第14話 波乱の幕開け

 あれやこれやとしているうちに、日数はトントン拍子で流れて、本日いよいよ僕が初のメインキャラを演じる『ヴァルキリーレコード』の収録が初日を向かえた。


 午後からのアフレコ収録だが、朝からソワソワざわついて、僕はもう居ても立っても居られずにいる。


 アパートの狭い部屋を無駄にぐるぐると動き回ったり、既に何度も何度も繰り返し練習した付箋ふせんや赤文字だらけの台本を再度再度入念にチェックしたりと、常に緊張と興奮で心臓がバックンバックン状態だ。


「──私は貴方を愛している。だから私は貴方を守るの」


 もう何度目か分からない自分が演じるキャラの台詞を反復していて、ふと思った。


(──これって、本当に地声のままで演じていいんだよな?)


 でもまぁ、多かれ少なかれ演じる声には抑揚をつけたりキャラの喜怒哀楽をオーバーにしたりもするが、基本、地声のキーを無理に上げたり下げたりするのは一切NGとのこと。それが演者に対して製作側の要望だったりする。


 つまりは。


 下手に女声を作らず、普段と変わらない男の地声のままでを演じろ──


 ってことだ。


 流石にそれは無理があるような……



 何やかんやで時間が経過し、丁度お昼を過ぎた頃「──まだちょっと早いけど、そろそろ行く準備でもするか」と、重い腰を上げたときだった。


 ピンポーン、とドアのチャイムが鳴り、続けて「神坂君、いる?」と、唯一のマネージャーである柏木さんの声がした。今日の収録は初日ということもあってか、彼が車で僕をアフレコスタジオに送迎する手筈となっていた。


 でもちょっと早くない? と思いつつもドアを開けると、


「やあ、神坂君、お疲れ様」


 爽やかスマイルの柏木さんと、


「こんにちはー」


 例のスタイリスト、相葉実乃梨さんの姿があった。


「ハァ……」


 そして僕は、マリアナ海溝よりも深く深く長いため息を吐く。



 ◇


 その後、柏木さんの運転で都内の某スタジオに向かった。その間、僕はワゴン車で揺られながら途方に暮れている。今の心境を異世界ラノベ風に例えるのなら、これから悪徳貴族の下に身売りする薄幸な少女の気分といえるだろう。


「そんなに緊張しないでください。たかが深夜アニメのアフレコです。普段通りでいけばいいですから」


 ハンドルを握りながら、後部座席で座る僕に向かってミラー越しに微笑む柏木さん。あれで僕の緊張を和らげているつもりだろうけど、そもそも普段通りでいられるわけがない。


「…………」


 結局僕はダンマリを貫き通す。どうせ何を言っても無駄だと分かってるから。もうこうなったら腹をくくるしかないだろ。台本の最終チェックでもするか。



 ──と、なかばヤケクソになって身売りの覚悟はしたものの、いざスタジオに到着してみれば、今更ながら緊張やら羞恥心やらで、一掃このまま現場から逃げ出したくなった。


「か、柏木さん……やっぱり僕──」

「何を怖気づいてるのです? いや本当に綺麗きれいですよ。神坂君」

「うっ……」


 咄嗟とっさに逃走経路を確保するべく、視線をウロウロ泳がせていると、遠くから見知った人物が歩いてきた。


 東雲だった。


 僕は蛇に睨まれた小動物みたいにその場で硬直してしまう。しかも何かと目ざとい東雲は、早々と僕のことを捕捉したようで、ズカズカと早足でこちらに向かってくる。


 ヤバい。


 ちなみに今の僕の装いはというと、メイクはバッチリ、服装に至ってはスカートこそ長めだけど、今度はガーリー系っていうのかな? いかにもオタク(自分も含む)受けしそうなファッション……つうか、これは東雲的に駄目なやつだ。


(……は、早くここから逃げなきゃ──)


「東雲さん。お疲れ様です」


 極めて迅速に逃走をくわだてた僕の右手をガッチリとつかんだ柏木さんが、そのままあろう事か、鬼のような形相の東雲に向けて呑気に手なんか振ってた。


「柏木マネージャーこそお疲れ様です。大変ですわね。そんな下賎げせんな女、いえ、オカマ野郎のマネージメントをしているのですから……ねぇ、貴女もそう思いませんこと、さん」


 そう言って東雲は、イケメンスマイルを浮かべる柏木さんには一切目もくれず、鋭い眼光で僕を睨みつけてくる。


「いやー、相変わらず東雲さんは手厳しいですね」

「フフフ。柏木マネージャーこそ、私なんて足元にも及びませんわ」

「…………(僕)」


 今回初収録となるアフレコは、それこそ始まる前から、もう嫌な予感しかしない──

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