四の二 非情なる現実

 久坂さんの家を出た足で、松華の自治区域をふらふらと散歩していれば、見慣れた茶髪が視界をよぎった。


「あ」


 思わず声を漏らせば、彼――高杉さんも私に気がついたらしく足を止める。途端、見るからに不機嫌そうに顔を歪めた高杉さんに、少しだけ申し訳なさが募った。


「えっと、……お元気ですか?」


 駄目だ、話題が何も思いつかない。久坂さんは高杉さんを頼ると良いと仰っていたけれど、嫌われているのがわかっている相手に積極的に話しかけられるほどの豪胆さは、生憎と持ち合わせていなかった。


「まあな」


 高杉さんは短く頷く。何かを続けようとし、けれどぐっと言葉を呑み込んだ。……どうしよう、会話が滞ってしまう。


 ふと、高杉さんがぎこちなく周囲を見渡した。辺りには誰の気配もない。

 それを感じ取ってか、高杉さんは小さく息を吸い込み、私から不自然に視線を逸らした。


「悪かった、勝手に引き込んで。洞窟の場所さえ知られていなければ、そのまま帰せたんだが」


 ……え? 今、謝られた? 高杉さんに? 何で?


「……何だよ、その顔は。俺が謝るとは思わなかったか?」

「え、いえ、あの。……あやし者のことを知りたいと乗り込んだのは私のほうなので、高杉さんに謝っていただくことではないかと……」


 確かに村落へと私を案内したのは高杉さんだけど、そもそもは私が吉田先生の生まれ育った場所を探して、周防山すおうやまに踏み入ったことが原因だ。むしろ狩人の私を不用意に村落へと引き入れたことを、瑛太さんあたりは随分と怒っていらしたから、こうなると高杉さんのほうがよほど被害者なのではなかろうか。

 ……あれ、もしかして私、高杉さんにちゃんと謝らないといけないのでは? 狩人であることを隠して、のこのこついて行ったのは私だし。


 高杉さんは少しだけ、不服そうに瞳を細める。そうすると一気に威圧感が増して、思わず背筋が震えた。


「俺が謝るべきだと思った、それだけだ。俺の確認不足でお前の人生を変えてしまった以上、一定の責任はある」


 反論を封じるかのようにきっぱりとした声で、高杉さんは言い切った。

 ……何だか思っていたよりも、責任感の強いひとだったみたいだ。村落へ入るために利用してしまったみたいで、とてつもない罪悪感が湧き上がってくる。


「……わかりました。私のほうこそすみません、狩人であることを隠していて。高杉さんにもご迷惑をおかけしました」


 ぺこりと頭を下げれば、高杉さんは小さく溜息を吐き出した。そうしてガシガシとご自身の頭を乱雑に掻く。


「この件についてはお互い悪かった、それで決着で良いな? 俺もこれ以上は謝らないし、お前も謝る必要はない」

「はい、それで大丈夫です」


 首を縦に振れば、高杉さんの不機嫌そうな表情が僅かばかり和らいだような気がした。けれど彼は、すぐに口元を引きしめ直す。そうして鋭く私を睨みつけた。


「それと、改めてはっきり伝えておく。俺は弦瑞げんずいや瑛太ほど甘くはない。……先生の死を、お前のせいだと責めるつもりはないが。だからといって、狩人であるお前を信用するつもりもない」


 敵愾心を剥き出しにした高杉さんの宣言に、ごくりと唾を飲み込んだ。

 小柄な全身から溢れ出す覇気に、気を抜けば圧倒されてしまいそうだ。グッと丹田に力を込めて背筋を伸ばし、私は高杉さんを見つめ返した。


「わかっています。私のことはいくらでも警戒していただいて構いません。むしろそのほうが、当たり前だと思うので」


 高杉さんがぱちりと一度目を瞬かせた。そうして彼は何故か、ひどく疲れたように大きな嘆息を漏らす。


「どうしてその常識があるくせに、あやし者の村落に乗り込もうなんて思ったんだ……」


 辟易という言葉を絵に描いたような表情で項垂うなだれた高杉さんへと、私は懐から御守り袋を差し出した。吉田先生から渡された耳飾りは、今はまたここに大切にしまってある。


