第5話

「とりあえず……朝飯食うか?」


 克己は何事もなかったように言った。


「かつみー、もしかして見なかったことにするのか?」

「ああ、何も無かったし、何も見なかった」

「ええー! そんなあ」

「拓也も何も見なかった。忘れろ!」


 拓也は、克己があれを無かった事にするのにびっくりした。確かに両目でしっかりと見たわけでもない。そっと見ただけだけど、可愛らしい声だって聞いた。

 あれを見なかったことにするのかと拓也は呆気に取られた。


「早く忘れて、執筆に勤しめ! 昨日も全然進んでなかったやないか? 早く続きを考えろ」

「なんかさぁ、勢いが出ないんだよね」

「昨日だってカチャカチャとキーボードを叩く音が聞こえたと思ったらBSキーばっか押してるんじゃないのか? まあ、後先考えずに勢いだけで書いてもロクな事ないよな」

「……っ! 分かってるよ!」


  図星だったのか拓也は不貞腐れていた。

 克己はそんな事はお構いなしに、昨夜、朝食用に作ってあっただし巻き卵を冷蔵庫から出してきた。もちろん作ったのは拓也である。

 拓也もヨイショっと立ち上がると、先程炊き上がったご飯をお茶碗に入れた。


「克己ー、味噌汁も食べる? レトルトだけどあるよ」

「おう、食べる」

「納豆は?」

「それもいる」

 

 机上には、ご飯、味噌汁、納豆、だし巻き卵、サラダが並んだ。


「こんな物しか無いけど」

「いや、大学生の俺にしては豪華だよ。やっぱ社会人は違うよなあ」


 二人は「いただきます」と手を合わせて食べ始める。


「俺も早く社会人になって働きたいわ。バイト代じゃ微々たるものだし」


 拓也は急須にお湯を入れ、克己に「はい、お茶。熱いから気をつけて」と渡す。


「おう、ありがとう」


 拓也はまた食べ出す。


「でもさ、高卒の俺にとっては大学生の克己が羨ましいよ。専門分野が学べるし、交友関係だって広くなるでしょ。それに初任給だって高卒より断然良いじゃないか」

「そうか? だけど、早く自立してぇ。そういや、ネットに上げてる小説ってさ、収入あるのか?」

「あるよ。俺はまだまだだから、ほんと小遣い稼ぎにもならないけれどね」


 拓也は卵焼きを口の中に入れた。「これ、美味しく出来た」と言って嬉しそうな顔をした。


「ふーん。執筆してることは親とかは知ってるのか?」

「言ってないよー、秘密にしてある。別に言う事でも無いでしょ。書籍化にでもなれば、言うかも……いや、言わないかな。まあ、書籍化なんて夢のまた夢だし」

「そっか、書籍化なるといいな」


 克己の一言に拓也は驚いた表情をした。「どうした? 俺なんか変な事言ったか?」と克己が尋ねる。


「ううん。克己がそんな風に言うなんて思っても見なかったから」

「そうか? 俺は拓也の書く小説は普通に面白いと思っているし、俺がファン第一号だからな!」

「ありがとう。そう言われるともっと頑張ろうって気になるよ。でも、今の作品では無理だね」

「どうしてだ?」


 アチッと言いながら克己はお茶を一口飲んだ。


「俺……今書いてるの物は、しっかりとしたプロットが無いんだよね。行き当たりばったりみたいな? ホント勢いだけで書いてる所があるから、ヤバいんだ」

「でも、ぼんやりとした物はあるんだろ?」

「うーん、あるのかも? ……だけど」


 拓也は何故か疑問形で返す。


「どっち何だよ!」

「話の流れが変わってきてる……文字数も予定より大幅に増えてる。エピローグまでちゃんと辿り着けるか、不安だよ」


 拓也は納豆をぐねぐねと掻き回しながらぼやく。


「もしかして……エピローグ、どうするか決まって無いんじゃあ」

「……」


 図星らしく克己の問いに返事をしない拓也。


「まじかぁ。決まってないのか。とりあえず、そこ決めろ。そこを目指せ!」

「うーん、最初はね、もちろんあったんだよ。考えていたエピ。だけど……」

「話の流れが変わってしまったのか?」

「そう! 克己すごいね! 何でわかったの?」


 言い当てられ興奮した拓也は持ったままの箸を克己に向けた。


「箸! 向けんな! 危ないだろ!」


 ごめんごめん、と言いながら箸を引っ込めた。


「話の流れが変わったら、いつの間にかどんなエピにするか忘れてしまって……」

「どっかに書いとけ! 頭の中に置いておくから、忘れるんだろ、って普通忘れるものなのか?」

「さぁ? どうだろうね。執筆してる人に聞かないとわからない。けど、皆んな『プロットを……』って、近況ノートとかにアップしてる人見かけるし、ちゃんとしてる人はしてるよね。きっと」

「相変わらず呑気だな」

「誉め言葉として」

「誉めてねぇし」

「……」


「ご馳走様でした」と克己が手を合わせ食器をキッチンに運ぶ。チャッチャッと洗ってカゴに入れていく。拓也も食べ終わり一緒に食器を持っていくと、「洗ってやるよ」と克己が拓也の分の食器を洗った。


「ありがとう」

「いいや、こっちこそご馳走になったから、これくらいしないとな」


 食器を洗っている克己の横で拓也はコーヒーを入れる。


「ブラックで良かった?」

「ああ」


 机の上にホットコーヒーをコトンと2つ置いた。








 




 

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