第6話

「ねぇ、克己。夜中に見たのって……」

「忘れろ……」


 克己はコーヒーを一口飲んだ。


「え、忘れろって言ったって、だって……あれって精霊……じゃない?」

「はぁ? 精霊? ……まさか……今、拓也が書いている話に出てくる精霊?」

「うん。多分そうじゃないかなって思ってるんだけど……」

「そんな訳ないだろ? 変な風に考えるなよ。本当にもう忘れろ……俺、今から用事あるんだ。もう帰るけど、執筆進めとけよ! 楽しみにしてるんだからなっ!」


 克己はコーヒーを飲み終わると、朝食時と同様、チャチャっと洗う。

 それをじっと見ていた拓也は、「デートなの?」と聞いた。


「まあな。また来るよ」

「うん。分った。こっちに来るとき、連絡頂戴ね。夕食とか用意しておくから」

「おう! ……って、会話だけ聞いているとなんかやばくねぇか?」


 克己はごしごしと頭を掻き、拓也はきょとんとした顔をしている。


「どう、やばいの?」

「ああ、俺……お前とどんな関係なんだ?」

「うーん……親友でしょ。違うの?」

「いや、親友だよな。うん。そうだな。親友だ! なんかさあ……二股かけてる感覚になる」

「そう? じゃあ、今度BLでも書こうかな?」

「辞めとけ! 俺の趣味じゃねぇし、拓也だって異性のイチャイチャものの恋愛って苦手だろ? そんな拓也に書けないだろ?」


 拓也は首を傾げる。


「うん。そうかもね。BLはハードル高そうなイメージがあるよね。」

「もう、時間だから行くぞ。」

「気を付けてね」


 拓也は、克己に手を振る。


「おう!」


 克己は部屋から出て行った。部屋の中はシーンとなる。先程までの賑やかさが嘘のように感じられた。拓也にとって、克己はとても気の合う大事な親友だ。いくら社会人になったからといっても、地元を離れての一人暮らしは流石に寂しい。たまたま、同じ地域に拓也は就職、克己は進学となり、高校卒業時にはかなり喜んだ。けれど、克己の次の大学卒業後の進路がまだ決まっていない。もしかしたら、もうすでに決まっているのかもしれないが、まだ拓也は何も聞いていない。克己がこの地域に残るのも考えにくい。


「克己がいなくなったら、寂しいなぁ」


 克己の人生だから考えてもしかたないよな、と拓也は気持ちを入れ替える。


「さてと、家事をしながら執筆しようかな。まずは、洗濯しよう!」


 ちょっとした寂しさを紛らわすため、拓也は声に出して言ってみた。


 そういえば、と拓也は考えた。今、書いている小説には魔物が出てくる場面がある。魔物の表現をどうしようか、そのままいろんなゲームに出てくる魔物の名称を使っても良いのだろうか? と。


「うーん、難しい……オークとかゴブリンとか? なんか、イメージが違うよね」


 首を傾げながら、洗濯機の中に洋服を入れ電源を押す。ガアア、ガアアと洗濯槽が回り、洗剤、柔軟剤を入れて蓋をした。

「これでよし!」と言って、後ろを振り向いたら、心臓が止まる思いをした。


「え?」


 慌てて、拓也はまた洗濯機の方に見た。


 見間違い? 見間違いだよね?


「今の誰?」と呟くと「誰? じゃないわよー」と女の子の声がした。

 拓也は恐る恐る振り向く。やっぱり居る――。また、慌てて洗濯機の方を見た。


「ねぇ、こっち向きなさいよー」


 可愛らしい声だけど、少し怒っているようだった。拓也は言われるまま、そおっと振り向く。心臓が物凄い速さでドキドキと動いてる。でも、見たことのある子だ。


「あれ? もしかして?」

「君だよねぇ、長ったらしい作品名の小説書いてるのー。一つ文句があるからー、その小説から出てきたのー。私の大切な兄様に余り危ない事させないでよねー」


 目の前には、腕を体の前に組んで紫の髪を後ろで結び、和装を着て少し釣り上がった金色の瞳でこっちを睨んでいる。赤をベースに白い小花を散りばめられた丈の短い浴衣にふわっとしたもんぺ風のズボンを履いた女の子だった。


 あのスケッチブックの女の子だ――。


「も、もしかして、エマ?」

「そうよー。自分で書いている小説の登場人物ぐらいー、知ってるでしょー」

「え、は、はい。知ってます……知ってるけど……本当にエマ? 何でここに!」

「もう! 何度確認するんですかー!」


 いや、そんなはずがない――。あるはずがない――。

 拓也は心の中で呟いき、その場に座り込み目をゴシゴシと擦った。


 何かがおかしい。どうなっているんだ! と目の前にいる少女に対して拓也の心臓が激しくドクドクと鳴り、頭の中が真っ白になった。


「はあ、そんなに驚かなくてもー。……ねぇ、顔色悪いけど大丈夫ー?」


 エマもしゃがみこんで拓也の顔を覗き込む。


「ひぃ!」


 誰の所為だと思っているんだ! と拓也は心の中で叫んだ。


「私ねー、君にお願いがあって小説の中から出てきたのー。後でちゃんと元の世界に帰るわよ、心配しないでー」


 俺の小説の中では、エマは言葉の語尾を伸ばして話す設定になっていた。この話し方は間違いなくエマだ。それは拓也が一番分かっている。


「あのねー、さっきも言ったけどー、私の大切な兄様に危ない事させないでよねー」

「危ない事?」

「そーよー。魔物駆除とか、いつも一人でさせてるでしょー」

「え? でも、設定上は……」

「書いてるのは、君だよねー。そんな、どうにかしてよー」


 無茶苦茶な要求である。拓也は小説のプロットこそ無いけれど、ある程度の話は頭の中に入れてある。途中、忘れたり、話の内容が変わらなければ――。


「エマ、落ち着いて……ね。この後、物凄い魔物が出てくるストーリーになってるんだ。危ない事させないでって言われても困るよ」


 エマは目を見開いた。そして拓也を睨みつける。


「は? 何て事してくれるのよー。怪我なんてさせたら、承知しないわよー!」


 あ、あれ? エマってこんな性格だった? もっとおっとりとした性格の設定だったはずなのに――。


 どうやら、拓也が考えていた性格と違っているようだった。もしかして、兄が絡むと性格が変わる? でも、これ以上怒らせるとどうなるか分からないし、と拓也は考えて一つ提案を出した。


「兄様って、ルーカスの事だろう……わかった。怪我をしないように書いておくから、その代わり、エマが頑張って魔物の弱点を捜して、エマが仕留めてよ」

「えー、意味わかんないー。何でそんな回りくどい仕方するのよー」


 エマは立ち上がり、拓也を見下ろした。








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