第8話 東雲綾乃は嫉妬する。
あれ以来、何か自分の大切なものを失ったといえる撮影会から一週間が過ぎた頃。
あんな小っ恥ずかしい女装姿が今後どのように悪用されるか日々を怯える僕のもとに、ある意味マネージャーの柏木さんよりも厄介な奴から呼び出しがあった。
そして今、待ち合わせに指定された駅の広場で相手が来るのをひたすら待ち続けている。
時間を確認。スマホのデジタル表示は12時30分過ぎ。約束の時間は昼の12時。
ちなみに僕は時間より早めに到着して、かれこれ1時間以上ここで待ちぼうけていた。
(アイツ、呼び出しといて遅刻かよ……いい加減にしろよな)
その後さらに時間が過ぎ、僕の苛立ちがピークに達したころ、やっと
ベレー帽を深く被り、黒のサングラスで目元を覆っていても、あの独特な存在感は隠しきれていない。
「待ったかしら?」
「ううん、イマキタトコダヨ?」
「では遅刻ね。反省しなさい」
「って、何でだよ!?」
来た早々、僕に詫びるどころか、さらりと責任転嫁してくる遅刻女──声優、
「敬語」
「……すみませんでした」
くっ、屈辱的だ。ちょっとぐらいデビューが早いからと言って調子に乗りやがって……でもコイツ、見た目だけはポテンシャルが高いんだよな。
モードカジュアル系って言うんだっけ? 今日だってどこの芸能人だよ、って感じでバッチリ決まってるし……あ、いちおうコイツも芸能人か。
「相変わらず冴えない男ね。髪にワックスぐらいつけたら」
いきなりディスられた。性格悪すぎだろ。いくらアイドル声優とのゴールが最終目的だとしても……うん、東雲だけはないわ。
「……貴方今、とても失礼なこと考えてないかしら?」
「いえいえ、滅相もごさいません」
何でわかったんだろ? もしや心が読めるとかじゃないよな……。
「まあいいわ。それと、眉毛を整えたのだけは褒めてあげてもいいわよ」
眉毛? ああそう言えば撮影のときに相葉さんから抜かれたりハサミでチョキチョキされたよな、すっかり忘れてた。
でも良く見てるよな。普段は人の顔なんて興味なさそうにしてるのに。
「行くわよ」
一体どこに? と聞く間もなく、東雲は真っ赤なミニスカートを揺らし、駅前広場からスタスタと歩き出した。僕はその黒ストッキングに包まれた太もも……いや、背中を慌てて追う。
何の茶番劇だよ。東雲にとって今の自分は荷物持ちの執事……ってところか。
そんな
「……つうか、こういう店って、事前に予約とかがいるんじゃ」
「それは大丈夫よ」
そう言って、カランコロンと店の扉をくぐる東雲。とりあえず僕も後に続く。
やはりというか店内は、若い客層を中心にかなり混雑していた。たぶん今流行りのレストランなのだろう。この手の情報には
それでも東雲が事前に席を予約をしていたらしく、僕らはすんなり店の奥にある小さな個室に案内された。
「オーディションに合格したみたいね。まずはおめでとうと言わせてもらうわ」
そして、二人掛けのテーブルに向かい合って座った途端、東雲が僕に言った。
「──これでやっと貴方も、この私と同じ土俵に立てたってところかしら?」
「う、うん……ありがとう」
何か言い方に
「だからお祝いを兼ねて、ここでの食事は私がご馳走するわ」
「え、本当に?」
「だ、だから感謝しなさい」
そんなツンデレ台詞を真正面から声優、東雲綾乃の
彼女のファンなら卒倒ものだろうな。同業者の僕でさえ、今クラクラきたし。
「──そのアニメなら、私もヒロイン役のひとりとして受かったわ。まあ当然ね。でも肝心のメインヒロイン役は他の
ん、いつの間にやら話がヤバい方向に……。
「そそ、そうなんだ。それは残念……」
「どこのどいつなのかしら……悔しいけど気になるのよね。どうやら同じ事務所の後輩みたいだけど」
ときに東雲が眉をひそめて親指の爪を歯で噛みだした。これって養成所時代からよくやってたよな……自分の演技に納得いかないときや、他の研究生に嫉妬しているときに。
「……ところで貴方はどの役に選ばれたのかしら? 主人公の男の子?」
「ま、まさか、違うって……」
「当然ね。じゃあ一体誰なの? 私と絡みがある役かしら?」
手に持つお冷のグラスをガタガタ揺らしてる僕に向かって、グイグイ話しを詰めてくる女性声優、東雲綾乃。
つうかコイツは本当に知らないのか……この僕──よりによって男性声優、
「……ええっと、その──」
うーん、どう東雲に説明すれば……。
これはもう、一悶着あるかも、だぞ──。
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