第2話

「俺、そろそろ帰るわ」

 時計の針が午前1時を回った頃、克己がそう言って帰っていった。

 拓也は作業机で小説の登場人物の絵をスケッチブックに描く作業をしていたけれど、いまいちイメージが湧かない。


「ふぁあ……」


 大きな欠伸が出た。拓也に睡魔が襲って来たのだ。


 コクリ、コクリと船を漕ぎ出したと同時に持っていた色鉛筆がコロコロと転って机の下に落ち、拓也はそのまま椅子に腰掛けて寝てしまった。




 カーテンの隙間から、外が薄っすらと明るくなるのが見える。どのくらい寝たのだろう。夜があける。午前5時前だった。


 拓也がふと、机のスケッチブックに目を向けた。


「あれ? これはなんだ?」


 スケッチブックには、シルバーブロンドの長い髪で、少し吊り上がった瞳はローズピンク、青色のドレスを着た女性が描かれていた。

 ぼんやりとしたイメージしかなかった女性だった。


「え? ……これは、凄いぞ! 主人公の幼馴染の姉にピッタリだ!」


 スケッチブックを高く掲げて大喜びをした。大喜びしたが――。


「でも……俺の絵じゃない。俺は描いていない。一体誰が描いたんだ?」


 拓也自身が描いた覚えもない絵だ。

 漠然としたイメージしかなかった登場人物に誰かが命を吹き込んだかのように描かれていた。拓也は不思議に思ったが、ストーリーの続きが書けるような気になり、ノートパソコンを開けた。


「ああ、書ける! そうだ、ここはこうしよう!」


 カチカチとノートパソコンのキーボードを叩く音が続く。気が付くと時計は朝の7時になっていた。


「せっかく気持ちが乗ってたのに。仕事に行く準備をしないと」


 まだ、書きたいという思いを我慢して後ろ髪を引かれる思いでパソコンの前から離れた。

 拓也は会社に向かう車の中でも、ストーリーのネタを考える。あれをああしたら良いかも、いや、あれはこうしたらいいなあ、とか考え、でもこれはこうした方が――。

 気が付くと、あれ、最初どうしようと思っていたんだろ、と話が変わっていったようだった。



 

 今日も慌ただしかった仕事を終え、アパートに帰ってきた。


「ただいまー。ああ、クタクタだよ」


 だが、「お帰り」と返事が帰ってこない。当たり前だ、一人暮らしなんだし。シュンとした寂しい気持ちになった。


 お湯を沸かし、コーヒーを入れ、途中コンビニで買ってきたカレーパンとおにぎりを噛り付く。今朝、スケッチブックに描かれていた女性の絵を見た。


「一体、誰が書いたんだ」


 しばらくイラストを眺めていると、


「……っ!」


 今、誰かに見つめられているような気がした。顔を動かさず目だけを上下左右動かして恐る恐る部屋の中をそーっと確認する。


「誰もいない……よな?」


 最後に自分の真後ろをそーっと振り向く。


「はあ、気のせいか。当たり前じゃないか……」


 でも本当に誰が――。


 まだ消えない恐怖心を紛らわすため、今日買ってきたカレーパンにまつわる歌を口遊みながら、拓也はラフな格好に着替えた。

 

 作業机にノートパソコンを広げると、今日仕事中に考えていた文章を入力していく。集中していくうちに絵の事は忘れ、気が付くと時間は午前0時を回っていた。


 次は秋の風景の文章を考え、ここにいれたいな、とどんな風景を文で表そうと考えていたが、やっぱり睡魔には勝てない。


「眠い……年かな?」


 と思いながら拓也はベットに寝転んで眠ってしまった。

 

 すぐにベットからスースーと寝息が聞こえてきた。


「どう? もう寝た?」

「今、確認してくる。うん。ぐっすり寝ているよ」

「ほんと? 大丈夫? みんな大丈夫だって」

「ほんと?」

「ほんと?」

「ほんと?」

「静かにね、起きちゃうよ」


 どこからか小さい声が聞こえてきた。でも拓也はぐっすり寝ていて気付いていない。


「スケッチブックはどこ?」

「こっちにあるよ」

「色鉛筆はこっちにあるよ」

「さて、今日は秋の風景で悩んでいたね」

「秋だって」

「秋だって」

「秋だって」

「じゃあ私、赤色使うね」

「僕はオレンジ」

「私は、黄色」

「僕は水色でお空の色を塗るね」


 カーテンの隙間から射し込む月明りだけの薄暗い部屋の中で、そんな小さな話し声とシャッシャッ、と色鉛筆でスケッチブックに絵を描く音だけが部屋の中に聞こえた。


「もう少しで夜が明けるよ。みんな片付けを始めて」


 だれかがそう言うと、次から次へと「はーい」という可愛らしい声がいくつも聞こえ、しばらくすると何も聞こえなくなった。


 『ピコ、ピコ、ピコ、ピコ』 

 時計のアラームが鳴った。

「うーん」と拓也は時計が鳴っている方へ手探りで腕を動かし、時計を見つけるとカチッとボタンを押してアラームを止める。半目を開けて時間を確認する。


「ああ、もう6時か?」


 ベットに座りわりながら、うーんと体を上に伸ばす。そして首を前後左右に動かし首の体操をした。


「さあ、朝ごはん食べよ」


 ふと作業机のスケッチブックに目が向く。何度か目を擦った。真っ白だったスケッチブックに何か描かれている。


「……っ!!」


 拓也の目が一気に覚めた。スケッチブックに描かれていらのは秋の景色だった。


 その絵の道には紅葉もみじの葉が落ち、紅い絨毯の様に見える錦秋の絶景だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る