「吉田先生が駆けつけてくださらなければ、たぶん私は死んでいました。私にとって、吉田先生は命の恩人なんです。だからこそ、ずっと後悔していました。先生の斬首を、止められなかったことを」


 かつ先生が後見役となり、世話を焼いてくださっても。神黎館で狩人としての教育を受け、幕府の正当性とあやし者の凶悪さとをどれだけ叩き込まれても。どうしても私は忘れられなかった。私の命を救い、そうして無実の罪を着せられたあの方のことが。


「常識なんてどうだって良くなるくらいに、私はあやし者のことを知りたかった。私たちが悪と位置づけた存在は、本当に悪なのか。それを知らずに銃口を向けることだけは、したくなかったんです」


 高杉さんの瞳が寂しげに細められる。高杉さんにとって吉田先生がどれほど大切な方だったのか、その些細な仕草からでも痛いほどに伝わってきた。


「……先生が、お前の常識を壊したんだな」


 事実を確かめるように、哀悼に満ちた声色で小さく囁いて。そうして高杉さんは天を仰いだ。気持ちを切り替えるように一度瞼を閉じてから、真っ直ぐに私を見つめ直す。


「一つだけ忠告だ。社会における善悪などというものは、絶対の基準じゃない。立場や法が変われば、容易にひっくり返る。お前たちの社会にとって俺たちは悪だろうが、逆に俺たちからしてみれば、あやし者を不条理に殺して回るお前たちのほうがよほど悪だ」


 ぐさりと心臓を突き刺された気分だった。……一方的に存在そのものを悪とされ、弁明の余地もなく狩り殺される。そんなあやし者たちの視座を、私たちは一度でも想像したことがあっただろうか。


 あやし者は確かに妖力を持ち、いつ暴走するかもわからない恐ろしい存在だ。だけどそれは可能性の話に過ぎなくて、目の前にいるこのひとたちが、私たちへと実際に危害を加えたわけじゃない。

 いつか暴走されたら手に負えないから……それは本当に、このひとたちを殺す大義に足る理由なのだろうか。私はその正義を、胸を張って掲げることができるのだろうか。


「……わかり合えないんだ、俺たちは。人間とあやし者では、善悪も、正義も、価値観も、何もかもが違う。大昔に手を取り合えていたからといって、今もそうできるとは限らない」


 毅然と響く高杉さんの声には、どうしようもない諦観が淡くにじんでいた。


 人間とあやし者が手を取り合ったほうが未来は明るいと告げた久坂さんとは、正反対のご意見。だけどどちらがより正しいのかなんて、私には判断できなかった。

 久坂さんの望む理想は確かに美しい。だけど高杉さんが不可能だと断言する気持ちも、私には嫌というほどに理解できてしまうのだ。

 だってもし、吉田先生に命を救われていなければ。そうしてその果てに、先生が首を落とされていなければ。きっと私だって、あやし者を悪だと信じて疑わなかった。無力な人間を守るためにと、迷うことなく武器を取っていただろうから。


 俯いた私に何を思ったか、高杉さんは軽く唇の端を噛みしめる。そうして居心地が悪そうに視線を彷徨さまよわせた。


「お前を責めているわけじゃない。ただ、俺たちの信じる正義は違う。それだけの話だ」


 それはまるで、私を慰めるような口調だった。


 ……ああ、そうか。高杉さんは私を嫌っているわけじゃない。狩人の私とあやし者の自分たちとでは何もかもが違うとわかっていて、だから不必要な衝突を避けるために、あえて距離を置いていらしただけなんだ。

 そう納得すれば、久坂さんが高杉さんを頼ると良いと仰った意味もようやく理解できたような気がした。


「ありがとうございます。もしご迷惑でなければ、ぜひまたお話しさせてください。自分とは違う考えも、ちゃんと知りたいので」


 心からの感謝を込めて、深く頭を下げた。鼻白んだように視線を揺らがせた高杉さんは、けれど仕方がないと言うように不精不精頷いてくださる。


「気が向いたらな」


 そっけなくも聞こえる返事を残して、高杉さんは去っていく。けれどそれだけで、私にとっては十分ないらえだった。

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