そーだね。克己どうしたの? デートは?」

「化粧直しに行った。お前、本当に大丈夫か? 起こして悪かったな。もう少し寝てろ、じゃな?」


 プツリと一方的に電話が切れた。拓也は携帯電話を見つめる――。一体、何の用事だったのだろうかと、拓也は首を傾げた。


 どれくらいうたた寝をしていたのだろう。洗濯機を見るとすでに終わって電源が切れていた。


「あ、干さなきゃ」


 拓也はよいしょっと立ち上がった。洗濯機の方に行こうとしたら、見慣れない――いや、そこにあるはずの無い物が視界の隅に入った。


 え? 一瞬で血の気が引く想いをした。机の上にスケッチブックと一緒に紅い紅葉の葉が数枚、置いてあった。


「こ、これは……え? 何? なんで、こんな物があるの? もしかして……あれは、夢じゃなかった?」


 拓也は、部屋の中を見回す。怪しい所もない。ソファに座って紅葉の葉を持ち、表面を指でなぞる。


「ほ、本物? 本物だ……。じゃあ、エマは本当にここに来てたのか?」


 茫然とする中、彼女との会話を頭の中でグルグルと考える。


「ち、ちょっと何を話したっけ?」


 文句ばかり言われていた記憶が蘇ってきた。


「あ! 大変だ! 書かななきゃ! 約束したんだ、ルーカスに怪我をさせないって。 厄介な魔物やヒントのメッセージも考えなきゃ!」


 拓也は、慌てて洗濯物をベランダに干した。干している間に、心地よい春風が吹き、どこからか桜の花びらが舞う。そんな中、携帯電話がまた鳴った。


『ピコンピコンピコン、ピコンピコンピコン……』


「はいはい。ちょっと待ってね」


 持っていたいくTシャツをハンガに掛け干す。手が空いたところで、ズボンのポケットに入れてあった携帯電話を取り出した。


「また、克己からだ……はい、もしもし、克己どうしたの?」

「拓也、明日そっちに行っても良いか? 大学終わってからだから18時頃になるけど……」

「うん。良いよ。夕ご飯用意しておくよ」

「あ、うん。彼女も連れて行っても良いか?」

「え? 会わしてくれるの? 良いよ。楽しみに待ってる。じゃあ、夕食は3人分だね。えーと嫌いな物とかあるの? アレルギーとかある?」

「あまり嫌いな物は聞いたことないな。アレルギーとかも大丈夫なはずだ」

「良かった。楽しみにしてるね」

「ああ、じゃあ、明日な」


 拓也は電話での克己の声のトーンが少し低かったような気がした。何かあったんだろうかと心配になってくる。


「そうだ、明日は克己の好きなハンバーグにしよう」


 拓也は昼食の準備をしながら明日の夕食のメニューを考え、昼食時には食べるながらカチカチとノートパソコンのキーボードを叩く。

 うーん、と頭をひねりながら考える拓也は、エマに言われたことを思い出す。


「ルーカスには怪我をさせないで、か……どうしようか、最大の魔物もどんな魔物にしよう? まず、そこからだよね……ああ、進まない。浮かばない。書きたいけれど書けない……」


 拓也は溜息を吐きながらゴロンと寝転んだ。天井を見ながら暫く考えていたけれど、何も思いつかずムクっと起き上がった。


「ああ、ダメだ。今日は無理かも。進まない……気分転換に公園にでも散歩に行こう」


 拓也はスニーカーを履いて外にでる。トントントンとアパートの階段を下りた。いつもの公園を目指して歩く。ぽかぽかとした日差しだけれど、日陰に入ると少し肌寒い。拓也は公園に着くと、ボーっと何も考えずにベンチに座ていた。


  近所の子供たちだろうか、元気に走り回っている。滑り台に上ったり滑ったり、ボールを投げキャッチボールをしたりして、皆楽しそうに遊んでいた。そして、どこからか、驚いている子供たちの声が聞こえた。


「あー、ねえ見て! あそこに蛇がいるよ!」

「えー、どこどこ?」

「ほら、あそこ!」


 子供たちの声で拓也もその方向を見た。丁度、黒い蛇が茂みに入るところだった。


 蛇か――。


 よいしょっと、拓也は立ち上がる。


「帰ろうかな……」


 創作意欲が湧いたような、そうでないようなそんな気持ちだった。

「んー!」と拓也は腕を上に挙げて体全体を伸ばす。


「さあ、帰って書いてみるか……書ける気がしないけど」


 空を見上げながら帰る。白い雲がゆっくりと静かに流れていく。平和だな、と拓也はその空を見上げながら思った。


 アパートの部屋に着くと拓也はノートパソコンの前に座る。電源を入れキーボードの上に両手を乗せるが、一向に動く気配がない。ピクリと右手人差し指が微かに動くが、キーを下まで押せない。他の指も僅かに動くが、キーの叩く音までしない。そんな動作が数回繰り返されていた。


「ああー! もう! どうしたらいいんだ! 今日はもう辞め!」


 そう叫びながらベットに寝転んだ。拓也は夕食も食べずにそのまま朝まで寝てしまった。


『ピコ、ピコ、ピコ、ピコ、ピコ、ピコ』


 いつもの目覚ましのアラームが鳴る。拓也は片目を開けながら目覚まし時計を手探りで探す。カチっとボタンを押す音がし、目覚まし時計の音も消えた。ベットから体を起こし座る。首を右に左に1回転づつさせて、時計を見た。


「あちゃー、夕食も食べずに寝てしまった」


 当然、前日に朝食の下準備も出来ていない。何食べようかな、と拓也は立ち上がった。冷蔵庫の中身を見にテーブルの横を素通りしようとした時、また、目の端に何かが見えた。それは、スケッチブックだった。


「あれ? ここに置いたっけ?」


 確か、昨日は使う事が無かったスケッチブックをテーブルの端に置いておいたはずの何故か、テーブルの中央に置いたあった。拓也は、首を捻りながらスケッチブックをパラパラとめくる。


「!」


 拓也は描かれていた絵に驚いて、スケッチブックを落としそうになった。そこに描かれていた絵は、拓也が描いた絵ではない。そして、なんとも不気味な絵だった。


「……こ、これは……もしかして、どうしようか悩んでた魔物の絵?」


 そこには、頭が二つある、牙が見えるほどの大きな口を開けた、どす黒い蛇の絵だった。片方の頭には真紅のような両目、もう片方の頭には片目が瞑れていたが、もう一つの目は新緑を思わせるような色だった。


「今にも飛び掛かってきそうなリアルな絵だな」


 この絵を誰かが描いた。自分が描いたものではないのは拓也も分かっている。心当たりがあるとすれば、先日、夜中に見た小さな精霊(?)たちだ。拓也はいろいろと考えたい思いがあったが、時間だけは刻々と過ぎてしまう。なんといっても今日は仕事の日だ。時計を見た拓也は、スケッチブックをテーブルの上に置き出勤の準備を始めた。

 

 


 




 




 

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