三の三 あやし者と術士と

「とりあえず小物屋さんを見ようか。で、買い物が終わってからお茶でどう?」

「それで大丈夫です、ありがとうございます」


 瑛太さんは本当に帝都にお詳しいらしく、道に迷う素振りも見せずにいくつもの店を案内してくださった。


 お金は両親の遺してくれたものがあるから、私一人なら死ぬまで困ることはないだろう程度には不自由していない。

 帝都の品はやっぱり絵戸とは全く違っていて、見ているだけでも楽しくてついつい気持ちが弾む。


 蒔絵細工の美しい花台かだいに、つややかな漆塗りの鏡架きょうか。帝都の工芸品として有名な京焼の器はどれも美しくて、思わず食指が動いてしまう。「どうせ最後は風で運ぶから、荷物のことは気にしなくて良いよ」との瑛太さんのお言葉に甘えて、随分と荷がかさんでしまった。

 と、お薦めの品を紹介してくださっていた瑛太さんが、ふと小首を傾げた。


「飾り物が多いけど、身につける物は買わなくて大丈夫? それこそほら、かんざしとか」


 瑛太さんの視線が、私の挿している簪へと向いている。何とはなしに右手で、簪の螺鈿細工をなぞった。


「簪も好きなんですけど、飾るだけになっちゃうので買いにくくて。これ、一応家に伝わるものなので」


 私の生まれた真角家は、代々の狩人の家にしては珍しく女系一家だ。だから当主の証も、女性が身につける簪の形で受け継がれている。


「ああ、なるほど。それは確かに、わざわざ買うなら他の物にしちゃうか」

「そうなんです。すごく気に入った品があれば飾りとして買うんですけど、同じくらいの気に入り方なら食器とかを選んじゃって」


 母様が亡くなって、この簪は私の物になった。真角の当主の証明を、狩人としての生き方を選ばなかった私が身につけているのは、本当はあまり良くないのかもしれないけれど。私にとってこの簪は母様の形見の品でもあるから、どうしても手放すことができなかった。


 瑛太さんの目が微かに細められる。透徹とした眼差しが私の奥底の感情まで見通しているようで、少しだけ居心地が悪い。けれど瑛太さんはそれ以上は何も仰らずに、ただ軽く私の頭に手を置いた。

