第35話 オーディション①

 ──長編アニメ映画『僕たちは終末の世界でアオハルする』。


 そのキャラオーディション会場となる都内で有名な某スタジオビル。


 そしてその入口の前で僕は一度立ち止まり、肩掛けカバンから百均で購入した手鏡を取り出し、長い黒髪ウイッグの乱れを手ぐしで整えつつ、鏡に映る自分の顔を念入りにチェックする。


(よし、メイクの崩れなし。これなら真正面からマジマジ見られない限り、たぶん誰にも男だと気づかれない……よな?)


 今着ている服に関しても、つい先日姉から譲り受けた数多の服の中から、上はベージュのハーフコートに白のネックセーター、下は淡い色合いのロングスカートをチョイス。少々地味ながらも清潔感がある女性を意識したコーデだ。


 ただでさえ自分は異質な存在なので、出来るだけオーディション会場ではひっそりと目立たずに、とことん場の空気に徹しよう。どうせ記念受験なんだし。


「──そんなところで突っ立ってるとジャマだわ。ほら、さっさとスタジオに行くわよ」


 と、背後からのつややかな清楚ボイスに有るまじき台詞で振り返ってみれば、黒縁メガネ姿の地味な文化系女子大生風の自分とは対照的に、メイクは濃いめ、真っ赤なロングコートに黒のミニスカート──まるでこれから夜の街に繰り出すかのような出で立ちの女性アイドル声優、東雲綾乃しののめあやのがそこにいた。とてもじゃないが、これからオーディションに臨むような風貌とは言えない。


 つうか、コイツも〝終末アオハル〟のオーディションを受けるのかよ……。





「ちなみに東雲は、何役狙い?」


 会場に続く長い廊下を渡りながら、颯爽さっそうと前を歩く東雲に後ろから訊いてみた。一度ひとたびオーディションとは、若手もベテランも関係なく、たった一つの役を大勢の声優たちで取り合う、いわば椅子取りゲームみたいな感じだ。つまり役どころによっては、いくら同じ事務所の先輩後輩とはいえ、僕と東雲はライバル関係となる。


朝霧紅葉あさぎりもみじよ」

「そ、そうなんだ……」


(あの腹黒メガネ(柏木マネージャー)め……もろ、東雲と役が被ってるじゃないか、少しはそのへんを配慮しろよ──)


 という僕の心の声とは裏腹に、突然振り返った東雲は、微笑み……というか、邪悪な嘲笑をニタリと浮かべ、


「今回は貴方──、いえ、橙華とうかさんには負けないわ、せいぜい足掻くことね」


 今にも「ほーほほっ──」と高笑いを上げそうな勢いで僕に向かって言い放った。


 てか、どこの悪役令嬢の台詞だよ。だったら僕もせいぜい遠慮なくいかせてもらう。


 と、息巻いたところまでは良かったのだが、いざオーディションが始まると同時に、僕の心臓は緊張のあまりバックンドックン状態。今も自分の順番を待つ間、スタジオ前に並べられた長椅子で、繰り返しオーディション用の台本を念仏みたいに唱えている有り様だ。


 そういえば、ここに来るまでは何かと危惧していたけれど、オーディションに参加している他の声優たちは誰一人として、僕の女装に気づいてる様子もなく……というより、そもそも僕のことなんか眼中にないって感じで、皆がそれぞれ台本チェック等に必死だ。現に僕の正面に座っているレナちゃん(人気女性アイドル声優)も、今は気楽に声を掛けれるような雰囲気じゃないし。


 にしても、僕の並びでいる東雲ときたら、余裕こいて足を組みながらスマホのウェザーニュースなんか眺めてるよ……もはやコイツの心臓はオリハルコン(伝説の金属)製とでもいうのか? 


「ありがとうございました……」


 そんななか、オーディション会場となるアフレコスタジオの出口から、20代半ばぐらいの女の人が出て来た。というか、アイドル声優のミナっちこと、湊由香みなとゆかだ。心なしか元気がない。たぶん自分のお芝居に手応えがなかったのだろう。



「──では、ノエルプロの橙華とうかさん、お願いします」



 と、その声でスマホの画面から顔を上げた東雲が、そのまま僕を見据える。彼女の涼し気な表情からは、感情の有無が読み取れない。


 だから僕は軽く東雲に頷いてから、ゆっくり座っていた椅子から立ち上がった。自然と台本を持つ手に力が入る。


「──全力を出さないと許さないわ」


 スタジオブースに続く冷たいドアに向かう途中、背後から微かにその声が聞こえてきた。


 ふぅ~、と思い切り深呼吸。


(よし、いざ戦場にいかん──)

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