第42話 女装男子、春うららかに。

 季節は春に差し掛かろうとする三月の末。


〝ゔぁるれこ〟最終話の先行上映会を境に、アイドル声優の橙華とうかとして修羅の道を選んだ僕こと、神坂登輝かみさかとうきではあったが、あれ以来、そんな決意もむなしく声優の仕事らしい仕事を一切していない。


 既に出演が決まっている〝終末アオハル〟も制作の都合上、アフレコの収録がまだ先になりそうで、そうなると他に一切バイトもしていない自分は、平日の真昼間から一人アパートの部屋に引きこもってのゲームざんまい……ま、ちまたでいうヒキニートってやつだ。


 そんなとき不意に、マネージャーの柏木さんから着信が入る。


「──ええと、僕にオーディションのオファーですか?」

『それも二本同時にですよ』

「マジですか……」


 本来オーディションとは、新作アニメの製作側に、こちらから声優のプロフィールや声を吹き込んだデモテープを送って、その厳選なる審査をクリアした者だけが参加出来るのが一般的な流れだ。


 その過程をすっ飛ばして、直接アニメ製作側から参加要請が来るのがオーディションのオファーとなる。今まで何度も最初の書類選考で落ちまくっていた僕にとって、そのこと自体はとても喜ばしいことなんだけど……


『──まずひとつ目は夏季アニメ〝オレの異世界転生が全然ハーレムじゃなかった件〟の役ですね』


「…………」


『後、ふたつ目は、オリジナルコンテンツのアプリゲームですね。どうやらSRキャラみたいですよ。やりましたね』


「…………」


『では資料を早急に送りますので、オーディションの細かな日程は後ほど。プチッ──』


「……ちち、ちょっと柏木さん……あれ、切れてら……問答無用かよ」


 強制的に通話が遮断されたスマホを万年床に放り投げて、そのまま枕に顔を埋める僕。いくらアイドル声優の道を歩むと決めたとはいえ、仮にも男性声優の自分が、こうも立て続けにヒロイン役を演じるのは、流石に考えものだ。


(……でもまあ、受かるとも限らんし──)


 直接のオファーがあるとはいえ、必ずしもそのオーディションに合格するとは限らない。


 過去には、いちおう人気女性アイドル声優の東雲綾乃しののめあやのにも似たようなオファーがあり、その過程でオーディションに参加した結果、それが理不尽にも不合格だったという事例もある。


 あの時のアイツはもう怒り心頭で、僕にネチネチ愚痴りまくってたっけ……今だったらその気持ちもわからんでもない。肩透かしもいいところだ。


 それでもオーディションに呼ばれたからには参加せざるを得ないわけで、だとすると、ここのところご無沙汰だった、アイドル声優、橙華の出番となる。


 とはいっても、


「ひでぇ顔だな……」


 いそいそとテーブルに化粧水やら乳液やらのメイク道具を並べながら、卓上鏡に映る自分の地顔とご対面。まずは最近の不摂生な生活からくる荒れたお肌のスキンケアから始めるとするか。


 髭は殆ど生えない体質のため、産毛剃り程度で良いとして、顔面自体は最近太陽の光を浴びてないせいか、色白で血色がなく不健康極まりない。だからファンデは濃いめ、チーク盛り盛りで誤魔化しとく。


 眠そうな奥二重の目元は、ペンシル型アイライナーで輪郭を強調し、薄い唇には鮮やかな色合いのリップを塗り存在をアピール。そしてケースから取り出したセミロングの黒髪ウイッグを丁寧にブラッシングしてからの装着。これで女装メイクの完成だ。


 それでも、顔だけフルメイクと着ている上下ジャージ姿のミスマッチ感がハンパないので、プラスチックの衣装ケースから、チェック柄のワンピースを取り出し、隅々までアイロンを掛ける。


 そしていざ着てみると、なで肩のガリガリ体型のため、女装メイク顔も相まって、意外と違和感なく着こなしてるけど、どうしてもその胸元が寂しく感じてしまう。まぁ……要するに女性特有の膨らみがなくて真っ平らなのだ。中身は男なんだから当然だけど。


 今までは冬物の服だったので、あまり気にも止めてなかったけど、今後の季節はどうしても軽装になってしまうので、否応なしにそこの部分が目立ってしまう。一掃のこと詰め物でもして誤魔化すべきかと、前に姉が勝手に置いていったピンクのブラを胸に当てたりして……と、それは駄目だ。


 自分のポリシーでは、女装はしても、決して女性用下着だけは身に付けないと、心に決めている。それだけは譲れない。


 だから今もスカートの下は、男性用トランクス一択。その上から黒タイツを履くという徹底ぶりだ。


 この僕にだって決して超えてはならない一線はある。女装を生業としてる自分が言うのも何だけど……。


 ま、世の中には断崖絶壁の成人女性も多々いることだし(東雲とか東雲とか東雲とか)。


 だから今後も、胸への詰め物は一切ナシという方向で。


 ともあれ僕は、全身が映る鏡の前でひらりと長いスカートを揺らし、


「良し、完璧っ! 折角だからこのまま外に遊びにでも行くか!」


 春の陽気に誘われるがまま、軽やかなステップでアパートの部屋を後に──。


(……つうか自分、完全に女装の沼にハマってね?)

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