 さすがに瞠目して、思わずその場で固まる。と、それまで無言を貫いていた寺島さんが小さく口を開いた。


「……吉田さん。その……」

「え? ……あ、ごめん」


 寺島さんの呼びかけで私の困惑に気がついたらしい瑛太さんが、罰が悪そうに謝罪しながら私の頭から手を離した。


「妹にするときの癖でさ。急に触ってごめん。女の子にこういうことするの、あんまり良くないよね」

「いえ、大丈夫です。気になさらないでください」


 最初はびっくりしてしまったけれど、そういう事情なら納得だ。首を横に振れば、瑛太さんはもう一度「ごめんね」と謝った後で、朗らかな声を上げた。


「よし、じゃあそろそろ茶店に行こうか。今の謝罪もかねて俺が奢るよ」

「え、謝罪なんて要らないです! むしろこっちが申し訳なくなるので!」

「良いから良いから。寺島、お前のも奢るよ。付き合わせたお礼」

「それ、むしろ私が瑛太さんと寺島さんにするべきお礼ですよね?」


 いくら言い募っても、瑛太さんはどこ吹く風といった様子だ。寺島さんは相変わらず口を挟んではくださらないし……。


「……ありがとうございます。でも今度! 今度は私に奢らせてください!」


 これ以上言い争っても、逆に瑛太さんに悪いだろう。そう判断し、今回は大人しく奢ってもらうことにした。と、瑛太さんは満足そうに「それで良し」と笑ってくださる。


「こっちに美味しい店があるんだよ。帝都のお茶ってちょっと甘いんだよね」

「甘い、ですか?」


 お茶といえば、苦いものだと思うのだけれど。首を捻りつつ寺島さんへと目線を向ければ、彼はこくりと頷いた。


「……確かに苦味は少ない、と思います」

「絵戸で飲まれてるのに比べると、色も薄めなんだよね。蒸し方が違うって聞いたことがあるけど」

「お詳しいんですね。あれ、そもそも絵戸のお茶もご存じなんですか?」


 瑛太さんの先導で茶店のあるという方角へと歩きながら尋ねれば、たいしたことでもなさそうに瑛太さんは軽く応じた。


「まあね。俺は絵戸で情報収集してることも多いし。もしかしたら理桜さんとも、どこかですれ違ってるかもね」


 幕府のお膝元の絵戸で情報収集? 狩人に見咎められれば、問答無用で処分されるあやし者が?


「え、そんなの危なくないですか⁉︎ もし見つかったりしたら……」


 殺されるのに、とは。どうしても口にできなかった。だってそんなの、まるで他人事ひとごとみたいだ。狩人の家に生まれた、彼らを殺す側の教育を受けてきた私が、安易に口に出して良い言葉じゃない。


 瑛太さんの視線がちらりと周囲に泳いだ。誰も私たちの会話を聞いていなさそうなことを確認してから、瑛太さんは私の耳元へと口を寄せる。


「こうして人間の姿を取って、妖力を使わないように気をつけて過ごしていれば、誰も俺たちがあやし者だなんて簡単には見抜けない。絵戸も理桜さんが想像するほど、危なくはないよ」


 囁くように言われた台詞に、返す言葉もなかった。

 そうだ、本来の姿ならばいざ知らず、普段のあやし者は私たち人間と何も変わらない。見た目も、言葉も、思考能力も、何もかもが同じである以上、人間とあやし者を区別することなんて容易にはできるはずがない。


 でもそれならどうして、あやし者は迫害されなければならないのだろう。人間が持たない妖力を、彼らは自在に行使できるから?

 だけどそれを言うなら私たち狩人の握る武器だって、適性のある人間が訓練を積まなければ扱えない特殊な力だ。いつか暴走するかもしれないからと幕府は声高に言うけれど、その『いつか』になってから対処するのでは、いったい何がいけないのだろうか。


 私の表情が曇ったことに気がついたのか、瑛太さんは少しだけ困ったように眉を下げた。そうして場の空気を変えるように、殊更ことさらに明るい声で私を促す。


「ほら、ここのお店だよ。――って、」


 ぱちりと瑛太さんの瞳が瞬いた。信じられないものを見たと言わんばかりに目を擦った後で、ぐるりと辺りを見渡す。そうして焦ったような足取りで、瑛太さんは茶店の腰掛け台で湯呑みに口をつける人物へと歩み寄った。


