第44話 ヒロイン役は順調ですけど?

『──はうう……ご主人様、どうかこのアニスに罰をお与えください』


『──ああん、もっともっと強くムチを打ってくださいまし……んんっ、いい……あぁあああああああっ!』




『はーい、お疲れ様でした。これで以上となります』


『あ、はい……ありがとうございました』


 スピーカー越しに、しれっとオーディションの終了が告げられたので、僕は台本を下ろし、マイクの前から離れる。


 世間では桜が満開なお花見の季節、夏季アニメ『オレの異世界転生が全然ハーレムじゃなかった件』の声優オーディションが都内某所の小さなスタジオで密やかに行われた。


 今回のオーディションで僕が受けた役……というか、アニメ制作側からの要請で自分がオーディションに参加させられた役は、悪徳貴族によって日々奴隷のようにしいたげられていたメイドの〝アニス〟という17歳の少女だ。後に作品の主人公である少年に助けられるサブ的ヒロインの一人でもある。原作ラノベからすると、初登場は第四話ぐらいからになるだろうか。


 にしたって、オーディションテスト用の台詞がヤバすぎる……やってるこっちが思わず赤面してしまうぐらいに。


〝ゔぁるれこ〟の八城雛月は基本無口なクール系ヒロインだったので、男の僕でも何とかお芝居が出来たと思われる。でも今回の〝アニス〟ってヒロインは、どう考えたって今の自分が演じるのは無理やり感がハンパない。


 原作の挿絵でもかなりの爆乳娘だし、何よりも主人公の少年を好きで好きでたまらないアピールが叡智すぎる。しかもマゾ気質な……いわゆるお色気枠のヒロインなんだし、仮にも男の僕が声を吹き込んでどうするんだよ。


 それでもまあ、オーディション側からの反応もイマイチ薄いし、自分でも全く手応えを感じられないので、今回はたぶん不合格だろう。


 そんなわけで僕は、再度スタッフの皆さんにお辞儀をし、毅然とした態度でブースを後にした。


 例によって、女装メイクを施した顔と、長い黒髪ウイッグを被ってのワンピース姿だったけど、初めて来たスタジオにしては、堂々とした態度だったと思う。


 アイドル声優、橙華とうかの正体が男だということをこちらのアニメスタッフにどう伝わってるか知らぬが仏ってやつだけど、いずれにしても僕は、この声優業界において色物枠、極めて異端な存在だ。今更オドオドしても仕方がない。


 んで、帰り際にスタジオのトイレで用を足し、ハンカチを咥えながら手を洗ってると、不意に背後から見知らぬ? オジサンに声をかけられた。


「あ、橙華ちゃんお疲れー、さっきの台詞、本番ではもっと恍惚こうこつな表情でお願いね」


 それだけ言って、中年のオジサン……あれはもしや、音響監督? はトイレの個室に去っていく。


「(……恍惚って、声優に何求めてんの?)」


 つうか、ここは男子トイレだよな? それなのに完璧なる女装姿の僕を見てもあのリアクション。どうやらここのスタッフにも自分のことはしっかりと周知済らしい。


 というか、それを知ったうえで僕をオーディションに呼んだ? しかもあんな爆乳ヒロイン役で……あれ、さっき監督、でもとか言ってたような……




 そんなオーディションからさらに数日後。


 本日、ゲームアプリのキャラオーディションを受けるため、僕はとあるゲーム制作会社に一人で来ていた。


 ここに来るまで知らなかったのだが、普通の声優オーディションとは違って、ゲーム、特にゲームオリジナルキャラの吹き替えは、ゲーム会社から直接のオファーがあれば、それで大方決定、ずばり採用らしい。


 というわけで、オーディションとは名ばかりのゲーム概要と僕が演じるキャラ説明を長々と聞かされ、軽く台本の台詞をテストし、あれやこれやとその場で契約の云々を署名させられた後、じっくりと考える間もなくあっさりと役の仕事が決まった。


『幕末ヒロイン列伝』か……、僕が演じるヒロイン(もう何も言わない)は、女体化したかの有名な新撰組の三番隊組長〝斎藤一〟らしい。浅葱あさぎ色の羽織にミニスカートからムチムチはみ出る太ももが実に見事な美少女キャラだ。


 史実での斎藤一はれっきとした男なので、女装男子の僕が演じても何も問題ないハズ……とか半ば無理やり納得することに。


 ともあれ、これで〝終末アオハル〟の収録が始まれば、僕はもう一人前の声優といってもいいだろう。男性声優の神坂登輝じゃなくてアイドル声優の橙華としてだけど。



 ま、何やかんやで、当面の仕事も決まったことだし、今日は奮発して牛丼の特盛に生タマゴをトッピングだな、と春のそよ風に沿ってプリーツスカートをひるがえす僕であった。


(でも、斎藤一はともかく、前に受けたアニスの役だけは勘弁だよな……うぅっ、考えるだけでも身震いが──)

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