第16話 声優の本懐

 まず最初に断言しておくけど、今の僕にはこれといってへきというか、ずばり女装趣味は微塵みじんもない。


 だから今現在、アパートの鏡の前で躊躇ためらいもなくおでこ全開で、まっさらな顔にペタペタと化粧水や乳液でスキンケアをし、地味な奥二重に濃いめのアイメイク、薄い唇をリップでうるおわせ、つやのあるセミロングのウィッグはドライヤーでブロー、部屋のクローゼットから選んで取り出したマキシ丈のキャミワンピースに、男の特有なゴツゴツとした肩や喉仏のどぼとけを、あえてゆったり目なタートルネックのニットで上品に合わせた後、身の丈が映る鏡の前に立って、くるりと全身をくまなくチェックしながらニッコリと微笑む僕は──自己顕示欲のためではなく、それこそ仕事の上で女の格好をせざるを得ないのだ。


 そう、これはあくまで上での女装。


 ここ大事なことだから二度言っておく。決して僕はノリノリで女の格好をしてるわけではないことを理解していただきたい。



 ときに、あれからアニメの収録は順調に進み、本日は第三話目のアフレコとなる。


 とはいうものの、数多あまたの女性声優を差し置いて、あえて男の僕がヒロイン役の声を吹き替えするという、極めて異質な状況の上に、収録の際、わざわざ男の僕に女の格好をさせる事自体が益々持って意味不明だし、今日だって完璧に女装してから現場に向かわなきゃならない。


 初日こそ、その道のプロである相葉さんに半ば無理やりほどこしてもらったけど、今ではそれも全て自分で化粧から何までやらなくてはならないし、もう勘弁してくれと言いたくなるよな。


 それでもまぁ……、相葉さんの特訓で、今となっては自分一人である程度出来るようになったけど……我ながら順応力が高すぎだろ、と思わなくもない。


 仕上げにバスクベレー帽を黒髪ウィッグの上に被り、


「うん……ま、こんなもんか、それじゃあそろそろ行くか────って、のぁああっ!?」

「…………」


 いよいよ出掛ける支度(女装)が完了したので、悠々とアパートの玄関先に向かうと、何とそこには無言かつ、能面みたいな表情をした東雲が立っていたので、思わずその場で仰け反ってしまった。


「……おはようさん。これから収録かしら。ぜひともご一緒したいわ。私たちは友達だから当然ね」

「べ、別にいいけど……それより東雲、センパイ、確かドアには鍵が掛かってた訳だけど、どうやって中に入ったの?」

「もちろん合鍵で入ったわ。私たち友達だから当然でしょ」


 そう言う東雲は無表情のままキ◯ィちゃんのキーホルダーにくぐり付けた鍵束をジャラジャラさせる。当然僕は彼女に合鍵など渡した記憶などない。もうこうなってしまえば、東雲のことをストーカー法に則り、本気で訴えるべきか悩むところだが。


「では、橙華とうかさん。参りましょう」

「はい……」


 ……まあ、それこそ東雲に逆ギレされそうだし、そもそも女装してまでヒロイン役を演じる僕にとって、むしろ彼女に負い目すら感じているのが今の心境だ。言わば痛み分けって奴かな。それでも後でアパートの合鍵は何としてでもきっちり回収せねばならない。これではおちおち寝ても居られないし。


 アパートを出て東雲と二人連れ立って最寄りの駅まで歩いた。本日の収録は16時からなので、時間的にまだ余裕だ。ちなみに隣を歩く東雲は、先程の態度から一転、今はすこぶる機嫌がいい。鼻歌さえ口ずさんでいる。結構付き合いが長いけど、未だにコイツのことは良くわからん。



 駅の広場まで来ると、結構の人通りとなり、嫌でも東雲が周りの目を引く。幾らサングラスで変装していても、美人な上にモデル並みのスタイルの良さは隠しきれてない。もういかにも芸能人って感じだ。まぁ……その破綻した性格は見た目からじゃ判断出来んしな。


「東雲、ちなみに今日のコーデはフレンチガーリーって言うんだっけ? 案外カワイイ系も似合うよな」

「案外は余分よ。それよりも貴方の口から気取ったファッション用語が出て来る事自体が本当に世も末ね。もう気持ち悪いから、さっさと私の視界から消えて頂戴」

「おい、そもそも僕と一緒に行こうって言ったのは東雲だろ」


 すると東雲は人混みの中、やれやれという仕草で嘲笑する。


「冗談よ。軽いジョークも受け流せないようでは男にモテないわよ」

「別にモテたくないですけどっ?」

「そう、だったら貴方も自分の身を案じることね」


 そんな意味深な発言を残し、東雲はカツカツとピンヒールを鳴らしながら、駅のプラットフォームに向かって行った。僕も慌てて改札口をくぐる。


(自分の身を案じる? 一体何のこと……)




 今日の収録も例によって関係者各位の好奇な目にさらされながらも、どうにかこうにか無事に終わり、いざ帰りの支度をしているときだ。


「あの……橙華とうか君。少々よろしいでしょうか? それと東雲さんも是非」


 今まで現場で見たことがない気の弱そうなオジさんだった……いや、ここにいる時点で少なくとも番組関係者だろう。そんな彼はカードケースから二枚の名刺を取り出し、それぞれ僕、そして後ろで背後霊のごとく佇んでいた東雲に手渡す。


「ええと、広報の方ですか……」

「そうなんですよ。是非ともお見知りおきを」


 番組広報──鶴岡つるおかさんは、汗っかきなのか、やたらに広いおでこをハンカチで拭いながら言う。


「こちらこそ、よろしくお願いします……それで僕たちに何の御用でしょうか?」


 あくまで低姿勢で接する僕に対し、隣で腕を組んで鶴岡さんを威圧する東雲。こいつは一度、社会での礼儀についてしっかり学んだ方がいいと思う。


 ともあれ鶴岡さんは若干腰を引きつつも話を続ける。


「いえね、いよいよ年明けに初回の放送がされる訳ですが、一度年内にアニメのPVを兼ねたネット配信番組を当社で企画していまして、それを君たち二人にパーソナリティとして参加していただきたく──」

「え? 僕と東雲にですか?」

「そうです。一応お二方の事務所には了承を得てますので、後は君たちの返答次第ですが」


 ネット限定とはいえ、これはイチ声優として全国に顔を売るチャンスといえる。東雲に至っても、案外隣でウンウンと頷いてるし、となるとこちら側としては願ったり叶ったりなんだけど……ひとつ問題が。たぶん彼も僕の事情は知ってのことだと思う。


「あの……、一つ聞いても良いですか?」

「どうぞ、何なりと聞いてください」

「それって、僕はその……この格好(女装)で出演する、んですよね……?」

「もちろんです!」


 あ、やっぱり……


 それと鶴岡さん、僕を見ながらそんなに鼻息を荒くしないで欲しいです……

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