三章
第41話 決意
『──それではここで〝ゔぁるれこ〟キャストの皆様に
ここは都内某所の劇場。
イベント会社から派遣された女性司会者さんの合図で、舞台裏で控えていた僕ら五人は、揃って壇上に向かう。
「──きゃあ〜、妻夫木さーん!」「ももちゃんサイコー!」「綾姫ぇえー! オレのことを罵ってくれぇええ!」
思った以上に広い観客席から各々推しの黄色い声援が飛び交ってくる。若干意味不明な叫びも混じっているが。
本日この場所で、今期絶賛放送中の深夜アニメ『ヴァルキリーレコード』略して〝ゔぁるれこ〟の声優トークイベント並びに、一期の最終話にあたる第12話の先行上映会が催されていた。
普通こういったイベントって、新アニメの宣伝を兼ねて企画されるのが一般的なのだが、終了直前の作品で行われるのは異例なことだ。
ま、今期の覇権とまでは言わないが、大きな会場を借りて放送前の最終話を上映出来るくらい〝ゔぁるれこ〟は人気を泊していたらしい。
「「「──橙華ちゃーん!」」」
お、それこそ自分にも声援が上がった。どこかの体育大学に居そうな男三人組が揃いも揃って野太い声を上げながら思い切り手を振ってくれてる……つうか、嬉しいけど、自分のファン層、マッチョ系が多くね?
観客席に向けて手を振りつつ、左から妻夫木渡さん、東雲綾乃、小倉もも、そして何だかこの場で場違い感がハンパない僕こと、
『──それではまず麦野総監督から一言お願いします』
『キーン、えー、この度は不詳、この私、麦野剛の記念すべき作品である──(以下省略)』
『──ありがとうございました。続きまして、片瀬慎也役を演じられた妻夫木渡さんです!』
『こんにちは。声優の妻夫木です。今日は忙しいなか足を運んでいただき本当にありがとうございます』
「ぎゃあー、妻夫木さーん!」「こっち、こっち向いて〜」「ワタルーん!」
男性俳優さながらの甘いマスクでモデルばりの長身である妻夫木さんが、爽やかスマイルを浮かべながらマイクを持った瞬間、一気に会場が色めきたつ。たぶんここにいる女性客の殆どが妻夫木推しだと思われる。
ときに僕の隣で高そうなブランドスーツでダンディに決め込んでいた麦野監督があからさまに消沈してる。先程の挨拶、観客は至ってノーリアクションだったしな。
『──水口穂香役を演じました東雲綾乃です』
「綾姫ぇええ!」「どうか無様なボクを踏んでください!」「あっ、テメェ抜け駆けすんじゃねぇ! オレこそがその美しいおみ足で」
『そこ、黙りなさい。私の挨拶を聞きたくないのかしら?』
「はっ!」「自分は綾姫の忠実なる下僕であります!」「皆のもの静まれぇええ!」
観客席の一部で寸劇が始まった……まぁ、それは一旦置いといて、今日の東雲綾乃といえば肩の先まである長い黒髪は敢えて後ろで束ね、アイシャドウ濃いめ、口紅真っ赤、英国のお嬢様風ジャンパースカートにグレーのリボンブラウスという、いつも以上にどこかの令嬢(悪役)してる。
つうか、東雲の奴、ファンの間では〝綾姫〟なんて呼ばれてるのか……でもああいう毒舌キャラって、普通はキャラ作りというか、演技でやってるのが一般的なんだけど、アイツに関してはあれが基本デフォなんだよな。
『──小倉ももです。皆さんどうかよろしくお願いします!』
「ももちゃーん!」「お人形さんみたい!」
全然ファンに媚びる様子もない東雲の隣で、ちょこんとお辞儀をしてから観客席に向かって愛想を振りまいているのは、現役女子高生アイドル声優の小倉ももだ。
ぱっつん前髪のショートボブ。それでいてどこか西洋人形を思わせるような愛くるしい顔立ちの彼女は、着ているガーリー系チェックのワンピースも相まってか、とある国民的アイドルグループのセンターを飾ってもおかしくない。
やっぱももちゃんは、いつぞやの派手な白ギャルファッションよりも、断然今の方が似合うよな……とはいえ、その可愛らしい外面とは裏腹に中身はちょっとアレだけど。