三条さんじょうきょう、何故こちらに。護衛は如何いかがされたのですか?」


 恭しく頭を下げた瑛太さんは、周囲をはばかるように低く押し殺した声で尋ねる。寺島さんも深々とお辞儀をしていて、私も慌ててお二人にならうように頭を下げた。


「ああ、萩の。吉田殿と寺島殿だったか。そちらは?」


 青年の視線が私へと向いている。と、寺島さんが私の前へと歩み出た。


「……久坂さんの、お客様です」

「ふむ、そうか。なるほど」


 青年は寺島さん越しにじっと私を見つめる。……違う、この視線は私に対してじゃない。この人が見ているのは、私が懐に潜ませた拳銃だ。


「……狩人の客人とは、彼も随分となことをする」


 ぴくりと寺島さんの背が跳ねた。そんな寺島さんの肩に軽く手を置いて、瑛太さんが人当たりの良いにこやかな笑みを浮かべる。


「こちらにも事情がありまして。久坂の管轄ですので、申し訳ありませんがご質問はあいつに」


 これ以上の詮索はしてくれるなと言外に訴える瑛太さんに、青年がくすりと口元に弧を描く。その笑みのこぼし方があまりに優美で、私は思わず見惚れてしまった。


「それより、このような場所に何故お一人で。久坂からは、今日は三条卿にもお会いすると聞いておりましたが」

「ああ、少し気晴らしにな。だが確かに、そろそろ戻るとしよう。久坂殿と桂殿を待たせては申し訳ない」


 落ち着いた物腰で立ち上がった青年は、不意に私へと目を留めた。


「自己紹介が遅れたな、狩人の少女よ。私は三条の術士、帝にお仕えする者だ。以後よしなに」


 涼しげな声が、鼓膜を震わせる。

 術士、それも三条といえば清華家せいがけ……術士の中でも相当な上位に当たる家格だ。飾り物の権威とはいえ、失礼があってはならない。慌ててもう一度深く頭を下げた。


「久坂殿の客人だというならば、さほどへりくだる必要もあるまいよ。では、また機会があれば」


 穏やかな、けれど人を従える立場の人間特有の厳かさを備えた声でそう残し、三条卿は場を去っていく。その背が完全に見えなくなってから、瑛太さんが寺島さんへと硬い声を投げかけた。


「久坂たち、今どの辺りにいると思う?」

「……時間的には、そろそろ宮中きゅうちゅうに到着する頃かと」

「了解。ごめん理桜さん、ちょっと時間ちょうだい」


 言うが早いか、瑛太さんは人の気配がなさそうな近くの路地へと飛び込んだ。寺島さんがそれに続き、付近の様子を警戒する。

 私はどうしたら良いのだろう。逡巡の末、とりあえず寺島さんの隣にいることにした。


 天を仰いだ瑛太さんの周囲に、風が吹いた。明らかに自然のものではないそれは、術士の方々のお屋敷が並ぶ宮中があるのだと先ほど瑛太さんが教えてくださった方角へと駆け抜けていく。しばらくののち、瑛太さんは小さく「見つけた」と呟いた。


「久坂、さっき三条卿に町で出くわした。理桜さんの件、会合前に上手い言い訳を考えておけよ」


 風に向かって、瑛太さんは早口で告げる。その風が指向性をもって吹いていくのと同時に、瑛太さんの纏っていた風の網はパッと霧散した。


 鴉天狗の操る風に、こんな使い方があるなんて。思わず尊敬の念を込めて瑛太さんを見つめれば、彼は少しだけ居心地が悪そうに首へ手をやった。


「……大雑把でも居場所がわからないと、さすがにこういうのは無理だよ。距離が遠すぎてもできないし、そんなに便利なものじゃない」

「それでもすごいです。瑛太さんは、こういった風の使い方がお得意なんですか?」

「まあね。俺は戦うよりは、こういう細かい作業のほうが好きだから」


 そう説明しながら、瑛太さんは寺島さんへと視線を向けた。


「寺島もありがとう、人が来ないよう見張っててくれて」

「いえ、……俺にはこのくらいしか、できないので」

「それを自主的にできるのが、無茶苦茶助かるんだって。全員が戦闘狂だったらって考えてみなよ、絶対即座に詰むから」


 あっけらかんと笑いながら、瑛太さんは茶店のあった通りへと戻っていく。


 ……三条卿のこと、深く伺ってみても良いのだろうか。どうしてあやし者である皆さんが、術士の方と親交がある様子なのか。


「理桜さん、やっぱり三条卿のことが気になる?」


 その躊躇いを見透かしたかのような絶妙なで、瑛太さんに声をかけられた。思わず肩が跳ねてしまう。


「え、あの、……はい。気にならないと言ったら、嘘になりますね」

「だよね。……うーん、本当は久坂に確認取ったほうが良いんだろうけど。まさかの偶然で会っちゃったしなぁ……」


 溜息混じりに呟きながら、瑛太さんは茶店の腰掛け台へと座る。その横にお邪魔させてもらえば、反対側の隣に寺島さんが腰を下ろした。

 注文を取りに来てくれた娘さんに、慣れた様子でお茶と和菓子を三人分注文した瑛太さんは、思慮深い眼差しを寺島さんへと向けた。


「寺島はどう思う? 久坂なら説明しそう?」

「……はい、説明すると思います。その、俺に久坂さんのお考えは理解しきれませんが……」

「ああ、うん。それは良いよ。俺も久坂の思考回路なんて全部はわからないし。ちなみに、寺島本人としてはどう考える?」


 寺島さんの瞳が、予想外の言葉を受けたと言わんばかりに丸くなった。地面に視線を伏せた寺島さんは、道の砂粒をじっと見つめながらおもむろに口を開く。


「……俺は。伝えても良いと、思います。……真角さんは、俺を助けてくれました。俺のことなんて見殺しにしても、良かったのに」


 そんなことできるわけがない。咄嗟に声を大にして言い募ろうとした私の背を、瑛太さんが軽く叩いた。


「理桜さんが言いたいことは何となくわかるけど、寺島の気持ちは素直に受け取ってやって。……実際さ、君に俺たちへの害意があるなら、寺島のことは見殺しにしたはずなんだよ。そうしていたら、狩人だって俺たちにバレることもなかったんだから」


 瑛太さんが軽く息を吐いたところで、ちょうどお茶と和菓子が運ばれてきた。これはわらび餅、だろうか。お茶からも優しくまろやかな香りが漂っている。

 三人分のお金を纏めて払った瑛太さんは、ぱくりとわらび餅を口の中へと放りながら、青い空へと視線を向けた。


「だからまあ。こうなっちゃった以上は、理桜さんに多少の説明をしても良いかなって、俺としては思ってるんだよね。高杉あたりは怒るかもしれないけど」


 どうぞ、と促されてわらび餅を口に運ぶ。口の中でとろりと蕩ける柔らかな食感と、控えめで上品な甘さが美味しくて、真面目な話をしているとはわかりつつ、思わず口元が綻んでしまった。

 そんな私の様子に、瑛太さんが少しばかり目元を和ませてくださる。けれど彼はすぐに、その眼差しを真剣なものへと変えた。


「簡単に説明すると、俺たちは一部の術士と協力してる。天子様てんしさま……帝のご意向を伺いもせず勝手に異国と条約を結んだ幕府に対しては、天子様も術士の皆さまも、それにこの帝都の住人たちだって、不信感を抱いてるんだ。政治の実権は幕府にあるとはいえ、今でもこの国のおさは天子様なんだから」


 その説明に、息を呑んだ。確かに将軍の地位は帝より与えられるもの。この国で最も尊いお方は、将軍様ではなく帝だ。

 だけど条約の締結に帝のご意向を伺う必要があるなんて、今まで考えたことすらなかった。絵戸で生まれ育ち、将軍様のために尽くすことこそ正義だと教わってきた私にとっては、幕府の決定こそが絶対的に正しいものだったから。


「術士の基本的な路線は、あやし者との共生だ。幕府のやり方とは違う。だからこそ、俺たちも手を組む価値がある」


 ……言われてみれば確かに、術士とあやし者の利害は一致している。どちらも幕府により社会の片隅へと追いやられた者同士、倒幕を目指すために協調するというのは理にかなっていた。


「三条卿は術士の中でも特に、幕府への反発心が強いお方だ。そういう意味では、俺たちの同志になるかな。……まあそんな気軽に会話できる身分の方じゃないから、さすがに気疲れするけど」


 久坂も桂さんもよく平然と話せるよなぁ、などとぼやきながら、瑛太さんは湯呑みに口をつけた。


 もしかしたら私が思っていたよりもずっと、今のこの国の情勢は危ういのかもしれない。あやし者と術士が手を組み、いずれは幕府を倒す――それを夢物語だと断じることはできなかった。

 だって幕府のお膝元である絵戸の住人たちですら、条約には不満を抱いていたんだ。日ノ元全体に目を向ければ、反幕の機運は確実に高まっている。幕府が圧倒的な権勢を誇っていた時代は、徐々に綻びを見せ始めていた。


 空を見上げる。高く澄んだ雲一つない美しい青空が、何故だか妙に不吉なもののように感じられた。

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