本人曰く、自分は女子ではなくて〝男子〟らしい。といってもいわゆる男の娘とかそういうのではなくて、生物学的に言っても彼女はれっきとした女性だ。とはいえトランスジェンダー(身体的性と性自認が異なる人)的意味合いを込めての男かと言えば、ちょっとそれは違う気がする。
普段の仕草からして、彼女は常に女の子女の子してるし、思考も知る限りでは今どきの女子校生らしい。ただ恋愛対象が男性ではなく女性なだけの、いわゆるガチ百合勢ではないかと僕は睨んでる。
趣味趣向に関しては人それぞれなんだし、それはそれで普通にアリなんだと思う。アニメやマンガ、ラノベ界隈では百合展開なんて定番だしね。その逆もしかり。
だけど、その個人的な趣味趣向に、至ってノーマルな僕に限り、マジで共感を求めないで欲しい。
収録の終盤こそ、ももちゃん演じる役どころの出番が殆ど無かったため、めっきりと彼女と顔を合わせる機会が減ったので、一時はそのことについて忘れそうになってきたけど、ここ最近、彼女からのメールが頻繁にくるようになって『今度またご飯に行きましょう東雲センパイを誘って』『遊園地に行きませんか東雲センパイを誘って』と、東雲目当てで僕を誘うのは困りもんだ。
そう。
現役女子高生アイドル声優、小倉ももは、あの性悪毒舌女……ゲフンゲフン、偉大なる先輩声優である東雲綾乃に何故かぞっこん(恋愛的に)なのである。
本当に好みとは人それぞれ何だな、としみじみ思う今日この頃。
『──それでは最後に八城雛月役を演じられた橙華さんお願いします』
おっと、いよいよ僕の番が回ってきた。今更ながら緊張する……。
『あ、はい! 皆さんこんにちは。〝ゔぁるれこ〟の八城雛月役を演じさせていただいた声優の橙華です──』
「うおー、橙華ちゃーん!」「生橙華ちゃんサイコーっす!」「押忍っ、オレは今、猛烈に感動してる!」
例の如くマッチョ集団の歓声が身にしみた。
たぶん体育会系だからか、揃いも揃って声がデカい……というか、君たち来る場所間違ってない? ここは国立競技場ではないからね?
「「──橙華ちゃん〜」」
他からも好意的な声援が思ってた以上に湧いて、マイクを握る僕の手が自然と震えた。こんな自分にも大勢のファンが居てくれることを改めて知ったから。
今回のイベント出演が決まったとき、僕の頭は不安の渦で一杯だった。初めてファンの眼前で自分の女装姿を
ネットの画像や配信とは違い、生出演だとそれだけ自分の女装バレのリスクが高まる。
だからか、今の僕の女装姿はいつも以上に気合が入っている。
とは言いつつも、普段通りの簡単な女装(地味な女子大生風)で呑気に会場入りした僕を、それこそあの腹黒メガネ……いや、何かと抜け目のない柏木マネージャーが見逃すはずもなくて。
あれやこれやと僕は、メイク室にて待ち構えていた妙齢の女性スタイリスト──相葉美乃梨さんの手によってプロメイクを
『──ほほ、本日はお越しいただき……ほ、本当に──』
それでもいざ大勢の観客を目の前にすると、女装バレを恐れるあまり、内巻きでセットされたセミロングの黒髪ウイッグの毛先を無意味に
「──橙華ちゃん、頑張れ!」
その時、何気に聞こえた観客席からの声で、今までモヤモヤしてた僕の何かが吹っ切れた。
『(すうー)』
『──今日は来てくれて本当にありがとうございます! これから監督を含めアニメ制作スタッフ、そして私たち声優が魂を込めた〝ゔぁるれこ〟の有終の美を飾る最終回を放送に先立って上映します! 抽選を
「「「「「パチパチパチパチパチパチ──」」」」」
僕の声で会場が、割れんばかりの拍手で包まれた。
そして今この瞬間、〝アイドル声優の橙華〟が本当の意味で誕生した、のかもしれない。
ふと舞台袖を見ると、柏木マネージャーがにっこりと僕に向かって微笑んでいる。
どうにもこうにも自分は、あの腹黒メガネから上手い具合に利用されている気がしないこともないが、もうこうなったらとことんやってやろうじゃないか。
誰が何を言おうと、僕はアイドル声優の橙華なのだから──。
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